第127話 追いすがる過去と今② 心深こころの向こうに〜拝啓成華タケル様・中編

 *



 皆さん朗報です。

 三年生に進級する直前、ついに幼馴染の彼が自分から学校に行くと言い出しました。


 あれから私は毎朝早起きして彼の家にお邪魔するようになりました。

 うちのお母さんも一時間早く朝ご飯を作ってくれています。


 私は早く彼の家に行きたいから、朝ごはんなんて適当でいいのに、「それだけはダメ」と言ってごはんを作ってくれます。ありがたいことです。


 でもごめんなさい。

 彼の家に通ってるというのは秘密です。

 案外ご近所でもバレてはいないようです。


 毎日レッスンで遅くなるから、朝早く教室で勉強している――という言い訳はずっと続いています。


 とにかく、そうまでして私が毎朝起こしてあげて、掃除をしてあげたり、ゴミをまとめてあげたり、溜まりに溜まった洗濯を片してあげても、彼はちっとも変わりませんでした。


 あーだこーだと言い訳をして、私が遅刻しそうになる時間までずっと粘っているのです。


 一度、「もしかしてイジメられてる?」と訊いてみたところ、「違う」と否定していたのでその時は信じましたが、彼は周りから誤解され易いタイプです。


 私の知らないところで何がしか嫌なことをされているのかも、と心配になりました。


 そんな彼が自ら学校に行くなんて言うのはとても大きな変化です。

 何があったのかと聞いてみると、新しく担任になった先生が家まで押しかけてきて説教されたそうです。


 授業には出なくても出席だけ取らせろと。

 あとはテストで普通の点を取っていれば卒業はさせる、と言われたそうです。


 彼はこの申し出を悪い取引ではないと思ったらしいです。

 自分がバカにされていることに気づいていないのでしょうか。


 いえ、気づいてはいるはずです。

 それでも構わないと思っているのでしょう。


 私は放課後になるのを待って、こっそり彼の担任に耳寄りな情報を持って行きました。彼は自宅で独自の学習法を実践しており、かなりの学力を有している、と。


 実際は勉強などしておらず、ネットゲームばかりでしょうが、学校のテストくらい、彼がほんの少し勉強すればなんとかなるはずです。


 彼の生来の頭の良さなら、これからのがんばり次第で『豊葦原学院高等部』とか狙えるかも……と言ってみました。


『豊葦原学院高等部』は、都内でもかなりレベルの高い名門進学校です。女子の制服の可愛さでは都内ナンバーワンと言っても過言ではありません。


 私の学力では厳しいですが、彼が本気になれば余裕のはずです。


「まさかそんな……本当に?」


「本当です」


 私は断言しました。担任教師は「うーん」と悩んでいるようですが、私は嘘など言っていません。彼ならそれくらいできると、幼馴染の私は確信しています。


 そうして翌日から事態は動き始めます。

 私の計画とも言えない、小さな未来予想図が的中していくことになります。



 *



 その日、彼は朝から不満たらたらでした。

 昨日、いつものように出席だけ取って、あとは図書室でモバゲーをしていたそうですが、そこに担任が押しかけてきて、抜き打ちのテストさせられたそうです。


 結果はなんと五教科中300点。

 ふむ。お話しにもならない成績だと思うでしょう?

 でも彼を侮ってはいけないのです。

 なんと二教科で0点を叩きだしたのです。


 え、ダメダメじゃんって? 違います。

 つまり300点というのは三教科の点数。

 満点なんです。


 彼は昔から自分の興味のあることしか勉強しませんでした。

 要約すれば勉強をすればそれくらいの点数は取れるということが実証されたのです。


 担任はすっかりやる気になってしまい、学年主任や教頭先生まで動員して彼を説得してきたそうです。出欠と最低限の点数という約束だったのに、いつの間にか担任が進める進学校を受験するという約束が追加されてしまい、彼は「騙された」と嘆いていました。


 私?

 私はもう万々歳です。内心ではファンファーレが鳴って、エレクトリカル・パレードが始まっていました。


 これで先生たちも彼の学力に気づいたはずです。

 あとは受験にさえ成功すれば、みんなが彼を無視できなくなります。

 ようやく彼を真っ当な人間にすることができるでしょう。

 お母さんにも堂々と紹介できるってもんです。


 あとは私の問題です。

 彼が受験する『豊葦原学院高等部』に今の私の成績では難しいかもしれません。

 早速今日の放課後、事務所のマネージャーに相談しなければ。

 よし、がんばるぞ。おーッ!



 *



 学校の授業、放課後のレッスンや声優のお仕事、そして受験勉強と。

 私は毎日寝不足でヘトヘトでした。


 でもそれでも毎朝かかさずに彼の家まで足を運び、一緒に登校をしました。

 思えば、受験までのあの数ヶ月間が、私にとって一番幸せだった時間かもしれません。


 そんなこんなで、大人たちの圧力に負けた彼は、真っ当な受験生をすることになりました。


 彼は自分からした約束は必ず守る男です。

 それは心配していませんでしたが、もしあのまま家でゲームばかりしていたらどうしていたのでしょう。


「受験はしないで高卒認定取るよ」


 そんな答えが返ってきました。

 でもそれではきっと『私が』面白くないのです。


 一緒に学校に通ったり、一緒にお弁当を食べたり、一緒に文化祭や修学旅行などの行事に参加したり。


 他にも友達をいっぱい作っておもいっきり遊んだりするからこそ、学校生活には意味があるのだと思うのです。


 え、リア充ですか?

 言葉の意味は知ってますよ。


 でもそれって、ある時期の私達には平等に与えられたチャンスのはずじゃないですか。


 その時期を輝かせるか、それとも自らくすんだものにしてしまうかは、私達次第だと思います。


 もちろん、私は全力で輝かせます。

 彼と一緒に。


 そのためなら、今がどんなに苦しくても耐えられます。

 耐えていけるのです。


 とにかく、私は自分がどんなに辛くても、彼がサボらないように、毎日毎朝目を光らせることにしました。


 その日は意外なことに、彼の姿は自室ではなく、一階のキッチンにありました。


 一通りの掃除を済ませ、埃が払われたダイニングテーブルに、彼は小さなお弁当箱を広げています。何故か彼は学校給食ではなく、自製のお弁当をこしらえていました。


 知らなかった。

 料理できたんだ。

 手つきなんか結構様になってるし。


 私は彼の調理姿に大いに心を乱しながら、思わず焼き上がったばかりの玉子焼きをつまみ食いしました。


「おい、勝手に食うな!」


 ふ――

 途端私は精神の均衡を取り戻します。


 マズい。

 やった。


 見てくれは良くとも中身は全然です。

 もうちょっと精進したらまた食べてあげよう。


 私がそう言うと彼は苦いものを噛んだような顔になりました。

 私が内心で料理の勉強をすることを誓ったのは言うまでもありません。



 *



 一緒に登校するようになってから、私は色々なことを彼に話しました。


 私が今お仕事をさせてもらっている世界。

 厳しい大人の世界。舞台稽古。収録現場。


 私はあくまで声優業を続けていきたいのに、事務所は最近やたらと顔出しの仕事をさせたがっているということ。


 実は最近とある声優雑誌でインタビューを受けたこと。

 いずれ少しずつパブリシティを広げるように説得されていること、などなど。


 彼は私の方を見ようともせずに、ぼーっとしながら歩いています。

 なんだかイラっとしたので、そのことについてどう思うのかと聞いてみました。


 目をパチクリとさせた顔をしたので、意図が伝わっていなかったようです。

 なので、ちょっと勇気を出して聞いてみました。


 私が顔出ししてアイドルみたいにチヤホヤされたらどう思うか――と。


 我ながらドキドキの質問です。

 私はグググっと身を乗り出して彼の顔を上目に覗き込みました。

 彼はやや仰け反りながらこう言いました。


「そもそも顔出ししたら売れると思ってるって痛くない?」


 思わず手が出ました。

 力を込めて背中を思いっきりひっぱたいてやりました。


 彼は「ひぐぅ!」なんて声を上げて、涙目でこっちを睨んできますが知ったこっちゃありません。


 しかし――いや、よく考えればそうか。

 彼は私の仕事を殆ど知らないのです。


 私がどんな役を演じて、ツイッターのフォロワーがどんな数になっているのか。公式ブログのコメント数がどんなことになっているのか、彼は全く知らないし、恐らく興味もないのです。


 私は決意しました。

 受験勉強と並行して彼の意識改革を実行します。


 具体的には私が出演した作品の動画をチェックさせたり、台本読みに付きあわせたり、イベントにも連れだそうと思います。そうして私の価値を彼に再認識させるのです。


 これは……、ある意味一番大変なことかもしれません。

 ですが、諦めることは絶対にできません。


 今に見てなさいよ……。必ず振り向かせてやる。



 *



 また別の日の登校中のことです。

 今日は彼に受験の話を振ってみました。


「勉強は順調?」


「あんたのことだから別に心配なんかしてないけど、サボったりしてない?」


「ほら、私って朝しかあんたと顔合わせてないじゃない」


「私がいない間もちゃんと勉強してるのかなーって」


「ついでについでに、ぜんっぜん興味ないけど、どこの学校受験するのかなーなんて」


 彼は「◯◯高校」と言いました。

 私は思わず「はあ!?」と、ドスの効いた声を出してしまいました。


 豊葦原学院じゃない。

 さらにランクが上の進学校になっていたからです。


 なんで、どうして、と問い詰めたい。

 だがそれをすることはできません。

 私が彼と同じ学校に行きたいことがバレてしまいます。


 しかしそれにしても。

 うむむむ。


 上を目指すのはいいことですし、彼がそれぐらいの学力を身につけ始めているのは喜ばしいことですが、まさか◯◯高校とは。


 正直言って由々しき事態でした。

 今のようにお仕事とレッスンを受けながらではどうにかなるレベルではありません。


 受験後、事務所からどのような交換条件を提示されるか恐ろしいですが、マネージャーや社長さんと話し合って、声優業をお休みしなければならないでしょう。


 そんなふうに私が難しい顔をしながら彼と一緒に歩いていると、やたらと視線を感じました。


 告白すれば、学校には私が彼にかまっていることをよく思わないヒトたちがいます。私の友達も、「心深最近変だよ、やめたほうがいいよ」と、私の毎朝の日参を非難します。


 本当に大きなお世話です。

 まあ彼と一緒にいることで悪目立ちしているんだと思います。


 彼は基本的に引きこもりで、友達を作らず、教室よりも一人で図書室にいることが多い。


 私が通い詰めるようになってから、掃除と洗濯、あと口を酸っぱくして言ってるので毎日お風呂には入っているようです。


 でもおしゃれには無頓着で、寝癖がついたボサボサの髪をして平気で学校に行こうとするのです。私が直してやろうと手を伸ばすと本気で嫌がるので仕方がなく放置しています。


 ヒソヒソとした囁き声の中、私と彼が正門前に差し掛かった時です。

 ササッと人影が私達の前に飛び出してきました。

 分厚いメガネをかけた名前も知らない小太りの男子生徒でした。


 うん、わかるわかる。

 職業柄、彼のようなお友達には十分耐性があります私。

 案の定、彼の目当ては私でした。


 男子生徒は一冊の雑誌を通学カバンから取り出しながら「サ、サイン下さい」と言ってきます。


 それは、私が初めて公式に顔出しインタビューに応じた声優雑誌でした。

 心のなかで「ナイスアシスト!」と歓喜しながら、私は「いいよ」と応じました。


 彼の前でよくぞやってくれました。

 受験勉強の時間を捻出するのと引き換えに、事務所の勧めで受けたインタビューだったのですが、まさかこのようなところで役に立つとは。


 私は隣の彼にも見えるように該当ページを開きました。

 どうだ、初めてのスチール撮影でメイクさんに一時間かけて丁寧にお化粧をしてもらった私を見るがいい。


 ナチュラルに見えて、うっすらファンデ&夢見るグロスもばっちり。

 ヘアセットだって超可愛く仕上げもらったんだから。


 あんたはこういう女と一緒に歩いてるんだよ。嬉しくなるでしょ?

 などと思いながら私は、マネージャーに飽きるくらい練習させられたサインを書いてみせました。


 男子生徒は感激した様子でサイン入りの雑誌を受け取り、何度もお礼を言ってきます。


 いえいえ、こちらこそどうもありがとう。

 私は幼馴染の彼をチラ見しながら、心のなかで謝意を述べました。


 その時です。

 不意に男子生徒が思わぬ爆弾を投げつけてきました。


「おふたりって付き合ってるんですか?」と。


 私はビクっとなりながら、大きく息を吸い込みます。

 そうか、私の努力がようやく実を結んだのか、と。


 男と女が一緒にいればそういう目で見られることもある――と、今度演じる作品の原作小説にも書かれていました。


 ようやく……私と彼もそういう目で見られる間柄になったのです。

 これほど感無量、という言葉が相応しい瞬間もありません。


 だというのに彼は。この幼馴染ヤロウは。

 ハッキリと言い捨てました。言い捨てやがったのです。


「そんなわけあるか、バカバカしい」と。


 そうして彼はひとりでさっさと歩き出します。

 私はその背中を追うことができませんでした。


 情けないことに、その時の私は存外にショックを受けていたようです。

 何もそんな力の限り全否定しなくてもいいのに……。


 その日から、校内にはまことしやかに私と彼の噂が流れ始めます。

 それは、私と彼が付き合っているのでは……という私が本来望んでいたような噂ではありません。


 特に彼の粗ばかりが目立つような真っ黒い噂話でした。

 中には本当に根も葉もない、私が彼に何か弱みを握られていて、仕方なく彼の側にいるんだ――などというものまでありました。


 そのことで、逆に私はやたらと同性の友達に気を使われるようになり、それと同時に今まで私の仕事を知らなかった生徒たちからも、私の名前を覚えられるようになりました。


 そしてそれとは反比例するように、彼は何かイジメのような――嫌がらせのようなものも受けているのだと耳にするようになりました。


 私は本当に、噂を流した張本人を締めあげて、とっちめてやりたい気持ちになりました。


 なんて余計なことをしてくれたんだ。

 このような事態になってしまうと、彼の性格のことです真っ先に私と距離を置こうとするでしょう。案の定翌朝から彼は、露骨に私を避けるような態度を取り始めました。


 せっかくハッピーエンドまでの道筋が見えていたのに、いきなりふりだしに戻ってしまいました。こんなのってないよ……クスン。




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