友達ができました?編

第111話 友達ができました?① 甘粕士郎~お巡りさんコイツです

 嵐の留学生、成華・エンペドクレス・タケルが豊葦原学園高等部にやってきて一週間。実は、彼の在籍する1年E組は、もともと問題児が集まるクラスとして有名だった。


 甘粕士郎あまかすしろう


 針生清次はりゅうきよつぐ


 星崎一平ほしざきいっぺい


 三人寄ればとかくトラブルを呼びこむとして、全校の教師や生徒たちからは恐れられているのが彼らなのだ。


 甘粕士郎は常識人の皮を被った非常識人だった。


 一見物静かな男ではあるが、それは寡黙などではなくムッツリだからだ、とは針生清次の言である。自分の中に確固とした世界観を持っており、それを否定する一般常識を悪と断じてしまうような頭の痛い男である。


 おまえは生まれてくる時代を間違ったと、彼の祖父は大層嘆き、世が世なら革命家と持て囃され、だが現代では電波や厨二などと蔑まれてしまう孫が不憫だと涙したとか。


 そんな彼は、時にクラス全員を唖然とさせてしまうような問題行動を起こすことがままあるのだった。


 針生清次は三人のなかでは一番わかり易いトラブルメーカーだった。


 とにかく短気で喧嘩っ早い性格であり、これまで受けた生徒指導の数は校内トップホルダーである。何か武術の心得があるらしく、上級生や他校の生徒との間で喧嘩沙汰を起こし、停学を食らったこともあった。


 だがクラスでの評判は意外と悪くない。

 誰かれ構わず暴力を振るう、などということはなく、イジメにも加担はしない。


 決して正義の味方というわけではないが、独自の正義感に基づき清く正しく拳を振るう男として有名なのだった。


 星崎一平は一番頭の痛いトラブルを巻き起こす。即ち女性関係のトラブルである。


 ナンパな性格の持ち主であり、積極果敢に好みの女生徒にアタックしては玉砕するを繰り返している。


 あまりにも節操がないので、開校以来初となるナンパによる生徒指導室への呼び出しを受け、そこで言い放った彼の言葉はあまりにも有名だ。


「大手を振って堂々と女子高生をナンパできる機会は高校三年間しかないんや。先生らの話は卒業してから聞いたるわ。ああ、でもずっと留年して高校生やったらなんぼでもナンパできるなあ」と。


 この言葉を聞いた後、在りし日の青春を無駄にしたと生徒指導教員が涙を流したとかないとか。


 そんな一見個性も性格もバラバラな三人はいつも一緒にいることが多い。

 甘粕のとんでもない大ボケを、針生と星崎で突っ込み締める、というトリオ漫才のようなスタイルを確立し、周りからは無二の親友同士として認知されているのだった。



 *



 ――みなさんはじめまして。成華・エンペドクレス・タケルです。


 ――はい、本名です。

 この名前、正直面覚えにくいですよね、長ったらしいし。


 僕はもっと短くして成華タケルでもよかったんですけど、エアリスが――あ、エアリスっていうのはその、僕の従者みたいな女の子でして、ええ。


 ――え? エアリスですか。ええ、まあかなりの美人です。

 はい? 僕から見て彼女の印象、ですか……ええと。


 褐色の肌にちょっと蒼みがかかって見える銀髪の女の子ですね。見たままというか、ええ、冗談みたいに綺麗な子だと思います。


 ――おっぱいって……。

 まあ大きいですよ。いや、具体的なサイズは知らないですけど。

 でも普通の量販店でも店員に問い合わせないと買えなかったとは言ってました。


 ――は? 触ったことがあるか、ですか。

 ないです……いや、裸は見たことは何度かあるんですけど。


 ――いや、事故です。ホントに。

 たまたま僕が風呂に入っていたら彼女が入ってきただけで。


 ――え? ……ええ、そりゃあ綺麗でしたよ。もうこの話はやめてください。エアリスに失礼でしょう。


 ――とにかく、その彼女が言うんです。

「貴様はエンペドクレスをないがしろにするつもりか。堂々と名乗れ」って。


 ――エンペドクレスっていうのは彼女の養父の姓なんです。

 とある事情があってですね、ある世界地域ではかなり有名な彼女の養父の姓を僕も公式に名乗ることになりまして。


 ――いえ、結婚したとかではなくて……まあ、僕も養子になったと思っていただければ。


 ――そうですね、彼女とは血のつながらない姉弟……です。

 はい、かなり最初は邪険にされました。彼女はかなりお養父のことを大切にしていたので、僕の態度が気に入らなかったようなんです。


 ――でもいろいろあって、今はとても良くしてくれています。

 僕の日本での生活は彼女の支えなくしてはありえないですね。


 ――彼女の日本での生活は僕も結構気を使っています。

 というのも、今回の留学は僕の都合なわけですから、遠い異国の地に来て、最初は水が合わなかったみたいです。


 ――はい、今は大丈夫です。彼女も精神的に強くなったようです。


 ――え、まあそうです……。

 校門前に来ていた子供のおかげです。


 ――違います、僕とエアリスの実の子供ではありません。

 あの子はエアリスの姉の遺した子供なんです。

 ええ、不幸なことにアウラを産んですぐに……。

 なのでアウラはエアリスのことを実の母親だと思っています。


 ――そうですね……僕のことも父親のように思ってくれているみたいです。


 ――はい? いや、ありませんよ、アウラの妹の予定なんて。

 というかさっきからエアリスのことばかりじゃないですか。

 僕、自分のことは全然話してな――



 *



 ――エアスト=リアスだ。よくわからんが本日はよろしく頼む。


 ――なに? スリーサイズ? そんなことを聞いてどうするつもりだ貴様は?


 ※しばしの休憩。質問者の入れ替えを行いました。


 ――ああ、謝罪はいい。あの男を今後私の視界にいれなければ許そう。


 ――成華・エンペドクレス・タケルは我が主である。

 どうもこうもない。私が生涯をかけて尽くすべき男だ。


 ――違う。ふ、夫婦ではない。

 ただ、アウラの父親代わりではある。


 ――うむ、校門の前に来ていた子供だ。私の子供だ。

 厳密にはあの子は精れ――いや、えー、私の死んだ姉の娘、だ。そうだった。


 ――昼間は仲間――日本での支援者の元に預けている。

 放課後に迎えに行って、夕飯の買い物をして仮住まいに帰る毎日だ。


 ――そうだ、今はアパート暮らしだ。

 本来タケルはあのような狭い部屋に暮らすべき男ではないのだが、日本では慎ましく暮らす他ない。


 ――ああ、タケルは私の国では王……いや、やんごとなき身分にある。本来なら城住まいが相応しいが、日本では仕方がない。


 ――うむ、そうだ、アウラと私、そしてタケルの三人で六畳一間に暮らしている。


 ――私達は姉弟だ。何か問題があるか?


 ――確かに血はつながっていない。だがそれは問題ではない。私はタケルとの間に家族の絆を感じている。


 ――だが、男としても当然意識はしている。当然だ。あれほどの傑物は滅多にお目にかかれない。


 ――よい、わからぬのは無理からぬことだ。あの男の凄さは私だけが知っていればよい。だが、いずれお前たちにもわかるときがくるだろう。


 ――む。確かに、恋人のような関係を望まなくもないが、だが、今私はあの者の邪魔をすることはできない。あの者には大きな目的があるのだ。この世界でしなければならないことがある。


 ――それは話せない。だが、あの者がその目的を達成するまでは、私は影に日向に支え続けるだけなのだ。


 ――ああ、これで終わりか。ではな、早く帰って夕飯の支度をしなければならないのでな。本日は面白い試みだだったぞ。



 *



「おはよう」


 教室のドアを開け放ち、開口一番に挨拶をする。

 すると教室内にいた名も知らぬクラスメイトたちが「お、おはよう、ございます」「おはようございます……」とおずおずと挨拶をしてくる。


 気まずい雰囲気が漂う。

 僕はそそくさと自分の席に腰を下ろす。


 ヒソヒソ、ヒソヒソ、という噂話が。

 うーん、何を言われてるのか気になるが、ここは知らぬが仏だろうな。


 留学初日の日。

 校門前でやらかしてしまった僕は、エアリスとの婚姻疑惑どころか子供までいる説が全校に流れてしまった。そのせいでみんなはドン引きし、翌日は本当に挨拶も返してくれない有様だった。


 でも、新聞部の取材を受けることで、なんとかそれらの疑惑は解消されたものの、やっぱり同級生たちは僕に対して高い壁を感じているようだ。


 それはそうだろう。

 好きだ嫌いだ、誰々が付き合った別れた、という高校生において、僕とエアリスの関係はそれを越えている。


 家族のような、でも家族じゃないし、結婚しているような、でもしてない。

 子供がいるけど夫婦じゃない、でも夫婦みたい。


 そんな関係がみんなにすんなり受け入れられるわけもなく、結局みんなは僕から距離を置くことで心のバランスを取ることにしたようだった。うむ、実に健全だね。

 

 もういっそ一気に踏み込んでしまおうか。

 断崖絶壁は中途半端に飛ぼうとするから恐ろしいのだ。

 いっそ飛び越えるつもりで思いっきりジャンプしてみようか……。


「エアリスさんとは血はつながってないし、キスはしましたー」


「裸も結構な頻度で見てますし、一緒にお風呂に入ったこともありますー、あと結構な頻度で同じ布団で寝てますー」


「そしたらいつの間にか子供ができて、認知することになりましたー」


「でも僕には他にも好きな女の子がいますー」


 ……言えない。言えやしないよ……!


 死亡確定である。

 僕は一生涯、みんなの記憶に『ド外道キング』や『鬼畜指導者』『エロ大帝』として刻まれることになるだろう。


 ヤブを突けば蛇が出てきて、下手をしたらそこからデス・パレードが始まる可能性もある。つまり、積極的な打開策はないが、現状は現状でまだマシな方だと言えた。


 それにしても。

 本当にこれが、僕のしたかった学校生活なのだろうか。


 いや、エアリスがエアリスがいるおかげで僕の毎日は充実している。

 だがそれと同時に、彼女がいるおかげでみんなからは距離を置かれているのも事実だった。


 エアリスは献身的だった。

 僕の様子を毎休み時間度に見に来てくれ、昼休みには手作り弁当を持参し、放課後は誰よりも早く迎えに来てくれる。


 わかっている。

 エアリスはやっぱり魔族種魔人族という人外種であり、心のなかでヒト種族と一線を引いている。


 そして地球という異世界に於いて、彼女が僕を心の支えにしていることも、何となく気づいていた。


 だから僕は彼女に言えないのだ。


「今日はベゴニア殿から習った『ちゅうか』とやらに挑戦してみたぞ」


 教室に来るの、ちょっと遠慮してくれないかなあ、適度に僕のことをひとりにしてくれないかな、なんて。


「春巻きとやらは上手く出来たと褒められたのだ。さあ、どんどん食べてくれ」


 僕にだけ、こんな無邪気な笑顔を向けてくるエアリスさんには、とてもではないがそんなこと言えないのだった。


「なんだ、先程からこちらを見つめて。た、食べさせて欲しいのか?」


 贅沢だって言われてもいい。

 会話をしていても誰にも嫉妬の感情を抱かれない同性の友達が欲しい。

 エアリスへの罪悪感を抱きながら、僕はそう願わずにはいられないのだった。



 *



「なあなあふたりとも、今度一緒に留学生に声かけへんか。あわよくばエアリス先輩ともお近づきになれるかもしれんし」


 昼休み。

 窓際の席に陣取り、今日もまたふたりだけの空間を作り出している成華・エンペドクレス・タケル、そしてエンペドクレス・エアリス。


 廊下側の席に座る星崎一平ほしざきいっぺいは、仲良く重箱弁当をつつき合うふたりの姿を見つめながら、右隣りの机の上で、弁当をかき込み続ける針生清次はりゅうきよつぐへと声をかけた。


 途端、「バカか」と、針生は弁当箱から顔を上げた。


「おまえ、この間のアレ・・を見てまただそんなこと言ってんのか。相手は人妻だぞ人妻。おまえの出る幕なんてねえって」


 針生の言うアレ、とは一週間前の放課後、校門前が突如としてゴージャスになった事件のことだ。


 エアリスを筆頭に、女優やモデルもかくやといった美女たちが集まり、全校生徒が騒然となったのだ。


 そんな美女たちの中心にいたのが成華・エンペドクレス・タケルであり、その折にエアリスとの間に子供がいる、という噂がまことしやかに流れたのだ。


「あー、いやいや、遅れてるで針生っち。それは誤解やってん。あれはふたりの間にできた子供やなくて、エアリス先輩の身内の子供やったそうよ。ということで僕にもワンチャンあるかもわからん……!」


 冬の高い空から注ぐ陽光。

 それは窓際に座る女神を照らすスポットライトだ。


 逆光の中で神々しい雰囲気を放つエアリスを、熱っぽい眼差しで見つめたまま星崎はそんなことを宣う。


「いやいや、例え子供のことがそうだったとしても、ワンチャンなんかあるもんかよ。見てみろよあのラブラブな雰囲気。お前のつけ入る隙なんてどこにもねえだろうが。諦めろって」


 蝋で固めた鳥の羽で太陽に昇ろうとする友人を諌める。墜落することは目に見えているので、針生は骨を拾うのが面倒なのだ。だが、それでも男という生き物は――星崎一平という生き物は病的なまでに女好きなのだった。


「僕かてね略奪なんてリスクは負いたくないんよ。せやけどエアリス先輩のためやったら後ろから刺されてもいいね。それに見てみい、あの男のことを――」


「あん?」


 あの男がどの男なのかは針生にもわかった。

 成華・エンペドクレス・タケル。

 どこぞの小国の王子様という話らしい。


 日本人の血を引いているらしく、見た目だけは日本人に見えなくもない。

 見えなくもない、というのは見た目の判別が付きにくいからだ。


 身長は高くもなく低くもない。

 体型は太ってもいないし痩せてもいない。


 そんな凡庸な見た目に、厚ぼったいメガネとボサっとした髪が乗っかっているのだ。正直どんな人相なのか、クラスメイトの誰もちゃんと見たものはいないのだ。


「成華くんやったら僕の方が男前やん」


「はっきり言ったな。でも相手は王族だって話だろ?」


「それは将来に期待して貰わんと」


「将来って……」


「エアリス先輩のためやたったら、僕ぁ働くよ。絶対いい暮らしをさせるんや」


「その根性は見上げたもんだがなあ、あの子供はどうするんだよ。ふたりを引き裂いたらかわいそうだろうに」


「そんなん、僕が新しいパパになれば万事解決やん!」


 これ以上は何を言っても無駄か。結局は自身で痛い目を見ないことには学ばないのだこの男は――と、針生はため息をついた。


「まあ、おまえの女好きは昔っからだし、玉砕覚悟で挑むのもいいと思うけどな。でも俺はどっちかって言うと男の方に興味があるな」


 大胆すぎるその発言に星崎は「うえ」っと仰け反った。


「ウソやん、キミそっち側のヒトやったん? あー、非常に残念やけど、僕ぁ友達やめさせてもらうわ」


「友、達……?」


「友達やろ!? 今までの日々を無かったことになってさせへんよ!?」


 食べかけのパンくずを飛ばしながら怒鳴り散らす星崎を無視しながら、針生は自分の弁当を食べ続ける。ホント、たまにこいつとの日々はなかったことにしたいというのが本音なのだった。


「いや、おまえの言動たまにキモいし。割りと頻繁に他人のフリしたくなる」


「甘粕っちに比べたらキモないわい!」


「呼んだか?」


 食事も摂らずにスマホをイジっていた甘粕が顔を上げる。ふたりは声を揃えて「呼んでない(へん)」と一蹴した。甘粕は「そうか」と気にした様子もなく再びスマホに目を落とす。いつもながらもマイペースさに、針生も星崎も「はあ」とため息をこぼした。


「……それで、なんで男の方に興味あるん自分?」


 エアリス先輩に興味を持たれるのも困るが、友人がモーホーなのもそれはそれで困る星崎。主に自分のお尻の安寧のためではあるが。


「あいつな、多分強い」


「なんて?」


「あいつがが最初に学校に初めて来た日の体育、覚えてるだろ」


「ああ、あの変質者が出たやつね。教官室におった佐藤先生、肋骨イッとったらしいね。なんでか被害届出はさへんかったらしいけど」


 針生は「そんなのはどうでもいい」と切り捨てた。星崎にとってもどうでもいいことだった。「ほんで?」と星崎が促す。


「俺、正直すげー怖かったんだよ。あのノッポの女」


 空の弁当に蓋をしつつ、怖いくらい思いつめた顔で針生は告白する。喧嘩自慢の針生がビビっていたとは、星崎には信じられないことだった。


「なんで? らしくないやん針生っち。確かによく見れば美人やったけど、あそこまでゴリゴリのマッチョやと僕ぁ無理やなあ」


 みんなの印象に残っていることと言えば、やたらと長身で筋肉質だったことくらいだ。だがそれが普通の反応なのだと針生は思う。


「お前にはわかんなかったか。正直俺はあの女が『騎馬立ち・・・・』やったとき、すげえって思ったし、おっかねえとも思った。なにせ初めてだからよ、うちの道場の先生より強えヤツに出遭うのは」


「ほー。キミんトコの鬼みたいに強い空手のセンセよりもかいな。ほんで、あの留学生も強いて?」


「多分な。本人は誤魔化してたけど明らかに関係者っぽかったし、あいつもなんかやってるみたいだしよ」


「針生っちと同じ空手かねー。それとも自分の国の伝統武道かね。正直僕には理解できへんね。痛い思いしてまで強うなりたいなんて、ハッキリいってマゾやん」


「おまえはおまえで少しは鍛えろ。ヒョロいくせしてなりふり構わないで向かって行くくせに」


「余計なお世話や。……それより、甘粕っちはさっきから随分と大人しいね」


「ん。俺の言葉が必要か?」


 並べた机の一番廊下側。ひとり未開封の惣菜パンを片手に黙々とスマホをイジっていた甘粕士郎がキリリと顔をあげる。


 見た目は割りと男前なのだが、ここ数ヶ月でそれが擬態であることがバレてしまい、もう女子生徒は誰も彼に近寄らない有様になっていた。


「いやいや、ええんよ。キミはエアリス先輩にも、男の留学生に興味ないもんね」


「いやあるぞ」


 キリっと、これまたえらく真面目くさった表情で甘粕は頷く。

 針生と星崎も驚いた表情でお互い顔を見合わせる。


「ほーう。そうか、ついに甘粕が女に興味を持ったか。こりゃあめでたいな」


「敵なん? キミも僕のライバルになってまうん?」


「いや、俺はあの時いた小さい女の子が可愛いと思う」


 ガダン、ガダダッ、と針生と星崎が仰け反った。

 そんなふたりの様子に「ふ――」と甘粕は余裕のある笑みを見せた。


「おまえらは勘違いしているようだな。俺はただ単に子供が好きなだけだ。将来は幼稚園教諭と小学校教諭、そして保育士の資格が取れる大学に進むつもりだ。断じてお前らの考えているような邪な気持ちを抱いているわけではない」


「そりゃ立派な目標だと思うが、TPOはわきまえろよ。のべつ幕なしにそういうこと言いふらしてると誤解されるからな」


「誤解とは何のことだ。俺は単に幼女が好きなだけだ」


「ちょい、微妙に表現変わったで?」


「何も変わっていない。俺の気持ちにブレはない。そしてあの子は天使だった。俺は子供の無邪気な笑顔を見ていたいだけなんだ。子供の笑顔はいい。この世で一番の無垢な宝石だ。そして今ネットを巡回していて、これまた天使に出会った。最近の俺はツイている」


 そう言って甘粕は己のスマホを見せてきた。

 画面にはとある大企業の広告写真が写っていた。


「おい、これって確か女物のブランドじゃ?」


「バカを言うな。同じメーカーの子供服のブランドだ」


「スマホで昼休みに子供服検索してる高校生ってどないなん?」


 針生と星崎の突っ込みに、本人は気にした風もなく画面に見入っていた。


「この広告写真はいい。俺のハートにビンビン来る。街角でこのポスターを見かけたら思わず持ち帰ってしまうかもしれない」


「いや、普通に犯罪だからな?」


「せやで、写メるくらいで我慢しとき?」


「いいからおまえたちも一度心をまっさらにしてこの写真を見てみろ。そうすれば俺が何を言わんとしているかわかるだろう」


 甘粕がスマホを差し出す。

 それは『カーネーショングループ』が最近新たに始めたキッズブランドの広告だった。


「って、おい! この見切れてる女! あそこにいる二年の留学生だろ!?」


「ホ、ホンマや! エアリス先輩の接写……はあはあ!」


「やめろ、臭い息を吐きかけるな。俺の天使を汚すな」


「よくよく見てみりゃ、この写真の子供ってあの時の子じゃねーか?」


「確かにそうや。髪型とか一緒やん。間違いないで」


「なん、だと?」


 甘粕は愕然とした表情で席を立った。

 そしてそのまま、何の迷いもなく窓際のタケルたちの席へと向かった。


「おお、行った」と、針生と星崎は固唾を呑んで見守る。

 ざわざわと、クラスメイトたちも気づいた。甘粕はタケルの席の前に立つと、エアリスの「なんだこいつは」的な視線にも一切物怖じせず声をかけた。


「成華・エンペドクレス・タケル」


「え? ああ、えっと――」


「甘粕士郎だ」


「ああ、甘粕くん。どうかした?」


「質問がある。差し支えなければぜひ答えて欲しい」


 ガヤガヤと賑わっていた教室がしん……とする。

 みんなが触れたくても触れられない部分に触れてくれるかもしれない。

 あいつなら、甘粕の奴ならやってくれるかも。


 そんなクラスの期待を一身に背負っているとは知りもしない甘粕はスマホの画面をタケルへと差し出した。「あ」と小さく漏らしたタケルの声を、誰もが聞き止めた。


「この広告に写っている女の子は、この間キミを迎えに来ていたあの時の子だろうか」


「あ、えっと、それは」


「如何にも。それは我が娘のアウラだ」


「ちょっと、エアリス!?」


 慌てたのはタケルひとりだった。

 エアリスはさも当然というように答える。


「何を隠す必要がある。我らが娘ん晴れ姿だ。ふたりで祝おうと決めたではないか」


「そうだけど、いや、でも」


「それに遅かれ早かれ露見するときはくるとカーミラ殿も言っていたではないか。そうなっても問題ないように取り計らってくれるとも。ならば我らは堂々としていればよい」


「ああ、そうだな。わかってるよ」


「広告?」「なになに?」と、どよめきが広がっていく。


「アウラさんというのか、とても可愛らしい子だな」


「ほう、わかるか甘粕とやらよ」


「うむ。ただのプロモーションを遥かに超えた温かな感情が胸に沸き起こる。きっと天使のような女の子なのだろう」


「無論だ。アウラの可愛さは天上人と言っても過言ではない。ものの道理をわきまえない愚物が多いと思っていたが、お前はなかなか見どころがあるようだな」


 おおお……と、教室が震えた。

 留学生のエアリスがタケル以外の男に興味を持ったはじめての瞬間だった。

 廊下側の席で、星崎がギリギリと歯ぎしりをしていた。


「なに、俺はただ、美しいものを美しいと、愛らしいものを愛らしいと素直に言っただけだ。何も特別なことではないと思うぞ」


 教室内の、タケルに向けられる類の嫉妬が、今は甘粕にも注がれていた。

 それはそうだろう。タケルを除いてエアリスと初めて会話のキャッチボールを成立させたのだから。クラスメイトたちは悔しそうに、そして羨ましそうに甘粕を見ていた。


「すまないが、もう少し立ち入った質問を許して欲しい。アウラさんは本当にキミたちの子供なのだろうか?」


 甘粕えらい! 全員が心のなかで賛辞を送った。


「いや――」


「いや、確かに血は繋がっていないんだ。事情があって僕とエアリスがもっと小さい頃から親代わりをしているんだよ」


 その場に居た星崎含め(針生除く)男子全員が心のなかでガッツポーズを取ったのは言うまでもない。


「そうだったのか。あんな可愛らしい女の子の父親を務めるとは……高校生という身の上で色々と大変なのではないか?」


「いや、確かにそうかもしれないど、誰かにこの役目を譲るつもりはないよ。なんてたって僕が父親だからね。エアリスが望み、アウラがそう慕ってくれる限り、僕はそれをやめるつもりはないんだ」


 タケルは知りもしない。

 この時、女子生徒たち(エアリス含め)の好感度が急上昇していたことを。


「そうか、ではキミで間違いないようだな」


「うん? 甘粕くん、さっきからなにを――」


「アウラさんを俺にください。娘さんと結婚させてください」


 土下座だった。

 高校生が昼休みに同級生を父親と呼び、床に額を擦り付けていた。

 あれほどまでに和やかだった教室の雰囲気が寒風吹き荒れる12月の外気と一体化した瞬間だった。


「…………」


 エアリスは立ち上がると、無言で甘粕の後頭部にカカトを落とした。

 メシッ――と、洒落にならない音がして床にヒビが入る。

 ダラーっと血の海が広がったが、教室中はまるでゴミでも見るような目で甘粕を見下ろしていた。


「す、すまん、ちょっと通らせてくれ」


「みんなごめんやで、ご飯続けてな」


 骨を拾う、というより残飯を処理するような気持ちで、針生と星崎は甘粕を廊下に引きずっていくのだった。


 甘粕士郎の女子からの好感度は、未来永劫上がることはなくなった。

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