第103話 創生のマキナ③ 託される想い〜人類未踏の領域へ

 *


 タケルが自分自身で魔法を使いこなすことを目的に発起した『人工精霊創造計画』。


 エアリスやアウラの協力を経て、それは一見、順調にことが運んでいるかに見えた。


 だがタケルの目指すところを汲み取り、理解が深まれば深まるほど、安倍川マキは難色を示すようになっていった。


「タケルくん、科学者の端くれとして、意地もプライドも捨ててハッキリ言わせてもらうわ」


 数日間にも及ぶタケルとの根を詰めた研究結果を発表するため、マキ博士は自分の執務室にタケルたちを呼び出した。


 周りには久しぶりに集まったフルメンバーがいる。

 エアリスとアウラは毎日研究所に来ていたが、カーミラ、ベゴニア、百理などは数日ぶりの顔合わせだった。


 マキ博士の傍らには、もうすっかり慣れたのだろう、彼女の右腕である秋月楓がふわふわ浮いているアウラを興味深そうに見つめていた。


「――わかりました。どうぞお願いします」


 博士と共同で検証を続けていたタケルもまた、疲労の色が隠せない様子だった。

 不死身であり、常人より無茶はいくらでもできるが、定期的に精神の休養を必要とする。


 だがここ最近は、食事も睡眠もあまり取れていない。

 マキ博士も似たような状態で、ふたりとも精神的な限界が近づきつつあった。


「ここ数日間で行った検証の結果、キミの言ったとおり『精霊』とは何らかの高度な『情報生命体』である可能性が高まったわ」


「はい」


 単なる学生――ですらないタケルの仮説は、本物の科学者の言葉により、グンと信憑性が上がったことことになる。カーミラや百理、ベゴニアなどは「ほう……」と感心した様子だった。


「エアリスさんの魔法発動時、大脳辺緑系の細胞活動の著しい活性化、及びスペクトル観測によるアウラちゃんとの魔力によるリンクが確認された。キミの仮説を裏付けるだけの材料はほぼ揃ったと言えるわね。まあ未だに魔法による物質世界への干渉がどのように行われているのかは謎なんだけど――」


「そうなると、魔力が単なるエネルギーではなく、情報的質量すら内包した通信波のような役割も持っている可能性もでてきますね」


「うわあ! やめて、お願いやめて! そんなこと言われたらまた興味出ちゃうから! やらなきゃイケないこと増えるから!」


「すいません」


 タケルは、正直マキ博士の口から出てくる言葉を半ば予想していた。

 わかっていながら、科学者である彼女自身の口から、それを聞きたいと思っていた。


「とにかく。キミが提唱した『人工精霊創造計画』は、結果から言うと、現時点では実現が難しいということがわかりました。これは悔しいけど科学の敗北と言っても過言ではないわ」


 下唇を噛みながら、マキ博士はガクッと項垂れた。


 タケルもまた――内心では肩を落としているが、それでも協力してもらっている手前、自分ばかりが情けない姿を見せられないと思ってしまう。


 むしろ、タケルより以上に、その発言に納得していないのはエアリスだった。


「何故だ、安倍川博士。なぜタケルは精霊という存在を作り出すことができないのだ!?」


「そうね……あなたも実験に協力してくれたひとりとして、きちんと説明しておく必要があるわね」


 マキ博士は「失礼」と言って、ミネラルウォーターのキャップを開ける。

 一口、噛みしめるように喉を潤すと、「まず、精霊とはそもそもなんぞや、というところから始まるんだけど……」と淡々と話し始めた。


「もともとが地球とは異なった世界の存在だから、これを私達の世界の所謂『精霊』と混同して考えることはできない。改めて伝説伝承などの予備知識を排した状態から、科学的調査を行った結果が先に言った通りの、肉体を持たない、魔素と呼ばれる素粒子で構成された『情報生命体』である可能性が高い。ここまではいいかしら?」


 エアリスはもちろん、カーミラや百理、ベゴニアもまた頷く。


「エアリスちゃんはアウラちゃんのことを娘だと言っているけど、私の見解としては分身と言った方が正確かもしれない。何故ならあなたと精霊は切っても切り離せない、一心同体の間柄だと言えるから。そして今私達が知覚しているアウラちゃんの姿は風の魔素と呼ばれるものによって作られた仮初の肉体に過ぎない。だからいつでも消えられるし、逆にどこにでも現れることができる。何故なら、アウラちゃんを構成する風の魔素が大気中には無限にあり、すべての空間にアウラちゃんが重ね合わせに近似した状態で――いえ、今はいいわねこんなこと」


 長広舌で喉が乾くのだろう、マキ博士はこまめに口の中を潤している。

 エアリスは――、精霊の恩恵を受けて日本語のヒアリングは完璧でも、科学者である彼女の言葉は難しいようだ。眉間に深いシワを寄せながら、食い入るように博士の説明に耳を傾けていた。


「結論を云いましょう。人工精霊の創造が難しい理由その1。コアがない。アウラちゃんの本体とも云うべき精霊の発生元は、エアリスちゃんの中にある。でもその正体は分からない。目で見て確かめるすべもない。だがその大本となるコアらしきもの、コアであろう、コアじゃなきゃいけないものは必ず存在する。それを人工的に再現する方法がない」


 エアリスは胸元にアウラを抱き寄せる。

 いつもならそれだけで喜ぶアウラだが、エアリスの沈痛な面持ちに不思議そうな顔をしていた。


「人工精霊の創造が難しい理由その2。情報的質量を擁するためのキャパシティの問題。これは精霊を有する方と、精霊自身、双方に求められる問題。エアリスちゃんが稀有な魔法使いと呼ばれる理由は、精霊という情報生命体を保有するに相応しいキャパシティを先天的に有しているからだと考えられる。これは魔族種とよばれるタケルくんにも当てはまるから問題ないとして、理由その1にも通じるコアの不在によって、例え人工精霊と呼ばれる情報生命体を創造することができたとしても、それを保存しておける器がない」


「現在の地球上の記憶媒体で代用はできませんの?」


 腕を組み、顎に手を当てたカーミラが問う。


「一説には、人間をパソコンで取り扱うデータに換算すると、記憶容量だけで16TBテラバイト相当。脳みそ全体の容量なら227TBテラバイトにもなると言われてるわ。それが情報生命体である精霊になるとどれだけの容量が必要になるのかは見当もつかない。そして人間の脳みそと同じ容量のスパコンを起動させるためには、原発フル稼働並の電力が必要になる。まあエネルギー問題だけは解決しているみたいだけど……」


 ちらりとタケルを見やる。

 先日の『高エネルギー物理計測実験』により、タケルが独力でひねり出せる魔力量はそれをクリアしていた。


「人工精霊の創造が難しい理由その3。もうこれはしょうがないんだけど、もし仮に1と2の問題が解決されたとしても、場所――ロケーションの問題がある。人工知能進化研究所うちの地下に核シェルターにもなる第八ラボがあるけど、そんな危険極まりない実験、おいそれとやっていいもんじゃないわ。もし万が一失敗でもしたら、首都圏が消滅することになるかもね……」


 マキ博士は、全員の顔色を見渡し、タケルに憐れむような視線を向けたあと、椅子にドカっと身を沈めた。背もたれの上に後頭部を載せて、ポケーッと天井を見上げたまま云う。


「以上。力になれなくて申し訳ないわね……。もしさっき言った三つの条件、コアキャパシティ、ロケーションの問題が解決したら言って。私が開発したパーソナル型人工知能アルゴリズムあげちゃうから」


 天井を見つめたまま、ヒラヒラと手を振るマキ博士。

 彼女はもう体力の限界だ。緊張の糸が切れかかって意識が混濁しているのだろう。


 そして残されたその場の全員がタケルを見ていた。

 全ては彼が言い出しっぺなのだ。例え第三者が否定をしたところで、彼が幕を引かなければこの話は終わりにならない。


「みんなありがとう。とりあえず今日はもう終わりにしよう。あとは僕がなんとかする」


「何をどうするつもりなのだ?」


 即座にエアリスが口を開く。

 彼女はアウラを掻き抱きながらタケルへと詰め寄った。

 タケルは――冷静を装ってエアリスの肩をそっと抑えた。


「今日はみんな疲れてるみたいだし、もう解散しよう。あとは僕の問題だ」


「貴様と私の問題だ。ふざけた言い方をすると切り刻むぞっ!」


 エアリスが開いた手の中には空気の塊が集まっていた。

 室内の気流が変化し、彼女を中心に風が吹く。


「そうですわね。ここまで巻き込んでおいて、今更ひとりで楽しもうとするなんて許せませんわね」


 ずいっとタケルとの距離を縮めたのはカーミラ。


「理想が叶えばそれが最高だが、得てしてそう上手くはいかないのが世の中だ。それでも最高の中から最善は探していける。ひとりでやる必要はないぞタケル」


 何故かメリメリと筋肉が隆起した戦闘モードのベゴニアが、左掌に「パァンッ」と右拳を叩きつけた。


「タケル様」


 最後に。

 今まで一言も発しなかった百理が、挑むような目でタケルを見つめていた。


「お聞かせください。あなた様の正直な気持ちを。日本有数の科学者であるマキ博士にご自分の考えを全否定されて、本当に諦めてしまわれるのですか……?」


「いや――」


 タケルは百理の方を向き、数瞬目を伏せると自分の胸の内を話しだした。


「僕の最優先事項は絶対に変わらない。魔法がダメなら別の手段で戦う。――そうだ、僕がやらなくちゃいけないことは、魔法が使えようが使えまいが、不死身だろうが不死身じゃなかろうが、諦めるなんて選択には絶対にならないんだ」


 もとより自分は異世界で一度は死んだ身。

 その時に僕は何を思ったか。

 死んでいる場合ではないと、自らを叱咤したのではなかったか。


 半死半生――いや、ほとんど死にかけている状態で、それでも立ち上がり、彼女を――セーレスを助けると闘志を燃やしたことを思い出す。


 不死身ですらなかった人間の時にそうだったのだ。

 魔族種となった今、もう一度立ち上がれないはずがない……!


 百理は「そうですか……」と瞼を閉じた。

 そうして決然と双眸を見開くと、はたとタケルを見据えた。


「それでは是非、あなた様はあなた様のまま、その稀有なるお力を使い、誰よりもお強くなってくださいませ」


 いつのまにか百理の白い手の中には、小さな箱が握られていた。

 それは宝石や指輪が入っているような瀟洒な作りの箱で、何故か御札のようなものが一枚貼り付けてある。


「タケル様にこれを託します。きっとあなた様の望むものが得られるでしょう」


「百理、これは……?」


「ご自身の目でお確かめください」


 タケルは小箱を受け取り、御札を剥がす。

 中には何か、植物の種のようなものが台座に収まり入っているだけだった。


「その種は太古の昔よりこう呼ばれてきました『賢者の石シードコア』、または『精霊石スピリットコア』と――」


「なんですって――!?」


 カーミラが、性急な様子でタケルの手元を覗きに来た。

 普段の彼女なら絶対にしないような行儀の悪い行為だった。


「あなたッ! これ、本気ですの――!?」


「母を説得するのに苦労しました」


「くッ――まさか私がこんな敗北感を味わうことになるなんてッッ!」


 いつもは飄々としているカーミラが渋面を作って唸っている。

 そんな彼女の有様に百理はコロコロと笑った。


「まあ嬉しい。あなたのその悔しそうなお顔が見れただけでも釜茹でにされたかいがあったというものです」


「ちょ、ちょっと待ってくれ百理。賢者の石って、もしかしてあの……?」


「ええ、恐らくタケル様が人間だった頃に得られた知識の通りで合っていると想います」


「すごい……ホントに実在したんだ」


 賢者の石。

 某ファンタジー小説や漫画で有名になる以前から、日本でもお馴染みだった森羅万象の一切を可能とする奇跡の鉱物である。


 時に莫大な黄金を生み出し、時に不老の肉体を与え、時に最高の知識を得られるなど、様々な伝説、曰くを持ったアイテムである。


「御堂が所有する、恐らく世界に現存する唯一にして最高峰のアーティファクトです。タケル様のお好きに、如何様にもお使いください」


「いや――でも、こんなすごいもの、とても貰えないよ!」


「差し上げるなどとは言っていません。託すと言ったのです。そう、初めてあなた様にお会いしたときから、私は託しているのです。この日本の――ひいては世界の未来を」


「百理……」


「タケル、あなたいいこと? ここで尻込みしてたら男じゃありませんわよっ!」


 カーミラは底冷えするような厳しい目をしていた。

 彼女をしてここまで言わしめるとは。やはりそれだけの価値がある代物なのだ。

 タケルは改めて手元の『賢者の石』に目を落とした。


「龍慧眼……!」


 直後、タケルの脳に叩きつけられるの圧倒的情報量。

 爪のかけらほどの大きさしかないその石礫は、やはりただの石などではなかった。


 幾重にも折りたたまれた空間――余剰次元――もしくは宇宙――とも言うべき、見た目に反した多次元的内部構造が見て取れる。


 螺旋状に細く細く巻きつけられた内部には高密度の情報素子の存在を確認できた。それはつまるところ、マキ博士が言っていた情報の保存に適したキャパシティを有したものであり、コア足りえるものであることを意味していた。


「マキ博士!」


「んがー――……ぐごッ!? ……あれ、まだいたのキミ。っち。しょうがないなあ。お姉さんが慰めてやろっか? それとも楓ちゃんみたいな鶏ガラみたいな子が好き? なんならふたりいっぺんにイっとく?」


「やめろエアリスっ! ……大丈夫、寝ぼけてるだけだ」


「…………マキ博士。命拾いしたな」


 瞬間的に風を纏った拳を振りかぶったエアリスだったが、既の所でタケルの静止が間に合った。危ない……。


「え、なになに、何でみんなして私のこと睨んでるのさー?」


「博士、訂正してください。鶏ガラはあんまりです!」


 人外たちの殺気に当てられ目をパチパチとさせるマキ博士。

 助手の秋月楓は涙目で怒り心頭の様子だった。


「マキ博士、先ほど言っていた博士の人工知能アルゴリズムを今すぐください」


「は――? 何さ唐突に。私おんなじこと説明するの嫌いなんだから。とにかく今日はもう――」


「たった今、コア足りえるものが手に入りました。博士の言う情報容量の問題も十分にクリアしていると思います」


「へえそう。そんじゃあ――ってなんでよ。あたしが認めたくないところをあえて折れて敗北宣言した舌の根が乾かないうちになんでキミがそんなこと言い出すのよ?」


賢者の石シードコアです。これを使います」


「は……? なんでキミがマリッジリングケース持ってんの? 私と結婚したいの? 一切家事しなくていいならいいよ。キミは後天的な人外だけど生まれてくる子供は人間かな、それとも人外なのかな? 超興味あるね……ムニャムニャ」


「落ち着けエアリス殿! 博士に悪気はないのだ――多分」


 瞬間的に切れたエアリスは、ベゴニアに羽交い締めにされていた。

 カーミラは半眼でマキ博士を睨み、百理の固く閉じられた瞼はピクピクと痙攣していた。


「人工知能アルゴリズムはどう使えばいいですか?」


「んー、人工知能ってのはネットワーク内で動くソフトウェアのことだから、私が作ったアルゴリズムは解凍前の情報素子の塊って見方ができるわけよ……。普通はPCのOSを介して起動させるものだけど、キミのその特別な目だったら直接情報素子自体認識できるんじゃない? あとはもう適当になんとかしてほしー……くかー」


 船を漕ぎながらもマキ博士は、デスクのPCを操作して、引き出しから大容量コンパクトフラッシュを取り出した。すげえ、1テラバイトのCFカードなんて初めて見た、とタケルは思った。


「ほい。無圧縮のRAWロウで入ってるから。まあホントに何とかできたら目でピーナッツ噛んであげるわよ。あれ、でも三番目の条件は? やめてよ、ウチの研究所でやるのは。どっか半径100キロ以内に誰もいないところでやってよね」


「ええ、ロケーションには目星をつけています」


「どこよそれ。いくら御堂だからって色々準備が必要なんだよ。科学にだってできることとできないことがあってね……。で、どこでやるの……?」


未来の地球・・・・・でやろうと思います」


「そう、いってらっしゃーい……――んご~っ」


 ついに本格的に眠り始めたマキ博士に背を向け、タケルは執務室を後にする。

 向かうのは地下の大規模実験場――第八ラボ。


 深く息を吸い込みながら、心の臓を落ち着けるようにゆっくりと吐き出す。


 興奮と期待、そして恐怖。

 すべてが一緒くたになって、今のタケルを動かす原動力となっていた。


 僕は――必ずやり遂げる。

 その確固たる決意を胸に刻みながら。

 少年は前人未到の領域へ向かう覚悟を固めていた。

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