第130話 追いすがる過去と今⑤ 押しかけ吸血鬼とその眷属〜はい、このヒトが僕の初めてです

 *



 そうして。もう少しで学校の正門が見えてくる――という段になったとき、僕らはその異変に気づいた。


「あん? なんやろ。人だかりが?」


「さあ、トラブルかなんかじゃねーの?」


 豊葦原の生徒が足を止め、ズラッと人垣ができていた。

 僕らは首を伸ばしながらもその横を通り過ぎようとする。

 途端『ジャーン』と微妙に調子の外れたギターの旋律が聞こえてきた。


「男の階段登る~、キミはまだシンデレラ・ボーイっさ!」


 僕は怪我のことも忘れてその場にすっ転んだ。


「セ、センセ、突然どないしたん!?」


「おお、まるでバナナの皮でも踏んづけたような見事なコケっぷりだな!」


「ちょ、ちょっとごめん、みんなどいてくれる?」


 僕は心配してくれる星崎くんと甘粕くんを放って、人垣をかき分けていく。

 そこには案の定というかなんというか、吸血鬼とその従者がいた。


「おお、おはよう我が弟子よ。ただ待つのも退屈だったのでつい一曲歌ってしまっていたところだ」


「曲のチョイスに悪意を感じるのは僕の気のせいか?」


 アコースティックギターまで用意して何が「つい」だよ。


「はは、親子と師弟の関係のみならず、名実ともに我が同胞となったおまえに悪意など持つわけがないだろう?」


 ギクリ。


「な、なな、なんのことかな……?」


「照れるな照れるな。貴様が私と同じくカーミラ様の眷属となったことは――」


「ちょっとぉ――!」


 言わせねえよ、とばかりに僕はベゴニアの口を塞いだ。

 僕の左手の上でふたつの眼が実に楽しそうに細められる。

 チラっとその視線が隣にいる彼女の主へと向けられた。


 ベゴニアの主であるカーミラは、わざわざ持ってきたのだろう、ゆらゆらと揺れるロッキングチェアーに座り、なぜだか知らないが優雅な手付きで編み物をしていた。


 彼女の膝の上には大きな毛糸玉が置かれ、白くて細い指先が、二本の棒針を巧みに操り、チェアーの揺れでリズムを刻むように、スッスッスっと糸が編まれていく。


 その表情は往来の喧騒の中にあっても穏やかそのもので、いつもはタイトな服装を好む彼女が、今日に限っては割りとゆったりめの露出の少ない格好をしていた。


「な、なあカーミラ、こんなところで何をしてるんだ?」


 聞きたくはない。

 聞きたくはないが聞かない訳にはいかない。

 カーミラは慈母のような笑みを湛えて僕を見上げた。


「いまのうちから作っておこうと思いまして」


 思いまして?

 何故に僕に敬語?


「作るって……何をさ?」


「いやですわ、子供服です」


 さあああああ――っと血の気が引いていく。

 マジで耳の奥がキーンとしてきた。


「こ、子供って、一体なんの話しを……?」


「もちろん、生まれてくる我が子のために、手ずから服を編もうかと。ああ、私知りませんでした。子を宿すということはこんなにも毎日を充実させてくれるものなのですね」


 そう言ってカーミラは自らのお腹を撫でさすった。

 そんなまさか、と狼狽える一方、

 いやいや冷静になれ僕、と必死に心を落ち着かせる。


 ありえない。

 昨日の今日でいくらなんでもそんな。

 でも一瞬、吸血鬼の生態ならあり得るか?

 とか思ったがやっぱりないだろう。


 乗せられるな。

 ビークール僕。

 エアリスが見てる。

 みんなが見てる。

 下手は打てないぞ。


「カ、カーミラには感謝してる。僕が今生きていられるのも全部あんたのおかげだ」


「あら、意外と淡白ですのね。つまんないですわー」


 バカ野郎。

 心臓バクバクだよ。


 その時、タイミングよく予鈴のチャイムが鳴った。

 振り返るまでもなく、生徒の輪が離れていくのがわかった。


「センセ、先に行ってるで」と妙に弾んだ声で星崎くんと針生くんも離れていく。甘粕くんには完全にバレただろうなあ……。


「まったく、朝から騒がしいことだな。カーミラ殿、すまないが私たちはこれで失礼する」


 エアリスは――僕を救ってくれた恩人として、カーミラには一方ならぬ感謝の念を抱いているようだ。


 ちなみに、僕が帰還した直後から真希奈は初めて尽くしの超常戦闘の連続で即メンテナンス行きに。


 虚空心臓からコアである賢者の石シードコアを取り出され、僕と物理的に切り離された彼女からは事あるごとに鬼電がくるようになった。


 アウラは、ボロボロになった僕の姿がよほどショックだったようで、意識を回復してからはずーっと僕の首っ玉にくっついたまま離れなくなった。


 本気で愛しさと申し訳ない気持ちが溢れてきてしまい、可能なかぎり好きにさせている。今朝、さすがに学校には連れていけず、説得するのにものすんごく苦労した。


 なので、真希奈、アウラ、そしてエアリスと――僕とカーミラの関係には気づいてはいないと思うのだが……。


「いえいえ、どうぞ学校生活を楽しんでらっしゃいな。それからタケル、現在あなたの中には神祖の因子が働いているのは承知の通り。いずれあなた本来の力が戻れば殆ど意味をなさなくなるでしょうが、それまでの間、軽挙妄動は厳に慎むように。いいですわね」


「ああ、わかってるよ。じゃあ――」


「お待ちなさい」


 グイッと左腕を取られる。

 一瞬で左の五指に白い指先が絡まり、豊満な胸元に引き寄せられる。

 常には感じないような甘ったるい匂いにクラっとした。


「時に、あっちの方は大丈夫ですの?」


 至近距離からの囁き声。

 ゾクゾクと這い上がってくる未知の感覚を僕は奥歯を噛んで必死に耐える。


「あっち……? あっちってどっち?」


 本気で何を言われているのかわからない。

 カーミラはクイっと僕のおとがいを手に取り、自分の方を向かせる。


「とぼける気ですの?」


 触れ合う程の距離で僕らは見つめ合った。

 目の前にいるのはいつものカーミラだ。

 混じりっけなしの普段のカーミラのはずだ。


 淡桃のゴールドブロンドを優雅にカールした淑女と言った容姿。

 でも企業人としての厳しい面も兼ね揃えたその正体は、実に700年の時を生きる人外の吸血鬼である。


 享楽的で快楽主義者で、ヒトをからかって遊ぶのが何より大好きな、はた迷惑極まりない女のはずである。だというのに……!


「あなた今、エッチな気分になってるのではなくて?」


「は――!?」


 不覚にも声が裏返ってしまった。

 慌てて口を塞ごうとするが、左手はカーミラに絡み取られたままだった。

 狼狽える僕の唇に、人差し指がそっと添えられる。


「あなたの今の状態は私が一番よくわかっていますわ。吸血鬼になり立てて辛いでしょう。ベゴニアだって毎日暇さえあればトレーニングをして発散させているのですよ」


 そ、そうだったのか。

 知りたくなかったなそんな情報。


「私の場合は常に自分を躁状態にすることで、諸々の感情をコントロールしているのです。何も最初からこんな性格だったわけではありませんのよ」


 カーミラの言葉の意味を理解するよりも先に、まるで麻薬のように頭の奥がしびれ始める。


 これは思った以上にマズい。

 目端でエアリスが訝しげな表情をしているのが見えた。

 早く、早く離れないと……!


「ともかく、スッキリしたくなったらいつでもいらっしゃいな。もちろん、エアリスちゃんには内緒にしておいてあげますわ」


 フッと甘やかな吐息を吹きかけられる。

 限界だった。

 僕は膝から崩れ落ちた。


「タケル! どうした、大丈夫か!?」


「あ、ああ、大丈夫。ちょっと休めば平気だから」


 抱き起こそうとするエアリスに、僕は手を振って自力で立ち上がる。

 今エアリスに触れられたら色々なものが決壊してしまうだろう。


「まだまだ本調子じゃないのでしょうね。ともかく、学校生活程度ならまず問題はないはずですわ。あとは無茶をしないように護衛をお願いねエアリスちゃん」


「無論だ。我が主が迷惑をかけるなカーミラ殿」


「いいえー、私にとってももう他人事ではなくなってしまいましたからね」


「うん? それは一体どういう意味だ?」


「エ、エアリスさん急ごう、授業が始まっちゃうYO!」


「ああ、そうだな。ではカーミラ殿、ベゴニア殿、失礼する」


「うむ。達者でな(ジャガジャーン)」


 僕はエアリスを連れて小走りで校舎へと向かう。

 振り返ればカーミラが実に楽しそうな顔で投げキッスなど送っていた。


 ちくしょう。

 めちゃくちゃ遊ばれてる。からかわれてる。


 でもそうなのだ。

 僕はカーミラの眷属――即ち吸血鬼となって命を拾った。


 でも、その御蔭でどうにもこうにもままならない感情に悩まされている。

 ぶっちゃけていうと、エアリスを見ていて、いつも以上に落ち着きのない気持ちになってしまうのだ。


 そんな時は呪文のようにセーレスの名前を唱えるのだが、そうしたらそうしたで増々変な気分になってきてしまうから困る。正直、本当に大猿にでも変身して月に向かって叫び出したい気分なのだ。


 でもそうか。

 カーミラっていつもこんな感情を押さえつけていたのか。

 ただ単に頭のネジが飛んでるだけの女だと思っていたがこれは辛い。

 今度からもう少し聞く耳を持ってやろうかな……。



 *



「カーミラ様」


「ええ、ベゴニア」


 始業のチャイムが鳴り響き、無人となった通学路で吸血鬼とその眷属はしたり顔で頷きあった。


「クククっ」


「フフフっ」


 笑いが漏れた途端、堪え切れないとばかりにふたりは呵々大笑した。


「いやあ、しばらくはこのネタで遊べますな」


「まったくですわ。というかアレ、本気で信じてましたわよ。私たちがずーっと性欲に耐えながら日常生活を送ってるって」


「カーミラ様こそ、私の崇高なる鍛錬を性欲の解消だなどと、笑いを堪えるのに必死でしたよ」


「いやはや、吸血鬼の衝動など本来ある欲望を増幅・・・・・・・・・させる・・・だけだというのに、やっぱり若い男の子ですのねー。もうちょっと自分に素直になれば、今すぐどうこうできる女が周りにいるというのに」


「仕方がないでしょう。素直になってしまっては私達がつまらないです」


「それもそうですわね。あー、面白かった」


 撤収ー、とばかりにベゴニアはロッキングチェアを担ぎ上げ、カーミラは編み物セットをいそいそとトートバッグに仕舞いこんだ。そうしてふたりが自分たちの車に向かおうとしたその時だった。


「あら……、ずいぶんと遅い到着ですこと」


 キキキーっと、スキール音を響かせ、見知った黒塗りのリムジンが停車した。

 バンっ、とドアから現れたのは白紬に白帯、ぬばたまの黒髪に螺鈿細工をあしらった人外頭領様だった。


「ごきげんよう。その後、もろもろの事後処理は終わりましたの? 大変ですわねえ、国家を背負う一流企業ともなれば。私なんて所詮外来の三流企業ですので、これから朝食を摂ってのんびり出勤ですのよ」


「そうですか。朝餉がまだだというのなら重畳。少し人研まで付き合いなさい」


 人外頭領――御堂百理は静かに、だが内なる激情が伺えるような底冷えする声でカーミラを誘った。


「人研ですの? まあ確かにあそこの食堂も不味くはありませんが、今日は気分じゃありませんの。申し訳ありませんが――」


「あそこならば最悪被害が限定できます。いいから大人しくツラを貸しなさい」


 ボッ――と、百理の体表面から白い鬼火が上がった。

 カーミラは下品にも「ピュウ」と口を鳴らした。


「いいですわ。今のあなた、実に私好みの目をしてます。嫉妬に狂った女の顔ですわね」


「戯れ言を。あなたに好まれてもただおぞましいだけです」


「ですから、そんなおぞましい表情かおをしているのが今のあなただと言っているのです」


「くッ――この、減らず口を……!」


 成華タケルの仲裁があったとはいえ、カーミラと百理は本来犬猿の仲なのだ。

 火と水、太陽と月のように、相剋しあう表と裏の存在。

 片や日本を古来より治める人外頭領と外来の吸血鬼。

 そしてどちらも日本を代表する超一流企業の経営者。


 ふたりの間を取り持ったのは成華タケルであり、引き裂くのもまた成華タケルが原因なのだった。



 *



「あれ、ここは……?」


 イリーナ・アレクセイヴナ・ケレンスカヤ――イーニャは百畳はあろうかという大座敷のど真ん中で目を覚ました。


 よいしょっと上半身を持ち上げる。

 これだけ広大な空間だというのに、暖かな空気に満ち満ちている。

 それでいて、喉もしっとりと潤って、湿度調整も完璧だった。


「んん? そっか私途中で寝ちゃったのか」


 ダマスカスでの『G.D.S』人質事件解決に多大な貢献をしたイリーナは、御堂財閥で下にも置かない国賓待遇を受けていた。


 そんな彼女は百理の肝いりで、人工知能進化研究所のフリーパスをもらい、滅茶苦茶に破壊され尽くしたタケルの鎧――プルートーの鎧の触媒修復を試みている最中だった。


「昨日は確か、真希奈ちゃんのメンテナンス作業に付き合ってたんだっけ」


 人類史上最高級のアーティファクト、賢者の石シードコアによって創られた真希奈は、見れば見るほど複雑怪奇なプログラムをしており、まるでそれは小宇宙を眺めているような気分になった彼女は、夢中で解析とデバッグをしていたのだ。


 気がつけば丸二日ばかり、完徹で作業をしていた。

 普段のイリーナならなんでもない作業量だが、日本にやってきてからずっと働きづくめだったため疲れが出てしまったようだ。


 寝落ちしてしまった自分を、恐らく百理が自分の邸宅に連れ帰って休ませてくれたのだろう。


「百理ちゃーん?」


 つぶやき声は広大な座敷の中に吸い込まれて消えた。

 人質になっていた『G.D.S』メンバーは邦人も含めて全員無事に帰国を果たした。


 その一切の手続きを率先して行ったのは御堂財閥であり、百理本人だった。

 百理の知り合いという邦人女性も当然無傷であり、彼女はそれを大層喜んでいたはずだったが……。


「タケルの奴だってなんだかんだで助かったって言うのに、どうしちゃったんだろう」


 自分の我が侭のせいでタケルが瀕死の重傷を負った。

 そのことで当初、イリーナが声をかけるのも躊躇われるほど、百理は己自身を責めていた。


 だが、タケルは奇跡的に一命をとりとめ、持ち前の回復力であっという間に立ち歩きができるまでになった。


 それでよかったはずなのに、何故か百理はずっと複雑な表情かおをしていた。泣いているような、怒っているような。そんな顔だ。


「ふーん、私とそんなに歳違わないのに、大人っぽいよなあ百理ちゃん……」


 ゴロン、とフカフカの羽毛布団に大の字になる。

 床に寝るのなんて慣れない、と思ったのに、今は存外悪くない気分だった。


 目をつぶると、畳の匂いと木の柱の匂いがして、暖かな森の中で眠っているような、そんな錯覚に陥る。


「ふあ……、もうちょっと寝ようかな。パーパ、マーマ、おやすみなさ――ん?」


 そこまで言いかけて、イリーナはようやく自身の違和感に気づいた。

 自分の太ももあたりに何か居る。


 バッ、っと掛け布団を剥ぎ取るとそこには――


「はい?」


 幼い少女がちょこんと丸まってイリーナの脚にすがりついていた。

 浅葱色の髪をツインテールにした可愛らしい薄褐色の女の子だ。

 今はとってもおしゃれな服装をしていて、このままではシワになってしまうかも。


「え? え? 確か、アウラちゃん? なんで、というかいつの間に」


「うう……」


 グスっと涙を目尻にためながら、アウラがズリズリと身体を登ってくる。

 そうして首元に縋り付いたまま少女は穏やかな寝息を立て始めた。


「……まあいっか」


 こうして日本に来日して四日目。

 本日のイリーナの予定は二度寝と子守に決定したのだった。

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