第128話 追いすがる過去と今③ 心深、こころの向こうに~拝啓成華タケル様・後編
*
正門前でサインをしてあげた日から一週間が過ぎました。
私がいつものように朝、彼を迎えに行くと、家の中はもぬけの殻になっていました。
あいつめ……。
噂話のひとつやふたつで早々に尻尾を巻きやがって。
私が彼と同じ高校を受験するために、事務所の大反対を押し切って、これからお春まで休業までするというのに。
肝心のあいつがこんなことでは全く意味がありません。
いつまで手のかかる弟でいるつもりなのでしょう。
早く大人になって欲しい。
そして早く私に相応しい男になって欲しい。
それが私の、偽らざる本心でした。
私は彼の家を飛び出しました。
恐らく私を避けるために、朝一番で学校に向かったのでしょう。
それを追いかけるために、私は鞄を抱えて走り出しました。
レッスンで鍛えた体力、なめるんじゃないわよ――!
*
早朝の校舎内は静かでした。
人気のない階段を駆け上がり、三年生のフロアにたどり着くなり、私は信じられない光景を目の当たりにしました。
あいつが、幼なじみの彼が、身体の大きな男子生徒に襟首を掴まれ、今にも殴られそうになっているではありませんか。
カッ――と、私の中に火がつくの分かりました。
一瞬の吸気の後、私は肺の中のすべての空気を声に変換します。
【やめなさいあんたたちッッッッ――!!】
自分でもビックリしました。
私が発した声は廊下全体に拡散し、ビリビリと窓が震えました。
彼と、彼を殴ろうとしていた男子生徒も、雷に打たれたみたいに停止していました。
そうして振り返った男子生徒に、私は覚えがありました。
確かサッカー部のレギュラーの子だったはず。
以前私に告白をしてくれた子です。
当然、私は告白を丁重にお断りし、男子生徒の方もその時は納得してくれたと思っていたのですが……。
とにかく、言い訳など聞く必要はありません。
体格も腕力も上の子が、彼に一方的に暴力を振るおうとしていたのです。
私はふたりに詰め寄ると、改めてそのサッカー部の男子生徒に、私の気持ちを伝えました。
私はあなたとは付き合えない、今後私と彼に関わるのをやめて欲しいと。
二度も振ることになって心苦しいけど、彼に暴力を振るおうとしていたのです。
とても許せそうにありませんでした。
男子生徒は呆然とした様子で、ふらふらと立ち去りました。
私は彼に近づきます。
よかった。
とくに怪我はしていないようです。
あと少し、駆けつけるのが遅れれば、大変なことになっていたかもしれません。
今はまだいい。
手のかかる弟でも、私が守ってやらなければ。
もう誰にも絶対、邪魔はさせません……。
*
暴力未遂事件以降、幼馴染の彼がイジメられているといった話は聞かなくなりました。
私の方も、声優業を休止宣言し、各方面に多大な迷惑をかけながら夏休みに突入しました。
受験対策専門の家庭教師(女性)を雇い、遊ぶ暇もないほど勉強に勤しんでいます。
幼なじみの彼は、自己流の勉強で難関高校も受かってしまうのでしょうが、私は違います。
毎日つきっきりの授業を受けて、何十時間も勉強して、ようやく彼の志望校に合格できるか……というレベルです。
あっという間に秋が来て、年が変わり、受験本番のシーズンがやってきました。
私の情報提供者、――彼の担任は直前になって貴重な情報を教えてくれました。
それまですべり止めはなしで、『〇〇高校』単願受験だった彼が、もうひとつ学校を受けるというのです。
彼には口止めをされたらしいですが、私が【お願い】をすると担任はペラペラとしゃべってくれました。
彼のもうひとつの受験先、『私立豊葦原学院高等部』。
もともとの彼の志望校です。
夏の間、徹底的に学力を上げた私には、もうなんの問題もないレベルでした。
これを知らずに◯◯高校だけ受験していたら、彼と離れ離れになったかもしれません。
ここまできたら後はもう、バラ色の未来を夢見て突っ走るだけです。
*
私と彼は当然のように合格しました。
嫌がる彼を連れて、わざわざ発表会場まで見に行きました。
『◯◯高校』ではなく、私たちは豊葦原学院高等部に通います。
私は早速今日の放課後、事務所に報告に行って、声優業再開に向けた打ち合わせをしなければなりません。
これまでとは比較にならないくらいお仕事をすることになるでしょう。
でも彼と同じ学校に通える喜びに比べたら、大した問題ではありません。
ああ、本当に嬉しい。
これからずっと、私たちには充実した時間が訪れるはずです。
新しい学校と新しい友だち。
オーディションも積極的に受けて、もっと色々な仕事にもチャレンジしたい。
少しずつ顔出しのお仕事もしてみようかな、なんて。
彼と一緒にいられるなら、どんなことにだって耐えられる。
彼の側にいられるなら、どんな未来も怖くない。
私の感情を突き動かすもの。
私の心を熱くさせるもの。
この気持はなんというのだろう。
それは――
*
私の記憶は飛びます。
忘れもしない彼との最後の記憶です。
私と彼は同じ学校に通うことは叶いませんでした。
合格発表の帰り道、彼が交通事故に遭ってしまったのです。
幸い命に別状はありませんでしたが、全治二ヶ月の重症でした。
彼が病室で意識を取り戻したとき、私は初めて彼の前で泣きました。
彼が生きていたことへの喜びと、そして彼から目を離してしまったことへの後悔。
口では彼の不注意を責めながらも、私は心の中で謝り続けていました。
そして彼は、より頑なになりました。
怪我が完治したあとも、一度も学校に通おうとはしませんでした。
義務教育は終わったとばかりに、彼を連れだそうとしてくれる大人たちは、もう本当に誰も居なくなっていました。
私が何を言っても無駄です。
彼は、知らない間に自室に鍵を取り付け、私との接触の一切を断ち切ろうとしていました。
悲しいです。
苦しいです。
私が望んでいた彼との未来は、こんなはずじゃなかった。
ドア越しにしか話せない苛立ちは、次第に私の心をささくれさせていきます。
そしてその日は、特に私の心が乱れていた日でした。
お母さんが――、お母さんに言われたのです。
いい加減にしなさいと。
もうあの子はダメよ、と。
母はすべて知っていました。
私が彼の家に毎朝行っていることも。
彼と同じ高校に通おうとしていたことも。
全てに最良の結果を出しているうちは黙ってくれていたようです。
でも、最近の私はそうじゃありません。
売り言葉に買い言葉。
毎日ドア越しに彼と怒鳴り合い、学校の成績も下降気味。
オーディションを受けても、不合格を言い渡されるばかり。
レッスンの先生にも、気持ちが入っていないと怒られてしまいました。
そして極めつけがお母さんの言葉。
少しは変わると、変わってくれると思っていたと言っていました。
曲がりなりにも難関高校に合格した彼を母も認めてくれていたのです。
「あなたひとりが努力をしても、きっと彼のことはどうにもならないわ。彼はある意味高潔よ。だって最初から最後まで自分を変えず、自分を曲げず、貫き通しているから。彼の望む未来はあなたと一緒にいることじゃない。誰にも邪魔されずひとりになることよ。だからもう彼を自由にしてあげましょう。あなたの想いは遠からず彼も、そしてあなた自身も壊すわ。それだけはお母さん、絶対に許さないからね」
私の行動も想いもすべて、母は知っていたのです。
でももう終わりにしなさいと、親心から最後通牒を突きつけてきました。
私は一晩考えました。
殆ど眠れず、翌朝寝不足の頭で家を出ました。
お母さんは何も言いませんでした。
そして私は、彼の部屋の前に立ち、彼のいつもの拒絶の言葉に、ついヒステリックに反応をしてしまったのです。
そうなったらもう止まりませんでした。
ドアを叩いて蹴って、どうしてあんたはそうなんだと、どうしてそんなに頑ななんだと、どうして一度も私を見てくれないのかと、散々に当たり散らしました。
一時間ばかりもそうしていたでしょうか、学校はとっくに授業が始まっている時間で、それでもやっぱり彼は出てきてくれません。
とぼとぼと階段を降りて、また再び埃を被りだしたリビングに入ります。
ダイニングキッチンがあって、彼がそこで下手くそなお弁当を作っていたのを思い出します。
もう彼の作った玉子焼きを食べることはできないのでしょうか。
何をどうしたら彼は変わってくれるのでしょう。
私が望んでいることは、そんなに彼に負担になることだったのかな……。
ただ当たり前に学校に通って、当たり前に友達を作って、当たり前に恋をして。
放課後に一緒に帰ったり、お休みの日にデートをしたり、仲の良い友達と集まって遊びに行ったり……。
それの何がいけないと言うのでしょうか。
もういっそ、生まれ変わりでもしない限り、彼は変わらないのでしょうか。
それともどこか遠い、別の違う世界にでも行けば、彼も自分の考えを改めるのでしょうか。
私は目を真っ赤に腫らしながら、自分の家に帰りました。
お母さんは私を一目見て「学校には連絡しておく」と言ってくれました。
どのみちこんな非道い顔では友達にも会えません。
寝不足だった私はご飯も食べず、制服も着替えず、そのままベッドに突っ伏して深い眠りにつきました。
*
近所で火事でも遭ったのでしょうか。
遠くの方からサイレンの音が近づいてきます。
とても不穏で怖い響きで、頭がガンガンと割れそうです。
私が目覚めると、既に夕方になっていました。
部屋の中には真っ赤な夕陽が差しています。
窓の下を見ると、大きな消防車が通りすぎて行くのが見えました。
やはり近所で火事が起こっているようです。
寝癖だらけの頭でベッドをぬけ出した途端、ノックもなしに部屋のドアが開かれました。
青い顔をしたお母さんでした。
落ち着いて聞きなさい、と前置きをしてから放たれた次の言葉に、私は頭が真っ白になりました。
気がつけばお母さんを突き飛ばし、靴も履かずに家を飛び出していました。
騒然とする住宅街。
野次馬をかき分けてかき分けて、私は半狂乱になって走ります。
燃えていました。
彼の家が。
二階にある彼の自室が、炎に飲み込まれています。
私は迷わず飛び込もうとし、後ろ手を掴まれました。
お母さんでした。
私と同じように靴下のまま、恐ろしいほどの力で私の腕を締め上げました。
尋常ではない様子の私達を見て、消防のヒトが「危険です、下がって下さい」と立ちふさがりました。
私は必死に詰め寄ります。
彼は、ここに住んでいる男の子は無事なのかと。
「住人がいるのですか!?」などととぼけたことを言うので、私は早く助けてと叫びました。
その時です。
誰かが「危ない!」と大声を上げました。
私の見ている前で、二階建ての一軒家が音を立てて崩れ始めました。
下がって、下がってください、と身体が押されます。
私はフラフラと後ずさり、その場に尻もちをついて見上げました。
真っ赤な真っ赤な夕日に照らされて、ぼうぼうと燃え盛る彼の家。
「しっかりしなさいッ!」
お母さんに頬を張られても、私はまるで糸の切れた人形のように、ただ呆然と炎を見つめ続けていました。
*
あの火事から半年が経ちました。
閑静な住宅街を震撼させた火災はどうやら放火のようでした。
市内では当時不審火が相次いでおり、人気のない住宅や空き家が狙われる事件が当時は多発していました。
そうして彼の家も放火魔のターゲットになったのでは――とのことでした。
はい?
どうして私が平気そうなのかって?
彼の家は全焼してしまいましたが、その焼け跡から彼の遺体は見つからなかったそうです。
私にもよくわかりませんが、現代の鑑定技術からヒト一人が焼死すれば、瓦礫の中からでもその痕跡は必ず見つけることができるそうです。
でもそれが一切出てこないということは、当時家の中は完全に無人だったことを証明しているのだそうです。
普段ほとんど自室から出ない彼が、たまたまその時だけは外出していたのでしょうか。もし万が一、火災から難を逃れたのなら、何故彼は帰ってこないのでしょう。
わかりません。
一体彼の身に何が起こったのか。
どうして帰ってこないのか。
でも、彼はどこかで必ず生きている。
そんな予感がするのです。
私は、お母さんがびっくりするくらい普通になりました。
即ち、今までどおりに学校に通い、放課後にレッスンを受け、積極的にオーディションに参加し、合格した役を懸命に演じる。
彼自身が姿を消しただけで、彼は私にとっての『希望』になりました。
いつ彼が帰ってきてもいいように、私は今目の前にあることを一生懸命こなすだけです。
決してやせ我慢なんかじゃありません。
自暴自棄にもなっていません。
だってほら、振り向けばすぐそこに彼が――
*
「タケル……?」
小さな呟き。
誰にも聞かれることのない独り言。
授業中、どうしても昨夜までに覚えきれなかったセリフを頭に叩き込むため、私は教科書越しに台本を広げていました。
燦々と日差しが注ぐ気持ちのいい蒼天の中、本当に一瞬だけ、陽の光が瞬いたような気がしました。
どうしてそれが彼に――幼馴染の『タケル』という呟きに繋がるのか、私自身にもわかりません。
でも、何故か近いうちに彼が帰ってくるのではないか、そんな確信めいた予感がするのです。
もし再び、彼に逢うことができたら。
今度こそ私は、ありったけの想いの丈を彼にぶつけてやろうと思うのです。
*
……えっと、以上です。
なんだか長い間ひとりで喋っちゃって、本当に申し訳ありませんでした。
あ、私今度CD出します。
ダウンロードサイトでも購入できるみたいです。
あとサイン会イベントもやります。
よかったら遊びに来てくださいね。
以上、お相手は綾瀬川心深でした。
ばいばい。またね。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます