精霊と遊ぼうよ編

第89話 精霊と遊ぼうよ① 風の精霊の顕現〜エアリス・忠義と嫉妬に揺れて

 * * *



「地球の風は騒がしいな」


 遥かな空の高みにエアリスはいた。

 雲さえ眼下に見下ろす高度に立つように、エアリスは静止していた。


 中途半端な高度にいると地上から見つかる可能性があるため、今は高度一万フィートの場所にいる。


 ここの空気は薄い。そしてとてつもなく寒い。

 だが、精霊の加護があるエアリスは、それを苦と思ったことはない。

 すべては感じるがまま、思うまま精霊はいつでも彼女のそばにあり、そして応えてくれるのだ。


 ――動き始めた、とエアリスは思った。

 我が主タケル・エンペドクレスの計画が動き始めた。

 そのために必要不可欠だった協力者もできた。

 僅かな期間にそれらを得ることができたと、タケルは大いに喜んでいた。


 そう、そのことはいい。

 タケルが喜ぶと、自分も嬉しい。

 タケルが家にいないと自分は何故か落ち着かない。

 タケルが自分の作った料理を口に運んでくれると胸が温かくなる。

 そしてそれを褒めてくれると、今すぐ叫びだしたくなるほどの強い感情が溢れてくるのだ。


 タケルが働きに出ている間、エアリスひとり、ずっとこの気持ちの正体を考えていた。ひらながとカタカナの書き取りをしながら、タケルがネットで見つけてきたという日本語講座の動画を繰り返し閲覧する。


 自分も早くタケルと日本語で話がしたい。

 他の者がタケルとどんなことを話しているのかキチンと把握しておきたい。


 何故なら、タケルが自分を介さず、日本語で別の女と話すのが嫌だった。

 どうしてそう思うのか、思ってしまうのかはわからない。


 紹介されたカーミラ、百理、ベゴニア。

 地球に根ざす根本からしてヒト種族とは違う者たち。

 妖怪、物の怪、吸血鬼……。

 魔法世界でいうところの魔族種や獣人種のようなものだと言われた。


 だがいずれも女性だ。

 全員、タケルはもちろんエアリスよりも遥かに年上だ。

 その生に厚みがあると、言葉のひとつひとつや態度にも妙な説得力や、落ち着いた大人の雰囲気があるように思う。


 そして特に、これが最も重要なことだが、彼女たちはとても美しい容姿をしていた。


「私はなにを考えて――」


 知らずエアリスは胸元のそれを・・・握りしめていた。

 首からストラップで下げたスマートフォンである。

 特にカメラ機能がすごい機種らしく、今ではエアリスお気に入りのガジェットだ。


 タケルが以前言ってくれたとおり、日頃の労をねぎらい、自分にプレゼントしてくれたのだ。


 男が女へ贈り物をするときは、宝石や貴金属の類が当然と思っていたエアリスは最初戸惑った。


 見たことも聞いたこともない、使い方すらわからない地球の利器を与えられたということもそうだし、もしや自分はタケルに女として見られていないのかと心が乱されたからだ。


 だがタケルは言う。


『おまえはよく夜に空中散歩に行きたがるし、地球の夜景が大のお気に入りみたいだな。ネットの使い方もわかってきたみたいだからインスタでも始めてみたらどうだ?』


『インスタっていうのはSNSって言って、不特定多数のヒトに自分の写真を投稿して見てもらうんだ。おまえの投稿した写真が気に入られたら、たくさんのヒトに見てもらえるんだ』


『使い方はじっくり教えるから、何も心配しなくていいぞ。そう、まずはアカウントを作って……うん、これは僕がやるから。で、写真をアップする。……アップっていうのはアップロードのことで……』


『ほら、このアイコンを触るとカメラが起動した。この丸いところがレンズで、これを写したいものに向けるんだ。そうするとほら、画面に写ってるだろ? これで好きな風景や人物を一瞬で絵にしてくれる機械なんだ。……うん、そうだ魔法だと思えばいい』


『よし、試しにエアリスを撮ったぞ。ここの画面で見るんだ。おお、いいなその初々しい反応。これぞ異世界人って感じだな。おい、バカにしたわけじゃないぞ。落ち着けって』


『とまあこんな感じで、ここのシャッターボタンを押せばあとはアプリが勝手に綺麗に撮ってくれる。試しに何か撮影してみな? ……おい、僕を撮ってもしょうがないだろう?』


『あとはこれ、ストラップ。空の上から撮影するときはこれを首から下げて、落とさないように気をつけてな。防水機能付きだけど、あんまり雨とかには濡らさないように』


『まあ、金のことだけじゃなくてさ、ホントおまえには助けられてるっていうか。エアリスがいたから僕もいろいろ覚悟が決まったところもあってさ。だから、ありがとな――』


「タケル……!」


 宝石や貴金属を贈られるよりも、きちんと自分のことを考えた末に贈ってくれた実務的なプレゼントに、エアリスはとても感激した。


 そして、かつて感じたことのない、強く熱い気持ちが溢れ出てきた。

 もし彼女の強靭な理性がもう少し足りなければ、彼の目の前で無様に泣きだしていたかもしれない。


 スマホに撮影された一枚目の写真はヘンテコな顔をした自分自身だ。

 そして二枚目に記録されたのは、自分自身で撮影した写真――タケルである。


 最初は取るに足りない、おろかでくだらない元人種族だと思っていた。

 ディーオ様からせっかくのお力を授かっておきながら、そのことに感謝もせず、ただ自分の目的のために未熟な力を振るう彼に腹を立てた。


 だが、アレほど遠く隔絶されたディーオという存在を自分に近づけてくれたのもまたタケルであった。


 エアリスはどんなにディーオを慕おうとも決して同じ土俵には立てなかった。

 どんなに近付こうと努力しても、ディーオは遥かな時の彼方の存在だった。


 でもタケルは違う。

 同じ歩幅で一緒に歩んでいける。

 その背中はすぐ近くにあり、手を伸ばせばちゃんと触れることができるのだ。


 何故ディーオがタケルを選んだのか、今なら少しだけわかる気がする。

 もしもタケルが利己的で、自分の欲望のままに力を振るうような者だったら、ディーオは彼を見殺しにしていただろう。


 だが彼が力を使う理由は、いつも自分のためと言いつつ他者のためだ。

 他者のために力を振るうことを自分のためなのだと、そう言える男がタケルなのだ。


 そして、彼は今、理不尽にも攫われてしまったアリスト=セレスを助けるために全力を尽くしている――


「くッ――、何なのだこの胸の痛みは……?」


 正体不明の動悸、発汗、そして息切れ。

 喉の奥がきゅうっとすぼまり、胸骨の裏側が締め付けられる。


 タケルが他の女と話をしているだけでも、エアリスはそのような痛みに襲われる。

 自分はどうにかなってしまったのではないか。

 慣れない世界に来ておかしな病気にでも罹ってしまったのではないか――


 と、そのとき、風の流れが珍客の来訪を告げる。

 エアリスは邪魔にならないようにさらに高度を上げた。

 光学迷彩も改めてかけ直し、眼下のそれを見つめる。

 白く巨大な翼を広げた鳥が悠々と通り過ぎていく。


「じゃんぼじぇっとき、と言ったか」


 つくづく恐れ入る。

 あれは空を飛ぶ荷馬車であり、中には大勢のヒト種族が乗っているのだという。

 実際にネットで画像を閲覧し、どのようなものかは教えられたが、今でも信じられない。


 あれは世界中を飛び交い、徒歩ならば何十年もかけなければ辿りつけないような僻地をも日が暮れるまでにはたどり着けるのだという。


 ジェット機だけではない。

 街を駆け巡る馬を必要としない自動車。

 街と街をつなぎ国内のどこまでもヒトを運ぶ電車。

 そして今やヒト種族はあの遥かな星々までにもたどり着こうとしているという。


 とんでもない世界にやってきてしまったと思った。

 もしこんな何もかもが違う世界にひとり放り出されてしまったとしたら。

 果たして自分は今と同じ精神状態でいられただろうか。


 これと同じ状況になったのがタケル自身なのだ。

 その時の精神的支柱を務めてくれたのがアリスト=セレスという存在なのだろう。


 わかる。それは理解できるのだ。

 今の自分がタケルの存在を支えにしているように、かつての彼もそうなのだと。

 だからこそアリスト=セレスを探すため、あれほどの努力をし、血眼にもなるのだと理解しているはずなのだ。


「タケル……」


 スマホに写った彼の姿絵。

 一人、部屋にいる時はいつも眺めている。

 彼が帰ってくるまで。飽くことなく。ずっと。


 自分は弱くなってしまったのだろうか。

 少なくとも以前はこんな恋物語に出てくる乙女のようなことはしなかったはずだ。

 彼が贈ってくれたスマホに、彼自身を映し出し、そしてそれに口付けることなど――


『――ねえ』


 ゾクリと、誰も見咎めるものがいないはずの空の高みで、エアリスは確かにその声を聞いた。


「な――、何者だ!?」


『――あなた寂しいの?』


「どこだ、どこにいる!?」


『――好きなんでしょ彼のこと?』


「隠れてないで出てこい!」


『――本当にいいの? 出てきても』


「なにッ!?」


 エアリスを守護する風が、唐突に暴れ出した。

 まるで自分を中心に嵐が巻き起こったように、すさまじい暴風が猛り狂う。


 エアリスはスマホが飛ばされないように必死に握りしめながら、懸命に風を制御しようと試みた。


「精霊よ、風の精霊よ――、どうした、何故応えない!?」


 エアリスはいつもの通り、自身に宿る風の精霊に願い奉り、魔法の暴走を抑えようとした。


 だができなかった。風の精霊は沈黙し、暴風はさらにさらに勢いを増していく。

 そして――


「うああああああッ――!」


 身体の奥底が急激に熱くなっていくのを感じ、エアリスは胸を押さえた。

 ダメだ、これは――これだけは外に出してはいけない、と彼女の本能が告げる。


 だが必死に抑えこもうにも、その熱さは逃げ場を求めて、今にも彼女の身体から飛び出してしまいそうだった。


「おのれ、言うことをきかぬか――ッッッ!」


 エアリスは己の持てる全ての魔力を総動員し、その熱を抑えこんだ。

 だが、わずかにこぼれた熱さは体外へと勢い良く排出されてしまう。

 その瞬間、台風の目がふたつになった・・・・・・・


「――なっ、貴様は……!?」


 無色透明なはずの魔力の塊が、暴風を纏いながら形を成していく。

 薄い褐色の肌に、浅葱色の髪。

 瞳は自分と同じく月を写したような琥珀色。


「そんなバカな……!」


 目の前で起こった摩訶不思議な現象に、エアリスはただただ戦慄することしかできなかった。

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