第104話 創生のマキナ④ ケプラー452b〜果てしなく遠い未来の星で

 *


 赤経『19h44m00.89s』

 赤緯『+44°16’39.2”』


 その座標に『未来の地球』は存在する。

 1400光年の彼方、『G型主系列星ケプラー452』という恒星を公転する太陽系外惑星、『ケプラー452b』がそれである。


 ディスカバリー計画によって生み出された『探査衛星ケプラー』が発見した『ケプラー系列惑星』のひとつであり、現時点で最も地球に近い惑星だと言われている。


 太陽によく似た恒星の生命居住可能領域ハビタブルゾーンに存在し、大きさは地球の1.6倍ほどで、岩石と水に囲まれた惑星として『地球のいとこ』などと呼ばれている。


 だがその正体は――


「これは――やっぱりか」


 船外宇宙服に身を包んだタケルは、遥かな空の高みから自由落下しながら、未来の地球の姿を見ていた。


 分厚い雲に閉ざされた大気圏内。

 それでも雲海の隙間からは容赦なく、強烈な光線が地表に降り注いでいる。


 地表――海は、まさに釜茹での状態だった。

 ドロドロに溶けた重金属や岩石の成分が泡立ち、そこから発生した金属雲が星の全てを覆い尽くしてしまっている。


 大気中の温度は実に摂氏400度以上。

 生物など存在し得るはずもない、まさに地獄の星だった。


「これが未来の地球の姿……!」


 主星ケプラー452は『赤色巨星』だった。

 現在から数十億年後の未来、太陽もまた『赤色巨星』になる運命にある。


 核融合をするための水素を使い果たし、空っぽになった中心核は自己の重力で収縮、その時に放たれる重力エネルギーによって、恒星の熱量は増大する。


 いわば消え行く前のろうそくの炎のようなものだ。

 重力エネルギーによって、外層部の核融合反応が加速され、恒星が膨張していく。

 これが『赤色巨星レッドジャイアント』と呼ばれる現象である。


 増大された恒星に晒されれば、当然惑星の温度は上昇する。

 海水は蒸発し、分厚い雲となって地表を覆い、その時点では、ある程度の気温上昇を抑制する。これを『反射能アルベドの増加による負のフィードバック』という。


 だが、やがてその負のフィードバックの限界を超え、外部から照射される恒星の光が強まり続ければ、気温は際限なく上昇し続けてしまう。


 極点の氷は融解し、すべての地表を洗い流して、文明の一切合切を破壊し尽くして無人となった惑星は、それでも延々熱せられ続け、地表の海水が完全に蒸発してもなお温度上昇が続いていく。


 この状態を『暴走温室効果状態』という。


『赤色巨星』と化したケプラー452は誕生から60億年が経過しており、太陽より10数億年は年上だ。


 つまり、現在のケプラー452bは、果てしなく遠い未来の地球の姿だと言えるのだった。


 *


「エアリスのやつ、怒ってるかな。でもこんなとんでもないところになんて絶対連れて来られないよ……」


 僅か数十分前。

 タケルは人工知能進化研究所地下、第八ラボにいた。


 爆睡を決め込んでしまったマキ博士に代わり、彼女の助手である秋月楓の導きで、核シェルターにもなる広大な実験スペースにタケルは立っていた。


『あの、これから何をするつもりなんですか……?』


 中二階に切り取られた強化ガラスの向こう、監視所からマイクを通して、秋月楓は呼びかけた。


 楓は細面で背が低く、少々青白い顔色をしているが、メガネを取ればかなり可愛い顔立ちをしている。そんな彼女は、今は不安を隠し切れない様子で、ラボのど真ん中に立つタケルを見下ろしていた。


「ここで万が一事故があったらいけないので、誰にも迷惑にならない場所に行こうと思います」


 ずんぐりむっくりとした宇宙飛行士用の耐熱耐圧服に身を包み、ヘルメットを装着しながらタケルは言った。


 宇宙服を見ていると聖都で再会したセーレスを思い出す。

 そう、これは彼女へと至るための大きな一歩なのだ。

 必然タケルにも気合が入る。


 ワーカーズハイとでもいうのか、連日の徹夜で疲れているはずなのに、先程まであった精神的疲労も今は感じなくなっていた。


『誰にも迷惑にならないって……、先ほど聞いていた星系座標とか全然関係ないですよね? ウソですよね……?』


「そうですね、まあ正確な座標なんて聞いてもわからないので、だいたいの距離と方角さえ教えてもらえばあとは自分で探してみますんで」


『は、はあ……?』


「それじゃ――開門」


 タケルの手の中に生まれる無垢なる刀身――聖剣。


 それを大上段から振り下ろすと、眼前の空間が切り取られる。

 断絶した空間は左右上下にズレていき、中心からブワッ――と、ここではない異なる景色が広がった。


 そこは星の海だった。

 光が瞬き、銀河が渦巻く宇宙空間。


 聖剣の祠で開いたように、ここではない別の場所へ赴くための異界の門――『ゲート』をタケルは開いた。泡を食ったのは楓だった。


『え、ええええッ――!? 時空震!? 空間断層!? 重力震!? 宇宙放射線まで計測されてる――!? ななななな、何してるんですかあなた―!!』


「大丈夫です。このゲートは完全に僕の制御下にあります。警報を止めてください」


『ふえええ……、この子見た目は普通なのに超コワイよう……』


 グスグスと鼻を啜りながら思わず本音を漏らす楓。

 まあそれが当然の反応だろうな、とタケルは思う。


 彼女は生粋の人間だし、マキ博士とは違い、ごくごく真っ当な感覚の持ち主なのだろう。


 タケルは目の前に広がった宇宙空間を凝視する。

 龍神族に備わった高次元・量子世界すら認識する『龍慧眼』を用い、該当する惑星を探す。


 北天の有名なはくちょう座。

 まず十字に並んだ北十字星ノーザンクロスを探す。

 さらに夏の大三角形のひとつである一等星デネブを見つける。

 その奥――数多の恒星の中から条件にマッチする惑星を探索する。


 ヒントは四大魔素エレメントだ。

 地球と近似の惑星であるならば、膨大な魔素の存在を感知できるはず。

 そうして、とある恒星系の生物居住可能領域ハビタブルゾーン内に該当する星を見つける。


「よし。炎、風、水、土、全部ある……!」


 地球から距離にして約1400光年。

 光の速度、時速10億8000万キロというとてつもない速度でも1400年もかかる場所に、『ケプラー452b』はあった。


 タケルは更に聖剣を用い、雲海にすっぽり閉ざされた惑星付近にゲートを開く。

 あとはここにダイブするだけだ。


 ゴクリ、と喉を鳴らす。

 恐怖は当然のようにある。


 だが、地球と同じく膨大な四大魔素エレメントが存在し、誰にも迷惑がかからない場所など、すべての生命が死滅してしまった星しか思いつかなかったのだ。


 ここでなら、自分は他者を気にすることなく思う存分魔力を使うことが出来るはず。その結果、万が一失敗しても、最悪死ぬのは自分ひとりで済む。


 タケルはもう一度大きく深呼吸し、自分が今立っている場所を意識した。

 第八ラボなどではない。多くの生命が生き続けるこの地球に意識を向ける。

 自分が帰ってくるべき唯一無二の命の惑星として心に刻みつけておく。

 そうしてひとり集中していると――


「待て。よもや貴様、ひとりで向かう気ではあるまいな」


 まさにいま、『ゲート』に飛び込もうとしていたタケルはその声にギョッとした。

 振り向けば、同じく宇宙服に身を包んだエアリスが立っていた。


「なに、してるんだよおまえ――!?」


「無論、私も行く。貴様をひとり、どこともわからぬ場所にやるわけにはいかない」


「お、おまえなあ……僕よりも遥かに予備知識がないくせに、これから行く場所がどんな場所かわかって言ってるのか!?」


 ヘルメットを脱ぎ、タケルはエアリスへと詰め寄った。

 彼女はタケルから視線を逸らさず「それは確かにわからない」と言った。


「だが、尋常ならざる死地であることだけはわかる。我が主をそんな場所にひとりで向かわせるわけにはいかない。私と貴様は……その、家族だからな」


 強い意志を宿すエアリスの瞳の奥が不安に揺れているのにタケルは気づいた。

 家族だと、そう言ってくれる彼女は、僕が一人どことも知らない場所で朽ち果てることを心配しているのだ。


 本当に異世界に行ってタケル自身も変わってしまったと自覚しているが、エアリスもまた、異なった世界に来て急速に変化した。


 初めて会った時は危うく殺されかけたほどなのに、それが今やこんなに自分のことを想ってくれている。


「はああ〜」とタケルから深い溜め息が漏れる。

 こうなってしまってはエアリスは梃子でも動かないだろう。

 どんな強引な手段を使ってでも、タケルについていこうとするはずである。

 それだけは絶対にさせてはいけない……。


 タケルは自らの足元にヘルメットを置くと、ズイッとさらにエアリスとの距離を縮めた。まるでそらせば負けると思っているのか、彼女はジーッとタケルを見つめたままだ。ならいい。むしろ好都合だ、とタケルは思った。


「なあ、エアリス。あのときのこと覚えてるか?」


「あの時? どの時のことだ?」


「ミュー山脈に行く前に立ち寄った温泉で、お前が僕に裸で迫って告白してきたことだよ」


「なッ――何を、突然何を言い出すのだ貴様はッ!?」


 エアリスの顔が一瞬で赤く染まる。

 その隙を逃さず、タケルはエアリスに顔を近づけた。


「んうッ、――ば、馬鹿者、公衆の面前でいきなり何を――!?」


 タケルはエアリスの肩を押さえつけ、強引に唇を奪った。

 怒ったように身を仰け反らせる彼女だったが、次の瞬間カクンと膝から崩れ落ちる。


「貴様、これはあの時の――!?」


「ああ、お前の身体の自由を奪うために、魂の深奥近くにその辺の雑霊を忍び込ませたんだ……って、よく考えたら別にキスする必要はなかったな」


 湯治場で意気地のない告白をしてきたエアリスに対して、タケルは突き放す意味で身体の自由を奪った。


 雑霊とはどこにでも普遍的に存在している虫などのエーテル体のことであり、見えていないものには一切干渉することができない代物だ。


 だがタケルはそれを意図的に、ヒトの魂の核とも言うべき場所に入れることで、魂そのものを破壊してしまうすべを持っている。


 今回タケルが行ったのは前回エアリスを行動不能にしたのと同様、魂の核ではない、わざと急所を外した場所に雑霊を忍び込ませた。


 ヒトというより大きく強い魂の持ち主なら、本来雑霊に負けることなどなく、しばらくすれば回復するだろう。


 風の精霊によって守られた至高の魂を持つエアリスなら、ものの数分が限界かもしれない。でも、タケルにはそれで十分だった。


 ピューピューとどこから冷やかすような口笛が聞こえてくる。恐らく興奮したカーミラが監視所内でやってるのだろう。タケルは努めて無視した。


「何故だ! 何故貴様はひとりで行こうとする!? 私を放っておかないと、そう言ったのはウソだったのか――!?」


 床に這いつくばりながらも、なんとエアリスはグググっと身体を起こそうとしていた。


「おお、すごいな。あの時は完全に動けなかったのに、やっぱり精霊アウラが目覚めたことで魔法師としてもパワーアップしてるのか?」


「貴様、なにを呑気な……! ことと返答次第で私は――」


 エアリスの掌になけなしの風の魔素が集まる。

 見る影もないほど小さな風の刃が生まれ、彼女はそれを自分の首筋に充てがった。


「貴様に救われたこの生命、もういらぬと言うのならそう言え! ならば今すぐこの場で自害してやろう! アウラを巻き込むのは忍びないが、私と運命を共にしてもらう――!」


「早とちりするなバカ」


 タケルはエアリスの頭をコツンと叩いた。

 生まれて初めて頭を叩かれたであろうエアリスはポカンとした。


 タケルはそんな彼女を抱き起こしながら、その美しい顔を分厚いグローブ越しに両手で挟み込んだ。


「おまえは僕が帰ってくる場所だ。僕はおまえがいるこの地球ほしに絶対に戻ってくる。日本じゃな、古来より女は家を守る存在なんだ。男がどんなに遠くに行っても真っ直ぐ帰って来られるようにな。一緒に行ったら僕が帰ってくる場所がわからなくなるだろう?」


「あ……、うん。そうか、わかった」


 ポーッと顔を赤くしたまま、急にしおらしくなったエアリスをその場に横たえ、タケルは監視所を見上げる。


 鼻息荒く親指を突き出すカーミラに、潤んだ瞳で手を胸の前で組む百理。楓も目元をうるませ、今のタケルの言葉に感動している様子だった。そして――


「征け。そして必ず帰って来い」


 気がつけば、ベゴニアがすぐ傍らに立っていた。

 宇宙服で重量が増したエアリスを軽々とお姫様抱っこしている。

 その腕の中、エアリスは夢見る少女のような瞳でタケルを見つめていた。


 ――思わずキスしてしまったのは景気づけだ。

 恐怖で足がすくんでしまう自分を叱咤するためにエアリスにキスをした。


 でもそのおかげで覚悟が決まった。

 自分の望むものを手に入れて、そして必ずエアリスのもとに帰ってこよう。

 セーレスを取り戻すためにも――


「それじゃあ――行ってくる!」


 全員に向けて叫び、タケルは『ゲート』の中へと飛び込んだ。

 途端、重力の方向が変わり、タケルは目の前の死の星――『ケプラー452b』へと急速に引き寄せられていくのだった。



 *



 大気層に到達すると、展開した魔力バリアーが真っ赤に焼ける。

 断熱圧縮による対流加熱と、圧縮大気層からの輻射熱に晒されているためだ。


 分厚い雲海を抜けると、ついにタケルは人類未踏となる『ケプラー452b』の内部へと突入した。


「うわッ――!」


 突然すさまじい上昇気流が襲いかかり、タケルの身体は錐揉みする。

 魔力の形を調節し、鳥の羽をイメージして大きく両翼に展開する。

 正常に戻ったタケルの視界には信じがたい光景が広がっていた。


「すごい……!」


 見渡す限り一面の海――

 だが、それはタケルの知っている正常な海の姿ではなかった。


 ボコボコと泡だった海面が次々と蒸発し、大気中に分厚い雲を作り出している。

 それでも恒星からの熱線を防ぎきることはできず、地表を容赦なく焼いているのだ。


 雲の薄い部分からは『天使の梯子』どころではない、光のビームが海面に幾本も突き刺さっている。


 大気や金属雲による減損も期待できない、正に死の熱線だ。

 あれをまともに浴びたら、タケルも無事ではすまないだろう。


「これが恒星と共に死を迎えた星の姿……。かつてはここにも知的文明があったのか……?」


『ケプラー452b』の気温は、生命の存在を否定していた。

 船外宇宙服を着ていても熱気が伝わってくる。


 左腕に取り付けられた外部環境サーモスタットモニターには400度という驚くべき数値が出ていた。


「とにかく海に降りるのは不味い。陸地を――どこか陸地を探さないと……!」


 眼前の光景に目を奪われている場合ではないのだ。

 ぐんぐん近づいてくる泡立った海面に着水するわけにはいかない。

 おそらくあれは煮えたぎったマグマのようなものだ。

 一瞬で宇宙服がダメになってしまうだろう。


 タケルは魔力の翼を大きく広げ、遥かな水平線の向こうへと滑空を開始した。

 時に上昇気流により高度を稼ぎ、時に羽根の形を操作してスピードを得るを繰り返していく。そしてついにタケルはその場所を発見した。


 ――果てしなく長い海岸線が続いている。

 本来ならもっと内陸部まで海があったのだろう。


 だが、気温上昇により海が干上がり、広大な海底がむき出しになっている場所がある。


 その先――、さらに内陸に進んだ先に、タケルは『ケプラー452b』の文明の残滓と思われる街の跡を見つけるのだった。


 続く。

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