第100話 ビートサイクル⑤ 買い物と写真撮影~爆誕・親バカ様

 *


 遅ればせながらではあるが報告させてもらおう。

 僕の娘の名前が決まった。


 アウラ。

 精霊とか魔力とかそういう単語から連想して直感で決めてみた。

 地球の言葉ではあるが、エアリスは大層その響きを気に入り、アウラを抱きしめながら、まるで宝物のように何度もその名を呼んでいた。


 最初は――、初めてアウラと相対したときには、自分の醜い内面を魅せつけられ、動揺していたはずのエアリスだったが、今ではアウラを完全に受け入れ、本物の我が子のように慈しんでいる。


 カーミラ・カーネーション・フォマルハウト。

 彼女がエアリスに色々と言ってくれたらしい。


 カーミラは本当に、以前の人間だった頃の僕なら、絶対に関り合いになることもないし、関わりたいとも思わないほど困った性格の持ち主だ。


 だが、僕らの中で最も精神年齢が高く、また実年齢もずっと上だ。

 彼女の経験からくる本物の生きた言葉を聞くと、ついつい考えさせられてしまったりもする。


 僕の周りにはそういうことを言ってくれる大人があまりにも居なかったので、あの性格にさえ目をつぶってしまえば、貴重な意見をくれる得難い存在といえるだろう。


 まあ、そんなこと直接本人には言えないので、未だ心のなかで感謝しておくにとどめてはいるが……。


 *


 安倍川博士の元を離れた僕らは、ベゴニアが運転する黒塗りのSクラスに乗っていた。


 真横に流れる雑多な都会の風景に、俺の右隣に座るエアリスとアウラは興味津々だ。窓に顔をくっつけんばかりに身を乗り出し、キャキャっとはしゃいでいる。


 カーミラは俺の左隣――窓向こうを見つめ、物憂げに肘を付いている。

 いや、ウインドウに写り込んだ彼女の視線はとても優しげに微笑んでいた。

 母と子の声があふれる車内の雰囲気を心から楽しんでいるようだ。


 ――カーミラもこんな優しそうな表情かおするんだ。


 そんな風に思いながらしばらく見つめていると、ウインドウ越しに彼女と目が合った。一瞬だけ目を丸くしたカーミラは、居住まいを正すと、すすっと俺に顔を寄せてくる。そして――


(なんですの、淑女を盗み見たりして。私が気になるのならもっと堂々と御覧なさいな)


 甘っこい囁きが耳朶をくすぐり、耳元に唇が寄せられ、熱い吐息がかけられる。

 ぶるり、と身震いをしながら、僕も隣のエアリスたちを気にしながら囁き返した。


(いや、悪かったよ。なんでもないから)


(悪いなんてことありませんわ。でも妻子が隣にいるのに、こんなに声を潜めて睦み合うなんて、とっても背徳的な気分になりますわね?)


(妻子って……!)


(違いますの? 子に名を与えること、それはとても特別な意味を持つのですわ。あなたがどう思おうとも、もうすでにアウラはあなたの子供としてこの世界に認知される存在になったのです。そこは否定しないであげなさいな……お・と・う・さ・ま)


(――!?)


 最後の言葉は今までの響きとは違う感じがした。

 なんというか度を越しているような、……何がと問われれば、一体彼女の中の何が度を越していたのかはわからない。


 でもその囁きだけは、いつもの彼女からは感じられない――まるで娘が父親に心の底から甘えるような、そんな感情が込められていたように思う。


 何故か僕はドギマギしながらカーミラの方を伺うと、彼女は再び僕に背中を向けて窓の方を見ていた。車が進路を変えたため、もう彼女の顔が映り込むことはなかった。


 今彼女はどんな顔をしているのだろう。

 僕はそれが無性に気になった。


「さあ、到着したぞ」


 ベゴニアが都内にある一時間うん千円もするような立体駐車場に車を停める。

 ターンテーブルの前に車を停め、僕らはドアを開け両側から降りる。

 本当になんとなく、僕はエアリス側からではなくカーミラ側のドアから降りようとした。


「ほら、タケル」


「え?」


 差し伸べられる手。

 真っ白い指先が、求めるように僕の手を取った。


「あ、ありがとう」


「どういたしまして、ですわ」


 今日のカーミラはどこか変だ。

 そうは思っても具体的にどこがおかしいのか僕には判別がつかない。


 結局エアリスやアウラと話をしているうちにそのことも忘れてしまった。

 でもなぜか、その時のカーミラは、いつもの享楽的な感じが全くしなくて、全然嫌いじゃなかった……。


 *


「こ、これ、服一着の値段が……、僕が知ってる店のと桁が違うぞ……!?」


 マキ博士に追い出され、僕らは不意の時間を利用し、アウラの洋服を買いに来た。


 服飾のことと言えばこちらには専門家がいる。

 世界に冠たるカーネーションブランドの創設者カーミラである。


 実際自分で装飾のデザインをしたりモデルもこなすという彼女に任せれば万事全てオールオッケー……と思っていた。


 僕は少しだけ後悔し始めていた。

 何故ならカーミラが案内してくれたのは、六本木にあるとあるブティックだったからだ。


 大通りから外れたこぢんまりとした店構え。

 なんだか知る人ぞ知るという隠れ家的な場所に建っている。


 店の入口脇のショーウィンドウには独自にコーディネートされたマネキンが立っており、そこに小さくついていたタグを見るなり、僕は顔を強張らせた。


 一、十、百、千、万……嘘? これマネキンも一緒に入れた金額……?

 まさか服一着だけの値段じゃないよね?


「ほほ、タケルったら冗談が上手いですわね。ここはまだリーズナブルな部類に入りますわよ」


「行くぞタケル」


 ベゴニアを先頭にカーミラがドアを潜る。

 彼女が店内に足を踏み入れた瞬間、「いらっしゃいませ――」と言いかけていた店員さんが顔色を変えたのがわかった。


 そして「恐れ入ります、店長を呼んで参ります」と言って店の奥へと引っ込んでいった。


 待つこと十数秒。

 バタバタと靴音を響かせた店長と思わしき初老の、品のいい女性が現れる。

 彼女はカーミラの顔を見た途端、「まあまあ」と顔をほころばせた。


「ようこそおいでくださいましたカーミラ様。本日はどのようなものをお求めでしょうか」


「久しぶりです。元気そうでなによりですわ」


「カーミラ様こそ、お変わりありませんようで。ベゴニアさんも」


「はは、私は怪我とも病気とも無縁だからな」


 どうやら二人してここの店長さんとは古い知り合いのようだ。

 三人の間に共通した空気感が流れて、僕らはちょっと口が挟めなかった。


「今日は私の用事できたのではありません。こちらの倉庫には処分に困っている子供服があると言っていたでしょう。この子のために安く譲ってちょうだいな」


「まあ、なんて可愛らしい女の子でしょう。ええ、きっとどのようなお召し物も似合うはずです。ささ、どうぞ奥のスペースを好きに使ってください」


「行きましょう、エアリスちゃん」


「うむ。お邪魔する」


「あー」


 カーミラは堂々とした様子で、深々とおじぎをする店長さんの前を通り過ぎていく。


 後に続くエアリス、アウラ、ベゴニアにも変わらぬ姿勢で頭を下げている。

 僕の番になった途端、チラッと視線を感じた。

 元引きこもりニートだけあって僕はヒトの視線には敏感だ。

 わかっている。おまえは何なんだ――、という懐疑の目だ。


 そりゃこんな店には似つかわしくないスウェット姿だし、ちょっと汗臭いかもだし。


 自分で着る服すらネット通販で済ませてしまうような僕には、この手のブティックには当然縁がない。なんでこのメンツにおまえのような男が混ざっているんだ、と問われても仕方がない。でも、そんなこと僕だって知りたいくらいなのに――


「何をしていますのタケル。あなたがいなくては始まらないでしょう。早くおいでなさいな」


「あ、ああ」


 場違い過ぎて足が止まっていた僕を解き放ってくれたのは、そんなカーミラの声だった。店長さんは驚いた様子で僕とカーミラと交互に見ていた。通り過ぎるとき、今度こそなんの含みもなく、しっかりとお辞儀をしてくれる。


 ふと前を見ると、カーミラは「何をビクビクしてますの」とダメな息子を叱る母親みたいな顔で笑っていた。うわ、なんか急速に恥ずかしい。絶対顔赤いぞ僕っ!


 そんな風に、その日は終始カーミラにやられっぱなしの僕なのだった。


 *


 案の定というかなんというか。

 カーミラ主催、ベゴニア実働のアウラ着せ替え大会が始まってしまった。


「あーん素敵ですわ。美人さんですわよアウラちゃん! ほらパパに手を振って」


「パパー」


「はいはい」


 意外なことに、風の精霊であるアウラは色々と着替えさせられることはイヤではないらしい。試着室から出る度に、僕やエアリスに手を振ったり、笑顔を浮かべたりしてアピールしてくるのも可愛いものだ。


「売れ残った死蔵品デッドストックばかりなのに、やっぱりモデルがいいせいかしら、とっても見栄えがしますわね」


 と、カーミラは言うものの、服は僕から見てもかなりいい仕立てで、デザインもしっかりしたものばかりだ。


 まあ正直自分で着るものにすら興味がなかった僕が、ましてや子供服の良し悪しなんてわからなのだが、それでも一体どこがダメで死蔵されることになったのか、見当もつかないほどいいものだと思った。


「カーミラ様、店長より宣材用の一眼レフを借りてきました」


「でかしましたわベゴニア!」


 ベゴニアからフルサイズの一眼レフカメラを受け取ったカーミラは、早速ファインダー越しにアウラを見ていた。


「アウラ、ちょっとじっとしていてくれよ。後でお菓子をいっぱい買ってやるからな。カーミラ様、室内光ですので多少ISO感度を上げませんと」


「あら、それではノイズが出ませんこと?」


「最近のカメラは優秀です。よほど極端に上げない限りは平気かと」


「じゃあ800くらいかしら。三脚がないのが痛いですわ。えっと、この設定ならシャッタースピードも上げられますわね。手ブレの心配はないとして被写界深度は?」


「F値は4.5にしましょう。顔以外がボケすぎても服が綺麗に映りませんし」


「じゃあさらにISO感度とシャッタースピードを微調整して。……よろしくてよ。ホワイトをちょうだい」


「こちらを」


「パシャリ、と。基準色が決まりましたわ。何枚か試してみましょう。レフ板を」


「室内灯だから銀レフにしましょう。アウラ、ちょっと顔が眩しいぞ。我慢してくれよ」


「あう」


「えらいですわよアウラちゃん。まあまあ、もう一流女優の風格じゃありませんの。眩しいのも平気なんてモデルの才能がありましてよー。……ベゴニア、チェック」


「さすが。ファンデ無しでこれほど肌映りがいいとは。ここまでくると背景も凝りたいですな。あっちに長めの通路がありました。入り口にあったテーブルセットと花瓶も持ってきましょう」


「任せましたわ。アウラちゃーん、目線くださいなー」


「いや、マジでプロかよあんたら」


 何着かに服を絞り、カーミラたちはまじめにアウラの写真撮影を始めてしまった。

 ベゴニアが持ち前の腕力で椅子二脚とテーブルをまとめて持ち、入り口付近に居た若い女性店員さんがえっほえっほと生花が入った花瓶を運んでくる。


 通路の奥の消失点にテーブルセットを配置して花瓶を置く。

 ブルックリンスタイルを思わせるタイル地の壁紙は、高級感はあるがそこまで気取らない落ち着いた雰囲気を醸し出している。配置を終え、いざ撮影の段になって、今度はカーミラが悲鳴を上げた。


「いけませんわ。椅子が大きすぎてアウラちゃんが座れません!」


「カーミラ様、カメラをこちらに。カーミラ様が腰掛けて膝に座らせる感じで行きましょう。子供服なのですから親と一緒に写っていても問題ありません」


「あなたって天才ですの!?」


「店員くん、キミはレフ板を持ってくれ」


「は、はい!」


「おっとカーミラ様、お召しの洋服が赤いのはいけません。色が沈んでしまいます」


「脱げばよろしくて?」


「下は白無地のドレスシャツですか。いいでしょう。手はアウラの両肩に軽く添えるようにしてください」


「こう?」


「いいです、最高です。タケル、ちょっと来てくれ!」


「もう好きにしてくれ」


『アウラ』というひとつの作品を作り上げるために、みんながみんな全力投球だった。ここまで来ると、冷めたことを言って水を指すのも忍びないと感じてしまう。


「ここに立ってアウラに手を振り笑いかけるのだ。自然な笑顔を引き出せ」


「何気に要求が難しいぞ。エアリスも来てくれ」


「いや、まったく何が何やら。そなたたちは一体何をしているのだ?」


「写真撮影だよ。お前は夜景専門だが、今は人物を撮ろうとしてるんだ」


「なるほど。アウラの表情を引き出せば良いのか?」


「そういうこと。僕と一緒に笑わせる感じで」


 というわけで僕はエアリスと並んで、身振り手振りを交えてアウラに精一杯の笑みを送る。僕の場合はニヤニヤしてて気持ち悪いとも言うが……。とにかく。僕らがふたりして手を振るだけでも、アウラのテンションは急上昇した。


「おお、いい笑顔だぞアウラ。カーミラ様そのままそのまま……」


「ダメ! アウラちゃん、飛んでっちゃダメですわ!」


「パパ、ママ!」


「え、今あの子浮いて……! あれ、なんか透明になって――!?」


 カーミラが抑えるのにも限界がある。

 アウラはその気になれば、ノータイムで風の魔素に分解し、殆ど瞬間移動みたいにエアリスの傍らに現れることができるのだ。


「エアリスちゃん、あなたが抱っこしてちょうだい! 手の中をすり抜けそうですわ!」


「アウラ、どうどう。ここで飛んではいけないぞ。店員さんがびっくりしている」


「キミは疲れすぎて幻覚を見た。今日はもう帰って休みなさい。店長には私達から言っておく」


「あ、はい、ありがとうございます……」


 顔を真っ青にした女性店員さんを下がらせる。

 まあカーミラの息がかかった店なんだからあとで色々フォローもするのだろう。


「タケル、レフ板を」


「蛍光灯の光をアウラの顔に反射させればいいんだな?」


「エアリス殿、もういっそ後ろから抱きしめてくれ。エアリス殿の顔はボカして見切れるように撮影しよう」


「ええい、アウラ、ほらほらグリグリ~」


「キャッキャッキャ!」


「最高だ! 素晴らしい! なんてフォトジェニック!」


「惚れ惚れするような笑顔ですわ!」


「ねえ、もう服を買うっていう趣旨忘れてるよね?」


 そんなこんなで撮影大会は終わった。

 撮影後、ベゴニアとカーミラは、お店の事務室でパソコンを借りて、コンパクトフラッシュから取り込んだ写真を加工し始めた。


 RAWを専用ソフトで現像して、色味を調節。

 試しているうち、結局全体のカラーを抜いたセピア調の写真になった。

 なるほど、アウラの浅葱色の髪が目立たなくなっていい感じだ。


 さらにベゴニアはイラストレーターソフトでDTP作業をしていく。

 カーネーショングループのロゴや英文キャッチが付け足されて、大きな光沢紙に印刷された。


「これは……いいな!」


 その出来栄えにまずエアリスが感激してしまった。

 素人の僕から見ても、プロの仕事が光る確かな一枚になっている。

 親の贔屓目をナシにしても、これはちょっと見るものの心を暖かくするいい写真だ。


 ベゴニアは自分の仕事に満足し、何やら自慢気な様子で一息ついている。

 カーミラは――、さっきまであんなに騒いでいたのに、今では難しい顔をしていた。


 腕を組んで熟考することしばし、彼女は自前のスマホを取り出し、どこかに電話をし始める。


 ……そうして三十分もしないうちに、フォーマルに身を包んだやり手のキャリアウーマンぽい人たちが三人ばかりやってきた。


 うちの広告宣伝部ですわ、なんて紹介され、僕は丁寧にひとりひとりから名刺まで渡されてしまう。


「あなたたちこの素材をどう見ます?」


 いつにない真面目くさった顔つきで、カーミラは先ほどの写真を披露する。

 加工されていない状態のものと、広告用にセピア調になっているものだ。

 おお、と食いついた三人が、写真を見比べて、部屋の隅でエアリスと遊んでいるアウラ見つめる。


「非常に完成された素材――いえ、プロモーションだと思います。すぐにでもAD展開できそうです」


「私も同感です。多くの海外キッズモデルとは、何か一線を画す雰囲気があるように見えます」


「それでいて、よい意味でアットホームというか、我が社の高級ブランド路線とはまた違った、適度にカジュアルな雰囲気があってとてもいいと思います」


「決定ですわね……」


 重々しく頷くその顔は、享楽的な振る舞いを常とするカーミラが初めて見せた企業人としての顔だった。


「カーネーションブランドの高級イメージを突き崩します。より身近に、より求めやすく、より高品質に。低推移していたキッズブランドの抜本的な改革をいたします。タケル、お立ちなさい」


 いや、なんかすごい宣言を始めたが、このタイミングで僕を呼ぶ意味がわからない。一応立つけど……。


「みなに紹介します。アウラちゃんのお父さんの成華タケルですわ」


 ばっ――と宣伝部のヒトたちが立ち上がる。一糸乱れぬというか、どこの組織でも規律を極めると軍隊じみた動きになるようだ。


「あなた方にだけ特別に教えますが、彼は故あって、血の繋がらないアウラちゃんの父親をしています。そこのエアリスちゃんとアウラちゃんは遠い親戚同士です」


「ん? おい、ちょっと何を言って――」


「遠い異国の地で内戦に巻き込まれ、命からがら遠縁を頼って日本に流れてきたエアリスちゃんは、生まれてまもなく両親を失ったアウラちゃんの母親役を引き受けながら過酷な労働を強いられていました」


「おいおいおい――」


 というか脈絡もなくどっから取り出したその与太話は!?


「そんな時に同じく天涯孤独の身の上であった彼と出会い、共に生きていくことを誓い合ったのです。暗く沈んでいたアウラちゃんも、今ではあんなに無邪気に笑えるようになりました。わかりますかあなたたち、現代日本においては異端である三人が手を取り合い、仲睦まじく暮らしているこの奇跡を!」


 ハンカチで目元を押さえながらカーミラが熱弁を振るう。

 宣伝部の人たちはファンデやマスカラが落ちるのも構わず、すでに滂沱の涙を流していた。カーミラは更に畳み掛ける。


「例え血はつながらなくとも、彼ら三人の家族愛は本物です。その絆の強さに私は心打たれたのです。これこそが我が社のキッズブランドに欠けていたものではないでしょうかッッ!?」


 僕は絶句していた。

 よくもまあそんな嘘が次から次へと出てくるものである。

 こんな話、誰も信じるはずが――


「お恥ずかしながらそのとおりです。小綺麗なモデルばかりを使って、本当に大切なものをお客様にお伝えするのを忘れていました。私たちはトップであることにあぐらをかき、驕っていたのかもしれません」


「私達の洋服を着たお子様がまず最初にそれを見せたい相手は誰か。その笑顔は当然、大好きなお父さんやお母さんに向けられるべきもの……。ならばこそ、このプロモーション素材はこんなにも見る者の心に響くのでしょう」


「正直最初はなんでこんな平々凡々な男の子が会長と一緒にいるのか不思議でしょうがありませんでしたが納得しました。なんて立派な日本男子なのでしょう。これほどの逸材を見い出していた会長もさすがです……!」


 三人から望む以上の言葉を貰い、カーミラは決選投票最後のスピーチで勝利を確信した大頭領候補みたいな顔で僕を見た。


「タケル、伏してお願いを致しますわ。どうかアウラちゃんの写真をカーネーショングループ・キッズブランドの旗艦広告に採用させてください」


「お願いします!」


「何卒、どうか!」


「お願をいたします!」


 僕は内心やられた、と思った。

 ベゴニアを見やると、「ようこそ私と同じ領域へ」みたいな顔でため息をついていた。


 これがカーミラのやり方なのだろう。

 普通に写真を使わせてくれと言っても断られるだろうからと、真っ先に外堀を埋めてきたのだ。


「いや、でも、アウラは特別な存在であって、具体的に言わなくてもわかってるだろうけど、そういうのが表に出ちゃうのはどうかと思うんだけど……?」


 ちゃんとした企業広告に、人間ではない精霊を使っていいのか、という問題なのだが、この場でそんなことを気に病む良識を有するのは僕だけのようだ。カーミラは問題ありません、とばかりにその豊かな胸を張った。


「あらゆる外部干渉からカーネーショングループが――、私、カーミラ・カーネーション・フォマルハウトが全力でお守りすることを誓いましょう。何なら『御堂』に協力を要請してもいいですわ」


 百理まで巻き込むつもりか。

 そこまでことを大きくするのはマズイかな、と思っていると、僕より以上に宣伝部の社員さんたちが驚いた様子で聞き返していた。


「か、会長、今なんと? 『御堂』とおっしゃいましたか!?」


「長年我が社と敵対していた『御堂』の名前がどうして……!」


「『御堂』の名前を聞くだけで不整脈を起こすとおっしゃっていた会長が何故!?」


 三人に詰め寄られ、カーミラは髪をかき上げながら「ふ――」と遠い目をした。


「つい先日和解をしたのです。もちろん、これまでの対立から子会社間の軋轢がすぐに解消することはないでしょう。ですが、少なくとも御堂の一族と私個人とが、ことを構える必要はなくなりました。今後は徐々に相応の形に落ち着いていくでしょう」


「し、信じられません、あれほどまでに争う――、いいえ、憎しみ合ってさえいたのに、今になってどうして……!」


「彼のおかげですわ」


 途端、社員さんたちの首がグルンっと、僕を向いた。

 こんな少年がどうして? なんで? みたいな口ほどに物を言う目で、穴が空くほど見つめてくる。


「あわや御堂の重鎮と戦争になりかけたとき、彼が文字通り身体を張って私達を止めてくれたのです。あのまま行けばどちらかが死んでいてもおかしくありませんでした。ですが、タケルは天下の御堂を相手にこう啖呵を切ったのです――『意の異なるものとこそ手を取り合え』と。そして、『日本のみならず世界のために協力しあえ』と――」


 僕は絶句して何も言えなくなってしまった。

 確かに、確かに言ったけど、そういう意味じゃないし!

 いや、まったく的外れでもないけど、厳密にはやっぱり違うし……!


 ベゴニアを見やると、「自分の過去の発言に首を締められる気分はどうだ?」みたいな顔でコーヒーを啜っていた。これが俗にいう、『過去は未来に復讐する』ってやつなのだろうか?


 社員さんたちは、もう僕を見る目が完全に変わっていた。

 もしや相当のやり手? 将来私達の上に立つ人なの?

 みたいなキラキラした目をしていた。


「エアリス、おまえからも言ってくれ。アウラを見世物にするのはダメだって!」


「見世物だと? 貴様はこの写真を見てそのような偏屈な感想しか抱けない狭量ものなのか」


 え? おや、エアリスさんの様子が。


「アウラの可愛さを世間に広く喧伝することができるのならば願ってもないことだ。私達の娘の晴れ姿だ。大いに喜び、祝ってやろうではないか」


 おめでとう。エアリスは精霊魔法使いから『親バカ』に進化した。


 結局それが鶴の一声となった。

 あれよあれよという間に契約が成立し、カーミラを介してのみオファーができる、特別な専属モデルという雇用形態でアウラはモデルデビューを果たしてしまった。


 そうして僕の元には……いやらしい話だが、結構まとまった額の契約金が支払われることになる。でも、そのお金はとてもじゃないけど私利私欲で使う気にはなれないお金だ。将来のために全額貯金をしようと決意した僕は、ちょっとくらい褒められてもいいと思う。


 そして後に、アウラの広告を採用したカーネーションは、低迷していたキッズブランドを一気にV字回復させることが適い、アウラを幸福の天使と称えるようになるのだが……それは完全な余談だ。


 エアリスは勝利の女神で、その彼女を守護する風の精霊は幸福の天使って。

 つくづくディーオは恐ろしい才能を見い出してくれたものだと思うのだった。


【ビートサイクル編】了。

【創生のマキナ編】に続く。

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