ピカレスクinダマスカスの章 プルートーの鎧編

第114話 プルートーの鎧① イリーナ来日〜緊急事態発生

 12月16日 18時00分

【人工知能進化研究所・地下第八ラボ】


 核シェルターにもなるという大型の実験場は今、全職員が立入禁止になっていた。

 何故ならいまこの場所には猛獣よりも遥かに危険なものが安置されているからだ。


 実験場の中央、巨大な貨物コンテナがポツンと佇んでいる。

 延長ケーブルに接続された照明灯が、開放されたコンテナの中身を照らし出している。そこには威容な雰囲気を放つ一領の『鎧』が磔に固定されていた。


 頭部には幾重にも重なった『髪』が生えており、後頭部から首周り、肩などを保護している。


 半首はっぷり面頬めんほうを組み合わせた顔は、静かだが怒りを湛えた鬼面を模しており、胴体と手足は、関節の部分を除きフルプレート仕様。


 人間工学に則り、なだらかな曲線を描く装甲が、筋肉の配置通りに規則正しく並んでいる。


 そしてそのカラーリングは、白銀と漆黒のツートンカラーだ。

 胴体や腕、脚など、正面に妖しく黒光りする漆黒の鎧が配され、それを包み込むように白銀の鎧が配されている。


 漆黒と白銀に彩られたその意匠は、日本の伝統的な戦国鎧からは程遠い印象だ。

 あくまで質実剛健。どこまでも機能性を追求した形をしている。

 無骨で、飾り気など一切ない、本物の戦うための鎧だ。


 これこそが、タケルのために用意された専用の鎧。

 いずれ国家規模の戦力と闘うことを想定したものであり、タケルにしか着こなすことが不可能な鎧である。


 これこそがタケルの新しい力。

 タケル専用の、タケルにしか着こなせない鎧。

 魔族種龍神族の長であり、虚空心臓という破格のスキルを持つタケルが、存分に魔法を使い、100%の実力を出し切るための鎧。


 これまでは――、イリーナ・アレクセイヴナ・ケレンスカヤとの邂逅時に着込んでいた鎧もまた、タケル専用に造られたものではあるが、それはあくまで軍隊なので使用されている防弾ベストなどを流用して作られたもの。


 だがこの鎧にはとある恐ろしいシステムが搭載されている。

 それこそが『プルートーシステム』である。


『プルートー』とはギリシャ聖典に登場し、長くギリシャ政府によって封印されてきた本物の呪いの妖甲である。


 政府の財政破綻によって管理が難しくなった妖甲を、政府はローマ聖庁に管理を一任したはずだったが、何故かカーミラの方にお鉢が回ってきたという代物だ。


 というのも戦後裸一貫でのし上がったカーミラは、会社の運転資金を稼ぐため、世界中から呪いカースのアイテムを収集し、その封印を行うことで財を成したという経験があった。


 当時を知るお歴々の鶴の一声によって、東洋の島国を拠点とするカーミラに厄介払いされた鎧は、「どうせ向こうはさじを投げたのだからバレやしませんわ」というカーミラの一声によって鋳潰され、シルバーチタニウムと合成されてこんな姿になってしまったのだった。


 それもこれも全てはタケルのため……というわけではなく。

 御堂財閥が虎の子の賢者の石をシードコアをポーンとタケルに充てがったことへの対抗心が大方の理由だったりする。


 まさか世界にただ一つの至宝を出してくるとはカーミラも予想できず、故にあの時の本人は衆目がなければ床を転げ回って絶叫したいくらい悔しい思いをしていたのだ。


 ――どのみち、こんな鎧を使えることができるのはタケルくらいしかいない。

 なぜならプルートーの鎧とは、誰でも一度だけ、自分の生命と引き換えに超人になることができる鎧なのだ。


 かつては仇討の時にのみ特別に使用が許可された鎧だが、無限の魔力と再生力を有するタケルならば、その超人的は力を常時発動させて戦うことができる。


 まさか呪いの妖甲も何度でも蘇る不死身の男が装着者になるなど、考えもしないことだろう。


 触れるものすべての命を奪いつくさんと禍々しい妖気を放つ鎧は、自らの生贄が現れるときを、今か今かと待ち続けるのだった。



 *



12月16日 16時10分

【豊葦原学院高等部正門前】


 冬の夕暮れは早い。

 夜の色を濃くし始めた寒空の下、豊葦原学院高等部の正門前には異様な黒塗りの高級車が鎮座していた。


 下校途中の生徒たちは何事かと伺いながら車の横を通り過ぎていく。

 まさかまたなのか……。

 誰もの胸中に一週間前の出来事が蘇る。


 それは突如としてやってきた留学生の関係者と思われる美女&美少女たちによって校門前がとても華やかになった事件だった。


 成華・エンペドクレス・タケルは地味なので論外としても、彼の姉だというエアスト=リアスなどは褐色の肌に輝く銀色の髪がとても美しい少女だ。


 それだけでなく、留学生ふたりが親代わりをしているという、浅葱色の髪をツインテールにした褐色の子供や、それを抱いてやってきた、ゴールドブロンドの美女。


 さらには白紬に艷やかな黒髪が魅力的な美少女と、人間にしては規格外の体格を持つものの顔立ちは美しい女性と。


 まるで彼らのいる周りだけ別世界のような、そんな華やいだ光景を豊葦原の生徒たちの多くが目撃することとなった。


 従って、その時と同じく、黒塗りの高級車が正門前に停車しているのは、十中八九成華・エンペドクレス・タケル関連のことであり、またぞろ車内から美しい女の子が現れるのではないかと、ハラハラしながら見守っているのだった。



 *



「え、ウソでしょ。まさかあれじゃないわよね?」


 高級車の車内。

 後部座席のサイドウインドウに顔をピッタリと貼り付けながら少女が呟く。


 彼女の名前はイリーナ。

 イリーナ・アレクセイヴナ・ケレンスカヤ。


 つい先程自身初となる外国の地――日本は羽田空港へと降り立ち、都会の街並みを車内から堪能した彼女は、この日一番の目的であるタケル・エンペドクレスとの顔合わせにやってきていた。


 イリーナはタケルがセーレスを探す過程で偶然にも発見した本物の天才少女だった。


 長らく彼女は国家によってその存在を秘匿されてきた。

 なぜならイリーナは優秀な遺伝子を組み合わせることで人工的に作られたデザインチャイルド唯一の成功例だったからだ。


 郊外の冬の森から一歩も外に出ることなく、殆ど監禁状態にあったというその情報を元に、タケルはセーレスである可能性が高いと見て突入し、結果、イリーナを解放することとなる。


 イリーナが自由の身となるため、日本から御堂財閥やカーネーショングループなどによる支援や工作といった後押しも手伝い、晴れて彼女はタケルたちの仲間となった。


 名目は日本へのホームステイ&留学という体であり、その受け入れ先は、日本で最も権威ある名家――御堂が行うこととなった。


「ねえねえ、百理ちゃん、タケルの素顔ってどんな感じなの? やっぱりかっこいい? 意外と歳はいってるのかな?」


「あ、ええと……はは、想像におまかせします」


 そう、イリーナはまだタケルの素顔を知らない。

 そして百理を見た目どおりの年齢であると勘違いしている。


 まさか自分を救ってくれたタケルの正体がまだほんの少年とも言える年齢で、そして自分を受け入れてくれた百理が、齢330歳などとは夢にも思わないのだった。



 *



 12月16日 14時00分

【東京羽田空港出入国ゲート前】


「うわあ、すご……!」


 生まれて初めてとなる海外。

 入国審査を終え、人混みでごった返す空港内に降り立ったイリーナは感嘆のため息をこぼした。


 自宅からシェレメーチエヴォ空港まで向かうのも大冒険だったが、そこから上海を経由して降り立った羽田空港は正しく別世界と言えた。


 インターネット中毒であるイリーナは決して無知ではない。

 むしろディスプレイの中でしか見られない外の世界に、生まれてこの方ずっと憧れを抱いてきた。


 そしてついに夢が叶った。

 決して叶うはずがないと思っていた外の世界に行くこと。


 それが叶った途端、画面からは得られない生の情報と体感は、イリーナの天才的な頭脳であっても、パンク寸前になってしまっていた。


 こんなにたくさんのヒトがいるなんて聞いてない。

 色とりどりのショップがあって、どれもこれも目移りしてしまう。

 あ、あれってもしかして――噂のマク○ナルドッ!?


 そんな風におのぼりさんよろしく、イリーナがキョロキョロと空港を見物している時だった。


「もし、イリーナ・アレクセイヴナ・ケレンスカヤさんではありませんか?」


 声に振り向いた途端、イリーナはポカンと口を開けた。

 そこには、まるっきり『お姫様』としか思えないような人物が立っていたからだ。


「ようこそ日本へ。長旅お疲れ様でした。あなた様の滞在中、一切のお世話をさせて頂きます、御堂の使いの者です」


 純白の紬に純白の腰帯。白羽織りは綺麗な水鳥が羽を休めているような美しさで。

 サラリと、会釈をしたお姫様の黒髪が一房肩から零れる。

 顔を上げれば、ニコッと艶やかな笑みを投げられ、イリーナはドキリと胸を高鳴らせた。


「あの、どうかなさいましたか?」


「……私、日本に来たら『サムライ』と『忍者』が見たいと思ったんだけど、真っ先に『お姫様』に出会っちゃった……」


「は? えっと、それは私のことですか?」


「そうだよ! お姫様じゃん! どっからどう見ても!」


 興奮し顔を上気させイリーナは叫んだ。

 なんだなんだと、周りを歩く人々が足を止める。


「あ、でも忍者にはもう会ってたや。タケルの格好ってなんか忍者っぽかったし。あれ? 忍者って主君に仕える戦士のことだから……、もしかしてあなたがタケルのお姫様なの!?」


「あの、タケル様の格好とは一体どのことをおっしゃっているのでしょう」


 周りから注目を集めていることに焦りながら、白紬のお姫様は声量を落としてイリーナへと問いかける。


「あれあれ、最初は頭の痛いコスプレ野郎だと思ってたけど、実はその正体は世界を混乱に陥れる本物の『魔王』だったっていう。なんか全身黒ずくめで鎧っぽくて忍者みたいでしょ?」


「ああっ、タケル様の戦闘服のことですね」


 頭の痛いとはずいぶんだが、あの格好は最新の化学繊維を用いた防弾防炎、衝撃にも耐えられるすぐれものだ。制作に携わった百理の趣味が多少入っていることは否めないが。


「へえ、戦闘服なんだー。なんか逆に目立ちそうな格好だけど。でもでも、タケルのご主人様が実はあなたなんでしょう?」


「はい?」


 百理は数瞬固まり、カア――っと顔を赤くした。


「ちちち、違います! 逆です逆! むしろ私の方がタケル様にはお世話になっているというか、いえ、お世話をさせて頂いているのは今はこちらのほうですが、それはいずれ大きな仕事を果たして貰わなければならないが故の前払いといいますか、そもそもタケル様にはキチンとした想い人もいますしエアリスさんもいますし……」


 百理は途端早口で喋りだした。

 自分がタケルの主君などと、なんて最高の響き……と思う一方で、想い人のために身を粉にするタケルに失礼……とも思ってしまう。


 結果、百理はまるで見た目相応の十代少女のように顔を赤らめて言い訳をしてしまうのだった。


「あ、そっか。本物のエルフを探してるって言っていたっけ。でも私のイメージではあなた



あなたみたいなお姫様を守るために忍者の格好してるって思ったのに。てかそんな理由でも無い限りあんな格好はダサいって思うんだけど……うーん」


「ま、守る? タケル様が私を? ああっ、そんなシチュエーションも憧れますけど、でもどちらかというと肩を並べて共に戦うことのほうが私好みといいますか……」


 会話になっているようでまったく会話になっていない百理とイリーナ。


 ずーっと衆目も構わず勢いで質問し付けるイリーナと、質問される度にその内容のどれかが琴線に触れ、百理は顔を赤くして身悶えるを繰り返している。


 後ろの方で控えていた御堂家の女中たちは、「こりゃまずい」と主を正気に戻すため袖をまくりながら後ろから忍び寄るのだった。



 *



「先ほどは大変失礼をいたしましたイリーナさん」


「私こそゴメンね。初めての海外でいきなりテンション上がっちゃって……」


 御堂が所有する黒塗りの高級車の中で、ふたりは改めて空港内での振る舞いを反省していた。


 結局あのあと、空港のセキュリティが駆けつける事態となってしまった。見目麗しい百理と可愛らしいイリーナの取り合わせは、訪日外国人が手を叩いて喜ぶほどの大盛況となった。


 別室にて、事情を問われた百理たちは、一緒に身分の照会もされることとなってしまうのだが――


「それにしても御堂ってホントすごいんだね、謝ってたよあのおじさん。航空局長だったんでしょう? 普通絶対あんなところにまで出てこない立場の人だよ」


 百理が身分を明かしたことで、総責任者自らがすっ転ぶような勢いでやってきて平謝りをしたのだ。もちろん百理は「非はこちらにありますので」と言って、自分たちを連れてきた職員に責任はないと言い含めていた。


「いえいえ、大したことではありません。家柄が古くて多少が顔が利く程度ですから。それよりもイリーナさん、お腹は減ってませんか? あなたのご事情はよく知っています。何かしたいこと、やりたいことなどがあれば、遠慮せずになんでもおっしゃってくださいね」


 彼女がブリザードに閉ざされた郊外の森でずっと監禁されていたことは知っている。幸いネットのお蔭で知識だけは豊富なようだが、実際いろいろと体験させてやりたいと百理は考えていた。


「うーん、お腹はまだ減っていないかなー。機内食すごく美味しかったし。っていうかしゃべり方固いよ百理ちゃん。もっと普通にしゃべってよ」


「え――、百理、ちゃん?」


 対面型の座席でお互い顔を突き合わせながら、ビックリした顔を見せる百理にイリーナは慌てて謝罪した。


「あ、ごめんなさい。同い年くらいに見えたからつい馴れ馴れしくしちゃった。もしかして日本だと初対面でこんなにフレンドリーなのってタブーなの? 何時頃からなら親しく喋っていいの?」


 天然とは恐ろしい。

 いや、よくよく考えてみればイリーナの反応こそが自然なのだ。


 権謀術数や腹芸に長けた命理母親、あるいは古参の政治家や企業人とばかりやり合ってきた百理に取って、イリーナの裏表のない素直な物言いはとても好ましいと感じていた。


「……こちらこそ失礼しました。少々耳慣れない呼び名だったので驚いてしまっただけです。日本でも初対面だからといって親しくしてはいけないなどということはありません。そうですね、私の方がいささかばかり・・・・・・・イリーナさんより年上ではありますが、どうぞお好きなように接して下さって構いませんよ」


「ホント!? あー、よかった。私敬語とか超苦手なんだよねー。漫画とアニメで覚えた日本語ってだいたい砕けた感じだからさー。っていうか百理ちゃんも私のこと『イリーナ』じゃなくて『イーニャ』って呼んでよ。パーパとマーマにしか呼ばれたくないけど、百理ちゃんは特別ね」


「光栄ですイーニャさん。こちらこそよろしくお願いしますね」


「うーん。まだ固いなあ。でも綺麗な言葉遣いだからそれはそれでいっか」


 ニシシ、と白い歯を見せて笑う亜麻色の髪の少女と、一層微笑みを深くする黒髪の少女(?)。


 イリーナにとっては言わずもがな、実は百理にとっても、こんなに気安くて邪気のない友だちができるのは初めての経験だった。


「ねえねえ、早速なんだけどさ百理ちゃん。教えてほしいことがあるんだよね」


「なんでしょう。私に答えられることならなんでもおっしゃってください」


「ズバリ、タケルってどんなヤツなの?」


 わくわく、ドキドキ、そんな擬音が聞こえてきそうなほど、期待に目を輝かせたイリーナが身を乗り出してくる。


「タケル様、ですか?」


「そう、なんか忍者っぽい格好でいきなり内に突撃してきたり、ブラックホールみたいなの出したり、空飛んだり。もう謎すぎて訳解んないんだけど、でも一番謎なのは本人の素顔なんだよね」


「ごくごく、普通の純粋な方ですよ。こうと決めたらやり通す意思の強さを持った殿方です」


「へえ、百理ちゃんがそう言うなら信用できそう。じゃあさ、なんか一緒にいた真希奈って言う子はなんなの? 多分オペレーターみたいな子だと思うんだけど……」


「ああ、真希奈さんはタケル様の娘です。生後二ヶ月半になります」


「は? 娘? 生後二ヶ月半って……」


「あ、イーニャさんとお会いしたときはまだ一ヶ月半でしたか」


 ニコニコ、と笑みを浮かべている百理に、「そう、そうなんだ……」とイリーナは引き下がった。


「えっと、それじゃあタケルって今いくつなの? 娘がいるってことはそこそこ歳が行ってるのかな?」


「確かまだ15〜16歳くらいのはずです」


「若っ! 嘘でしょ!? あいつ私よりちょっと歳上なだけじゃん!」


 イリーナは「マジかー、まだまだガキじゃん」と自分を棚に上げて頭を抱えていた。タケルに抱いていたイメージが完全に崩れたらしい。


「じゃああいつってば好きな食べ物とか音楽とかなにかな。アニメとか漫画は見るかなあ。日本に住んでるんだったらアニメくらい見るよね? 日本だと今どんなアニメが流行ってるんだっけ?」


 ころころクルクル、とにかくイリーナは表情がめまぐるしく変わる子だった。

 今まで百理の周りに居なかったタイプだ。正しく善なる人間を体現したような彼女に、百理も自然と顔が綻んでしまう。


「それは是非、直接ご本人からお聞きになった方がいいと思いますが……。イーニャさんはずいぶんとタケル様にご興味がおありのようですね?」


「うん。だって私のヒーローだもん!」


「ヒーロー、ですか? タケル様が?」


「そうヒーロー。百理ちゃんはさ、ヒーローってどういうヒトのことをいうか知ってる?」


「申し訳ありません。存じ上げません」


「そっか、じゃあ特別に教えてあげるね」


 頷くイリーナに対し、百理はまたぞろアニメや漫画のキャラクターとタケルを重ねているのだろうかと考えてしまう。だが違った。イリーナの口から出てきた次なる言葉は百理をも唸らせた。


「本物のヒーローはね、絶対、誰にも聞こえないような小さな叫びを聞きつけて助けに来てくれるヒトのことを言うんだよ」


「…………!?」


 世界が滅びかけ、ライフラインが停滞し、極寒の中で死にかけていたとき、イリーナは凍えながら死の恐怖に怯えていた。そんな彼女の目の前に颯爽と現れたヒーローがタケルだった。


 最初はなんて怪しい男なのだろうと思った。

 もともと自分を誰かと勘違いして突入してきたらしいが、結果的にイリーナは、機に乗じて彼女を奪取しようとする勢力から守られる結果となった。


 そしてずっと心の中に閉じ込めていた願い。

 父と母に会いたいという純粋な願いを叶えることができた。


 家族のすれ違いは終わり、親子の絆を取り戻すことができた。

 そればかりか、一生望んでも手に入らないと思っていた『自由』までも手に入れることができた。


 タケルの手を取って滅びの夜を越えたとき、確かにイリーナは救われ、彼女を取り巻く世界は変わったのである。


 イリーナにとって、タケルとは正しく本物のヒーロと言えるのだった。


「あれ、百理ちゃん、どうかした?」


 胸の上に手を置き、百理は固く目をつぶっていた。

 ゆっくりと瞼を開くと、あどけない表情の少女に強く頷く。


「イーニャさんの言葉に深い感銘を受けていました。声なき声を、叫びなき叫びを聞き、救いの手を差し伸べる。そうです、正しくそれこそが本物の英雄と呼ぶべき存在なのです」


 彼女がかつて慕っていた男もまた『目安箱』を設置し、広く町民の声を聞き、救いの手を差し伸べていたものだ。


 百理は何度も頷きながら、力強くイリーナの手を取った。


「イーニャさん、この御堂百理、感服いたしました。まさかこのような歳になってなお、あなたのような少女から教わることがあるなど思いもしませんでした。本当にありがとうございます」


「やだなあ大げさすぎだよ百理ちゃん。それに私と百理ちゃんって2つか3つくらいしか違わないでしょう?」


「そ、そうですね。ええ、そうですはい。コホン」


 百理は咳払いをしながらそっと身を引いた。この少女にだけは実年齢を知られたくない。知られれば彼女は変わってしまう。気さくな、友達のような関係ではいられなくなってしまう。それだけは嫌だと思った。

 

「でさでさ、話は戻るけど、タケルってどんなヤツなのかな?」


「そうですね、私自身もまだそれほど長い付き合いではありませんが、純粋で優しくて、とても魅力的な男性ですよ」


「へえ、言うねえ百理ちゃん。顔は? カッコいい?」


「タケル様は日本男子としてとても凛々しい顔立ちだと思いますが、特別容姿が優れているということはありませんよ。そういう意味ではイーニャさんのご期待には添えないかもしれませんね」


「ええー、そうなの!?」


 やっぱりまだ子供だ。現金な反応をするイリーナに、百理は苦笑した。


「でもね、仮面で顔を隠すキャラって、イケメンか、深い傷跡が顔にないと読者はガッカリしちゃうんだよ?」


「は? ……あの、それは一体なんの知識ですか?」


「私が好きな日本の漫画に書いてあったの」


「……タケル様が顔を隠されているのは、魔法という稀有な力を自在に使うために身分を隠される必要があるからです」


「そうそう魔法! ホントに空も飛べちゃうんだからすごいよね、他には一体どんな魔法が使えるんだろうね!? 相手をカエルに変えちゃったりなんてこともできる!?」


「イリーナさんの知識には著しい偏りがあるように感じられますね。残念ながら如何なタケル様であってもブードゥーの魔術師のようなことはできないかと――」


 そこまで言ってから百理は、自らのおとがいにそっと手を当て、しばし黙考する。現在の彼女たちは特に目的地があるわけではない。


 イリーナからのリクエストに即座に答えられるよう、都内を車で巡回しているだけだ。ならば――


「イーニャさん、もしよろしければこれから直接タケル様に会いに行きませんか。実は夕方から御堂が所有する『人工進化研究所』において、新しい『鎧』のお披露目を行う予定なのです」


「鎧? ……っていうとあの忍者みたいな格好のこと?」


「はい。イリーナさんはすでにご存知でしたね。いかがでしたか、タケル様の戦装束は?」


「そうだねえ、ちょっと機能性を重視しすぎてて見栄えが悪いかなあ。私『ニンジャスレイヤー』のフジキドが好きなんだけど、黒一色って良くないよ。うん、良くない。私だったらもっと細かいディティールにまで凝っちゃうかなあ」


「な、なるほど……。少々イーニャさんの日本語は私には難しいようです」


 サブカルチャーは誇るべき文化だと認識している百理だが、本人はそちらのほうには全く詳しくない。正直イリーナの言っていることはちんぷんかんぷんなのだった。


「難しいって、日本人は百理ちゃんのほうでしょう、変なのー!」


 イリーナは手を叩きながら身体を揺すって大笑いした。

 同年代と(思い込んでいる)百理と話すのが楽しくて仕方ないのだろう。


 かごの中から解き放たれたばかりの小鳥が、いざかごの外に出たはいいが、宿り木への留まり方ひとつにも喜び、ピーピーと鳴いて羽ばたいている状態なのだ。


 いずれ時間が経てば相応に落ち着いていくだろう、と百理は思い、今は彼女の好きにさせようと思うのだった。


「とりあえず、今の時間、タケル様はまだ学校におられるはずです。そちらに向かいましょう」


「へえ、学校かー。もしかして昔の番長みたいに全校生徒を支配してたりする? いやいや、結構頭が切れそうだったから生徒会長になって正々堂々とみんなを言いなりに……」


 いささかならず、イリーナの知識は偏りが激しいようだ。

 あまりに期待が膨らみすぎていざ本人を目の当たりにした時に爆発してしまわないだろうか……?


 そんな百理の不安をよそに、車は豊葦原学院高等部へと向かうのだった。



 *



 12月16日 午後19時10分

【人工知能進化研究所地下、第八ラボ監視所】


「百理様、ちょっとよろしいですか。なんか御堂の本家から急ぎの用件らしいですよ?」


「はい? 私にですか?」


 安倍川マキ博士から受話器を差し出され、百理はたおやかな手でそれを受け取った。


 今まさに監視所内には、今日この日を待ち望んでいたフルメンバーたちがそろっている。


 エアリス、アウラはもちろん、スポンサーであるカーミラとベゴニア、百理。そして特別ゲストであるイリーナである。


 先程までは不機嫌の固まりになっていたイリーナであるが、今は興奮を隠せない様子で、強化ガラスにへばりついて下の『鎧』見つめている。


 実験場には搬送用コンテナに乗せられた張り付けの『鎧』と、そしてその前にエントリー寸前のタケルが立っていた。


 常人ならば近づいただけで気力を根こそぎ奪われてしまう魔なる妖甲『プルートー』を組み込んだ鎧。


 以前のタケルだったら、鎧の着用はできても、その力を十二分に引き出すことは叶わなかっただろう。


 人工精霊・真希奈というオペレーションシステムを完成させたことにより、虚空心臓から生み出される魔力、そして魔素への干渉を意のままにコントロールできるようになったタケルは、魔法世界はもちろんこの地球上においても、比肩するものが誰もいない最強の魔法師となった――はずである。


 本来タケルは自分の有り余る魔力を使って身体能力の強化に転用しようとしていた。真希奈の補助を受ければもちろんそれは叶うが、プルートーの鎧を纏うことにより、さらなる運動能力と防御力を同時に得られるはずなのだ。


「ふん。どんなに鎧がカッコよくっても、中身があんなに地味なヤツなんて認めないんだから」


 唇を尖らせたイリーナがブツブツとひとりごちる。

 案の定というかなんというか。イリーナと素顔のタケルとの邂逅は、百理の予想通りこじれる結果となったのだ。


 豊葦原学院高等部の校門前に横付けされた車の中でイリーナは、ウインドウ越しに流れる生徒の波の中、どれがタケルなのだろうかと胸踊らせていた。


 あ、あの男子生徒、キリッとしててカッコいいかも。

 お、あの人も不良っぽいのがワイルドでいい感じ。

 うーん。あのチャラそうな男だったら嫌かなあ。


 車を眺めながら通り過ぎていった三人組にそのような感想を抱きつつ待つこと暫し。ついに邂逅のときはやってきた。


「んん? なにあの野暮ったい感じのヤツ」


 髪は伸ばし放題で野暮ったい感じだし、ダサい瓶底のメガネをかけている。

 いやあ、さすがにないでしょう、あれは違うでしょう。

 あー、早く私のヒーローさん現れてくれないかなあ……などと思っていると――


 あれ、なんかあのキモいのこっちくる。

 ちょっと百理ちゃんの車に近付かないでよ。

 うわ、立ち止まった。最悪。間近で見るとやっぱりTHE平凡って感じ。

 なに、なんでマジックミラー越しなのに私の目を見てくるの?

 ヤダヤダ変態、ドア開けないでよ! あっち行ってーッ!


「久しぶり。イリーナ・アレクセイヴナ・ケレンスカヤ。日本へようこそ」


「クーリングオフで」


 バタン、とタケルが開けたドアを締め直し、イリーナは革張りの座席シートに突っ伏した。


「???」と振り返るタケルに向けて百理は「ああ、やっぱり」と頭を抱えるのだった。



 *



「はい、お電話代わりました百理です……――はい?」


 不意に大きな声を出した百理に室内の全員が注目した。


「はい、はい……何ですって!?」


 そのタダ事ではない声のトーンに、イリーナは不安そうに百理を見つめた。


「ここでは埒が明きません。今直ぐそちらに向かいます。表に車を回して下さい」


 受話器をマキ博士に渡し、百理は室内の面々をぐるりと見渡し、イリーナに向かって頭を下げた。


「大きな声を出して申し訳ありませんでした。私、急な用事が入りましたのでこれで失礼させていただきます。イリーナさん、申し訳ありませんが後ほど迎えを寄越しますので、その者の指示に従って下さい。では失礼――」


「百理ちゃん!」


「はい。どうかされましたか、イリーナさん」


「その、大丈夫? なんか辛そう……」


 一見すれば百理はいつも通りだった。

 だが常にある柔らかな雰囲気が、今はピンと張り詰めてしまっている。


 百理は笑ったようだった。

 口元だけ無理やり持ち上げた不自然な笑みだった。


「問題ありません。失礼します」


 簡素に告げると百理はパタパタと草履を鳴らして退室した。

 楚々と歩くのが常の百理が足早に。

 それだけで何か異常事態が起きていることがわかった。


「カーミラ様、こちらを」


 ベゴニアが一礼し手を差し出す。そこにはスマホが。

 画面を一瞥するなり、カーミラは腕を組んで険しい顔をした。


「まあ、これは……。マキ博士、ちょっとそこのテレビを点けてくださいな」


「テレビ? チャンネルは?」


「どこでも結構ですわ」


「カーミラ殿、一体どうしたと言うのだ?」


「ちょっと、これは大きな事件になりそうですわね」


 監視所内の大きなディスプレイに民放のバラエティ番組が映る。

 だがそこにはL字型の字幕で緊急速報が表示されいてた。


『シリア国内NGO系医療チーム、武装勢力に拘束……邦人も多数人質に』


 プルートーの鎧を前にしたタケルもまた、真希奈から同様のニュースを受け取っていた。


 そして拘束された邦人には御堂財閥――百理が支援し推薦した医療スタッフたちが複数含まれていた。


 国内外を揺るがす大きな事件が幕を開けた――

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