第95話 精霊と遊ぼうよ⑦ キミの名を呼べば〜夫婦円満の方策

 *


 カーミラたちが瓦礫の山の向こうに姿を消して十分ほどが経っただろうか。

 僕とともに残された風の少女は、片時もじっとしていることがなかった。


 僕の周りをふわふわ浮いたり、僕にまとわりついたり、黙っていたら舐めたりキスしたりあまがみしたりと好き放題にされてしまった。


 僕は程よく少女をあやしながらその一挙手一投足を仔細に観察していた。

 突如として降って湧いた精霊の具現化というハプニングは、今の僕には天啓にも等しいものだった。


 余談ではあるが、僕は魔法の制御についてエアリスに習おうとしたことがあった。

 だがその目論見は失敗に終わってしまう。


 彼女は魔法の制御を学んだことがなかったのだ。

 彼女の魔法制御とは精霊に願い、精霊に乞い、精霊に奉る。

 ただそれだけであり、それがすべてだった。


 では、魔法世界において、精霊の加護など持たない普通の魔法師が、一体どのように魔法を勉強しているかというと、無難に『魔法学校』に通うのだ。


 魔法の才能が発覚する場合は、主に2パターンがある。


 物心がついてから、魔素が見えるなどの自己申告で発覚する場合と、生まれながらにして魔力が強いものなどが、自然と相性のいい魔素を引き寄せてしまい魔法を発現。それを家族に認められ露見する場合とがある。


 そして、もしそれがヒト種族であった場合、手に魔法を身につけたものは将来を嘱望されることから、どんな貧しい家庭であっても親戚中から金をかき集め、早いうちから高額な魔法専門学校に通わせるのだという。


 魔法学校を卒業した後は、全員がすべからく国家公務員として内務、軍属へと振り分けられる。


 三年の国家奉公を経て、そのまま残るか、野に下り冒険者になるかなど、選択権が与えられる。


 対してヒト種族以外の獣人種などは、魔法学校などもあるそうだが、基本的に子供に魔法の才能があることが発覚すると、氏族間会議が開かれ、魔法を教えるに優れた一族、あるいは魔法私塾へ里子へと出されるのだ。


 魔族種やエルフになるとまた話は別で、独自の魔法体系や、中には一子相伝の特殊な魔法技法などがある関係で、教育方法は秘匿されている。


 ディーオによって魔法の才を見い出され、程なく風の精霊の加護に目覚めたエアリスは、精霊の感知、精霊との対話、精霊への魔力供給と、それらに重点を於く以外に魔法の制御を勉強したことも、他者から教わったこともないらしい。


 初歩の初歩である風の魔法などは、日が暮れる頃には使えるようになり、特別に意識したりしなくとも、精霊を通して魔法を発現すれば確実に、そして自分のイメージしたとおりに魔法の効果が現れてくれたという。


 僕と出会ってから編み出したという魔法、『ホロウ・ストリングス』なども、自分のイメージを汲みとった精霊が、望む効果を付加させ、魔力を対価に自動的に発現してくれたそうだ。


 その話を聞いて――僕はひとつの仮説を立てた。


 魔法世界の極々少数、稀有な魔法の才能を持つもののみが先天的、あるいは後天的に発現させるという『精霊の加護』。


 その『精霊』とは果たしてなにか。

 答えは僕の世界、地球にこそあった。

 即ち『OSオペレーションシステム』である。


 魔法使用者の直感やイメージをダイレクトに受け止め、

 望む効果を斟酌し、魔力を対価にして世界に顕現させる存在。

 それはコンピューターにおけるOSと全く同じ役割と言えた。


 コンピューターのOSとは、ハードウェアを抽象化したインターフェースを介して

 ユーザーとソフトウェアとをつなぐ橋渡し役である。『精霊』も正に魔法使いと世界とを繋ぐ橋渡し役といえる。


 ただし『精霊魔法』にも弱点がある。

 弱点というか、これは仕方がないことなのだが、精霊魔法使いは魔法が特定の魔素に特化してしまっているということだ。


 エアリスは風の魔法が100使えるとしたら、それ以外の魔法は10も使えないという。


 例えば炎の魔法なら、ごくごく簡単な火種を起こす程度の魔法しか使えないそうだ。


 セーレスも水の精霊の加護を受けていたが、やはり水以外の魔法を使用していた記憶はない。


 水で作り出した矢を番え弓で放っていたが、彼女のあれは普通に弓のスキルだった。


「タケル……?」


 僕の瞳に何かを感じ取ったのか、少女が小首をかしげる。

 可愛らしい仕草だ。

 大きな、まんまるお月様を写したような瞳が僕を真摯に見つめる。

 僕もまた少女を真正面から見つめ返す。


龍慧眼りゅうけいがん


 僕は再び龍神族の特別な眼を使う。

 途端、少女の動きがピタリと止まった。

 中空に浮かびながら、吸い寄せられるように僕に近づく。


 少女の肉体は高密度の魔素の塊だった。

 構成要素は『風』の魔素が最も多い。

 次いで全体を支える『土』。

 魔力の循環に使われる『水』。

 そして人間の内臓器官に似た動きをする『炎』である。


 それ以外にも混ざっているようだが、知識がなくわからない。

 そして、少女に実態を与えている魔力には、エアリスのものと、僕のものとが手をつなぐように深く深く混ざり合っているのがよくわかる。


 これは――

 僕は知らず、少女に手を伸ばしていた。

 少女はされるがまま、僕の手を受け入れる。

 僅かにはだけた上着の隙間を縫い、少女の胸の上に直接手を触れる。

 視覚だけではわからない、新たな感覚器官からさらなる情報が齎される。


 四大魔素が手をつなぎ、よどみなく流れるサイクル。

 密度を増し、高度な並列思考を形成するまでに至った情報クラスタ。

 あの『魔』原子炉のようにすべての魔素が矛盾なく自然の寵児として存在している。


 具現化に至った要因は主に僕が与えた過剰な魔力だ。

 それは――果たしてエネルギーの物質化か?


 いや、違う。

 少女はあくまで仮初の肉体を得たに過ぎない。

 少女の本質は超高密度な魔素集合体であり、宿主であるエアリスを通じて具現化しているにすぎない。


 だからこそその姿はエアリスの姿形に似通っているのだ。

 僕の魔力は切っ掛けを与えただけにすぎないことがわかる。


 では高密度の魔素と魔力、そして宿主となる核が存在すれば、もしかしたら『アレ』が再現可能になるのではないか――


「貴様、何をしているか!?」


 突然の衝撃。

 視界に火花が散り、僕は思考の渦から解放された。

 目の前には少女を後ろから掻き抱くエアリスが。

 振りぬかれた手の形から、頬を張られたのだとわかった。


「貴様、このような子供相手になんと不埒な真似を!」


「ちが、誤解だ、僕はただ――」


「私にしろ!」


「は?」


 エアリスは宵闇の中でもはっきりわかるほど顔を真っ赤にしていた。


「貴様も男だ、もしどうしても女が欲しくなったときは、私に欲望をぶつけるがいい!」


「いや、なにそれ? 一体どういう理論でそういうことになってるの?」


「な、ななな――ッッ、なんといってもこの少女は、私と貴様のこ、子供も同然! 即ち私たちはふ、夫婦だからな! お、おおお、夫の性欲を処理するのは、つつ、妻として当然だ!」


 遠くの方で喝采が聞こえる。

 やんややんやと喜んでいるのはカーミラだ。

 うちのエアリスさんにまたいらん知恵を授けやがったな。


「そうか。じゃあ最初の共同作業として、この子の名前を一緒に考えてくれないか?」


「む。それもそうだな。いつまでも名無しでは親としての示しがつかない」


 エアリスがいまだかつて見せたことのない仁愛の表情で少女に笑いかける。

 少女は最初びっくりした顔を見せたあと、エアリスに釣られるようにキャッキャとはしゃぎだした。


 僕は僕で、内心ドキドキだった。

 夫とか妻とか、そんなのいきなりすぎるだろ。

 何とか話題をそらすことには成功したが、カーミラとベゴニアは声を揃えて「ヘタレー」と僕を罵倒していた。うるさいよ。


 まあ、それはともかくとして――


「こらタケル、貴様ももっと真剣にこの子の名前を考えぬか。名は子供の一生を左右するのだぞ」


「そうだな……ふっ――」


「何を笑うことがある。まさかこの子のことを軽んじているのではあるまいな?」


「違う違う。そんなんじゃない。エアリス気づいてないのか? おまえさっきからずっと日本語喋ってるぞ・・・・・・・・


「な、なに――? あ、あれ……?」


 カーミラたちが気づかないほど、彼女は先程からネイティブな日本語を話していた。


 これもおそらくは精霊のオペレーションシステムの成せる業だろう。

 なんてったって半分は僕の子供だからな。

 日本語に対応していてもおかしくはないのだ。


「やっぱり僕の仮説は正しいみたいだ。エアリス、この子は僕に取ってまさに希望の存在だ。これで夢が夢じゃなくなるかもしれない!」


「夢? なんだ、貴様は何を言っているんだ?」


「新たに創る・・んだよ!」


 僕の宣言に、エアリスはポカンと口を開け、途端着火したように顔から火を吹き出した。


「つ、作る・・、だと!? まさか第二子――、それはいささか気が早過ぎるぞ!?」


「いや、思い立ったが吉日っていうからな。日本語も意訳されて伝わっているだろ? こういうのは早いほうがいいんだ!」


「ま、待て待て、いきなりそんな――、確かに夫婦に取っては当たり前のことかもしれないが、私にももう少し心の準備というか、初めてはその――」


「創るんだよ、この子みたいな精霊を、人工的に! それも属性にこだわらない万能型、無属性の精霊を!」


「……なに? 精霊? …………作るとはそれのことか?」


「うん、当たり前だろ。なんのことだと思ったんだよ」


「そうか」


 次の瞬間、音速を超えた平手がエアリスより繰り出された。

 僕は顔面の穴という穴から出血し、一度死んだのは言うまでもない。


【精霊と遊ぼうよ編】了。

 次回【ビートサイクル編】に続く。

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