第120話 暴虐と再会の空③ 水と風と巨人の戦場〜面影の君に殺されて

 * * *



『――ケル様! 起きてくださいタケル様!』


「――はッ!?」


 タケルが目覚めた瞬間、真っ先に目に入ったのは銃口だった。

 逆光の中、日に焼けた男がタケルを見下ろしている。

 ググっとトリガーに力が入るのが見えた。


 タケルの反応は素早かった。

 身体を捻じり、射線を外しながら蹴りを叩き込む。

 背面に痛打を食らい、男は土煙を上げて地面を転がる。

 そしてそのまま動かなくなった。


「ぐッは――! か、身体が……!」


 動いた途端、思い出したようにタケルの全身に激痛が走る。

 呼吸の度に肺腑が鋭く痛み、特に腹の中、内臓の位置でもおかしくなったのか、ものすごい違和感と切り傷のような痛みが断続的に襲ってくる。


 タケルは何とか起き上がろうと手をつき、ガクンと顔から地面に落ちた。


「な――これ、は……!?」


 右腕がなかった。

 肩の下、二の腕の真ん中辺りから下がごっそりと消失している。


 生身の腕だけではなく、鎧ごとなくなっているのだ。

 その断面は鋭利な刃物でスライスされた――というより、まるで最初から腕などなかったかのように静謐としている。血のあともない。焼灼して蓋でもしたように僅かに黒ずんでいるばかりだ。


 一体何が原因でこんなことになったのか。

 あの時、超音速戦闘の最中、タケルは確かに見たはずだ。


 突如として現出した暗黒・・がタケルの全身を飲み込もうと大口を開くのを。そしてそれをとっさの判断で躱そうとし、その際に右腕を食われてしまった。


 つまりあの暗黒の正体は――


「聖剣、か」


『その通りですタケル様』


 何かを押し殺すかのような重く低い真希奈の声。

 恐怖の感情が彼女からもありありと伝わってくる。


『ビートサイクル・レベル10を超えたオーバークロックを実行し続けた結果、虚空心臓内で完全制御下にあったはずの聖剣が――暴走しました』


 聖剣はただ所有しているだけで、常にタケルの魔力を消費し続けている。


 もともとが魔法世界における伝説の存在となったのが聖剣だ。

 その正体は、世界の危急を速やかに平定するため、異物を速やかに排除するための異界への鍵だった。


 地球へと帰還するための手段として聖剣の生み出す『ゲート』の魔法を欲したタケルは、聖剣を無理やり虚空心臓内に取り込み支配したはず――だった。


 その対価として今日まで常に莫大な量の魔力を捧げ続けてきたのだが、ついに払い戻しペイバックのときが来たのだ。


 聖剣を魔力で押さえつけ、尚かつ自由になる魔力量がビートサイクル・レベル10相当。それだけでも破格と言わざるをえないエネルギー量だが、先の戦闘で足が出た。


 プルートーシステムによる常時魔力ドレイン。

 魔力節約のために溜め込んでいたはずの魔素分子星雲エレメンタル・ギャラクシーの全放出。


 ロシア航空宇宙軍が誇る第五世代戦闘機との超音速ドッグファイト。

 そしてオーバークロックと。


「なるほど……つまりは、これが僕の本当の限界ってことなのか」


 鬼面の下、全身の痛みに歯を食いしばりながらタケルは無理やり笑みを作る。

 強がりなどではない、いっそ清々しい気分だった。


 自分に何ができて、何ができないのか、それがようやくわかったのだ。

 それを知らずに無茶をしていた自分はもういない。


 そしてなにより自分はまだ生きている。

 つまり次があるのだ。

 それだけでタケルには十分だった。


『申し訳ありませんでしたタケル様……これはすべて真希奈の責任です』


「ん? なんだって?」


 タケルの内側から深い後悔と悲しみが伝わってくる。

 真希奈は涙に声を震わせながら謝罪の言葉を重ねた。


『タケル様より魔法に関する一切のタスク管理を任されていたにもかかわらず、このような事態を招いたばかりかお怪我までさせてしまいました。……真希奈はタケル様の人工精霊失格です』


「そんなことあるもんか」


 ポンポンと鎧の上から胸を撫でる。

 それは幼子の頭を優しく撫でるのと同じ行為。

 動揺していた真希奈がみるみる落ち着いていくのがわかった。


「僕もおまえも最初から上手くできることなんてないさ。それに僕一人だけだったら、聖剣が暴走した時点で死んでたかもしれないし、もしかしたらプルートーの鎧に今もドレインされ続けて干からびてたかもな。落下の衝撃だって真希奈が抑えてくれたんだろう。おまえが居てくれてホントよかったよ」


 そんな言葉をかけられ、真希奈は堰を切ったように泣き出した。


『ダ、ダゲルざば~! ま、まぎなは、まきなわぁ~!』


「あー泣くな泣くな。よしよし」


 創造主にして父親でもあるタケルに起こった不測の事態。

 それに一番ショックを受けていたのは真希奈自身だった。


 いくら早熟とはいえ生まれてまだ二ヶ月も経っていない赤ん坊である。

 タケルは大きく深呼吸をし、真希奈を安心させるよう、そして自分自身も落ち着かせるのだった。


「さて。もしかして結構ヤバイことになってるのか、これって」


 周囲は360度、見渡すかぎりの荒野。

 タケルが倒れていた地点はクレーター状に抉れており、落下時の衝撃を物語っていた。民家や街中でなかったことは幸いだが、果たしてここは一体どこなのか。


「真希奈、現在地の特定を」


『グスっ――GPSオン。検索。現在地は首都ダマスカスから約370キロ東、デリゾール県マヤディーンにいます。前方約1キロにユーフラテス川、後方約50キロにイラクとの国境線があります』


「なあ、さっき僕が蹴り飛ばしたのって」


『恐らく威力偵察だと思われます』


 河川敷や山岳部、荒野などは武装勢力が兵士を育成するためのキャンプにしていることが多い。先ほどの男が墜落したタケルを調べにやってきたのだとしたら――


 バンッ、と地面が弾けた。

 丘陵の向こうから無数の銃口が覗いている。

 今のは威嚇射撃だろう。


『火器を所持した17名が接近。武装はAK-47及びAK-74。タケル様、撤退を進言します』


「真希奈、現在の魔力出力は?」


『虚空心臓はオーバークロック状態で現在も稼働中。ですが精製された魔力はすべて聖剣の封印に消費されています。残量魔力保有量での飛行は不可能です』


「つまりプルートーシステムも使えないし、魔法も使えない。肉体の再生もできないのか。きっついなあ」


 タケルの顔からものの例えではなく、血の気が引いているのがわかる。

 腹の中の痛みは増していき、先ほどから吐き気も伴ってきた。

 不死身となって以来、これほど長時間の激痛に見舞われるのは初めてだ。

 改めてディーオから授かった力はとんでもないチートなのだと思い知る。


「ミヌホォン!?」


 顔中をターバンで覆った大男が銃を構えたまま丘を降りてくる。

 その後ろから続くのは同様にターバンを巻いた屈強な男たちだ。


「ハーシム、アイナアントゥル!?」


「あー、ハシムくん? 彼なら後ろでお寝んねしてる――よッ!」


 タケルは倒れこむように走りだす。

 すぐさま男たちが発砲。

 左手で顔を庇いながら悲しいほどに遅い速度――

 それでも常人からすれば驚異的なスピードで駆け抜ける。


 目指すべきは熊のような大男。恐らくは指揮官。

 プルートーシステムは機能してなくとも、鎧の防御力は十分に役目を果たしてくれている。7.62ミリ弾を浴びながら、タケルは呼気も鋭く、左拳を突き出した。


「グバァ――!」


 男はくの字になって、地面をバウンドして数メートル以上も飛んでいった。

 師匠には恥ずかしくてとても見せられないが、一応『超特急・快・音速拳』である。


 真希奈を創生する以前から、いやした後も、ベゴニアとの鍛錬は絶対に欠かさなかった。真希奈のデバッグにかかりっきりになっても、暇を見つけては身体を動かしていた。


 そうしてつくづく思う。

 努力と練習は裏切らない。

 あのとき歯を食いしばった分だけ、今戦えているのだと。


「真希奈、今の僕たちに後退は死を意味する。前に進むぞ――!」


『りょ、了解しました! 全力でサポートします!』


 指揮官が倒されたことでしばし呆然としていた男たちから殺気が膨れ上がる。

 タケルも鬼面越しにでもわかるほど闘争心をむき出しに嗤った。

 今目の前には、かつてないほど明確な死が迫っている。

 だが、立ち止まってなどいられない。


 もう自分だけの命ではない。

 生まれたばかりの真希奈を死なせるわけにはいかない。

 日本で自分の帰りを待つ仲間たち。アウラ、エアリス、そして――


(セーレスに会うまでは絶対に死ねない――!)


 男たちが興奮と憤激に雄叫びを上げる。

 タケルは全身の痛みを無視して構えを取った。

 再び、たったひとりの戦争が始まった。



 *



 地面を銃弾で耕すような集中砲火を物ともせず、異形の鎧をまとった鬼面の男が縦横無尽に荒野を駆ける――


 突如として空から降ってきた謎の物体。

 男たちが訓練をしているベースキャンプの目と鼻の先に落ちてきた。


 男たちはことさら飛翔体に敏感だ。

 アメリカ軍、NATO軍、ロシア軍。

 上空を飛ぶものは全て敵だ。


 最近は無人爆撃機――プレデターやドローンなど。

 低コストで効率性を謳い文句にした心ない兵器が爆弾をばら撒いていく。

 その度に犠牲になるのは戦士である自分たちだばかりではない。

 町の同胞――年寄りや女子供も犠牲になるのだ。


 アメリカも欧州もロシアも――大国はみんな卑怯者の集まりだ。

 自分たちの命を賭ける覚悟もなく、ゲームやビジネス感覚で戦争の火種を作り出す。


 勝手にこちらの縄張りに入ってきて、自分たちに都合のいい政権を作ろうとする。

 その裏で反政府組織に非合法ルートで武器を供与し、わざと内戦を誘発させる。

 適度に国内が疲弊したところで軍事介入し、おいしいところだけを攫っていく。


 もうたくさんだ。

 もううんざりだ。


 俺達の行末は俺達自身が決める。

 俺達とその子供たちが未来を決める。

 他国に干渉されたり、誰かの思惑で振り回されるのはまっぴらだ。


 だからこそ思い知らせる必要がある。

 ハムラビ法典に曰く、目には目を歯には歯で。


 奴らが殺した無辜の命の数だけ、自分たちも一般人を殺す。

 火遊びには大きな対価が必要だと徹底的に思い知らせる。


イスラム国ダーイシュ』はある意味成功した。

 今や彼らに続けとばかりに多くの武装勢力が誕生と合併、分裂を繰り返している。


 自分たちの牙を超大国に轟かせる日まで血を吐くような訓練をしている。

 ナイフ一本、銃一挺で軍隊や戦車、戦闘機と戦うことが自分たちの誇りだった。

 だというのに――


「アッラーナトン!」


 真正面から銃弾を受け止められ、左拳が繰り出される。

 また一人仲間が、紙くずのように空を飛び地面を転がっていく。


 隣からハンドサイン。頷き、フルオートではない単発射撃で鬼面の顔を狙う。

 その間にコンバットナイフを引き抜いた仲間が右側面から襲いかかった。


「ごふッ――!」


 まるでその攻撃を読んでいたように、鬼面のハイキックが炸裂する。

 仲間は地面に後頭部を打ち付け、さらに回転して叩きつけられた。


 化け物め――!

 ナリはカートゥーンの仮装にしか見えないのに何者だというのだコイツは!?

 冗談のような格好で、明らかな大怪我をしている有様で、なぜ立ち向かってくるのか。


 それとも本当に、漫画カートゥーンの中からやってきたとでもいうのか――


 はッ――とする。

 弾切れ。残弾を数えるのを忘れるなど初歩的なミス。


 リリースレバーを押して空マガジンを投棄。

 だが、ベルトに固定したマガジンを取り出すことはできなかった。


 すぐ至近に鬼面がいた。

 一瞬で距離を詰めてきたのだ。


 生身の目玉が、仮面の奥からギロリとこちらを見据える。

 次の瞬間、自分は空を見上げていた。


 青空の中に白い雲――ではなく、黄ばんだ己の歯が浮かんでいる。

 強烈なアッパーを食らったのだと気づいた時には目の前が真っ暗になった。



 *



『死者ゼロ。重傷者17名。お見事ですタケル様』


「真希奈が攻撃予測をしてくれたからな。戦いやすかったぞ」


『いえ、そんな。真希奈はやれば出来る子ですから』


「それ自分で言う言葉じゃないし、あんまりいい意味じゃないからな」


 地面に累々と転がるターバンを巻いた男たち。

 ピクリともしない者、うめき声を上げる者など様々だが、死んでいる者はひとりもいない。


 全力で戦ってこの程度なのだ。

 現在の自分がどれほど弱体化しているかがわかる。

 おそらくかつて聖騎士を相手に素手で挑んでいた時と変わらない。


 いや、再生力がない分、今の方が不利だ。

 武術を習った分強くはなっているはずだが……。


「真希奈、周辺の索敵はできるか?」


『保有魔力の残量が少ないため魔素情報星雲エレメンタル・クラウドが作成できません。索敵範囲は著しく限定的になります』


「それでもいい。やらないよりマシだ。やってくれ」


 とにかく増援がくる前に移動を開始しよう。

 多少でも魔力が回復したら仲間たちに連絡を取って迎えに来てもらわなければ。

 それよりも、さっきから身体の感覚が麻痺している。

 目眩もしてきた。ヤバイかもしれない。


『――警告! 12時方向、エンジン音2、接近!』


「なに――!?」


 目を向けた途端、丘陵の向こうから二台のピックアップトラックが飛び出してきた。


 猛烈な土煙を上げながら絶妙なハンドルさばきで丘を下る。

 その車体には銃座に固定された砲身が見える。

 ブローニングのM2重機関銃だ。


 不味い――、すぐさま踵を返そうとするタケルだったが、その足は動かなかった。

 下を見れば、地面に転がっていたターバンの男が足に抱きついていた。


 バカな――

 タケルが振りほどくより早く、ターバンの男は肉塊に変じた。


「うおおおおッ――!」


 12.7ミリ徹甲弾がタケルに降り注ぐ。

 さしもの鎧もこの猛撃には耐え切れなかった。

 装甲のあちこちが悲鳴を上げ、ひしゃげ、弾け飛んでいく。


 どれほどの力で掴んでいたのか、男の腕はタケルの足首にまだぶら下がっている。

 物言わぬ躯となってもなお、彼らから恐ろしいほどの執念を感じる。そしてまだ息がある仲間ですら、彼らは平気で犠牲にして目的を達成しようとするのだ。


『タケル様! タケル様! ま、真希奈は、真希奈はどうすれば――!』


「ぐッ、真希奈、もうおまえだけでも――」


『嫌ですッ! タケル様が諦めるなら真希奈もご一緒します!』


「それはダメだ――! でも、もうこれは――」


 どうしようもないのではないか。

 左右に展開した2台の武装ピックアップトラック――即製戦闘車両テクニカルからの砲撃は止む気配がない。


 その場に縫い止められ、身動きもままならない。

 そうしている間にも鎧は――タケルの身体は削られていく。


 銃撃の中、運転手が車外に降り立つのが見えた。

 その手にはRPG-7――対戦車ロケットが。

 ボシュゥ――と発射されたタンデムHEAT弾がタケルを直撃した。


「――ッッッ!! ……ぁ」


 悲鳴すら上げられず、足元の肉片と一緒に宙を舞う。

 空――地面――男たち――また地面。

 一瞬にしてすべてが遠ざかっていく。


「が……あ……ぁ」


 血と煙と火薬とオイル――それらの匂いを胸いっぱいに吸気し覚醒する。

 まだ生きている。左腕もある。


 直撃した胸部に手をやれば、装甲は吹き飛び、血に濡れた地肌がむき出しに。


 感覚がない。

 痛みもない。


 ヌルヌルでグチャグチャ。

 真っ当な手触りではなかった。


 ザッザッザッ――

 足音と共に審判の時がやってくる。


 手にAK-47を下げたターバン姿の男たちが近づいてくる。

 真希奈が何事かを叫んでいる気がする。

 でももう何も聞こえない。


 諦めない。

 諦めたくはない。


 だが、もう身体は動いてくれない。

 別の世界に行き、無敵の力を手に入れたはずなのに、このざまだ。


 ただ、最後にひと目、彼女に会いたかった。

 せめて無事な姿を確認しておきたかった――


『タケル様!』


 その時、頭上に突然影が射した。

 瞬間、即製戦闘車両テクニカルが爆発する。

 男たちは呆然と上を見上げている。

 タケルも見た。


 巨人が――純白の巨人が空から落ちてくる。

 ズシンッ――と地響きを轟かせ土煙を上げながら降り立つ。

 白兜を冠った頭部を巡らせ、タケルたちを見下ろす。


 男たちは、口々に咆哮しながらありったけの銃弾を浴びせかける。

 だが、常人には見えない壁に阻まれ、巨人には傷ひとつつけられない。


 タケルと真希奈だけが見ていた。

 装甲の隙間から溢れでた水精の大蛇が銃弾を防いでいるのを。


 巨人が腕を振るう。

 男たち全員を、まるで邪魔なゴミでも払うかのように。

 タケルの拳の方がまだ慈悲深かったと思えるほど、男たちは本物のゴミになった。


「なに、が……?」


 タケルは血を吐きながら辛うじて絞りだす。

 巨人が跪き、背面のハッチが開いた。


 そこから現れい出た女を見て、タケルの心臓は止まった。


 逢いたくて逢いたくて。

 世界を飛び越えてでも取り戻したかった女性がこちらを見下ろしていたからだ。


「セーレスッッ!」


 叫んだ瞬間、全身に感覚が戻る。

 痛みに塗りつぶされる頭蓋。

 それでも身体は動く。

 這いつくばりながら何とか身を起こす。


 巨人の内部から現れた女――セーレスが地面に降り立った。

 精強で清廉な魔力の波動。


 彼女の周りに揺蕩う膨大な水の魔素の気配。

 間違いない彼女だ。

 地球に攫われたはずのアリスト=セレスだ。


(だけど、なんだ……?)


 沸き起こったはずの歓喜が急速に冷めていく。

 一歩、また一歩と近づいてくるセーレスの姿に違和感を覚える。


 気配も魔力も魔素も。

 何もかもが彼女のものだというのに、目の前の女性がセーレスではないと直感する。


「セーレス――、いや、おまえは……一体誰なんだ?」


 目の前の美女が、セーレスが絶対にしないであろう酷薄な笑みを浮かべた。


「その名前を知っているってことは――間違いないみたいね」


『タケル様ああああああ――ッッッ!』


 真希奈の悲鳴。

 亀裂のようなセーレスの笑顔。


 差し伸ばされた白い手。

 その先から伸びた高密度の水精の蛇が――タケルの胸を貫いていた。


「ようやく逢えた。タケル・エンペドクレス。お前のせいでお母様・・・は――!!」


 ヒステリックに叫び、セーレスが腕を振り回す。

 胸を貫いたままの蛇がとぐろを巻き、タケルの身体を軽々と持ち上げて叩き落とす。


「がッ――ブ、ハッ」


 口から肉片混じりの血反吐が溢れる。

 セーレスはさらに水精の蛇を作り出した。

 金色の髪は逆立ち、その周囲を幾百もの蛇が揺蕩い、それらが一斉にタケルへと襲いかかる。


 暴食。

 獰猛な獣が死肉を漁るように。

 ピラニアが獲物の肉を喰らい尽くすように。

 水の蛇たちが、砕かれた鎧の隙間から肉を突き破り、タケルの内部・・を容赦なくほじくり返していく。


「どこだ――どこに隠した!? 『聖剣』を出せ! アレがないとお母様はッ! お母様は――!」


「セー……レス……キミ、は……!」


『セレスティア――ッ!!』


 スピーカー越しの怒声。

 再び地面に大きな影が落ちた。


 タケルたちの前に、今度は漆黒の巨人が降り立った。

 大きく広げられていた翼が折りたたまれ、背負っていたジェットパックが投棄される。


 左腕をこちらへ――セレスティアと呼んだ女性へと差し向ける。

 袖の下より大きな銃口がせり出して彼女をポイントした。


『おまえは何を――、なんてことをしてるんだ!! 今直ぐやめるんだ!』


「邪魔しないで。邪魔をするならマリアでも殺すッッ!」


『おまえ――!?』


 ズシン、と、漆黒の巨人が威嚇するように一歩を踏み出す。

 だが、セーレス――セレスティアもまた動かない。

 膠着状態が続くかに見えたその時だった。


 ゴウッ――と、青空の向こうから風が舞い降り、ダウンバーストとなってその場の全員に襲いかかった。


 土煙に視界を奪われ、全員が硬直するなか、タケルを拘束していた水の蛇が切り落とされる。


「――なッ!?」


 殺意を孕んだ風の魔素の気配。

 セレスティアは水の蛇を幾重にも重ね、襲いかかってきた膨大な風の刃を受け止めた。


「私のアクア・ブラッドが切断された……誰!?」


「それはこちらのセリフだ。痴れものめ……!」


 全身に深緑の魔素を纏わせ、瞳を血走らせながら現れたのはエアスト=リアス――エアリスだった。


 褐色の肌に、タイトな革製の戦闘服を着こみ、首に纏わせたマフラーが怒りも顕に棚びいている。


「イーニャからタケルの緊急びーこんが発信されたと聞いて駆けつけてみれば、まさかこのような事態になっていたとは……!」


「パパッ――!」


 エアリスの腕の中から、アウラがタケルの元へと駆けつける。

 タケルは震える手を伸ばし、すがりついてきたアウラを撫でようとしたが、そこまでだった。


 意識を失い、その手が力なく地面に落ちる。

 ピクリともしなくなったタケルに真希奈とアウラは懸命に呼びかけた。


『タケル様ッ、タケル様ッ! いやです、目を開けてください!』


「パパッ、パパーッ!」


 動かなくなったタケルを挟み、セレスティアとエアリスは対峙する。

 双方とも憤怒と激憤に目を吊り上げながら睨み合う。


 人類最強のヒト型兵器、歩兵拡張装甲『YF-23ブラック・ウィドウ』に騎乗したマリアは、眼下のふたりの尋常ならざる気配に息を呑んだ。


 なまじ魔力に適合性があり、魔素を感じ取ることができるため、自分のを悟ってしまったのだ。


(こいつら、半端じゃねえ――!)


 片や濃藍の魔素と、片や深緑の魔素。

 さながら台風の目と化した精霊魔法使い同士の――即死級の牽制に身動きが取れなくなる。


「パパ、ですって? ねえあなた、あの男の一体なんなの?」


「我が名はエアスト=リアス。風の精霊魔法使いにしてタケル・エンペドクレスの従者である!」


「なん、ですって……!?」


 セレスティアから湧き立つ魔力が増大した。

 煌めく藍色の輝きを内包した水柱が屹立し、その全てが透明な鱗に包まれた大蛇へと変貌する。


「ふざけるんじゃないわよッ! あいつは――あの男は血の一滴、肉の一片まで全てお母様のものだ! 泥棒猫風情がッ! 思い知らせてやる――!!」


「言うに事欠いて我が主を所有物扱いか……。無礼千万な戯れ言をほざくその口――今直ぐ首ごと切り落としてくれる!」


 マリアは選択を迫られていた。

 セレスティアはわがままで何を考えているかわからないヤツだが部隊の仲間だ。

 加勢すべきはもちろん彼女の方だ。

 だが状況を鑑みるに、どう考えてもこちらの側に瑕疵がある。


 あの男――

 片腕を失い、もはや原型も留めない有様になっている――を、そのような状態にしたのはどうやらうちのセレスティアらしい。彼女が飛び出していったのは彼に逢うため――そして彼を殺すためだったのか。


(だが、あたしに止められるのか……!?)


 ただでさえバケモノのような魔法を行使するセレスティアに加えもう一人、同等の力を有していると思われるあの褐色の女……。


 信じがたいことに、辺り一帯全ての風の魔素があの女の支配下にある。

 先程から彼女の怒りに合わせて空気すらビリビリと帯電し、呼吸をするのも辛い。


 本音を言えば今すぐ尻尾を巻いて逃げ出したいくらいである。

 歩兵拡張装甲で華麗なデビューを飾るはずの初陣がどうしてこんなことに……!


 双方の魔力が極限まで膨れ上がる。

 マリアが腹を括り、いよいよ動こうとしたその時だった。

 振動センサーと赤外線センサーがアラートを告げる。


「な――チェックシックス!?」


 背後から形成炸薬砲弾による急襲。

 ブラック・ウィドウがオートでピンポイント電磁バリアを展開。

 次の瞬間、辺り一帯が爆発の炎に包まれた。


 背後を振り返れば、丘陵の向こうから続々と現れる人影。

 顔にターバンを巻き、ライフルを手にした歩兵。重機関銃や対空砲を装備した即製戦闘車両テクニカルが津波のように押し寄せてくる。


 マリアはすぐさまターゲットを変更した。


『セレスティア、おまえはそこにいろ! もうそれ以上何もするな――ああ、自分の機体だけは守れ! いいな!?』


 両膝脇の跳躍装置ジャンプユニットが高速回転する。

 足元の電磁バリアを叩き、ブラック・ウィドウは大空へと飛び上がった。


 途端即製戦闘車両テクニカルに固定されたZU-23-2対空砲が火を噴くが、漆黒の巨人はありえない機動でそれを回避する。


 空中に投射したピンポイント電磁バリアを踏み台にし方向転換&急降下。

 即製戦闘車両テクニカルを踏み潰しながら即座にハーケンを頭上へ射出。

 太陽を戴くよう垂直に飛び上がると、漆黒の巨人が陽光の中に溶け込んだ。


「オラオラオラッ――!!」


 まるでターザンか蜘蛛男のようにスィングしながら、眼下に向けてグレネード弾を叩き込んでいく。


 テロリストたちも反撃しようとするが無駄だった。

 航空機とは違い、漆黒の巨人はその軌道が全く予測できないのだ。


 軌道の頂点を狙い偏差射撃を実行するものの、予想した場所には既に巨人の姿はない。空間に見えない足場でもあるように、急激な方向転換を幾度も繰り返している。


 なすすべなく蹂躙され、戦意を喪失したテロリストたちは散り散りになって敗走を開始した。



 *



 爆風渦巻く中、セレスティアは水の蛇を編み上げて自身とついでにベルキーバを守る。


 エアリスもまた自らやタケルたちを風の障壁で防御する。

 ふたりが睨み合っていたのはごく僅かな時間だ。

 永遠にも思える体感時間の中、先に口を開いたのはエアリスの方だった。


「貴様は殺すぞ。我が主を傷つけた報い……。貴様自身の総身を以って償うがいい!」


「どこに隠れようと必ず見つけ出してやる。タケル・エンペドクレスもおまえも滅茶苦茶に引き裂いてやる!」


 エアリスはタケルの身体を抱き上げると、疾風のように飛び去った。

 それをいつまでも見送りながら、セレスティアは自身の右腕をギュウっと抑える。

 その手には水精の蛇で貫いたタケル・エンペドクレスの感触がまだ残っていた。


「許さない……。私とお母様をずっと放っておいたくせに。絶対に許してやらないんだから……!」


 その声は誰に届くことなく、漆黒の巨人が駆けまわる戦場にかき消されるのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る