第123話 変わりゆく世界② セレスティアの涙~奇跡も魔法もここにある

 *



 第一世代型の『I.E.A』の開発は容易だった。


 スミスが未来の記憶から齎した技術により、軽量でありながら強度を増した装甲を用い、人間が乗り込んで動けるようにした、見た目はお世辞にもカッコいいとは言えない土管のような兵器。


 それが最初の『歩兵拡張装甲』だった。


 当時は『軽量歩兵戦車』と呼ばれたりもしていた。

 ですが、それはスミスの理想とは程遠いおもちゃに過ぎなかった。


 そう、すでにしてスミスの計画は停滞していた。

 彼が知る未来では第二世代型までの『歩兵拡張装甲』までしか開発できてはいかなかったのだ。


 搭乗者である人間の身体にかかる負担が大きすぎて、第三世代型のような航空機の概念を取り入れるなど夢のまた夢だった。


 さらに。

 せっかく地球に連れてきた貴重な魔法師のひとりを失い、そしてまたもうひとりをも失う寸前にまで追い詰められていた。


 アリスト=セレス。

 彼女は宮廷魔法師をも嘱望されたヒト種族の父親と、生粋の長耳長命族エルフの母親との間に生まれたハーフエルフ。


 ハーフながら純粋な長耳長命族エルフよりもずば抜けて優秀であり、生まれながらにして水の精霊の加護を受け、極めて高難易度の水精魔法を手足のように操る、まさに稀有なる魔法使いだった。



 だが、そんな彼女も間もなく息絶えてしまうだろう。

 異世界人である彼女を正規の手段ではない、云わば強引な方法で地球に連れて来てしまった結果、彼女は世界の秩序を乱す矛盾として、目には見えない大きな浄化作用よって殺されかかっていた。


 軽度の食欲不振に始まり、原因不明の衰弱。

 やがて立ち歩きができなくなり、経口摂取もできないほど筋肉が衰え、点滴に繋がれ寝たきりに。


 それでも医学的に彼女は健康だった。

 まるで穴の空いた器のように、どんどん魔力が――生命エネルギーが消えて行ってしまう。


 アリスト=セレスが行きている限り、魔力は彼女の中で作られ続けるが、その精製量は体力に依存する。


 つまり衰弱すればするほど、魔力という抵抗力がオチていき、彼女もまた『クリス』と同じ運命を辿ることが予想された。


 スミスは語る。正直に言えば、魔法師としての純度はアリスト=セレスの方がはるかに格上なのだと。その価値はクリスト比べることなどできないほどに。


 このままでは、せっかくの精霊魔法使いを失ってしまう。

 魔法の研究もままならないどころか、恐らく『歩兵拡張装甲』の開発も、スミスが知る史実どおりにしかならない。そんな予感と焦燥が毎日のようにスミスを責め立てた。



 *



「そして運命の日はやってきました。記録的な雷雨に見舞われたその日、ついにアリスト=セレスを収容する特別病棟の緊急アラートが鳴り響いたのです」


 固く目を閉じたスミスの姿に、マリアの中に母と祖父を見送った記憶が蘇る。ヒトの死は唐突だ。一体どれだけの者が穏やかな死を迎えることができるというのか。


「ですが、駆けつけた看護師から告げられた事実はまったく予想外のものでした。アリスト=セレスのいる地下病棟から膨大な『水』が溢れ、それに触れた職員たちは気を失い、誰も近づけなくなっているというのです」


「水? それってまさか――!?」


 何事かに気づいたマリアにスミスは僅かに口の端を上げて応えた。


「ええ、私は走りました。そしてその浸水をひと目見て、全職員に避難勧告を出しました。多量の魔力を帯びた水だとわかったからです。恐らく魔力の素養のない普通の人間が触れれば拒絶反応を起こすものだと。実際、その浸水の原因を突き止めようとした職員の何人かは昏睡状態に陥っていました」


 それは、まるっきりアクア・リキッドの特性と同じだとマリアにはわかった。

 あれは魔力に適合するAAT部隊のメンバー以外が触れることが許されない。劇薬と同じ扱いをされているのだ。


「実はですね、私にはひとつの予感があったのです。このままアリスト=セレスが死ぬはずがないという予感です。彼女を守護するはずの精霊がそれを許すはずがないと。魔力を帯びた水に腰まで浸かりながらたどり着いた先――アリスト=セレスのための地下隔離病棟。そこが浸水の発生源でした」


 ベッドに横たわる美しい少女、アリスト=セレスから湯水のように湧き上がる膨大な魔力を帯びた水。それはやがて、スミスが見ている目の前で、意味のある形を創り出す。


 煌めく金色の髪に、なだらかな幼い少女の身体。

 とてつもない魔力と水の魔素の集合体が子供の姿となって屹立していた。


「それがセレスティアでした。私は急速に理解しました。彼女はアリスト=セレスが持つ精霊が具現化した姿なのだと。アリスト=セレスに生命の危機が迫ったとき、彼女を守るために現れ出たのです」


「――ッ!?」


 マリアは声を上げず、ただただ息を呑んだ。

 途中から予想していたこととはいえ、それはあまりにも衝撃の事実だった。


「顕現した精霊――セレスティアは、即座にアリスト=セレスに延命のための魔法をかけました」


 スミスの見ている眼の前で、みるみるうちにアリスト=セレスの肉体が幼体化を始める。それと反比例して、幼かったセレスティアの姿はどんどん大人の完成されたものへと変化していく。


「あれは恐らく、アリスト=セレスの年齢を取り込むことによって幼体化させ、肉体を健康のまま維持しようとしたのでしょう」


 実際、痩せこけて死にかけていたアリスト=セレスは、幼くなったとはいえ瑞々しい健康的な姿を取り戻していた。だが、セレスティアの奇跡はそれだけでは終わらなかった。


「端的に言えば、セレスティアはアリスト=セレスを封印しました。青く輝く何人にも侵されざる神なる領域――『アクア・ブラッド』の内部へと。『アクア・ブラッド』は封印したものの時間を停止させます。あらゆる外部干渉――重力や時間の影響からも対象者を守り抜く絶対の揺りかごの中に閉じ込めるのです」


 それこそが『神の血アクア・ブラッド』の正体。

 精霊セレスティアが母アリスト=セレスを世界の浄化作用から守るために生み出した究極の固有魔法なのだった。



 *



「憚りながらセレスティアという名前は私がつけました。己が母親を前に涙を流す姿と彼女の母の名前を使って……」


「なんてこった……!」


 マリアは脱力し、ソファに身を沈めた。

 あまりにも。あまりにも現実離れした話だ。


 一年前の自分だったら絶対に信じることはできなかった。

 だが、今ならわかる。全ての事象が矛盾なく繋がったからだ。


「セレスティアがいつも地下にいるのは母であるアリスト=セレスを守っているからです。そして私たちはアリスト=セレスを守るための施設を提供する代わりに、アクア・ブラッドを研究し、僅かな数とはいえ人類に適合し得るアクア・リキッドを生み出すことに成功したのです」


 アクア・ブラッドという劇薬からアクア・リキッドという新薬を開発し、それに適合した人類の身体能力と免疫機能は飛躍的に向上した。


 その結果齎されたのは、航空機の概念をも取り入れた『第三世代型歩兵拡張装甲』という答え。


 空を見上げるばかりだった人類が手にした大いなる翼。

 それが10年前から今日に至るまでの歩兵拡張装甲開発の歩みだったのだ。


 マリアは茫然自失としていた。

 あまりにも話のスケールが大きすぎて受け止めきれない。

 だがこれは現実だ。受け止めないことには前に進めない。


 しばし天井を見上げていたマリアだったが、大きな息を吐き出し、再び目の前のスミスへと向き直った。


「そういうことだったのか。いろいろと合点がいったぜ。――だが、まだ話してねえこともあるよな?」


「はて、なんのことでしょう。今の説明で殆どのネタばらしは終わりましたよ」


 おどけた仕草で両手を上げるスミスにマリアは即座に矛盾点を指摘する。


「タヌキが。おまえは言ったよな。自分自身のこともつまびらかにするってよ」


「おや、言いましたっけ?」


「言ったぜ。おまえは今から50年後の未来で異界の門を開く研究をしていた。そうだな?」


「ええ、その通りです」


「そこから魔法が存在する世界に単身乗り込んで30年の時間を過ごした。この時点でおまえは一体いくつなんだって話になる。これがひとつ目」


「ふむふむ。そうですね」


「まだあるぞ。おまえは正規の手段以外で異世界に行けば矛盾が生じるって言ったな。『世界の浄化作用』や『修正力』とやらに殺されるって」


「ええ、言いました」


「それがふたつ目だ。おまえが未来で開いた異界の門と、同じく魔法世界の『クリス』が開いた異界の門はどっちも不正規なもんだろう。ならおまえはどうして魔法世界で30年もの時間を過ごすことができたんだ?」


「おっほ。そこに気づきましたか」


「さらにだ。おまえ、今から10年前の地球に帰ってくることができたって言ってたな」


「ええ。その通りです」


 ことここに至り、スミスはマリアに期待の眼差しを向けていた。

 それは正解を導く教え子を見守る教師のようだった。


たった10年だぞ・・・・・・・・。いくらおまえが未来の記憶を持っていたとしても、一から基盤を築いて今の立場になったとしたら早過ぎる。魔法世界では30年かけて王国を作ったと言っていたが、おまえは過去の地球にたどり着いて、どうして僅か10年という時間で今その立ち位置にいるんだ?」


 それは、以前から思っていたことだ。

 スミスの階級は大尉相当である。

 小隊規模から中隊規模を率いることができる程度だ。

 だが彼の人脈は半端ではない。


 先日のカメラマン――情報士官もそうだし、最新フォード級空母の司令官ともまるで無二の親友のようだった。


 退役したマリアの父親であるパーシー・ズムウォルトは退役軍人省ベテランズに登録された元太平洋方面軍の最高司令官をも務めた男だ。そんな父とも既知の間柄だとも言っていなかったか。


 さらにもうまもなく世界に喧伝される予定の『非対称戦争対テロ法案』を上下両院と大統領に承認させたのも、いま目の前にいる男なのだ。


「スミス。おまえは一体何なんだ……?」


 何者ではなく何なのかと。

 マリアにはスミスが最早まっとうな人間ではないと当たりをつけていた。


「いやはや。やはりあなたは素晴らしい女性ですね。いつの時代でも命をつなぐのは女性の役割です。ですから私は女性を愛し、慈しみ守らねばならないと思っています。ですがあなたは自分自身で未来を切り開いて行ける器の持ち主だ。実にうらやましい」


「おべっかはいい。答えろ。おまえの正体を」


 スミスはよっこらしょっとソファから立ち上がると、うーんと伸びをした。

 首をコキコキと鳴らしながら執務机の後ろ、演習場が一望できる窓の前に立つ。


「マリアさん。あなたの疑問の答えは至極簡単なものです。私は、時間という縛りから解放された存在です。修正力も及ばない、矛盾のない存在として世界に許容されているのです。そして私は、もうずっとずっと昔からこの世界を見守り、世界とともに歩んできました」


「それは……どれくらい前からなんだ?」


「そうですね、現在からで言えば150年ほど。主観時間では200年くらいになります」


「な、にぃ――!?」


 マリアは立ち上がっていた。

 ガンッ、とテーブルに脚をぶつけてしまったが、痛みなど感じている暇はない。


「ですがね、マリアさん。私の中には200年どころではない、有史以来のとある男・・・・の記憶がすべて詰まっているんですよ。私はね、三人目なんです」


「何を、おまえは、――三人目?」


「そうです。ある日突然に、自分の頭の中に『人類史』という物語を受け取ってしまった始まりの男。それを自覚した瞬間から私は一切歳を取らなくなりました。そして私はある使命を果たすことを運命づけられたのです」


「使命? それは一体どんな――?」


「『やがてくる滅びから人類を救うこと』。私が成すこと、成してきたことの全てはそのためであり、何よりも優先すべき事柄です」


 燦々と陽が当たる窓を背にして、スミスはそう言い放った。

 マリアは目を細めた。あたかも――彼自身から後光が差しているように見えたからだ。


「滅びって……、本当にそんなものが来るっていうのか?」


「……過去二回、人類は絶滅の憂き目を見ています。その度に築き上げた文明と文化は破壊され、私は――私たち・・はリセットされた世界でたったひとり、小さな芽を育て、人類を導いてきました……。そんな男の記憶は、この世界に生を受けた、また別の男へと語り継がれていきます。ようするに電波ですよ。ある日突然、膨大な記憶が脳髄を埋め尽くし、そして人が変わったように使命感に目覚める。人類を救え。人類のために戦えと。それまでの生活も家族も恋人も時の彼方に捨て去って、ただ人類という種を存続させるためだけに奉仕する存在へと変貌する……」


「それじゃあ、おまえは――おまえの名前は・・・・・・・


「そうです。あなたをお誘いするときに名乗りましたね。ですが改めて名乗りましょう。アダム・・・・スミスです。断じて経済学者の方ではありません。永遠にイヴを失った始まりの男が私なのです」


 マリアは息をするのも忘れた。

 頭から煙を吹いて倒れこんでしまいそうだった。


「スミス――いや、アダム、おまえは……」


「マリアさん、私はね、人類を救いたい。この世界の『英雄』になりたいんですよ。そのために利用できるものがあれば何でも利用します。部隊の女の子たちも、そしてあなたでさえも、必要なときに適切に使わせてもらいます」


「おまえは、あたしだけじゃねえ……、おまえのことを好いてるって、感謝してるんだってそう言ってついて来てくれてる他の部隊員、オータムやみんなも捨て駒にするつもりなのか……?」


 静かな怒気がマリアからこぼれ出る。

 強靭な理性で縛り付けてもなお、抑えきれないほどの激情が、僅かに声音を震わせていた。


「無駄に捨てていい駒などありません。私は私の信念に従い、適切なときに決断をします。そもそもですねマリアさん、軍隊とは部下という駒を駆使して目的を遂行する組織ですよ。私がこんな性格だからお忘れかもしれませんが、あなたも軍人という戦闘ユニットの一駒に過ぎないのです。もうハイスクールも卒業です。あなたも学生との兼任から解放されて専任となれば、そのへんの自覚を持って欲しいものですね」


「ぐ……わかってるよ」


 ぐうの根も出ない理屈だった。

 これからは公式な場所、AAT部隊員以外がいるという場面も増えるだろう。

 そういうときにスミスへの接し方はいつもどおりではいけないと、うすうすは感じていたのだが……。


「話しを戻しましょう。私は軍籍に身をおいていますが、それはその方がこの世界を救うには一番都合がいいと考えたからです。『アクア・ブラッド』『アクア・リキッド』『歩兵拡張装甲』『非対称戦争対テロ法案』……。そしてついに最後のピースである『タケル・エンペドクレス』が現れてくれたのです。私の『人類救済計画』はようやく動き出します――!」


「タケル・エンペドクレス……それがセレスティアの?」


「そうです。セレスティアの主、アリスト=セレスの想い人です。どのような方法を用いたのかは知りませんが、彼は本当にあの神なる御業『第七剣王異界セブンスキングダム』を手に入れ、この地球へとやってきたようです。先日、北極に出現した特異点は覚えていますね?」


「あ、ああ、原因不明のブラックホールじゃないかって言われてた――ってまさか!?」


「そうです。アレは『第七剣王異界セブンスキングダム』が作り出したものです。みなさん大慌てでしたが、なんのことはない、取り込んだものを分解消滅させるダストボックスのような世界です。おかげでスペースデブリの問題は一気に解決しました。その気になれば、一夜にして世界中の産業廃棄物や核廃棄物の問題すら解決してくれるでしょう」


「マジかよ、あの大混乱はたったひとりの人間が起こしたものだったのか……」


 あの事件が世界の金融マーケットに与えた影響は計り知れない。

 一部では暴徒が略奪行為に走るなど、州警察が出動して沈静化を図る事態にまで陥った。一歩間違えば、さらなる混乱により、取り返しの付かないことにまで発展していたはずだ。


「正確には彼は人間ではありません。魔法世界においては、ヒト種族とは一線を画す存在、『魔族種』と呼ばれる超越存在です。やむを得なかったとはいえ、私は彼からアリスト=セレスを奪う結果になってしまった。したがって彼は取り戻すつもりなのでしょう。アリスト=セレスと、そしてそれを守護するセレスティアを」


 どうやらスミスは人類を救うためとはいえ、ヒトの恋人を略奪してきたようだ。どう考えても正当性はタケルなんちゃらの方にあると思うが、でもそれだとどうしてもわからないことがある。


「おい、それじゃセレスティアはどうしてあいつを、タケルなんちゃらっていう自分の母親の想い人を殺そうとしたんだ。むしろ恨まれるのはおまえの方だろう!?」


「先程も言ったとおり、セレスディアがヒトの形を成してまだ僅か数年です。中身はまだまだ子供なのですよああ見えて。どんなに麗しい容姿をしていても、それは衰えたアリスト=セレスの肉体を健康なまま維持させるために、幼体化させる必要があったからです。今の彼女はその分の年齢を肩代わりしているにすぎず、実年齢はまだ十歳にも満たないのです」


「なん、だって……? あいつが、まだガキ?」


 確かにそれはずっと疑問に思っていたことだ。

 見た目の割には精神年齢が幼いやつだと。

 だが事実はその通りで、中身はまだ小学生くらいの子供だったのか。


「そしてその子供はずっと信じていました。いつの日かまだ見ぬ父親が現れて、母とそして自分自身を救ってくれるのだと。ですがその純粋な願いは長年に渡り裏切られ続けることになります。いつまで経っても父は現れず、衰えていく母をひとり支え続けるうちに、セレスティアは大きな不安とストレスを抱えることになってしまった。たまのガス抜きをしてやらねば精神に変調を来すほどに、彼女の心は今も危ういバランスの上に立っている」


「そんな……、そんなことってあるのかよ……!」


「セレスティアだって本当はわかっているのです。タケル・エンペドクレスはアリスト=セレスを救うためにそれほど時間をおかずに地球へとやってきたことを。ですが現実には長い時間が流れてしまった。自分たちの時間だけがズレてしまったのです。どんなに頭では理解しても、心はついてこないのです。なにせ彼女は子供ですからね、理屈よりも感情が先に立ってしまい、どうしても彼を許すことができないのでしょう」


「クソッ――!」


 マリアはソファを立ち上がると出口へと向かう。

「どこへ行くのですか」と、スミスはその背を呼び止めた。


「決まってるだろ、セレスティアのところだよ。あたしはあいつのことをずっと誤解してたんだ。こんなところでじっとなんかしてられるかよ!」


 そうしてマリアは部屋を飛び出していく。

 正直マリアはスミス自身の話しを受け止めることがまだできそうにない。

 あまりにもスケールが大きすぎるし、気持ちの整理が追いつかないからだ。

 でも、セレスティアのことだけはわかる。


 マリア自身も理屈より感情で動くタイプだ。

 だからだろうか、あんなに我がまま放題好き放題のヤツでも何故か憎めなかった。

 何度も何度も、セレスティアに肉弾戦を挑み、その度に敗北を喫した。


「呆れちゃうね、私に勝てないってわかってるはずなのに。バカなの?」


 そう言われながら、しつこくセレスティアに対戦を希望すれば、彼女が断ることは決してなかった。


 思い過ごしなんかじゃない。

 セレスティアの方もまた、孤独の中でマリアの存在を認めていた。

 戦いというコミュニケーションを楽しんでいたのだ。


 そして今、マリアは少しだけセレスティアの苦悩を理解した。

 なら、あとは行動するだけだ。

 迷いも恐怖も懐疑もない。

 真っ直ぐな気持ちで会いにいく。


 マリアは、セレスティアがいるはずの地下病棟へと向かった。



 *



 マリアが初めてアクア・リキッドスーツを着用して戦ったフロアよりもさらに地下。


 そこに存在する特別な隔離エリア。

 何人も、兵士はおろか管理スタッフすらいない冷たく暗いエリアに、アリスト=セレスは厳重に『保管』されていた。


 アクア・ブラッドで満たされた透明なカプセルの中、美しい子供が眠りに着いている。


 両の手を胸の前で合わせ、穏やかな表情で。

 一見すればまるで精巧な人形を氷の中に閉じ込めたかのような。

 静謐で厳かな空気がそこには満ちていた。


 ここはセレスティアの結界の中だ。

 空気中に散布したアクア・ブラッドが霧状になって空間を満たしている。

 そしてこのフロアに入った瞬間から無粋な侵入者の存在は気づかれている。


「誰? ……今すぐ引き返さないと殺すよ」


 まるで台座に固定され絵画を見上げるように、決してカプセルからは目をそらさず、部屋の入り口に立つ者をセレスティアは濃密な魔力をぶつけることで威嚇した。


「落ち着けあたしだ」


「マリア? どうしてここに?」


 セレスティアが初めて母から視線を外す。

 首を巡らせ、睨めつけるような流し目を向けてくる。


「スミスのセキュリティカードでな。ちゃんと許可はもらってる」


 いや、あの男の許可などセレスティアにとってはなんの意味もないが。


「私は許可した覚えはない。出て行って」


「だよな、そういうよな。でも出て行かねえ。ここが、この場所が、そしてそのアリスト=セレスがおまえにとってどんな存在なのかちゃんとわかってる。でもだからこそあたしは出て行かねえ」


「どうしてお母様の名前を――!」


「それもな、スミスに全部聞いた」


「あいつ――よけいなことを!」


 抑えきれない感情が魔力となって湧き上がる。

 空気中のアクア・ブラッド濃度が急速に上がっていく。

 その中にマリアは生身の状態で入っていく。


 息苦しい。

 アクア・ブラッドは人間にとっては毒と同じだ。


 魔力に抵抗力のない人間が触れれば、軒並み身体機能が停止してしまう。

 魔力に適性があるということは、マリア自身もまた僅かながら魔力を持っているということだ。


 だが、それはちっぽけなマッチ棒の火のようなものであり、今目の前に燃え盛る燎原の炎とは比べるべくもない。


 それでも。

 マリアはぐっしょりと額に汗を貼り付けながら、まるで粘性の海の中を進むように、ゆっくりと歩を進めていく。一歩、また一歩と。


 威嚇していたセレスティアの瞳が不意に陰った。

 クシャっと、一瞬だけ見えた泣きそうな表情。

 マリアはそれを見逃さなかった。


「最後よ。今すぐ出て行って。この場所は私にとって特別なの。マリアは、できれば殺したくない」


「なんだよ、そうやってあたしを締めだして、そんでまたひとりでメソメソと泣くのか?」


「――!?」


 ようやくセレスティアが振り返った。

 驚愕の表情でマリアを見つめている。

「やっぱりな」とマリアは息を吐いた。


「目、ちょっと赤いぞ。今だってホントは泣いてたんだろ」


「だったら――なんだっていうのよ、放っておいてよ!」


「放っとかねえ」


 マリアはギュッと、真正面からセレスティアを抱きしめた。

 ビクン、とセレスティアが硬直する。

 だが、強張っていた肩から徐々に力が抜けていく。


「セレスティア、今までよくがんばったな。何年もずっとひとりでよ」


「な、なによ、私のことなんて何も知らないくせに、勝手なこと言わないでよ……!」


「ああ、確かにさ、いくら説明されたからって、おまえの全部は理解してやれねえ。でもな、人間ってのは相手を思いやることができる生き物なんだ。あたしも母ちゃんが死んじまったからおまえの不安はわかる。このままなんにもできずに、母ちゃんを死なせちまうかもしれないって、ずっとそうやって張り詰めてきたんだろ。おまえが苛立ってたのはあたし達じゃあねえ。無力な自分自身にだ。そうだろ?」


「違う、私はそんなこと――」


「いいや思ってるだろ。何故ならおまえ、母ちゃんのこと大好きだもんな。それだけは嘘つけねえだろ。あたしの他のどんな言葉を否定してもいいけど、その気持だけは偽るなよ」


 セレスティアがブルブルと戦慄く。

 そしてコクリと、静かに頷いた。


「えらい。よくがんばった。いやあ、すげえわおまえ」


 マリアはセレスティアの背中をポンポンとしながら、掛け値なしの称賛を送った。

 自分よりも背が高くてスタイル抜群の美女――などではない。泣き虫でちょっと癇癪持ちの小さな小さな女の子。それがセレスティアなのだ。


「なによ、それ……優しい言葉んてかけないでよぅ……! マリアのくせに、私よりも弱っちいくせに……!」


 セレスティアはもうベソをかいた子供になっていた。

 その首根っこを抱き寄せ、マリアはセレスティアを強く強く抱きしめる。

 その途端、「わっ」と、セレスティアは泣き出した。

 泣いて泣いて泣いて、小一時間ばかりも泣き続けた。


(ああ、こいつは、こんなふうに誰かに抱きしめてもらうこともなく、ずっとひとりで母親を守り続けてきたんだな……)


 腕の中が熱い。

 泣きじゃくるセレスティアは、むずがる赤ん坊のように真っ赤っ赤だった。

 見た目は確かに大人だが、本当に中身は子供なのだ。


 十歳にも満たない子供が、スミスみたいな大人に利用されながら、それでも母親のためになるならばとずっと利用されてきた。それは並大抵の苦労とストレスではないはずだ。


 だったらあたしがなんとかしてやる――!

 こいつを守るヤツが誰もいないならあたしが守る。


 その決意を胸に、マリアは一層セレスティアを抱きしめる腕に力を込めた。

 空間にあった息苦しさは消え去り、いつしか清廉で優しい空気が部屋の全てを満たしていた――

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