第110話 また別のプロローグ セレスティア~水の精霊魔法使い

 *



『アクア・ブラッド希釈開始。アクア・リキッド精製順調』


『希釈純度80%。適合率問題なし。新記録です』


『やあマリア、気分はどうです?』


『別に悪かないよ。でもこれで強くなったことになるのか?』


『もちろん。今のあなたは超人です。人類を遥かに超越した存在です。その状態で魔力を巡らせればより高い身体機能を得られるでしょう』


『そっか……なんだか空恐ろしいね』


 オッドアイことアダム・スミスの誘いを受け、とある米軍所有の研究施設にて、マリア・スウ・ズムウォルトは初めてとなるアクア・リキッドスーツの着用を果たした。


 魔力に適合性のある者ばかりを集め、入念な適合試験を経ているとはいえ、マリアは最初から拒絶反応もなく、ごくごく自然にスーツの機能を受け入れいている。


 エースになる。

 それがマリアが入隊を志願した時の目標だったが、すでにこの時点で彼女のナンバーワンは揺るぎないものとなっていた。


「さて、マリア。本来なら色々と計測実験を行いたいところなのですが、あなたには特別なプログラムをご用意しました」


『それは痛みいるね。いいよ、なんだってやってやるさ』


「実に頼もしい。ではさっそく、あなたにはとある人物と戦ってもらいます」


『なんだ、またあんたが相手してくれるの?』


「まさか。その状態のあなたと私が戦ったら勝てるわけがありません。ご安心ください、対戦者は彼女・・です」


 室内に建造された大きな地下実験場。

 奥に設けられた両開きの扉が重い音と共に開閉される。

 人影がゆっくりと姿を現した。


『告白するとですね、特別プログラムというか、これは通過儀礼なのです』


「通過儀礼?」


『はい。あなたはそうでもないようですが、大抵の子はスーツを着用するとバッドトリップして慢心する傾向が強いんです。私はすごいんだ、強いんだ、なんでもできる超人になったんだ、とね』


「ラリパッパなわけね」


『こほん。それでまあ上には上がいるぞ、と知らしめるため、あとは主に彼女のストレスのはけ口になって欲しくて。つまり何が言いたいかというと――マリア、あなたがどれだけ彼女に食い下がれるか、私達一同は今日のランチを賭けているわけです』


「そこまでハッキリ言われちゃあ、是非とも全員に大損してほしいね。胴元のアンタはあとでぶん殴るけど」


『なぜわかったのですかっ!?』


 薄暗い試験場内で、マリアはその人物を改めて見た。

 そして驚く。

 なんて美しさだ、と。


 流れるような金色の髪。

 怖気を誘うほどの美貌。


 背丈は長身のマリアよりも更に大きい。

 手足は長く、体つきは女性的な魅力に溢れている。


 だが何より驚いたのは、彼女の恰好だった。

 スーツを着用したマリアを相手に、白色のフリルがついたワンピース姿。


 おまけに足元は踵の高いヒールブーツである。

 とてもこれから戦おうという者の服装ではなかった。


「おいおい、大丈夫なのか、スーツなしのヤツと戦っても」


『問題ありません。何故なら彼女にはあなたや我々にはない、更なるアドバンテージがありますから。――セレスティア・・・・・・


 セレスティアと呼ばれた美女は、監視所に陣取るアダム・スミスを見上げる。


『本日の相手は彼女です。あなたから見てどうですか彼女は?』


 翡翠の瞳の奥がマリアを見つめる。

 一瞬気圧されそうになるマリアだったが、グッとこらえて睨み返す。

 そうして気づいたが、彼女、耳が異様に長い。ピンと先端まで尖っているではないか。


「相手が誰でも関係ないわ。あなたたちはみんな、等しく弱い」


「言ってくれるじゃないか」


 闘争心を刺激されたマリアがファイティングポーズを取り、全身に魔力を巡らせる。


 スーツの表面に配されたアクア・ブラッドラインが輝き、希釈されたアクア・リキッドがほんのりと水色の光を放つ。


 すごい。いつもより以上に魔力が昂ぶってくる。

 さらに魔力を注げば、まだまだ強くなれそうだ。


 セレスティアもまた、そんなマリアを驚いた様子で見つめていた。


「へえ。今までの子とは少し違うみたい。訂正するわ。ちょっとだけ本気を出してあげる――」


 ブワッ――っと、スーツ越しにとてつもない圧力を感じた。

 それが体感できるほどの膨大な魔力だと気づいたマリアは目を疑う。

 見える。セレスティアの周囲に、幾本もの水色の蛇がゆらゆらと蠢いている――!


「おいおいおい、何だよそれは――!?」


『マリア、言い忘れていました。彼女の名前は『セレスティア』。我々の協力者であり、アクア・ブラッドは彼女が齎してくれたものなのです」


 聞いてない。アクア・ブラッドとは本物の魔法だと常々アダム・スミスは言っている。ということはつまりこの女の正体は――


「そして見えますね、彼女の周囲にある水の蛇の姿が。気をつけてください。彼女は本物の魔法の使い手です。あの蛇一本一本は高密度のアクア・ブラッドで形成された変幻自在の鞭です。ではではグッドラック』


「へっ――、確かにスーツ着用後にこんなバケモノと戦わせられたら、増長してる暇なんてないなあッ!」


 幾十、幾百に及ぶ水の蛇がマリアに襲いかかる。

 竦みそうになる心を叱咤し、マリアは一直線に駆け抜ける。


 そして束になった蛇の先頭集団に向けて渾身の右ストレートを撃ち放った。

 ガインッ――と、金属と金属がぶつかり合うような凄まじい轟音が響いた。


「硬えッ!」


 それでもマリアは次々と拳打を繰り出し、襲い来る蛇の軌道を逸らすことに成功する。ジリジリとすり足で距離を詰め、必殺の一撃を繰り出さんとセレスティアへ肉迫していく。


「オラオラどしたっ! その綺麗な顔ぐっちゃぐちゃにしてやんぞ――!」


 ついに、拳打の有効範囲にたどり着いたマリアが拳を振りかぶる。

 セレスティアはニッコリと、同性でも惚れ惚れするような笑みを見せ、言い放った。


「おバカさん」


「あ?」


 スカっと、拳が空振った。

 いつの間に絡みついたのか、両足首に水の蛇が絡みついていた。


 マリアは成すすべなく持ち上げられ、さらに振り回され、壁に向かって放り投げられる――!


「おおおおッ――!!」


 実験場の中央から壁際までふっ飛ばされたマリアは、激突する瞬間、空中でくるんと猫のように身体を丸め込み、壁を足場に着地をする。


 メシィ――っと衝撃吸収材がブロックごとたわむ。

 その瞬間マリアは全身を弾けさせ大跳躍した。


『マーベラス!』


 アダム・スミスの歓声を聞きながらマリアは拳を突き出した。


 ――あれから無理やり見せられたドラゴ○ボールでこんなシーンがあったなあ――などと思い出し、マリアは気合を声に乗せる。


「つらぬけー!!!  はーっ!!!」


 穿いた。本当に。

 美女の顔面に拳が突き刺さり、マリアの体ごと通り過ぎる。


「ぐああッ――って、え、あれ!?」


 床をゴロゴロと転がり、妙な手応えの残る拳を握りしめ、起き上がる。

 振り返れば、セレスティアの姿が水に解け、崩れ落ちるところだった。


「褒めてあげる。私にふたつ以上の魔法を使わせたのはあなたが初めてよ」


 その声は真後ろから聞こえた。

 振り返ってマリアは全身を硬直させた。


 巨大な――それこそ鯨ほどの大きさもある水の大蛇がマリアを見下ろしていた。

 ヘビに睨まれたなんとやら。マリアは即座に「あ、ダメだこりゃ」と思った。


「ぐッ――がああッ!?」


 次の瞬間、マリアの全身が丸呑みにされる。

 メキメキメキィ――っと体中から異音がする。


 マリアは懸命に大蛇の胴体を内側から殴り殴り、なんとか抜けだそうと試みる。

 セレスティアはそれを見ながら冷酷にあざ笑った。


「無駄無駄無駄ァ――その中はアクア・ブラッドで形成された、いわば別の世界。なんなら今すぐあなたが全身に纏う、ちっぽけなアクア・リキッドを剥ぎとってあげましょうか。生身でどこまで耐えられるかなあ?」


 セレスティアの言うとおり、マリアのスーツから水色の輝きが急速に失せていく。

 スーツの効果がなくなり、途端マリアは息苦しさに悶え始めた。


「苦しい? 窒息するまえに潰してあげる。ぐっちゃぐちゃにしてあげるね――」


 先程までの魅力的な笑みとは違い、酷薄な――それこそ虫けらでも見るような目でマリアを見下すセレスティア。


 掲げた右手を握りこむと、大蛇に囚われたマリアの身体が静止した。

 もがくこともできず、苦悶の表情を貼り付けたまま、マリアの全身が悲鳴を上げる――


「そこまでです」


 セレスティアの肩に手が置かれる。

 アクア・リキッドスーツを着込んだアダム・スミスだった。

 そして周囲には銃火器を構えた同じくスーツを着込んだ少女たちが立っていた。


「ふん」


 セレスティアが鼻を鳴らすと、水の大蛇は消失し、解放されたマリアが力なく床に落ちる。すぐさま待機していた救護班に担架で運ばれていく。


「どうしたのですか、今日はいつになく不機嫌で――」


「うるさいッ」


「おふっ」


 振り返りざま、水球を纏った拳がアダム・スミスに突き刺さり身体がくの字に折れ曲がる。


 銃火器を装備した少女たちに緊張が走るが、結局引き金を引くことができない。

 撃ったところで効果がないことを重々承知しているからだ。


 むしろ今度は自分が標的になるのではないかと恐れ、足蹴にされるアダム・スミスを見ていることしかできないのだった。


「こんなつまんない奴とまた戦わせやがって! いつになったらあの男・・・を連れて来てくれるのよッ!」


「も、目下全力で捜索しておりますが、やっぱり彼はこの時代・・・・にはまだいないのかもしれません――」


「なんですって――!?」


「あなたたち・・を異世界から連れてきた『ゲート』の魔法は不完全なものでした。数年から数十年のタイムラグは仕方がなかったのです。いずれ、いずれ彼も必ずあなたを迎えにくるはずです。だからその時までいい子にしててください」


「ああ、もうイライラする! どけ、雑魚ども!」


 セレスティアの魔力さえ篭った激に充てられ、少女たちが後ずさる。

 体中に魔力の激流を纏ったセレスティアの歩みを妨げられるものは誰もいないのだった。


「殺す殺す殺す――絶対殺してやる、タケル・エンペドクレス――!」


 彼女が口にする名は、今はまだ居ない、そして一年以上先に地球帰還を果たすはずの少年の名前だった。


【ピカレスクinインドネシアの章 歩兵拡張装甲編】了。

 次回【友達ができました?】編に続く。

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