第116話 プルートーの鎧③ 台頭する野心〜核なき世界の幻想

 * * *



 12月17日 現地時間10時17分

【シリア国内首都ダマスカス、ドゥーマ地区、ガラナワ小学校跡地】


 シリア反体制派が実効支配するドゥーマ周辺は、アサド政権においては幾度も空爆が行われた地区のひとつだ。


 武装勢力を掃討するため――という名目の元、日夜繰り返される爆撃の雨は、未だ市内に残り続ける無辜の市民たちを巻き込み続けている。


 市内を脱出し、難民となった者達にも明確な希望は見えない。

 ただ爆弾が降らない空を目指し、着の身着のまま新天地を目指すしかないのだ。


 廃墟となった小学校に作られた簡易病院は苦悶とうめき声に溢れていた。

 市内に取り残された者達は、その殆どが内戦や空爆で親を失った子供たち。

 そして満足に歩くこともできない年寄りや怪我人ばかりだった。


 北部のサルマダに広がる難民キャンプへ移動することもできず、瓦礫の街でろくな食べ物にもありつけない。


 このまま放っておけば飢えて死ぬか、怪我を悪化させて死ぬか、再び空爆に晒されるか、そしてあるいは銃を手にした同胞に殺されるか――


 もはや十年目に突入したシリアの内戦。

 現アサド政権を支援するロシアや中国を始めとした反米国家。

 そして反政府軍を支援するNATOを始めとした欧州諸国、イスラエル、サウジアラビア。


 いわば反米と親米による代理戦争の舞台になっているのがここ、シリアという国なのだ。


 市街地にかつてはあった平和な姿は微塵もない。

 ライフラインは寸断され、食料も医療品も医者も足りない。


 この現状を少しでも変えるべく立ち上がったのが、一切の政治的主張を持たない医療系組織、地球医師団グローバル・ドクターズ――通称『G.D.S』だった。


 だが現地協力員の裏切りと密告により、わずか一週間の内に『G.D.S』の活動を聞きつけた武装勢力『クリムゾン・ジハード』によって小学校跡地ごと、スタッフも怪我人も全員が人質となってしまっていた。


 そして今正に、病院内は緊迫した状況にあった。


 すぐさま『G.D.S』メンバーのみを連れて拠点へ移動をしようと主張する『クリムゾン・ジハード』に対して、『G.D.S』メンバーたちは頑としてそれを突っぱね、医療行為の続行を主張していた。


 ――怪我人を置いていくことなどできない。移動するのなら怪我人も全員連れて行け、と。


「貴様たちは自分の立場がわかっていないようだな」


 スキンヘッドにアラブひげ、そして左の頬から前頭部にかけて火傷を負った男が底冷えするような声で言った。その雰囲気、立ち位置からしても男がクリムゾン・ジハードの頭目らしかった。


「恐怖か? それとも恥辱が必要か女?」


 スラリと、シースから引き抜いたナイフを突きつける。

 その切っ先にいるのは日本人女性だ。


『G.D.S』メンバー、御堂大学付属病院から出向した髙塚佐和子たかつかさわこ女史だった。


 未だ二十代でありながら、学生時代から海外で医療ボランティアの経験を積んだという優秀な外科医だ。今回のメンバーの中でもリーダー的存在のひとりだった。


 彼女は今、後ろ手に拘束されたまま膝立ちになり、気丈にも火傷の男を見上げている。英語での問いに対して佐和子もまた英語で返した。


「ど――ちらもいらないわ。私達に必要なのは、私達を必要としてくれる患者と、適切な医療行為だけ。何故ならそれこそが私達の『血』だからよ」


 佐和子の言葉に火傷の男の目がスウっと細まる。

 その口元には笑みが形作られていた。


「ほう、血か。言うな……。確かに海の向こうからこんな紛争地帯までわざわざやってくるだけのことはある」


 男は皮肉げな笑みを浮かべながらナイフの切っ先を動かす。

 ささっと、佐和子の顔を切り裂くように十字に動かし、次いで首、乳房、腹、そして股間をなぞっていく。


 佐和子は羞恥に顔を赤くしながらも口を引き結び、決して視線を逸らさなかった。


「……どうやらおまえの言葉に嘘はないようだな。恥辱を上塗りしようとしても無駄か。ならばおまえの血――それそのものを奪うか」


「何ですって……?」


「おまえたちの手間を減らしてやると言っているんだ。ここにいる死に損ない共に高価な医療品を使う必要もなくなる。全員処刑だ――」


 男は周囲にいる仲間に手振りで指示を出す。

 ターバンを巻いた男が訛りの酷いクルド語で無線に呼びかけ始めた。


「年寄りも子供も全員殺せ。弾はなるべく節約するよう伝えろ。残った医療品はすべて集めろ。あとで売り払ってやる」


「やめなさい! ここにいるヒトたちはあなたたちの同胞でしょう!?」


「同胞? 違うな。『異端は異教より憎し』だ。神は同じでも俺たちの考えに賛同できない奴らは全員敵だ」


「お願いよ、やめてちょうだい……! どうして、どうしてあなたたちはそこまで……!?」


「どうしてだと?」


 火傷がついた左の眼で男は佐和子を見た。

 引きつった瞼の奥に燃え盛る炎が燻っている――ような気がした。


「これらはすべてお前たち自身が蒔いた種なのさ。お前たちのように呑気にボランティアにやってくるような奴らもいれば、俺たちの教義も尊厳もすべて奪い、隷属させようと武器を振りかざす外国人もいる。アメリカやロシア、イランの革命防衛隊やNATO……。そしてシャムのイスラム国もそうだ。俺たち『クリムゾン・ジハード』はそのどれよりも強い武器、そして金を欲している」


「そんなバカな……、あなた達だけでアメリカやロシアを相手にできると本気で思ってるの?」


 冷戦時代はアメリカ合衆国、ソビエト連邦と。共に超大国と呼ばれた巨大国家。現在ではアメリカと中国が超大国と呼ばれている。彼らのような医療ボランティアを人質に外貨を稼ごうとするようなテロ集団がそれらを相手に戦うなど正気とは思えない。


「奴らはすべからく臆病者だ。特にアメリカはテロの報復に怯えて空の高みから空爆以上のことはできない。俺達の協力者は正確にアメリカやNATO軍の空爆地域を教えてくれる。地上兵力を展開できない軍隊など恐れるに足りない」


 周囲にいる『クリムゾン・ジハード』のメンバーも自信を覗かせるよう頷いている。ターバンやバラクラバで顔を隠してはいるが、その奥の目はギラギラと滾っているようだった。


「そしてあとは力だ。俺たちはいずれ『核兵器』を持つ。必ずだ。そして俺たちだけの王国を築き上げる。そのためには莫大なキャッシュが必要なのさ」


「あ、あなたたちみたいなならず者の集団が『核兵器』を持つですって? 笑わせないでちょうだい」


 佐和子は男の言葉を鼻で笑った。

 こんな連中が『核兵器』。

 大言壮語も甚だしいと思った。

 だが、火傷の男の方こそ佐和子をあざ笑う。


「おいおい、日本人は政治に疎いとは聞いていたが世界情勢にも疎いんだな。実際に俺たちの隣国が持ってるじゃねえか。イランだよ。もう持ってるんだぜ・・・・・・・・・。今すぐ撃てる核ミサイル・・・・・を――」


 確かにイランはアメリカとの歴史的な核合意に至った経緯がある。

 だがそれは一定量のウラン濃縮技術を認めるとした制限付きだったはず。

 それではとてもではないが核兵器を開発することなどできない。

 佐和子がそう言うと男は「はッ――!」と吹き出した。


「何、何が可笑しいのよ……!?」


 周りの『クリムゾン・ジハード』メンバーも笑っている。

 佐和子は自分がバカにされている、というよりも、急激に自分が無知なのではないかと不安になった。自分たちが常日頃目にしている新聞やテレビのニュース。それらがすべて間違っているのではないかと思い始めていた。


「可哀想になあ。おまえらの国のマスメディアは本当に何にも教えちゃくれねえんだな。あの核合意の意味はな、キャッシュだよキャッシュ」


「キャッシュ? 確かに核合意の締結で、アメリカがイランへの制裁を解除したけど……」


 アメリカのイラク占領政策の失敗。

 地上兵力を投入し、テロの芽を摘まなかったためにイスラム国が誕生した。


 だが現在のアメリカの大統領は『二度と若者を戦争で死なせない』と宣言して大統領になった。


 台頭するイスラム国とアメリカ軍が直接戦うことはできない。なぜなら若い兵たちが死ぬからだ。


 そこでイランに武器を拠出し、革命防衛隊という士気も練度も高い軍隊に代わりに戦ってもらっているのが現状だ。


 その恩義のもとになされたのが『イラン核合意』であり、これによってイランは大国であるアメリカから核開発のお墨付きをもらうと同時に、世界中で凍結されていた海外資産も解除された。


 しかし、だからといって『核兵器』などすぐに作れるはずもない。

 だが――


「別に一から作る必要はない。すでにあるものを買えばいいのさ。ボタン一つで発射可能な弾道ミサイルと、それに取り付ける核弾頭を。おまえらの国、日本だって他人事じゃあないはずだ。事あるごとにミサイルの発射実験をしてる国があるじゃねえか。日本のすぐ近くにはよう――!」


「嘘、まさか……!?」


「そうさ、ノースコリアさ。知らなかったのか? 日本の近海にしょっちゅう撃ちこんでるだろう。あれは全部イランやイスラエル、サウジアラビアに向けてのビジネスアピールなのさ。ウチのミサイルはここまで届きますよっていうなあ!」


「そんな……。サウジアラビアは日本と同じように、アメリカと安全保障条約を結んでいるはずじゃ……。国内にはアメリカ軍の基地だってあるのに……!」


「そんなもん、ペルシャ湾を挟んだイランがアメリカとつるみ始めたからに決まってるだろう。あそこは昔からスンニ派とシーア派の一大拠点で殺し合いをしているんだぜ。自分たちの敵とも仲良くするアメリカは信用できないってんで独自武装をとっくに始めてるんだよ」


 どんなに『核なき世界』を謳ったところで、核兵器を持った者が強いのだ。絶対なのだ。


 実際にブッシュ政権はノースコリアをテロ国家には指定しなかった。


 何故か。核を持っているから。


 イラクの首都バグダットで独裁政権を築き上げたサッダーム・フセイン大統領は何故死刑になったのか。


 答え、核開発をやめてしまったから。

 心血を注いでいたオシラーク原発を、イスラエルのF―16に爆撃され、それっきり諦めてしまったから。


 アフリカのリビアにおいて隆盛を誇ったカダフィ大佐。その独裁政権は何故終わったのか。


 答え、核開発をやめたから。

 やめたら欧州から支援が貰えるとアメリカに騙されたから。

 それを機にアラブの春が起こり、哀れにも彼はひとりの少年兵に惨殺されてしまった。


 この世界は『核兵器』によって支配され、思惑が巡り、再生と破壊を繰り返す。

 イランもサウジアラビアも、裏ではノースコリアと取引をしている。

 だからこそ『クリムゾン・ジハード』のような者たちが生まれる。


 シャムのイスラム国のように着々と規模を拡大している同業者を見て、俺達もやれる、もっと大きなことができる、と野心を膨らませる連中が次々と現れているのだ。


「俺たちは自分たちだけのキングダムを造る。アメリカにもロシアにも滅ぼされないために核兵器を持つ。イスラム国ダーイシュのように散り散りになってセコいテロなどしない。そのために必ずお前たちを莫大なキャッシュに変えてやる。そして俺は我らが神の名のもとに王になる。これは聖戦なんだ。俺という神の代行者が世界に鉄槌を下してやるのだ――!」


 佐和子は真っ青になっていた。

 狂った主張だと唾棄することなどもうできない。


 もし彼らが自分たちの身代金を足がかりに、さらにさらに勢力を拡大し続けていけば、きっといつか本当に核兵器を持つかもしれない。


 イスラム国をも超える本物のテロ国家として、世界が認めざるをえない日が来るかもしれない。


 男たちの哄笑が響き渡る。

 何も言うことができず、佐和子は泣きそうになるのを懸命に堪えながら俯いた。


 何も知らない自分が悔しかった。こんなならず者なんかに、知りたくもなかった世界の真実を得意気に披露され恥ずかしかった。


 だが自分のちっぽけなプライドと、この病院にいる患者たちの命は無関係のはずだ。


 なんとかしなければ。でもどうすればいいのか。

 佐和子たちは今、完全に無力だった。



 *



 タケルはその会話の一部始終を聞いていた。

 病院の真上、100メートルほどの高みで、風景に溶け込みながら眼下を見下ろしている。


「馬鹿は馬鹿だが、夢だけは大きいな。それになかなか面白いことを言う……」


 鬼面の奥の目を細ませる。

 病院内部の様子は、タケルには筒抜けだった。


 ――魔素情報星雲エレメンタル・クラウド

 主に風と魔素を多量に含んだ魔力――、目には見えない霧が病院全体を包み込んでいた。


 精霊とは魔力と魔素によって構成された情報生命体であり、魔力とは情報的質量すら内包した通信波の役割も併せ持つ――という仮説を元に、空気中に最も多量に含まれる風の魔素に魔力を付加し、魔素励起状態にしたものをタケルは魔素情報星雲エレメンタル・クラウドと名付けた。


 これを用いて真希奈はインターネット回線への接続したり、各種通信波への干渉が自在に行えるようになるのだ。タケルが考案した非常に汎用性の高いオリジナルの魔法だった。


 常人には見えない魔素情報星雲エレメンタル・クラウドは、タケルの目や耳、皮膚となり、あらゆる情報を教えてくれる。


 建物の内部構造の把握はもちろん、非戦闘員の有無、武装したテロリストたちの武器の種類まで、必要な情報の何もかもをタケルは見ることができ、それらの取捨選択はすべて真希奈が行ってくれていた。


『タケル様、どうされますか』


「もちろん助けに行くさ。奴らの無線は妨害しているな?」


『はい、既に無力化済みです。無線も電話もインターネット回線も10分前から使用不能にしてあります。あの建物の周囲は完全に情報孤立状態にあります。ですが、そうではなく、タケル様はあのテロリストたちに賛同の意を示されていたように見えましたが?』


「賛同なんかしてないさ。奴らが人質を取った動機をペラペラ喋ってくれていたから黙って聞いていただけだ。そして一応スジは通っている。行き当たりばったりの考えなしどもじゃなかったのは幸いだ。金への執着もあるから人質も当分は安全だろう」


『そうでしたか……。例えタケル様が世界を滅ぼそうとしても、真希奈は唯々諾々と従うでしょう。きっとタケル様に滅ぼされる世界の方が悪いのですから。でも――』


「でも、なんだ?」


『恐らく真希奈の心は死んでしまうと思います。そうしなければタケル様の命令を遂行できない可能性がありますので……』


 この世界に誕生し、日々ラーニングを繰り返してきた真希奈にとって、世界とは愛すべき存在へと昇華していた。悲しいこと辛いこと、様々にある世界だが、それより異常に楽しいこと美しいもので溢れている。


 それらを主の意のままに破壊するためには、自分の心を殺さなくてはならない。世界とタケルとを秤にかければ、悩むまでもなく真希奈はタケルを選ぶのだった。


「そんなことはしないよ。僕はごちゃごちゃしてるこの世界が好きだからな。理路整然としている世界だったら、きっと元ニートの僕みたいなのは居心地が悪かったはずだ。清も濁もあるからヒトの世界ってのは面白いのさ」


『それを聞いて安心しました。でももしタケル様が自ら神を名乗られて、世界を征服しようとするなら真希奈は喜々としてご協力いたします! いつでも命令してくださいね!』


「……僕は未だにおまえの価値観がわからないよ。創っておいてなんだけど」


 壊すのはダメだが、世界を支配するのはいいって。一体どうしてこんな子になってしまったのだろう、とタケルは頭を抱えるのだった。


『あ――、タケル様、人質を隔離した部屋から一人外に出ました。通信機の不調に気づいて直接伝令に行ったものと思われます』


「よし、始めるぞ」


『了解しました。虚空心臓内、魔素分子星雲エレメンタル・ギャラクシー散布開始します』


 それまで魔素情報星雲エレメンタル・クラウドに包まれていた病院内部に、常人には見えない極彩色の霧が満ちていく。


 魔素分子星雲エレメンタル・ギャラクシーとは、真希奈を創生する際に発見した、全ての四大魔素エレメントを含んだ魔素励起状態の霧のことだ。


 炎の鮮紅せんこう、水の濃藍のうあい、風の深緑しんりょく、土の真黄しんおうが渾然一体となった極彩色が特徴だ。


 この魔素分子星雲エレメンタル・ギャラクシーの発見はことさら革命ではないか、とタケルは思う。


 何故なら全ての魔素を含んでいるため、全ての属性の魔法に即座に変換することが可能だからだ。


 そこには魔素を集め、魔力を添加し、魔法を発動する――というプロセスが予め省略されている。魔法師の意志力によってどんな状態にも即座に対応することが可能なのだ。


 魔力を注ぎ続けなければやがて消えてしまう存在ではあるが、虚空心臓という内面世界にストックすることが出来るため、今では毎日一定量を精製しては貯めることが日課になっていた。


 そうして常人の目には決して見えない、天の川のようなキラキラとしたせせらぎが敷地内のすべてを満たし尽くしていく。


『魔素選択バルカン。テロリストが携行するAK―47、及びハンドガンのガンパウダーに干渉、炎の魔素を取り除きます。――完了。室内の火器類は全て無力化しました』


 魔素情報星雲エレメンタル・クラウド、そして魔素分子星雲エレメンタル・ギャラクシー


 このふたつを組み合わせることによって、このように特定の魔素を使用できなくすることも朝飯前なのだった。


「それじゃあサクッと倒していくぞ。おあつらえ向きに人質は一箇所に集まっているから、外側から順番に狩っていく。万が一人質に危害が及びそうな場合は目標を随時変更で」


『了解。これより白兵戦に入ります。優先順位を網膜ディスプレイに表示します』


 タケルは真下であくびを噛み殺すテロリストを最初の目標に定めると、その背後に音もなく降り立つのだった。


 続く。

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