第131話 追いすがる過去と今⑥ 綾瀬川心深の学校風景~嵐の前の静けさ
*
静まり返った無人の廊下に私の足音だけが響く。
どうも、綾瀬川心深です。
知ってるヒトは知っている。
知らないヒトは知らない。
そんなさすらいのアニメ声優をしている女子高生です。
でもおかげさまでここ最近は名前を知ってくれているヒトが急増中。
嬉しい悲鳴(事務所の)が止まらない状況です。
そんな中で今日は久しぶりの普通登校。
どれくらいぶりかというと、私、夏が終わってすぐに休学をしたんです。
なのでだいたい三ヶ月ぶりになります
高校一年生の貴重な夏休みを映画の番宣イベントで潰して、さらに二学期後もずっと休学。
おかげで学校に来たのは中間テストと期末テストのときだけ。
しかも私だけ放課後に別室で受けたから友達にも会えませんでした。
それもこれも全ては頑固な監督のせいなんです。
頭でっかちで古くて固くて、こっちの都合なんてお構い無しで。
平気で何時間も、それこそ夜中までだってリテイクさせられるし、自分が気に入らないシーンは予算とスケジュール度外視で作りなおしをさせます。でも心の底から尊敬できる日本屈指のアニメ監督なんです……。
そんなヒトが私をヒロインにとオファーを下さいました。
私と同じくオファーされた幾人かの女性声優の中から公開オーディションを行い、インターネット投票によってヒロイン役を決めるという、作品のプロモーションも兼ねた大々的なイベントが行われたのが夏真っ盛りの8月。
私はなんとか強敵たちを下し、ヒロイン役を獲得することができました。
ハッキリ言って技術的なことで言えば、私以外の先輩声優の方が上でした。
ですが、監督は言ってくれたのです。
私の声には『不思議な力』が宿っていると。
その時は舞い上がるくらい嬉しかったのですが、監督は直後に私に学校を休学するよう、事務所づてに要請してきました。
もちろん私は突っぱねました。
学校に通いながらでもスケジュールを調節して収録はできると。
ですが監督は私や他の共演者たちを人気のない別荘地へと連れて行き、世俗と隔絶された環境下で収録させようと画策していました。まるで昭和の映画撮影のようなノリです。
拘束される演者たちは他の仕事休んだり断ったりまでしていました。
それくらい、監督の作品に出演できることは、声優として箔がつくことなのです。
私は、結局マネージャーと事務所の社長に説得されてしまいました。
まだ高校一年生の夏なのだからと。
これがもし二年生、ましてや三年生ならば私達も庇った。
しかしキミは若い。
青春はまだ取り戻せる。
でも声優としての実績は今しか積めないんだと。
そんなこんなで学校で友達に会うのは三ヶ月ぶりなのです。
映画もクランクアップし、全国公開を年明けに控えています。
すべてが順風満帆。
私も本来ならもう一ヶ月は早く登校できる予定のはずでした。
事件は唐突に起こったのです。
映画がどうとか、期末テストがどうとか、世の中はそんな場合ではなくなってしまいました。
世界が音を立てて壊れていく様を見ました。
私だけではありません。日本国中の人々が、そして世界の人々が地球の終わりを予感した事件。
通称『ブラックホールの祭日』と呼ばれるその事件は、いまだ以ってして原因は不明。
地球の地磁気や自転にまで影響をおよぼすほどの、計り知れないパワーを秘めた巨大な『孔』が北極に現出し、世界は大パニックに見舞われました。
日本も、莫大な経済的損失を受けた国のひとつです。
何千億、何兆円というお金が一瞬で失われたといいます。
ですが結局のところ、地球は滅びませんでした。
北極に現れた『孔』はあっさりと消滅し、世はなべて事も無し。
地球の静止軌道上に残留する多くの廃人工衛星や残骸などの、所謂スペースデブリを一掃して消えてしまいました。
結局のところ、私たちは神様のきまぐれに弄ばれただけだったようです。
おたおたと慌てた人類が馬脚を現して、勝手に損をして勝手に天にツバを吐く。
ですが厭世的な空気が蔓延った世間は活気を失っていました。
原因不明の『孔』は、その正体すら謎で、神様の都合で消えたのなら、またいつ神様の都合で現れるかわからない、人々はそんな不安と恐怖を抱えていたのです。
私たちにできることはあまりにも少ない。
けれど、こんな経済活動すら停滞するようなマイナスの雰囲気に世の中が染まってしまっていては、年明けの映画公開にも影響してしまう。
そうして打ち出された苦肉の策が『みんなを元気づける』――その一点のみで行われた公開ラジオ収録でした。まあようするに夏の間の宣伝イベントの続きですね。
メインパーソナリティに選ばれた私はハードなんてものじゃありませんでした。
朝の九時から始まって、お昼を挟んでなんと午後五時まで。
毎日八時間ぶっ続けの公開生放送という内容でした。
毎日毎日手を変え品を変え、なんとか頑張って盛り立てましたとも。ええ。
映画の宣伝だけじゃ尺が余り過ぎるので、国内と国際ニュースはもちろん、経済学の先生を呼んでよくわからない株と為替の講義をしてもらったり、財務省の口の曲がった大臣さんを招聘して日本経済の見通しを語ってもらったり、JAXAから宇宙物理学の専門家をゲストに招いて、果たしてあの『孔』とはなんだったのか、というお話を延々聞いたり。
あの『孔』の正体は世間で言われいてるブラックホールなどではなく、地球の地磁気や地場が起こす生理現象のひとつではないか、という仮説が個人的には面白かったです。
一番反響を呼んだのが、その宇宙物理学の先生が仰った言葉でした。日本を始めとした先進国が一丸となって取り組んでいる国際宇宙ステーション『ISS』建造の最大の障害だった宇宙ゴミの問題が『孔』によって一気に解決されたと。
もし人類が一から宇宙ゴミの問題を解決しようとしたら、今世界中の富のすべてを合わせても足りやしない。ましてや、世界的な経済損失など、宇宙ゴミの問題を解決できたことに比べれば安いものだ、という内容の発言でした。
いやあ、ビックリしましたね。
あまりの抗議メールの多さに。
回線サーバがダウンするなんて初めての経験です。
でもそれと同じくらい、肯定的なメールも殺到しました。
スカッとした、とか。逆転の発想ですね、みたいな。
つまり、みんなそれくらい大胆な気概で嫌な空気を吹き飛ばしたかったんだと思います。
まあそんなわけで、私がメインパーソナリティとして半月あまり行われた苦行のような八時間ラジオは、こちらの想定を遥かに越える大好評のうちに千秋楽を迎えることができました。
ああ本当に、シャバの空気が美味い……っていうんですかこういうの?
冬休みを目前に控えた長閑な学校の空気って最高です。
そして今度から仕事は絶対選ぼう。
私はそう心に誓うのでした。
*
「失礼しまーす、遅刻しましたー」
私はおどおどしながら教室のドアを開けます。
久しぶりの登校だというのに、私は今朝完全に寝坊してしまいました。
ようやくあの公開処刑……、じゃないや、公開収録から解放されて気が緩んでしまったのです。
そろりと扉の隙間から中を覗くと、一斉に三十人からの視線が私を貫きました。
「綾瀬川心深さんね。話は聞いてます。早く席につきなさい」
「あ、はい、どうも」
先生の優しい言葉にホッとして教室に入ると――
「わっ」
万雷の拍手に迎えられました。
うわー恥ずかしい。
私は収録現場に入る時みたいにペコペコと頭を下げながら自分の席につきました。
途端、後ろと左隣から、わりと強めに私を小突いてくるふたつの手。
友だちの
「毎日ネットでラジオ聞いてたよー」
「ホントお疲れ様、心深ちゃん」
黒髪ショートボブの方が朝倉希で、いかにもお嬢様風のふんわりセミロングが支倉夢です。どちらも私の一番の友達です。
でも最初から仲が良かったわけじゃなくて、ぶつかり合って喧嘩をして、それでようやく心のわだかまりが取れたというか、私の言葉を理解してくれたというか。だからどちらも私の大切な、心からの親友と呼び合える間柄なんです。
「毎日聞いてたって希ぃ、そりゃ嬉しいけど、まさか授業中も?」
「はて、なんのことかな?」
「……鞄からイヤホンがはみ出てる」
「ウソ!?」
もちろんウソ。
カマかけです。
「こ、心深、あんたいつからこんなヒトを騙すようなことを……!」
「ほほほ、連日大臣クラスのお歴々や、経済、物理学の教授陣とアホの子のフリしながらしたたかに渡り合ってきた私をお舐めじゃないよ!」
「っく、しばらく見ない内に友達が莫大な経験値を得てレベルカンストしている件について……!」
「カンストって何かしら?」
私と希の会話に、いつもワンテンポ遅れてついてくるのが夢です。
血気盛んな私と希にはなくてはならない、一服の清涼剤、というか癒やしの存在です。
「いや夢、カンストってのはカウンターストップの略で、あんたこの間モバゲーしてるって言ってたじゃない。それくらい知ってるでしょう」
「へえ、機械音痴の夢がそんなの始めたんだ」
私が休んでいる間に親友たちにも変化が。
テレビのリモコンすらロクに操作できない夢がモバゲーなんて驚きです。
「うん、ほらほら見て心深ちゃん。ようやくお父様に買ってもらったのこれ」
差し出されたモノを見て、私と希は絶句しました。
ガ、ガラゲー。
しかもすごく古い型の。
小さな画面にはドットの荒い白黒の文字が踊っています。
うわあ、こんなの社会科の教科書でしかみたことないよ!
「これでね、ほら、テトリスしてるの。すごく楽しいんだよ」
「何故にそのチョイス、って色が白黒でも形だけで遊べるからか。でも『ぷよぷよ』はできねーじゃん。夢ぇ、おまえこんなガラクタ携帯で喜んでちゃあ――」
「そっか。よかったね夢。でもゲームは一日一時間だよ」
「うん、お父様にもそう言われたの」
ああ。守りたいこの笑顔。
だというのに希はどこまでも非情な現実を突きつけてきます。
「ちょっと心深、こいつのこれってさ、モバゲーっていうか――」
「黙りなさい。この子はこれでいいの。いつまでも純粋でいて欲しいっていうこの子のお父さんとお母さんの願いがわからないの?」
「それっていいの? このご時世にこんなIT音痴でこいつの将来は大丈夫なのか?」
「あんたが一生隣で面倒見てやればいいでしょ」
「なんで? ねえ、なんで私がこいつと一生一緒に居てやるのが当たり前みたいになってるの!?」
「え」
私と希の会話を聞いていた夢が、ガラケーを抱えたままピタリと止まりました。
「希ちゃん、私とお別れする気なの? ずっとお友達でいてくれないの?」
「うえ!? おいおい、そういう意味で言ったんじゃ……、これからの長く険しい人生、ふたりが常に一緒にいられるとは限らないっていうか……」
「そんなの嫌! 私は大学生になってもお婿さんを貰っても、ずっと希ちゃんと一緒にいるの!」
「夢は婿養子派かー」
「問題はそこじゃねーし!」
――ハっと。
顔を上げればクラスメイト全員に大注目されていました。
先生はこめかみをヒクつかせて、教科書の角で教卓を叩いています。
希と夢も真っ青。
ちょっと、久しぶりの再会でハメを外しすぎたようです。
でもそこは天の助けとでも言うのでしょうか。
絶妙なタイミングで授業終了のチャイムが鳴りました。
はあ、と先生は教科書を抱え、教室を出ていきます。
ごめんなさい。
ピシャっとドアが閉まった途端、クラスメイトたちが人波となって私の方に押し寄せてきます。みんなが口々に今度公開される映画やラジオの話題を求め、私を褒め称えてくれます。
ああ、やっぱりいいなあ、この雰囲気。
みんなと馬鹿騒ぎして遊んで勉強して。
年が明けたらすぐに春が来て、進級して、修学旅行もあります。
毎日が楽しくて仕方ない。これでアイツが帰ってきてくれれば最高なのになあ……なんて。
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