第121話 今回のオチ 超法規的治療法~大人の階段上りました

 *



 ああ――気持ちいい。

 酷く懐かしい匂いがする。

 これはセーレスの香りだ。


 ボロボロのあばら家で、粗末な藁のベッドで、僕らは身を寄せあって眠っていた。

 特別なことは何もなくても、それだけで幸せだった。

 いや、彼女が隣にいることが、何より特別であり奇跡だった。


 目覚めればいつも、セーレスが腕の中にいた。

 隣り合って眠っていたはずなのに、彼女の方から僕のぬくもりを求めてくれていた。


 少しだけ心臓が跳ね上がるけど、静かな寝息を立てる彼女を起こしたくなくて、ゆっくりと深呼吸する。その度に、胸に刻まれるほど吸気した彼女の香水・・の匂い。


 セーレス自身の体温と僅かな汗に溶けた甘い甘い香気。

 吸い込む度に脳髄がくらくらするような官能的な薫香。

 思い出しただけでも胸が高鳴る。

 僕の身体の奥が熱くなる。


 なんという解放感。

 なんという暖かさ。

 冷たい海の底に沈んでいた全身にそれらが染み込んでいく。


 そしてもっと欲しくなる。


 この温もり。

 この熱さ。

 この快感。

 もっと――


「あら、しつこい男は嫌われてしまいますわよ」


 耳元で囁かれた蠱惑的な響きにゾクゾクする。

 薄っすらと意識が覚醒する。


 甘ったるい匂いがすぐ近くにあった。

 こんな攻撃的な香りを、果たしてセーレスはまとっていただろうか。


 それに、とても柔らかな抱き心地だ。

 セーレスとは根本的に肉付きというか、アウトラインが違う気がする。


「あんっ、こら、どこを触ってますの……?」


 なんという重量感。

 手の中から容易に零れる柔肉の感触。


 おかしい。

 セーレスの胸はこんなに大きくはなかったはずだ。


 というかそもそも香水の匂いなんかさせてなかった。

 じゃあ、今僕の腕の中、全裸っぽい感触の女性は果たして誰なのか――


「いい加減目を覚ましなさいな、タ・ケ・ル」


「え――……、カーミラ?」


 薄桃色のゴールドブロンドをカールにした美女――カーミラ・カーネーション・フォマルハウトが僕の顔を覗き込んでいた。


「ええ、おはよう。とんでもない初陣だったようですわね。お疲れ様でした」


「あ、ああ……あれ、僕、なんで。ここは……?」


「人研の中にあるあなた専用の集中治療室ICUですわ。ふむ。右腕の再生は叶いませんが、最低限傷は塞がったようですわね」


 淡い色のマニュキュアが塗られた指先が僕の胸を優しく撫でる。

 そこに空いていたはずの大穴も、水の蛇に貪り食われた痕も一応は塞がっているようだ。肉と肉が盛り上がり、無理やり癒着したような、そんな醜い傷跡は残っているが、それはしょうがない。


「まったく、わずか15年の人生でこれほどまでにボロボロの身体になるなんて。見方によっては吐き気を催すほどのおぞましい傷跡ではありますが、女という生き物は、男の傷に途方も無いロマンを感じてしまうこともあるのですよ?」


「な、なに、言ってるの……?」


「傷は男の勲章ってことですわ」


「そう、それは……どうも」


「いいえ」


 そう言ってカーミラは、名残を惜しむように僕の傷だらけの胸に口づけをし、上体を起こした。


 シーツが持ち上がり、お互いを包んでいた温もりが、室内の冷たい空気と急速に入れ替わっていく。


 ブルリと、鳥肌が立つのを感じて見やれば、やっぱりというかなんというか。


 全裸だった。

 僕も。そしてカーミラも。


「状況の説明を、頼みたいんだが……」


「野暮なことは言いっこなしですわ」


「違う。野暮じゃない。頼む」


「仕方がありませんわね」


 ふーっと息をつきながら、カーミラは再び僕に倒れ込んだ。


 胸の上で腕枕を作るとその上にそっと頬を乗せる。

 そして妖艶な上目遣いでこちらをじっと見上げてくる。


 何か、僕のお腹のあたりで、大きなものがふたつほど潰れている感触がするが、努めて無視する。


「瀕死の重傷を負ったあなたは、エアリスちゃんの魔力を唇から注入され、真希奈ちゃんがそれを使用してなんとか止血にだけは成功。あとはエアリスちゃんがまる一昼夜かけてあなたを連れて帰り、治療を施しましたわ」


「ああ、それで僕は助かったのか」


「まさか。手の施しようがありませんでしたわ」


「え、じゃあ僕って死んだのか。ここは地獄なのか」


「私としとねを供にしているのですから極楽に決まってますわね」


「なんでさ?」


「女の柔肌は天にも昇る気持ちよさでしょう?」


「そうじゃなくて……。どうして、僕とあんたが、こんな状況に……?」


 クスックスクス――と、カーミラが笑う。

 本当に無垢な、子供のような笑みだった。


「非道い男ですわね。私にここまでさせておきながら何も覚えてませんの?」


「ごめん。本当に悪い。でも、きちんと言葉にしてくれないと、わからない」


 カーミラは「しょうのない子ですわね」と微笑みながら説明をする。


「現代医学では手の施しようがないほどの重症を負い、魔力による再生も望めなかったあなたを助ける手段は限られていました。当初はエアリスちゃんの魔力を口づけによって補填しようとしたのですが、あなたはまるで穴の開いた器のように魔力どんどん抜けていってしまい、傷を治すまでにはとても至らなかったのです」


「ああ、多分聖剣の暴走が収まらないかぎり無理だと思う」


「ええ、ですから、私がひと肌脱いだのです」


「つまり……?」


「……呆れましたわ。あなたってそこまでサディストでしたのね。一から十まで女の口から赤裸々に言わせておいて、内心では愉しんでいるのはないでしょうね?」


 ぷくっと頬を膨らませカーミラは拗ねてみせた。

 ああ、そんな表情もできるのか彼女は。

 新しい発見だ。

 一生見つけたくはなかったが。


「相手が嫌がるようなことはしたくはないし、なんとなく自分の中に答えは出ているが、それを必死に否定したがっている僕がいる。だから、死刑判決は明確に欲しい」


「死刑って、あなたって男は――!」


「ぐあッ――ちょ、おま!」


 カーミラが男の泣き所を鷲掴みにする。

 どこかって?

 それを言ったら全部が台無しになるところだよ。


「いいですわ、言ってやりますわよ! 私が、あなたを、私の『眷属』にいたしました! 龍神族の王であるあなた本来の不死性には敵いませんが、私だって神祖と呼ばれる吸血鬼ですもの。どいつもこいつも雁首並べてあなたを救う手段を見つけられなかったからそうしてやったんですわ。そして私が相手を眷属にするためには、身も心も深いところで繋がる必要があったのです!」


「それって、つまり……やっぱり、そういうこと、ですか?」


 カーミラはイタズラっぽく微笑みながら顔を近づけてくる。

 一際大きな犬歯――吸血鬼の牙の奥から赤い舌が伸びてきて、その先っちょがチロリと僕の普段より幾分か伸びた犬歯を舐めた。


「もう童貞坊やとは呼べなくなってしまいましたわね……?」


「――ッッッ!?」


 ウソだ――と、僕が叫んだのは言うまでもない。

 その後、カーミラには思いっきり引っ掻かれたが。


 そんなこんなで。

 無事に人質を助け、セーレスに繋がる重要な手がかりを得られた僕は、その果てに吸血鬼になって九死に一生を拾うという、とんでもないオチをつけることとなってしまった。


 いやホント、どうしよう。

 罪悪感で死にそう……。

 セーレス、エアリス、ごめんなさい。


【暴虐と再会の空】編、了。

 次回【変わりゆく世界】編に続く。

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