第119話 暴虐と再会の空② セレスティアの憂鬱〜殺したいほど逢いたい人

 * * *



 唐突だが、世界があずかり知らぬところで、ひとつの法案がアメリカで承認された。


『非対称戦争対テロ法案』――通称AAT法案。


 正規軍ではない、組織も規模も異なる戦闘集団によるテロリズムやゲリラ戦を鎮圧することを主眼とした、まさしく時代が求めたその法案は、すみやかに上下両院を通過し、大統領によって承認された。


 草案作成から提出、審議、そして承認の流れの中に、ひとりの男――アダム・スミスの暗躍があったことを識るものは少ない。


 そうして誕生したのか、非対称戦争対テロ特殊部隊、通称AAT(Asymmetric war Anti-Terrorism Special troopers)部隊である。



 *



 タケルが今まさにSu−57と極限のドッグファイトを行っているのと同じ頃。


 地中海に展開するアメリカ軍第6艦隊。

 第7艦隊から急遽拠出された最新フォード級空母の艦上では、さながら航空展覧会のようなお披露目式が行われていた。


 すなわち、艦上に屹立する純白と漆黒の巨人に対して、多くの兵士たちが畏怖と憧憬の混ざった視線を送り、今か今かと起動の時を待っているのだった。


「もう一枚お願いします、今度はポーズを変えて、できればもうちょっと笑って貰えませんか?」


「こうですか?」


「ああスミス、君のニヤケ顔はもうお腹いっぱいだ。俺は女の子の笑顔が見たいんだよ」


「だそうですよマリア?」


「もう勘弁してくれッッ!」


 プロ根性逞しい撮影班の注文にマリア・スウ・ズムウォルトは爆発した。

 もうさっきから何百枚も写真を撮られて、食傷なのはこっちの方だった。


「そうは言ってもですねマリア、彼らはあくまで職務に忠実なだけですから。そして私達は客寄せパンダになって広報写真を撮られるのもひとつの役目なのですよ」


「客寄せパンダって、また日本ネタかよ。あたしはいいよ、動物園で愛想振りまくのはおまえひとりで十分だろう」


「バカな。見目麗しい現役女子高生の笑顔に比べたら、私なんて添えの花にもなりません」


 両手を広げた如何にもアメリカナイズなリアクション。

 マリアは額に青筋を浮かべながら大きなため息をついた。


「とにかくもう一時間以上やってるんだ。休憩させろ休憩」


「アクア・リキッドスーツを着てるのに疲れたのですか?」


「そんなわけねーけど気持ちの問題だ気持ちの。あとやっぱ恥ずいんだよこのスーツ」


 一連の会話を聞いていた広報部のカメラマンも「オーライ」とファインダーを下げる。


 すると今度は六メートル強もある巨人を見上げ、連続でシャッターを切り始めた。

 マリアは「よく飽きねえな」と思いながら待機テントへと向かう。


「お疲れ様ですマリアさん」


「ああ、ホント慣れないことすると疲れるわ」


 待機テントの中でラップトップを広げていたのはコード・オータム。

 スミスの片腕であり、普段は別の任務に従事しているという女性の情報士官だ。


 大きなバイザーで顔の半分を覆っているため、その素顔は見えない。

 彼女の任務の特性上、公の場で顔出しはNGらしい。


「おまえって別の任務中もそのバイザーつけてるのか?」


「まさか、こんな怪しいのなんてつけてませんよ。そっちはあくまで潜入スパイ任務なんですから顔出ししてます」


「言っちゃったよスパイって。いいのかよ」


「だって直属の上司があのヒトですもの。軍規なんてあってないようなものだし、私にバイザーコレ着けてあとは普通にしてなさいって言ったのもあのヒトですから」


「ホント何者なんだろうなあいつ……」


 オータムからミネラルウォーターを受け取り、ぐびっとあおる。

 そうしてからマリアは、防寒のためというより身体のラインを隠すためのコートを羽織りながら、兵士たちとふざけあう自分たちの上官を見つめた。


 アダム・スミス。

 年齢は30歳らしい。


 マリアが聞いた話では元々CIA局員だったとか、オータムから言わせればずっと海兵隊員だったとか、とにかく部隊内のメンバー同士が情報をすり合わせれば、デタラメ極まりないプロフィールになってしまうというメチャクチャな男だった。


 性格はとにかく楽天的で明るくてポジティブ。

 常に躁状態でいることが多く、シラフで酔っ払っているのではないかと疑うほど。


 いつも気持ち悪いくらいのニヤケ顔を貼り付け、誰の心にもするりと忍びこむ変態男だ。実は結婚詐欺師をしていました、と言われた方がまだ納得ができる。


 ただひとつ言えることは、無類の『人好き』。

 老若男女を問わず、あの男は誰とでもすぐに仲良くなる。


 今も水兵たちとまるで寄宿舎の中で枕投げでもするようにじゃれ合っている。

 つい今朝方などは、いつまで経っても食堂に顔を出さないので部屋まで様子を見に行くと、艦隊司令官と酒瓶を抱いて仲良くソファで寝ていたほどだ。


 謎だ。この男は謎すぎる……。


「いや~、参りましたね。ですが期待には応えないといけません。というわけでマリアさん。今度みなさんと合コンしましょう」


「なんでだよ! 誰がするか!」


 やってきたスミスにマリアは思わず突っ込みを入れてしまった。

 彼の後ろで黒山の人だかりになっていた兵士たちが「マイガ~!」などと嘆いている。ふん、知ったことか。


「いてて、マリアさんも年明けにはハイスクール卒業じゃないですか。もう時間がありません。あなたが女子高生をウリにできるのは本当に今だけなんですよ?」


「何のウリだそりゃ! 卒業したらあたしに商品価値が無いみたいに言うな!」


「それは大きな誤解です。あくまであなたの魅力は変わらない。いえ、むしろこれからさらに増していくことでしょう。しかし使えるタグが一枚減ってしまうのもまた事実。僕らも女子高生とどんちゃん騒ぎをしたという栄誉が欲しいのですよ」


 スミスは真面目くさった顔で「だから合コンしましょう」と言ってくる。

 マリアは頭を抱えながら隣の仲間を見た。


「おい、オータム。こいつは昔っからこんなんか?」


「こんなんですねえ。私の時も今とまったくおんなじこと言われましたよ」


「女の敵め」


「変態さんですね」


「いただきました! 私にとっては一番の名誉勲章です!」


 作戦前だというのに緊張感もなにもあったものじゃない。

 今日のマリアたちの作戦如何によっては今後の世界情勢に大きな影響を与えてしまうというのに。


 そんな風にふざけ合っていると、一通り撮影を終えた広報部の士官がテントに入ってくる。


「相変わらずだなあスミス。今は昔よりもずっとセクハラにうるさいんだぞ。俺はおまえがいつか訴えられるんじゃないかと心配でならないよ」


「なにをバカなことを。そうならないようにアフターケアも万全でセクハラに望んでいるんじゃないですか」


「馬鹿野郎、開き直るな!」


 マリアが突っ込むと、「HAHAHAHA――!」と一回りは年上の士官と肩を組んでスミスは笑いあった。年齢差なんて感じさせない、まるで旧来からの親友のような仕草だった。


「わかっててセクハラするってよっぽどタチ悪いじゃねーか」


「やっぱり変態さんですね。うちの隊長は」


 マリアが入隊して一年と少し。このような会話もすっかり定番になってしまった。

 マリアはオータムと顔を見合わせてくしゃっと笑い合うのだった。


「それでだな、広報用の素材はまあ大体撮り揃ったんだが――やっぱりあの子、ダメか?」


 広報部の士官が親指で後ろを指差す。

 フライトデッキの向こうにひとり佇む金髪の美女――セレスティアだった。


 何をするでもなく、ただ潮風に髪を遊ばせながら、遥か陸地を険しい表情で見つめ続けている。


 相変わらずフリフリがついた私服姿で、彼女の周囲だけはまるで切り取った絵画のように完成された佇まいだった。


 そんなセレスティアの姿を見かける度、足を止めるもの、ナンパ目的で近づこうとするもの、見惚れて呆然と立ち尽くすもの、などなど。様々なリアクションをする水兵たちだったが、結局彼女の尋常ならざる雰囲気に圧倒され、一言も声をかけることなく退散を余儀なくされていた。


「いやあ、申し訳ありませんね。普段でしたらドつかれることを覚悟で交渉に望んでも良いのですが、何せこれから戦地入りするわけですから。私も五体満足でいたいんですよ」


「見た目はあんなにゴージャスなのに中身はそんなにヤバイのか?」


「あれはですね、核弾頭と同じです。取り扱い要注意です。もし下手を打って彼女の逆鱗に触れでもしたら、ステイツが誇る最新鋭フォード級空母は夜を待たず地中海に沈むことになるでしょうね」


「はッ――相変わらず冗談が上手いな! まあ『触らぬ神に祟りなし《Keep clear of the gods.》』ってことか!」


「そうそう。その通りです。ははは…………はあ」


 再び上機嫌で腹を抱えるふたり。

 だがスミスの目が笑っていないことを、マリアとオータムだけが気づいていた。


「やれやれ上官様の変態っぷりにも困ったもんだが、ウチの女神様のきまぐれっぷりにも参っちまうな」


「でも本当にきまぐれなんでしょうかね?」


 一年以上前、マリアはアクア・リキッドスーツを着用してセレスティアにボロボロに敗北した。


 オータム始め、他の女の子たち――アクア・リキッドスーツを着用できる子たちは、セレスティアの洗礼を受けることによって、彼女を恐れて不必要に近寄らなくなるというのにマリアだけは別格だった。


 アクア・リキッド自己治癒能力のおかげで重症から回復したマリアは、その後も一切腐ること無く、そして飽きもせずにセレスティアに挑み続け、現在までに全敗を喫している。


 誰もがセレスティアを腫れ物のように扱う中、マリアだけが変わらず自然体で、裏も表もなく彼女に接しているため、いつの間にか部隊内のメンバーはマリアをリーダーのように慕うようになっていた。


「日がな一日中地下に篭もりっきりなんだ。たまには外の空気でも吸いたくなったんじゃねーの?」


「彼女に限ってそんなことありませんよ。なにせ本物の魔法使いですからね。私たちにはわからない、なにか別のロジックで動いていても不思議じゃありません」


 今回、非対称戦争対テロ特殊部隊――通称AAT部隊に与えられた初任務は、現在シリア国内で人質となっている『G.D.S』の救出部隊の支援――つまりテロリストの鎮圧にある。


 有史以来、行われてきた数々の戦争――国対国の戦争には交戦規定があり、スタートとゴールがあった。


 だが戦力で遥かに劣る者たちが武器を手に取り、ゲリラ戦法や自爆作戦を敢行し、少なくない被害を大国に与える昨今。国ではない、一個人からなる者たちとの戦争――それが『非対称戦争』である。


 独裁国家のように、指導者を暗殺すれば――

 大国同士の戦争のように、利益誘導で落とし所を探れば――


 そのような解決方法は一切なく、例え目の前の敵を殲滅しても、同じ志を持った者たちが幾度でもテロリズムという手段を強行する。首を切り落としても再び生えてくるヒドラのように、根絶が困難な敵が相手なのだ。


 そうしたテロを受けて急務となったのが『歩兵』の強化である。


 アメリカは思い知ったのだ。

 イラク戦争の失敗により、世界の軍隊を辞退したことが切っ掛けで世に解き放ってしまったテロリストの芽は、遥かな高みから爆弾をばら撒くだけでは決して摘みきれないと。軍服も着ていない、私服姿のテロリストと一般人の違いなど、誰にもわかりはしないのだ。


 必然防衛側に、受け身に回らざるを得ず、そのため一番の矢面に立たせられるのは常に『歩兵』なのである。


「もう決して若者を戦場で死なせない」と、そう公約を掲げ当選した時の大統領は、レームダックとなった任期の終わりにようやくそれを認めた。


 再びタカ派の大統領が国民により選出され、ついに、新たな時代に迎合する新兵器が完成した。


 それこそが『歩兵拡張装甲Infantry Expansion Armor』。

 通称『I.E.A』なのだった。


 当初、『I.E.A』は欠陥兵器ではないかと噂されていた。

 スミスやマリアのようにアクア・リキッドスーツに適正のあるものしか搭乗できないのでは、と誤解されていたためだ。


 だがそれは『第三世代型 I.E.A』に限った話だった。


 アクア・リキッドスーツの補助を必要とするのは、あくまで航空機の概念を設計思想に取り入れた第三世代以降の機体のみであり、それより以前の第一世代、第二世代は魔力の適性がない一般兵士にも扱えるシロモノだった。


 つまり、より強い火力を、より優れた防御力を、より高い機動力を、より素早い索敵探査能力を兼ね揃えたスーパーソルジャーに誰でもなれるという兵器が歩兵拡張装甲なのだった。



 *



「――ったくしょうがねえな。ちょっくら女神様のご機嫌伺いしてくるわ」


 そういうとマリアは休憩所にあったチョコバーをグワッと鷲掴み、グリーンティーのプラスチックボトルを引っさげ、セレスティアの元へと向かう。


 あいも変わらず険しい視線を陸地――シリア国内へと向けたままのセレスティア。


 ここから見える沿岸部のタルトゥスにはロシア海軍の補給基地が。

 さらにラタキアの南東にはロシアのフメイミム空軍基地が存在する。


 世界広しといえど、ここまで嘗ての超大国同士が密接し、睨み合う緩衝地帯もないだろう。


 むろん、マリアもそんなことはここ一年あまりの座学で覚えたのみであり、他者にまったく興味のないセレスティアには関係のないことだろう。


「ありゃ……ちょっとヤバイな」


 重いケツ――もとい腰を上げるのに戸惑っていたせいで先を越された。

 年若い水兵がセレスティアを絶賛ナンパ中だ。


 様々な観光客を相手にしてきたマリアにはわかる。

 ありゃあ猪突猛進タイプだ、と。


 腕っ節と体力が自慢で軍隊の訓練だって余裕。ドンパチだって(まだ経験してないけど)怖くないし。俺は強い、なんでもできるんだ。周りがビビっちゃうような極上美女だって平気でナンパしちゃうぜ、と。そんな虚栄心と度胸試しのような感じが新米水兵からは見て取れる。


 だが、水兵が何事かを身振り手振りで話しかけるもセレスティアはガン無視状態だ。やがてヒートアップし始めた彼が、セレスティアの肩に手を置こうとした次の瞬間――


「――ッちィ!」


 舌打ちひとつ。

 マリアは矢のような速度で十数メートルの距離を一息でゼロにすると拳を振り下ろした。


「ウラァ――ッッ!!」


 ――ガイィィンッ、とすさまじい轟音。

 水兵の両足の間、フライトデッキに大穴が穿たれた。


 常人には見えない水の大蛇が彼を頭から丸呑みにしようとしたのだ。

 マリアが拳撃で軌道を逸らさなければ『M.I.A』――行方不明兵の出来上がりである。


 大蛇の体内は『アクア・ブラッド』と呼ばれるセレスティアの固有魔法で構成されており、一度閉じ込められたマリアだが、その行く末は――正直知りたくもないのだった。


「あたしらこれからブリーフィングだ。遠慮してくれ一等兵曹」


 少尉の階級章をつけたマリアにそう言われ、男はガニ股のまま敬礼をすると、すっ転ぶような勢いで走り去っていった。


「あいつ結構ベテランでやんの……」


 てっきり新米かと思いきや、自分の方が階級が上で良かったとマリアは胸をなでおろした。


「やれやれ。ちょいと見栄えは悪くなったけど、食うか?」


「いらないわ」


 マリアの方を振り向きもせずに、セレスティアは差し出されたいびつなチョコバーを辞退する。駆けつける際に握りつぶしてしまっていた。


「甘すぎるからそれ嫌い。お茶ちょうだい」


「おう。ほれ」


 ブキ、と開栓しボトルを差し出す。

 コクコク、と喉を鳴らしてセレスティアはお茶を飲み干した。

 この気安さと距離感が、ここ一年マリアが手に入れた成果だった。


 誰もが恐れて近づかない冷血の水精魔法使いセレスティア。

 それに愚直に挑み続けるマリアは、一度も勝ちを拾えないながらも彼女から認められる存在となっていた。


 部隊内ではセレスティア関連で何か意見しなければならないときは、取り敢えずマリアにお鉢が回ってくる。最近ではあのスミスでさえもだ。あたしャ猛獣使いじゃねーっつーの! とマリアが叫んだのは言うまでもない。


「それで、何が見えるってんださっきから。っていうか朝からずっとここに突っ立って。潮風でベタベタだろおまえ」


「ベタベタなんてしてないわ。あなたが汗ひとつかいてないのと同じ理由ね」


「常時展開型のアクア・ブラッドで快適ですか。相変わらずデタラメ過ぎだぜ……。そんで?」


「なに?」


 チラッと始めて海から視線を外し、セレスティアがマリアを見る。

 マリアもまたグリーンティーを一口飲みながら質問した。


「おまえ、今回に限ってなんでついてくる気になったんだよ。いっつもあたしらの訓練や作戦は興味なさそうだったろ。スミスの奴はあんな調子だからヘラヘラしてるけど、他のみんなは機内でビビッてたんだぜ。蛇女と密室に閉じ込められてるから」


 移動中の機内は針のむしろだった。セレスティアはただ黙って機内から見える風景を見ているだけだったが、他は誰ひとりとして言葉を発しようともしない。スミスひとりがから回っている気まずい空間だったのだ。


「ふん……その蛇の力で一端の兵士気取りの子たちが私を恐れるなんて笑っちゃうわね」


 セレスティアもセレスティアでこんな鼻っ柱の強い性格だからマリアも困っているのだ。


「そうなんだけどさー。いや、あたしもそうだよ。だけどなんつーか、おまえいっつも無愛想だから何考えてるかわかんねーんだよ。もうちょっとさ、せめてこうスマイルをだな……」


「なに?」


「スマイルだよスマイル。試しにちょっと笑ってみ? いつもみたいな止めを刺す時の『ニヤァ』っていうんじゃなくて、こう『ニコ』っと。そしたら――」


「そしたら?」


「さあ……多分なんかいいことあるんじゃねえの? 笑う門には福来るって言葉があるらしいぞ」


「そう」


「おう」


「こう?」


「あん?」


 ニコっとセレスティアが微笑んだ。

 悪意も毒も一切ない、混じりっけなしの極上の笑顔だった。

 それも一瞬。セレスティアは再び険しい表情になり彼方を見据える。

 マリアは――なぜかひとり狼狽えながら慌てて周囲を見渡した。


 他に見た奴はいないな?

 今のは自分だけしか認識していないな?


(やべーっ、なんて弾持ってやがるんだ、反則すぎだろ! ってか同性相手に何焦ってんだあたしはー!?)


 動悸。

 息切れ。

 発汗。

 アクア・リキッドスーツでも抑えきれないそれらにマリアは顔を真っ赤にした。


「嘘つき」


「ああ?」


「ないわ。いいこと。嘘つき」


「そんなすぐ起きるか!」


「じゃあいつになったら起こるの?」


「いや……、いい子にしてたら起こるんじゃねーの?」


 うーん、とマリアは腕を組みながら首をひねる。

 何気にセレスティアと会話が続いた最長記録更新中だった。


「私っていい子?」


「うえっ、……そりゃあ、まあ、いい子、かな?」


「嘘つき」


 ジロっとセレスティアに睨まれ、マリアは押し黙った。

 心にもないことは言うものじゃないな、と内心でため息をつく。


「っていうかおまえはどんな『いいこと』が起こって欲しいんだよ?」


「逢いたい人がいるの。そのヒトが私の前に現れてくれればいいわ」


 え。

 やだなに、そういう話に持ってくの?


「ほ……ほうほう。あたしも結構その手の話は好きだぞ。部隊内でも相談役だ。ただみんなの意中があの変態ニヤケ男ってのはいただけないんで、全員に絶賛改宗を勧めている最中なんだが……」


「聞いてないわ」


「そうだな……。で、女神さまが逢いたいっていう意中のヤツは誰で、なにがしたいんですかねえ?」


「――ろしたいの」


「何だって?」


 風が。

 マリアが横を向いた瞬間、風がセレスティアの金髪を弄ぶ。


 轟々とたなびく金色のベールの向こうで、非道く綺麗で凄絶な笑みを浮かべて、セレスティアは告白した。


「殺したいヤツがいるの」


 ゾクリと全身が泡立つ感覚を味わいながらマリアは問う。


「誰を……おまえは誰を殺したいっていうんだ?」


「それは――」


 ピピッとマリアのヘッドセットが着信を告げる。

 タイミンがいいのか悪いのか。


 マリアはセレスティアに片手を上げて応答する。

 相手はオータムだった。


『マリアさん、たった今偵察部隊から連絡がありました。人質は解放、全員無事です。犯行グループも制圧されたそうです!』


「は――なんだって!?」


 マリアたちが最新鋭『歩兵拡張装甲』を二機も借りだして鎮圧する手はずのテロリストが既に制圧済みとはどういうことか。


「作戦開始はまだだったはずだろう!?」


『違います、どうやら人質を救出したのはまったく別の勢力らしいんです。それから――作戦空域内――さっきから――変な全方位通信――ジャミングみたい――垂れ流されてて――!』


「何だって!? よく聞こえねーから今から戻るわ。ちょっと待って――」


タケル・・・様を――助けてって。なんか日本語の――』


「はあ? 救難信号かそりゃ――って、セレスティア!?」


 目を見開いたセレスティアがマリアの顔を至近から覗き込んでいた。

 ヘッドセットからはオータムの声が流れ続けている。そして――


「あいつだ」


「あッ、おい!」


 ポツリと呟いたセレスティアは猛然と駆け出した。

 ガンッガンッガンッ、と飛行甲板に孔を開けながら、たった三歩で屹立する『歩兵拡張装甲』の前にまでたどり着く。


 そこにはちょうど、大勢の水兵に喝采を浴び、エントリーワイヤーに足をかけて搭乗する直前のスミスがいた。


「おお、セレスティア。我らが勝利の女神よ。あなたも私の華麗なる騎乗に駆けつけてくれたのですか。皆よ、伝説は今日この瞬間から始ま――」


「邪魔」


「アナンッ!」


 無数の蛇の乱打を食らったスミスは、格ゲーの空中コンボよろしく、空中を錐揉みしながら叩き落ちた。


 唖然とする水兵たちが止める暇もなく、セレスティアはワイヤーのように伸ばした水の蛇で、パイロットの搭乗を待っていた純白の『歩兵拡張装甲』――『零零式ベルキーバ』のコックピットへと乗り込んだ。


 途端、正しく水を得た魚のようにベルキーバが震えた。

 叩きつけるように胸部装甲が降りて、六メートル強の巨人がズシン、と動き出す。

 水兵たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。


「セレスティアッ! おまえ何してんだコラッ!」


 マリアが駆けつけたときにはもう遅かった。

 全身の装甲の隙間からアクア・ブラッドで形成された水の蛇が溢れ出している。

 ゴルゴーンのような有様になったベルキーバは完全にジャックされていた。

 緊急停止信号をオータムが送っているはずだが、まるで停まる気配がない。


「おいおいまさか――、おいオータムッ、今すぐスピーカーで叫べ! カタパルトの軸線から離れろって!」


『き、緊急退避! 緊急退避ーッ! 電磁カタパルトの軸線から離れてください! 早くしないとみなさん死にますよー!』


 フライトデッキは大パニックになった。

 あらゆる事態に備えている水兵であっても、巨人が練り歩くことなど想定外だ。


 そうしている間にもカタパルトハンドルを手にしたベルキーバが肩部アーマーである飛行翼と、両脚部脇の補助翼を展開する。


「バカッ――空気抵抗で機体がバラバラになるぞッ!」


 マリアが叫んだ瞬間、電磁カタパルトが作動する。

 初速から時速300キロではじき出される純白の巨人。


 甲板を昇ってきた潮風とダウンバースト。

 それらを一身に受けてベルキーバは失速するかに見えたが、まるで滑るように大空へと踊りだし、すさまじい加速で海を渡っていく。


 マリアもオータムもその様を呆然と見送るしかなかった。


「――恐らく空気中に散布した霧状のアクア・ブラッドの中を、これまたアクア・ブラッドを纏った機体であたかも水中を泳ぐかのように飛んでいるのでしょう。空気抵抗どろこか、摩擦抵抗もない状態で。あのように物理法則をも無視した無茶な機動をやってのけるとは……。彼女の魔法は汎用性が高すぎますね」


「這いつくばったままカッコつけようとしても無駄だからな」


 冷たくスミスを見下ろしながらマリアは容赦無い突っ込みを入れた。


「いや、アホに突っ込んでる場合じゃねえ。あいつを追わないと!」


 マリアは即座に自分の機体――漆黒の巨人のコックピットへと搭乗する。


 スミスは当然のように放置されたが、本人は気にした様子もなく「ふ。私に言われるまでもなく最善を選択するとは。成長しましたねマリア」などと頬杖ついて足をぶらぶらさせながら感慨にふけっているのだった。


『マリアさん、エントリーサポートします』


「頼むオータム! アクア・リキッド充填開始!」


 胸部装甲の降りた暗闇の中、ヘルメットを被ったマリアの頭部がアクア・リキッドで満たされる。


『外部スクリーン、ヘッドマウントディスプレイに投影開始! 擬似神経伝達路と擬似ニューロンを形成! 全感覚神経をスーツにフィードバック完了! コンバットマニューバーの起動、及び全関節ロックを解除! 重イオンコアバッテリー始動! 蓄電率400%! 背面のラムジェットパックはあくまで使い捨てですから注意してください! えっとそれからえっと――なんかもう色々忘れてるかもしれないけどオールオッケーですマリアさん!』


「ホントかよおい!」


 いや、疑うより信じるべきだ。頼れる仲間のことを。

 漆黒の巨人が戦いを前にして武者震いのように震える。

 重イオンコアバッテリーによって駆動する機体のバイブレーションが心地いい。

 マリアはクリアになった視界の中、セレスティアが消えた方角をはたと見据えた。


「オータム、セレスティアの機体のトレース情報を逐次くれ」


『了解。彼女は先ほど発生した全方位通信の発信源に向かったようです』


『作戦のことは構いませんマリア、セレスティアを追ってください。脅威対象があればあなたの判断で対処を!』


「了解!」


 最後に、一際高くなった視点から足元のスミスとオータムを見やると、マリアは高らかに叫んだ。


『Infantry Expansion Armor――『YF―23ブラック・ウィドウ』、マリア・スウ・ズムウォルト――出る!』


 弾丸のようにカタパルト射出された漆黒の巨人が宙に投げ出される。

 刹那の狂いも許されない絶妙なタイミングで肩部マウントアーマーを水平に展開。


 前方にはコーネックスナノワイヤーの有効範囲ギリギリに張られたピンポイント電磁バリアが。そしてそこには既に両腕部から撃ち出されたハーケンが突き刺さっていた――


「いっけえええええええええええ――!」


 カタパルトの速度+超電導ウインチの巻き上げ。

 そしてさらに背面のラムジェットパックにより、ブラック・ウィドウは亜音速で飛んで行く。


 すさまじいGに耐えながら、マリアは地中海を横断し、戦火が渦巻くシリア国内へと突入するのだった。

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