第102話 創生のマキナ② 第二次女子会戦争〜仁義なき恋バナ

 *


 さらに翌日。

 タケルの提唱する『人工精霊創造計画』推進の一環として、新たな打ち合わせと調査のために人工知能進化研究所を訪れたタケルとエアリス。


 カーミラとベゴニアは先日の仕事の続きがあり、タケルに導かれ初めての電車デビューを果たしたエアリスは、「ヒト種族に酔った」といい、ひとりで研究所内の中庭にいた。


 タケルから貨幣をもらい、自動販売機の使い方を教わり、取り敢えず美味そうな果実の絵が書かれた飲み物を購入する。


 だがそこまでだった。

 開け方が全くわからない。


 タケルに聞きに行こう、と踵を返し、昨日から彼が一睡もしていなかったのを思い出し、エアリスは足を止めた。


 少しでも自分の考えをマキ博士に伝えるのだと、タケルはパソコンを使い、エアリスには到底できないブラインドタッチでダカダカと文章をしたため始めた。


 不眠不休で書き上げた『れぽーと』なるものを、博士に『めーる』し、エアリスが目覚めてから僅かに休憩を取ったのみで、今またアウラを伴って博士と話し込んでいる最中なのだ。


 エアリスは小さくため息をつき、ひんやりとしたアルミ缶を弄びながら、手近なベンチへと腰を下ろした。


 中庭の、小さく切り取られた空を見上げる。


 自分がかつていた世界と同じ空。

 朝日が昇り、強烈な中天の陽が注ぎ、燃えるような夕暮れが訪れ、やがて星々が瞬く夜になる。


 それだけだ。変わらないのは。

 それ以外は、何もかもが違いすぎる。

 文明レベルも、人々も、経済規模も、軍事もなにもかも。


 テレビや新聞、雑誌、インターネット。

 容易に個人が世界と繋がれるツールを使い、エアリスは世界を身近に感じると同時に、魔法世界マクマティカでは気づきようもなかった、世界の大きさを知るに至った。


 情報網が限られた閉じた世界にいたことはある意味幸福だった。

 知らなくてもいい膨大な情報が、指先ひとつで簡単に手に入るこの世界は狂っているとさえ思った。


 そして、そんな世界を相手に戦おうとしている自分の主に対して、エアリスは何の手助けもできない自分が情けなかった。


 アウラを調査と称して詳しく調べると言っていたことには、抵抗を覚える。

 小さな幼子を自分のあずかり知らぬ方法で精査するのもそうだが、やはり自分とタケルの子供を道具のように扱って欲しくないと思ってしまう。


 でも、それでも、タケルになんの手助けもできない自分の代わりにアウラが役立っていると考えれば、それはまだしも納得ができるというものだった。


 もやもやとした思考を抱きながらボーッと空を見上げていた時だ、目の前に白紬の少女が現れる。


「顔色が優れないようですね」


「百理殿か」


「ごきげんよう、エアスト=リアスさん」


「よせ、呼びづらいだろう。エアリスでいい」


「ええ、ではエアリスさんと。お隣、よろしいですか」


「無論だ」


 そっと、百理はエアリスの隣に腰掛ける。

 彼女はゆったりと背中を預けながら、静かに目をつぶる。

 そして「心地よい風ですね」と呟いた。


「そうか。寒くはないか?」


「いえ、特にそのようなことは。ほのかにあたたかみがある風で――あら。もしかしてエアリスさんが?」


「ああ、少々この場所の風が淀んでいたのでな、入れ替えをしている」


 エアリスが指を差し向けただけで、風がつむじを巻いて上昇する。

 入れ替わりに、新鮮な空気が入り込んできて、中庭の木々をさわさわと揺らした。


「すごいですね。あなたの風は邪気を浄化することもできるのですか」


「浄化? いや、神聖魔法などは使えないな。清めといいつつ炎で焼くだけだしな神官共は」


「あ、いえ、この中庭はもともと施設内の吹き溜まりとして私が意図的に作り上げた邪気の逃げ道なのです」


「逃げ道?」


「風水という言葉をご存知ですか? 生物にとって必要不可欠な水と風を用いて、私たちにとって快適な場所を作るという環境学のことです。不特定多数の人間が働く環境は、必ず淀んだ『悪い気』が溜まります。意図的に空白地帯を作り上げることで、その『気』をこの場所に逃しているのです」


「ふむ。確かに戦場跡や災害などが起きた土地は、その場に存在する風の魔素を狂わせると聞く。狂った魔素を用い、破滅した魔法師もいたそうだ」


「げに恐ろしきはヒトの怨念。私たち人外はヒトより以上の力を持っていますが、決してヒトが居ないところでは生きていけません。人間の生活基盤があって初めて生まれる闇。そこに巣食い蠢くのが我らなのです」


「その言葉だけを聞いていると、随分と卑屈に聞こえる。そなたたちは別にヒト種族などいなくても生きていけるだろう」


「どうでしょう。私たちはヒトと長く関わり過ぎました。気苦労も多いですが、やっぱり居心地がいいのですよ、今の世界は」


「そうか。そう思えるのならば何よりだ」


 そう言ったきり、エアリスは自分の手元に再び視線を落とす。

 ずっしりと中身が詰まったアルミ缶が随分とぬるくなっていた。


 エアリスは手のひらの上に缶を乗せると、その周辺に風を纏わせる。

 炎の魔素はちょっぴりしか使えないが、風を媒介に内部の熱を奪うことはできる。

 そうして再び冷たいキンキンの状態にしてから「はあ」と溜息をついた。


「わざわざそのように冷やして、飲まないのですか?」


「開け方がわからん。そなた知らないか?」


「いえ……、実は私もこのような飲料を購入する機会はほとんどなくて。確か昔、路上に缶のフタが多く捨てられて社会問題となったことがありました。当時はこうフタを引っ張って取れるような作りになっていたのですが……」


「む。この出っ張りを引っこ抜けばよいのか?」


「ああ、いえ。その方法ではダメだったはずです。フタを残したまま開栓できる規格にするため、その費用を御堂で持ったことがあったので、今は違うはずです。すみません、よくわかりません……」


「謝ることはない。タケルに聞ければ一番よいのだが……」


 今タケルは自分の理解の及ばない範囲で苦心している。

 何の役にも立てないエアリスにできることは、せめて邪魔にならないことだけだ。


 エアリスははたと、隣に座る百理を見た。

 自分より何倍も生きているという地球に住まう人外種の少女(見た目)。

 苦々しい顔をしたあと、エアリスは絞りだすように百理へと問うた。


「百理殿は、タケルが今しようとしていること、成そうとしていることが理解できているか?」


「ええ。すべてとは言いませんが、ある程度は」


「そうか、もし差支えなければ、私の疑問に答えてもらえないだろうか」


「もちろん構いません。私にお答えできることならば如何ようにも」


「タケルやマキ博士がよく口にしている『おーえす』とはなんのことだ?」


「OSとはオペレーションシステムのことです。日本語ではなく英語です。あら、確かエアリスさんはご自分のスマホをお使いになるとか」


「うむ。アウラのおかげで日本語が大分堪能になったのでな、最近では『ねっとさーふぃん』とやらを嗜んでいる」


「でしたら理解が速いかもしれません。エアリスさんのスマホの中にもOSはごく当たり前に入っているのですよ」


「そうなのか?」


「はい。というかOSの介在なしにスマホ、あるいはパソコンを操作することは普通できません。OSが煩雑な操作を引き受けてくれているからこそ、ヒトは快適に簡単にスマホなどを操ることができるのです」


「ということは、それをタケルと魔法に置き換えて考えればいいのか」


「そうですね。つまりタケル様はご自身の膨大な魔力で魔法を操るために、それを容易にしてくれるOSであるところの『人工精霊』を創造しようと試みているのです」


「なるほど。そういうことだったのか。確かに私もアウラが現れい出てから、より速く、より強力な風の魔法を行使できるようになったからな……ん?」


「どうかされましたか?」


「魔法を使いこなすために人工精霊を創りだす。そのことは分かったが、それはひょっとして、普通に魔法の修行をするよりもっと大変なのではないか?」


「私には魔法のことはよくわかりませんが、どのようなことでも、その分野の先駆者になることは容易ではありません」


 様々な知識や歴史の積み重ねで今の快適な暮らしがあるように、OS開発もまた、当初は困難を極めたという。


 そう考えれば、タケルが成そうとしていることが如何に大変なことなのか、エアリスも漠然と理解ができるのだった。


「――歯がゆいな」


 エアリスの手の中でアルミ缶がベコンと鳴る。


「何の役にも立つことができない。こんなことで従者と言えるのか私は――」


「エアリスさん。物事には役どころというものがあります。今は一見活躍していないように見えても、添えの花にもいずれ出番は必ずやってきます。その時のために、どうか心を静めてください。雌伏の時です」


「百理殿」


 エアリスはキッと顔をあげると、切り取られた空を見上げる。

 掲げる左手の中には再びぬるくなり始めたアルミ缶が。


 エアリスは右手で作り出した手刀に、高密度の風の魔素を纏わりつかせ、上蓋をスッと撫でた。


 まるでヒートナイフでバターを切るように、アルミ缶がスライスされる。エアリスはグッとその中身をあおった。


「ふう……異世界の飲み物恐れるに足りず。私の手にかかればこんなものだ」


「あ、はい。そうですね。そういう大胆さも時には大事ですね」


「飲め」


「え。えっと」


「私の酒が飲めないか」


「いえ、いただきます。でもお酒ではないですよね」


 百理は唇を切らないよう、そそっと缶を傾ける。


「いや、あるこーるの味がする。酒だ」


「ブーッ――! なんで研究所の自販機にチューハイが!? マキ博せぇぇえ〜……」


 アルコールを口にした途端、キリッとしていた百理がホニャホニャとベンチに崩れ落ちる。エアリスはサッとその手から缶を引ったくり、グビっグビっと口をつけた。


「おい、しっかりせぬか。たった一口でこの有様とは情けない。女子会はまだこれからだぞ」


「女子会、れすか。……ヒック」


 よくよく見ればエアリスの顔も赤くなっている。

 百理の顔などは真っ赤かもいいところだった。


「その通り。女が集まり、密談を交わせばそれは即ち女子会なのだ。と、カーミラ殿が言っていた」


「イマイチ、あの女の言葉に従うのは抵抗あるのですが、まあ、そういうことなら仕方がありません。女子会継続しましょうか……うい〜」


 淑女にあるまじき言動。百理の据わったほの暗い瞳がエアリスとかち合う。

 エアリスもまた気だるげに百理を見て、クピピっと缶を啜る。

 百理が両手を伸ばし伸ばし、エアリスの手から酒を求めた。


「女子会……今日の議題は、一体なんれすか……?」


 缶を受け取った百理がコクコクと喉を鳴らしながらテーマを問う。

 エアリスは腕を組みながらフンスっとふんぞり返った。


「決っている。好いた男の話だ」


 ゴクリ、と百理の細首が一際大きく鳴った。


「百理殿は長く生きているだけあって、男性経験が豊富そうだ」


「ななな、何をおっしゃいまふやら。そういうエアリスさんこそ、異世界では浮世を流したのではないれすか……?」


「私は生涯たったふたりの主しか持ったことがない。一人目はディーオ様で、二人目がタケルだ。そしてタケルで最後になるだろう」


 どやァ、とばかりに手に腰を当て、百理から渡された缶を一気に傾ける。


「ない。無くなった。酒がなくなると女子会が終わってしまう。気がする……クスン」


 ショボーンと、エアリスは缶をひっくり返しながら肩を落とした。

 その肩にポンと百理は手を置いて頷いた。


「何も問題はありません。また買ってくればよいではないれふか」


「タケルから貰った金はもうない……」


「そうれふか。差し出がましいかもしれませんが、お金なら腐るほどありまふ」


 ぺかーっと懐から真っ黒いクレジットカードを取り出す百理。

 二人して危なっかしい足取りで、自販機コーナーへ行くと、電子マネーのタッチパネルにブラックカードを押し当てる。


「あれー、出てきませんね」


「むう。他の職員たちは、こうして札を押し付けて飲み物を取り出していたのだが」


「オカシイれすね。日銀砲を撃てるくらいの残高は余裕であるはずなのれすが……」


 ふたりとも普段はあれほど利発的なのに、今はもう正常な判断ができない様子で、あーでもないこーでもないと、自販機の前で唸り声を上げている。


 もういっそ壊してしまうか、エアリスがそう言いかけたとき、不幸にもその場に通りがかってしまった女性職員がいた。安倍川マキ博士の助手である秋月楓そのヒトだった。


「びゃ、百理様!? 一体なにをされてるんですか……?」


「おお、あなたは確か博士の助手の……えーっと。まあいいです、調度よいところに来ました。これが買えなくて困ってるのれふ」


 小さくて細い手から差し出された重厚感バリバリの真っ黒金文字カード。

 見るからに高級そうなクレジットカードに秋月楓は目を疑う。


「こ、これって本物のブラックカード? 都市伝説だと思ってたけど、本当にあるんだ……」


「いいからその札を使ってこれを買ってくれ」


 エアリスが指差す先を見てさらに楓は目を瞬かせる。


「え、ええ……。これってお酒ですよ? これをおふたりに買い与えるのは倫理的にどうなんでしょう?」


「問題ありません。こう見えてわらし、結構気合の入った行かず後家れすから。……ヒック」


「そもそも私にこの世界の法を当てはめることなどできん」


「い、いいのかなー。いや、もうしょうがない」


 楓は百理の手の中にしっかとカードを握らせると、自分の定期パスを取り出し、タッチする。ピピッ、ガコン――と取り出し口から缶をふたつ手に取り、ふたりに渡した。


「もう、ほどほどにしてくださいよ」


「一本足りません」


 百理がぐいっと楓の手の中のカードタッチさせ、すかさずエアリスがボタンを押す。


「あ、ちょっと。欲しんなら言ってくれれば……」


「ゆくぞ。女子会続行だ」


「へ?」


「この場に居合わせたことを祝いらさい。ヒック」


 エアリスに肩を組まれ、百理に白衣の裾を引っ張られながら、楓は缶とファイルケースを持ったまま連行されていく。


「ちょっとエアリスさん、百理様も困ります! 私この資料をマキ博士に届けないと……!」


「少しぐらいよいではないか。地球のヒト種族の女の意見も聞きたいのだ」


「あまり聞き分けがないと減俸れす。ういーっく」


「うわー、横暴だぁ!」


 再び中庭にて、今度は芝生の上にドカッとあぐらをかくエアリス。

 百理はちょこんと正座をし、楓は涙目で体育座りである。


「れは、不詳わらくし御堂百理が音頭を取らせていららきまふ。そもそもの始まりは、この日の本が豊葦原とよあしはら千五百ちいお秋野瑞穂あきのみずほの国と呼ばれ――」


「乾杯」


「い、いただきます」


 もはや逃げられないと悟ったのだろう、楓は「もうどうにでもなれ」といって開栓し、中身をあおった。


「ほう、そうか、そうやって開けるのか。便利だな」


「これどうやって切ったんですか? ヒートカッター――熱切断じゃない。もっと鋭利な分子間の隙間を縫うようなこの切り口って……!」


「時の為政者の実権が朝廷を上回るようなことがあってはならじと我ら御堂は――」


「名前をなんと言ったか貴様は」


「き、貴様? ……秋月楓です」


「楓。ちゃんと食べているか? そなた少し細過ぎはしないか?」


「田舎のおばあちゃんみたいなこと言わないでくださいよ。どうせ食べても全然女らしい体つきになりませんよーだ」


「別に女らしくないとは言っていない。百理殿を見ろ。体つきは小柄でも女性的な魅力は溢れているよう見えないか?」


「そ、それは確かに。でも百理様って見た目よりずっとお年を召されてるっていうし。そういう実年齢からくる魅力だと思いますけど」


「違うな。もし年齢がそのまま魅力に繋がるのなら、老いるヒト種族では矛盾が生じる」


「ヒ、ヒト種族……?」


「あまり言いたくはないが、私はそなたとそう歳は違わないだろう。だが見ろ」


 あぐらをかいた姿勢のまま、エアリスは両手をうーんと伸ばす。

 細くくびれたお腹とおへそがちらりと露出し、大きな胸はさらに強調され、逸らした長くしなやかな首すじに楓は釘付けになった。


「と、このような仕草をうっかりすれば、酒場のむくつけ共があっという間に集まってくるのだ」


「ごくり。なっとくです」


「東郷平八郎閣下は立派な武士もののふれした、ですが、西欧列強の波は新たな局面を日の本に容赦なく突きつけようとして――」


「じゃあなんでしょう。私って何が足りないんでしょうか?」


「うむ。私も最近カーミラ殿に色々指南を受けていてなんとなくわかってきたのだが、女は常に誰か好きな男を作っておかねばあっという間に枯れてしまうそうだ。楓は誰か好きな男はいないのか?」


「えっと、それは……、いるようないないような」


「なんだ、ハッキリしないな。別に名前を教えろと言っているわけではないぞ」


「いえ、そもそも今教えられている名前だって本当かどうかわからないですし、なかなか本心を私たちに見せてくれないヒトなんです」


「隠し事の多い男なのか」


「というか隠し事だらけですね。多分本当のことなんて何一つ教えてくれていないと思います」


「何だそれは、そんな男はよくないと思うぞ。きっとお前だけだ、といいつつ、他にも女がいっぱいいる気がする。多分……」


「あっはっは。そうですね。その通り、他にも私みたいに騙されてる女の子がたくさんいるんです。でもそれがイヤじゃないんですよ。みんな仲間って感じで。それにいざって時だけは信じられるヒトなんで」


「そうか。普段がどんなにだらしなくても、危急の時に立ち上がれる男なら想いを寄せる価値もあるだろう」


「そうですねえ」


 クピピっとチューハイを飲む楓。対してエアリスはゴッゴッゴッと、かなり破滅的な飲み方をしていた。


「あの聖火台に火が灯った瞬間、私は日本の復活を強く確信しました。そして時は流れ、現在の日本国があるのれす。私達ひとりひとりがろうか祖国の安寧のために――乾杯」


 一巡目が終わったあたりで、ようやく百理が長いトランスから帰ってきた。

 缶に口をつけて煽るも、プルトップは開けられてはいない。

 それでも口を伸ばしてチューチューと吸おうとしている。

 甘露を得られず御堂財閥の当主様はグスンと涙目になった。


「百理殿。こうだ。ここを一旦引き上げて、戻す」


「これはどうもご丁寧にエアリスさん。では改めて、乾杯」


「乾杯」


「乾杯」


 ゴッゴッゴッ、クピピ、チューチューと三者三様の音を立てて酒精を体内に取り込んでいく。


 エアリスは一見普通そうに見えて全身がうっすら紅をまとっている。

 百理はもう白いかんばせがテールライトみたいに真っ赤っ赤だ。ずっと呂律も回っていない。一番シラフに近いのが楓だった。


「百理殿、次は百理殿の話だ。私は言うに及ばず。楓もほれこの通りもう言ったぞ」


「楓しゃん? どの通り言ったのれしょう?」


「自ら望んで悪い男に騙されて、そんな自分に酔っているそうだ」


「ひどッ、その通りだけど、ひどッ!」


「女とはかくも愚かな生き物なのれす。いつの時代も悪い殿方の食い物にされてしまうのれす。でもそれは敢えて騙されてやっているのであっれ、どんなときも一線は守りらさい。一度その線を超えてしまったら殿方は冷たくなる一方だと聞きます」


「騙されるな楓。ずっと守り続けてたらこの有様だぞ」


 エアリスが容赦なく百理を指さした。途端大粒の涙を溢れさせて、百理はギャン泣きした。


「うわーんッ、私は京と江戸で遠距離恋愛だってするつもりれしたのに、早々に御簾中などもらって! きっと大奥で誑かされたに違いありませんッ! 新之助兄様の莫迦ァー!」


 百理は泣き上戸だった。もう手がつけられなかった。


「ごれんちゅう? おーおくとは一体……?」


「は、はは、まさかですよね。だってそしたら百理様の年齢って三百――」


「でもその後、若くして奥様を亡くされて……。それ以降はずっと独り身ですよ。生涯たった一人なんて勝てるわけないじゃないですかーッ、莫迦ーッ!」


 おーいおい、チューチュー、おーいおいおい……、チューチュー。


「むごい。どう慰めたものか」


「私もちょっとこれは……。ここまでスケールが大きいと感心するばかりで口が挟みにくいですね」


 エアリスと楓、ふたりとも百理の鳴き声を肴に缶を傾けていると、新たな獲物がのこのこと中庭に現れた。


「エアリス、ここにいたのか。なんかさっきからアウラが熱っぽい感じがするんだけど、おまえの方で何か異常は――」


「タケルしゃま」


「百理? どうした、顔が赤いぞ?」


「お胤をくらさいませ」


「は――?」


「ろうか、ろうかお慈悲れす。もう孫の顔は期待れきないと、匙を投げられた母や周りを見返してやりらいのれす! 私の330年に及ぶ呪いを解いてくらさいませ――!」


「何その気合の入った激重な呪い――って酒臭っ! なんだこれ、トール缶が丸々空になってる!?」


「タケルしゃま、私もアウラさんのような可愛らしい子が、できれば男の子が欲しいれす〜!」


「ちょ、離れろ! エアリス見てないで助け――ってお前も飲んでるのか!?」


 女の妄念ともいうべき存在と化した百理に絡みつかれ、タケルは身動きもままならず、必死に助けを呼んだ。だが、伸ばした手は誰にも届かない。


 なぜならこれは女子会だから。男子禁制の場所にやってきてしまったタケルは哀れな獲物となる運命なのだった。


「いいんですかエアリスさん、成華さんってエアリスさんの……」


「確かに。少し前までの私なら慌てていたところだが、今は自分でも驚くほど落ち着いている。そうかこれが正妻の余裕か」


「うわ、なんか格好いい。女として憧れるかも」


「それに気づいたのだ。タケルは太陽だ。いくら独り占めしようと両手を掲げたところで、その輝きを遮ることなどできないのだと」


「でっかいですねー」


「タケルしゃま〜」


「何この地獄――!?」


 結局、その日はもう、実験どころではなくなってしまった。


 乱心した百理は研究所内の医療室で爆睡を決め込み、翌日以降、研究所内の売店にアルコール飲料が置かれることはなくなった。


 お酒を置いた元凶であるマキ博士は減俸を食らって悲哀に暮れるのだった。


 続く。

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