ビートサイクル編
第96話 ビートサイクル① 御堂百理・朝の風景~大江戸人外化生改方
*
早朝四時前。
御堂百理の朝は早い。
彼女は日本屈指の大企業、御堂財閥の影の会長であり、さらには日本国内の人外を統べる頭領としての顔も併せ持っている。
寝る暇もないほど仕事に明け暮れ、朝も早くから執務を開始するかと思いきや、布団の中から手を伸ばし、枕元に置いていたリモコンを手に取る。ブゥウンと、特有の音がして、ブラウン管テレビが点灯した。
百理が愛用しているテレビは40年選手の骨董品だ。
定期的にメンテもして大切に使っている。
デジタルチューナーも接続し、地デジは映るものの、画面が4:3なので両端が切れてしまっている。どうにも彼女は横長の16:9に抵抗を感じてしまい、アナログテレビを未だに使っているのだ。
テレビ画面は試験電波放送から美しい草原の風景になり、そして四時ちょうどになった瞬間、『ジャジャジャーン』とお決まりのOPが始まり、白馬に跨る凛々しいお侍が画面狭しと駆けまわる。
関東ローカルの朝の時代劇である。
この番組に限れば4:3で綺麗に見られるのだ。
「新兄様……おはようございます」
新兄――かの八代将軍が江戸紀州藩邸に迎えられた際の、市井を歩き回るのに用いた名が新之助である。
日本史上かつてないほどの栄華を誇った江戸幕府は、その影で多くの犯罪が跋扈した時代でもあった。そして人外の化生たちが絶頂を極めていたのもこの時代である。
百理は当時、幕府が極秘に設けていた『
彼女は当時、鬼道と陰陽道をミックスさせた強力な式神を使役する天才と謳われ、史上最強の『御堂』と呼ばれていた。
慢心していた。自分に倒せない妖かしはいないと増長していた。
その結果、致命的なミスを犯し、任務中に孤立してしまった。
敵の罠だと気づいたときには手遅れだった。
多くのバケモノに囲まれ、絶体絶命の危機に陥った時、颯爽と現れたのが白馬にまたがった彼の米将軍様――になる予定の男だった。
当時の日本人では破格の巨体を誇った新之助は、己が剣技と身体能力のみで人外の妖かしたちと互角の戦いを繰り広げ、その御蔭で百理は無事に危機を脱することができた。
それ以降、ふたりは夜な夜な江戸の街の闇の中で合流し、市井を脅かす妖かしたちを討伐するようになった。
今にして思えば。あれは間違いなく初恋だった。
百理は叶わぬと知りつつ、二人で戦うときは逢引にも似たときめきを感じていた。
宝永二年。
百理はきな臭くなりつつ合った京都の安寧のために上京し、新之助は名を吉宗と改め、後にも語り継がれる名君として辣腕を振るい始めた。
それ以降、ふたりが会うことは二度となかった。
何度か文のやり取りはしたが、程なく彼が正室を迎えたと聞いた。
これでいい。自分は日ノ本を影より支え、ヒトと妖かしの領分を守るもの。
溢れ出んとする闇に蓋をし、決して表に出さないようにするための存在。
表舞台には出ないところで、京の都は妖かしたちが跳梁する魔界と化しており、百理の業は冴えに冴えていった。
そして時は流れ――
やがてくる西洋列強の波。
大政奉還から明治維新。
世界大戦という怒涛の嵐の訪れ。
長く苦しい時代が続き、祖国を憂い何度も身を引き裂くような思いをした。
だが日本は現在、世界に名だたる先進国として隆盛を極めている。
妖かしは完全に日陰となり、人々の記憶の中からも忘れられつつあった。
もはや政府の依頼の元、妖かしを討伐する時代は終わりを告げたのだ。
御堂もその在り方を変え、影からだけでなく、表の世界からも日本を支える大黒柱となった。
自分の役割は終わりつつある。
そう思っていた百理は先日、新たな出会いを果たした。
数えて332年目の邂逅である。
出会って早々、百理に20億円の損失を与え、尚且つ堂々と啖呵を切ったあの少年――
「意の異なるものとこそ手を取れ、ですか」
そうした結果が今の日本だ。
この国の未来を想い、名も知らぬ子々孫々のために戦ったものたち。
その結末は、決して望むものではなかったかもしれない。
だが、それが今という未来を確かに形作ったのなら――恥じることはないのだ。
殻に閉じこもったままでは決して手に入れられなかった今は、敵だったものとさえ共に歩み、掴みとってきた確かな『今』なのだから。
そのことをまさか、あんな年端もいかない少年から教わるなど……。
「百理様。お目覚めでしょうか」
微睡みと思索の間から百理を引き上げてくれたのは、朝を告げる女中の声だった。
「はい。どうぞ」
「失礼をいたします。おはようございます」
「ええ、おはよう」
襖を開け、静々と入室してきたのは素朴な顔立ちの女中だった。
彼女は人間だった。百理が人外の頭領であり、日本経済界の重鎮であることなどまったく知らない一般公募で雇った、生まれも育ちもまったく怪しいところのない凡庸な女性だった。
なぜ百理がそんな女中を手元に於いているかというと、これもまた己が常に人間社会の中に生きていることを自覚させ、忘れないための戒めという意味合いが強い。
そんな女中には、百理は見た目にそぐわず飛び級で学位を収め、御堂の仕事を手伝っている経営親族の令嬢という設定にしてある。
おそらくずいぶんと渋くてババ臭い趣味を持った子女だと想われていることだろう。
「朝一で言伝を預かっています。命理様が至急お会いしたいとのことです」
「おか――お祖母様が、ですか」
妖かしの頭領として、とうに現役を引退し、老境に差し掛かった容姿をしているために、世間的には百理の祖母ということにしてある。
「わかりました。年寄りは朝が早くてかないませんね」
「え――、はい、そうですね」
クスリ、と女中は笑った。
わかっている。
朝から時代劇を見る百理もまた同じだと言いたいのだろう。
だが自分は違う。
未だ子を成したこともないし、成そうとも思わない。
御堂は古より女系の一族だ。
御堂の長は必ず人の世に仇なす妖かしと戦う宿命を背負い、その受け継がれてきた技のすべてを叩き込まれる。
それまで、年をとることがない。
子を産み、育む過程で初めて加齢を経験する。
そして死ぬまでの間に己の業のすべてを子に託すのだ。
百理は――、ある事情により、子を成すことがなかった。
もとより心は枯れた身。
もう二度と恋などしない。
そう思っていた。
彼に出会うまでは。
「すぐに向かいます。着替えと車の準備を」
「はい、あの、お食事は」
「必要ありません」
「そんな、百理お嬢様は食が細すぎます。昨晩も遅くなったからと何も口にせず――」
「誤解なきよう。せっかくだから祖母と一緒に摂ろうと思っただけです」
「え、あ」
口元を抑え頬を赤くする女中。
可愛い仕草だ。故意ではなく自然とそういう仕草ができるのなら、この子はきっと異性からモテるだろう。だた、やや天然なので、本人がそれに気づいているかどうか。
「心配をしてくれてありがとう。早く食事をしたいから支度を急いでくれますか」
「かしこまりました。直ちに」
一礼し、パタパタと寝室を離れていく行く女中。
時代劇はとうに終わり、朝の情報番組が始まっていた。
「そういえば甘味など、ずいぶん食べていませんね」
布団から抜け出し、冷えた部屋の空気に身を晒す。
呟いた百理の「ずいぶん」とは30年近くに及ぶ。
心が枯れると同時期に味覚も鈍り始めた。
先日、カーミラ邸の新居に持っていった差し入れの和菓子は、かつての彼女の大好物だった。今ではゴム毬を噛んでいるような味しかしないが。
「そういえば今日ですか。タケル様が『研究所』を訪問するのは」
彼が自分を頼ってくれるのは純粋に嬉しい。
午後にはきっと合流できるはず。
それまで、面倒な実母の相手を済ませてしまわねば。
「――へっぷちっ!」
寝巻き姿でいるのを忘れていた。
百理は冷えた身体を掻き抱き、未だぬくもりの残る羽毛布団の中へと潜り込む。
「寒いのは苦手なのです」
そのまま二度寝して女中に呆れられたのは言うまでもない。
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