第98話 ビートサイクル③ 人工知能進化研究所~自分は何者なのか?

 *


『人工知能進化研究所』は首都圏近郊に存在する。

 100%御堂財閥が出資する研究機関であり、広大な敷地面積と高い秘匿性を共存させた特別な施設である。


 技術的特異点シンギャラリティという言葉が存在する。


 テクノロジーが急速な発展を遂げ、それにより社会生活への影響が、後戻りできなくなるほど大きくなってしまうことを意味し、特に人工知能が人間を凌駕するその瞬間を技術的特異点シンギャラリティと呼ぶのだ。


 その瞬間は、もうすぐそこまで迫っている。


 人工知能による膨大なデータの分類、分別、整理、そして計算。

 それは未来予測すら可能とし、ネットワークと繋がることで、計り知れない価値を生み出そうとしている。


 人工知能進化研究所は、表向きは人工知能による未来予測が人間社会に与える影響を研究する施設――ということになっている。


 だが事実は異なり、日本のみならず、世界中から集まる膨大なデータを分析し、より正確な未来予測をすることを最重要目標としている。


 それもこれもすべては、御堂が警鐘する『滅びの日』『厄災』と呼ばれる『カタストロフ』の前兆をより早く精査するための施設なのだった。


 *


 人工知能進化研究所主席研究員にして所長、安倍川あべかわマキは不機嫌の極みに達していた。


 研究所内では逆らうものが誰もいない女帝として君臨する彼女にもたったひとつだけ泣き所が存在する。


 それはスポンサーの意向。

 御堂財閥が出資者である以上、上からねじ込まれた仕事は最優先でこなさなければならないのだ。


「くっそぅ……、こっちが散々打診してる『量子コンピューター』の購入はのらりくらりと躱してやがるくせに……!」


 商業用の量子コンピューターはすでに実用化されている。

 カナダのベンチャー企業、『D-WAVEシステムズ』が一台10億円の量子コンピューターを開発、販売したのに先駆け、最近では完全商用ベースの量子コンピューターをIBMが開発販売している。


 現在量子コンピューターを所有するのは四企業。

 米軍需産業のロッキード・マーチン、NASA、グーグル、そしてUSRAだ。

 もっとも後者の三つは共同購入なので、世界で所有されているのは二台だけといっていい。


「はあ、嫌になるなあこの国ってば。逆輸入に弱いというか、みんな右に倣えで新しいことができないというか。もともと基礎理論だって日本人が持ってたのに」


 量子コンピューターの技術的革新は、『量子の重ねあわせ』と呼ばれる物理現象を演算処理に利用していることだ。


 その効果は、数千年かかると言われていた暗号解読を一瞬で終わらせてしまう。

 実はそれらの基礎理論を提唱したのは、日本人物理学者である西森秀稔教授だった。


 日本ではまったく相手にされなかったその理論は海を渡り、ついに海外で日の目を見てしまった。


「辞めちゃおっかなあここ……。毎日毎日あるかどうかもわからない災害の未来予測なんてつまんないよ。カーツワイル博士のところに厄介になろうかなあ……」


 安倍川マキは優秀だった。

 そんな彼女が唯一師と仰ぐのが彼の有名なレイモンド・カーツワイルだった。


 現在グーグル社において人工知能の研究を行う彼からは、事あるごとに仕事の打診が来ている。


 2045年、来たるべき人工知能による統治社会をめざし、『インターネット・オブ・シングス』を推し進めている彼は、すでに老境に差し掛かり、後継者を探していた。


 安倍川マキも、こんな島国でスポンサーからつまらない仕事を押し付けられるより、よほど実りのある仕事ができるだろう。


 執務机の上の子機が鳴る。

 時刻は昼をとっくに過ぎていた。

 ウジウジしててランチを食い損ねた。畜生……。


『所長、例のお客様がいらっしゃいました』


「はいあいさー。んじゃ第四試験場ラボに誘導してあげて。あたしも超気が進まないけどすぐに行きますわよー……」


 本日の予定。

 御堂財閥の命令で、とある少年のお話を聞いてあげることになっている。


 少年、である。

 果たしてどんな分野に秀でた神童なのかと思ったら、何の実績もない、高校にすら通っていないフリーターの与太話を聞かなければならないのだ。


 頭が痛い。

 御堂は一体何を考えているのか。


 制御モニターを操作して正面玄関から入館するその少年を見やる。

 なんとも平々凡々とした容姿だ。


 背は高くもなく低くもない。

 黒髪の中肉中背。

 しかもスウェットのつなぎ姿。

 TPOも知らんのかいな。


「あらら、カッコつけちゃってまあ、カラコンですかー?」


 少年の目は派手な金色をしていた。

 安倍川マキはプププ、と失笑するのを抑えられなかった。

 その瞬間、少年の瞳がモニター越しに彼女を捉える。


「えッ!?」


 少年は軽く口元を釣り上げ、会釈したようだった。


「偶然、よね。いやあ、意外と礼儀は知ってる坊やなのかな……」


 そして少年の後ろには褐色の肌に蒼みがかかった銀髪の美少女、その手に引かれた幼い子供が続いている。


「見間違いかな。あの小さな子、今風船みたいに浮いたような……」


 最後はどっかで見たことのある淡桃カールの美女。その後ろに影のように付き従うのは長身スーツ姿の麗人である。


「なんかすごい個性的なメンツじゃん。まあ、あの百理様がねじ込んでくるんだから只者のはずはないか……」


 空腹を主張し始めた胃袋をなだめるため、ウィダーインゼリーを飲み干す。

 そうしてようやく重い腰を上げた安倍川マキだったが――、

 まさかこの日、自分が運命の出会いをすることになるとは思ってもいなかった。

 生涯にわたって研究を続けることになる、成華タケルという規格外の少年との邂逅だった。


 *


 例の少年――名前を成華タケル。

 どこからどう見ても普通の日本人である。


 その彼が一番最初にお願いしてきたことは、倉庫の奥に仕舞い込んでいた災害時用の『大型蓄電池バッテリー』と『電力変換装置コンバータ』、及び『発電装置ジェネレーター』を貸してくれというものだった。


 大規模な研究施設を持つ人工知能進化研究所は、研究だけではなく、災害時には積極的に避難民を敷地内に受け入れたり、非常食などの配給も行うよう総務省から義務付けられ、多少の補助金も出ている。


 その中にはもちろん停電対策用の蓄電池はもちろん、発電装置の所有も含まれている。


(何をやるつもりかは知らないけど、いきなりそんなもん貸せって、この子、とんでもないおバカさんなのかしら?)


 そう思ってもスポンサーのお客様だ。

 もちろん面従腹背でニコニコと対応する。


 大型の重機によって運ばれてきたジェネレーターは『無停電発電装置』と呼ばれ、エンジンの始動によってフライホイールを回転させて電力を得る装置だ。


 コンバータは直流・交流変換だけでなく、熱エネルギーをも電力変換できるすぐれものである。


 バッテリーは言わずもがな。フル充電で近隣1000世帯の住生活を3日分はまかなえるだろう。


「あの、所長……あの少年がコンバータから熱変換された電力でジェネレーターが動くようにして欲しいと言ってるんですが」


「ああ、好きにしちゃってよ。何するつもりか知らないけどさー、偉い偉い御堂様がよしなにっておっしゃってるお客様なんだよ。逆らったらこっちの首が飛ぶよ。接続くらい三十分もありゃあできるでしょ。あたしゃちょっくら飯食ってくるから」


「はあ……」


「今日のAランチなんだっけ?」


「さば味噌でした」


「いいねえ。そんじゃあとよろしく」


 安倍川マキは光彩の消えた暗い瞳でヘラヘラしながらラボの監視所を出て行った。

 そして廊下を歩きながら密かに決意する。

 本日中に辞表を書こうと。


 そんでもって温泉あたりでバカンスを満喫したら渡米しようと。

 さば味噌を食えるのも今日が最後だと、そう思っていた。


 *


 最後のランチを食べ終えたマキ博士は、血相を変えた女性職員に出迎えられた。

 マキ博士の右腕であり、次席研究員の秋月楓あきづきかえでである。


「所長、今までどちらに行かれてたんですか!」


「どこって最後の――、いやいや、ランチよランチ。さば味噌うまかったわー」


 爪楊枝をくわえていい気分なマキ博士は、秋月楓の顔が青くなっているのに気づく。


 そして、第四試験場を見下ろすように作られた監視所内には、見知らぬ顔ぶれがそろっていた。監視カメラで見た、少年と一緒にやってきた四人の女性たちだ。


 銀髪、浅葱色のツインテール、淡桃ブロンドに白黒ツートン。

 どれもこれもカラフルで特徴的だ。


「あれ、あの少年は?」


「そ、それが……」


 指差す向こうには全面強化ガラスが張られた窓があり、その真下に試験場が広がっている。監視モニターが指し示す情報に、試験場内の異常な温度の上昇が表示されていた。


「室内温度摂氏100度――ちょっとちょっと、あんたら下で何やってんの!?」


 マキ博士は四人をかき分け、試験場を見下ろした。

 そこには――信じられない光景が広がっていた。


 全身に計器を取り付けた少年が、コンバータの入電パイプを素手で握りしめている。アホか――、と一瞬思ったが、現実はさらにバカバカしかった。


 燃えてる。

 少年の手が。

 そりゃあもう焼身自殺か!

 というレベルで燃えていた。


 そして熱から変換されたエネルギーがコンバータを通じてジェネレーターのフライホイールを回していた。


 電気を作っているのだ。

 少年が。

 セルフで。

 やっぱりアホだ。


「な、なななな、何やってんのあの子――! 燃えてんじゃん! バカじゃん! てか、なんでアンタら止めないのさ!」


「なんで、と言われてもな。私もタケルが何をしているのかまったくわからん」


 答えたのは銀髪に褐色の肌も眩しい、おまけにすごいグラマラスボディの美少女だった。


 負けた。

 どう見ても十代のピチピチモチモチの肌。

 しかもそんな凶悪なスタイル。

 お顔だって日本人にはないタイプの超美形で。


 憎い。憎いったらありゃしない。

 私が仕事漬けの毎日でどれだけ女を捨ててると思って――


「あら、また変換効率が落ちましたわ」


「排熱がずいぶんと滞っているようですな」


「そりゃ室内全体が蒸し風呂状態なのですから無理もありませんわ」


「このやり方はどうも上手くないようです」


 淡桃のゴールドブロンドをカールにした美女が、隣のマッシブに引き締まった麗人と話し込んでいる。


 こっちも日本人離れした超絶美形である。

 一体何食ってりゃそんなツル肌デカパイになるんだこいつら!


「だあああああッ、やめやめやめ――!」


 マキ博士は室内マイクを引っ掴むと眼下の少年に向けて叫んだ。


「バカか君は! 実にバカだな君は! 熱変換のエネルギーロスはとんでもないんだぞコラ! これ以上私の目の前でそんなおサルさんみたいな真似はやめなさい! 話聞いてあげるから上がってこいこのバカッ!」


「ばか、ばか、ばか」


 薄い褐色の肌に浅葱色の髪をツインテールにした少女が無邪気な笑顔で反芻する。


「む。そこの方、アウラが真似をするのであまり汚い言葉を使わないでもらえるか」


「ばか、タケルのばか」


「アウラ、やめなさい。ほら、お母さんのところにおいで」


「あー」


WHATワッツ――!?」


 強化ガラスに張り付いていた少女が軽く床を蹴った瞬間、ふわりと天井近くまで浮かび上がる。


 くるりと反転したかと思えば、中空でホバリングして、バタバタと犬かきで銀髪の美少女まで泳いでいくではないか。


「うーん。もうちょっと上手くいくと思ったんだけどなあ」


 濡れネズミのような有様で少年が入室してくる。

 またしてもバルーン少女がふよふよと泳ぎながら少年の首にしがみついた。


「アウラ、僕今汗臭いから、ちょっと離れて」


「べちょべちょ」


「汚れるからダメ。エアリス、なんとかしてくれ」


「アウラ、いい子だから」


「あー」


 もう何度目だろう。マキ博士の目の前で少女が浮遊している。

 これは――、私が災害予測なんてしている間に、世間では重力低減装置が普及していたのか? 今の子供はみんなセイリングジャンプして遊んでいるのか???


「どうだった?」


「全然ダメですわね。元々魔力を炎の魔素に変換しているのですから、そこからして既に正確な魔力の測定など無理でしょう」


「やはり、魔力そのものを計測しないことには出力限界を知ることは無理だろうな」


 全員、マキ博士のことなど無視して好き放題しゃべっている。

 それよりも気になったのが少年の手だ。


「少年、キミ、手は? ぼんぼこ『どんと祭』のお焚き上げみたいになって黒炭化してたはずの君の手がみずみずしいままなのは一体何故――?」


「えっと……」


 マキ博士の質問に何故か少年は淡桃ブロンドの方を見る。


「よろしいのではなくて? 御堂の肝いりなら守秘義務くらいわかっているでしょう」


「まあ隠し事しておいて頼みごともないか」


 少年は居住まいを正すと、服の裾で拭った右手を差し出してきた。


「初めまして安倍川博士。成華タケルです。手は再生しました。僕、ちょっと人間じゃないので」


「なにそれ怖い」


「ちなみに、今この室内で人間の比率ってあなたとそっちの助手さんだけですよ」


「……キミって何者?」


 端的に問うたマキ博士に、少年――成華タケルはこれまた端的に返答した。


「それを知るために来ました。あなたの力を貸してください」


 成華タケルは金色の妖しい瞳で、マキ博士を真っ直ぐ見つめてそう言うのだった。

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