第81話 地球帰還報告③ 御堂百理〜人外頭領様は激おこ

 *


「忌々しい女」


 ところ変わってここは都内にある邸宅。

 後楽園に隣接する大きな日本庭園を擁する武家屋敷の奥座敷。

 締め切られた室内は、燭台の灯りと古めかしいブラウン管テレビのみがその人物を照らしていた。


 着物姿である。

 腰元まで沈み込みそうなふかふか座布団の上にちょこんと正座し、白無垢のような純白の着物を纏った黒髪の少女が、湯のみを静かに傾けている。


 中身は日本茶に見えて白湯だった。

 飛騨高地より湧き出る天然の軟水である。

 最近富みに味覚が鈍ってきており、ならばいっそ白湯のほうがマシだと考えてのことだ。


「まさか、自分の息の掛かった子飼いを会長職に据える算段だったとは。ですが彼女もこれで思い知ったでしょう。この国で御堂を敵に回してはいかな工作も無駄であると」


 視線を黒檀のテーブルへと移す。

 急須と茶托と蓋が閉じられた盛皿。

 開けるまでもなく、そこには麻布十番のたぬき煎餅が入っている。

 かつては好物だったが、今では石ころを噛んでいるような味しかしない。

 入りたての侍女が知らずに入れてしまったのだろう。

 このまま下げさせたのでは、彼女が侍従長に大目玉を食らうのは目に見えている。

 あとで言い含めておかなければ。


「ふう……。世は並べて事も無し。政権交代後の経済政策も滞り無く、一時は危うかった日米同盟も総理の上下両院演説以来より盤石なものとなりました。火種は燻っているものの、大火には程遠いものばかり。これであとは……」


 あとは、あの忌々しい吸血鬼女さえ日本から放逐することができれば万々歳である。


 よもや戦後のドサクサに紛れて外来の人外種が日ノ本に上陸し、あまつさえ日本経済界にまで食い込むほどの力を得ていようとは――


「この御堂家90代目、御堂百理みどうびゃくり一生の不覚。今代までに何としても彼奴めを滅ぼさなくてはなりません……!」


 御堂百理みどうびゃくり

 少女の見た目とは裏腹に、霊験あらたかな降霊術と予言により幾度と無く国土を救ってきた日本経済界重鎮中の重鎮、御堂財閥の現当主である。


 その源流は豊葦原之とよあしはらの千秋長五百秋之水穂国ちあきながいほあきのみずほのくにの根源統治者――、つまりは太古の昔に大陸より臣民を率いて日本に渡ってきた巫女の末裔である。


 そして、それと同時に彼女はもう一つ別の顔も持っている。


「おはようございます総大将。ご報告が――」


 黒檀のテーブル、百理の湯のみのすぐそばから声がした。

 携帯電話もスピーカーもない。喉の奥から絞り出すような嗄れた声は、テーブルに浮かび上がった一個の目玉より発せられていた。


百々目鬼どどめき。あなたが『目』だけ飛ばすのは火急と判断してもよろしいでしょうか」


 不意に現れたしゃべる目玉にも百理は冷静だった。

 百々目鬼は諜報と密偵を主な任とし、先々代から御堂に仕えてくれている彼女の忠実な部下のひとりだった。


「最近都内数カ所でやくざ者による暴力事件が頻発しているのは耳にしていますでしょうか?」


「はい。同一の、しかも妖かしのモノ・・・・・・の関与が疑われている事件ですね。『影女』との追跡調査で何か出てきましたか?」


 もう随分とぬるくなってしまった白湯で喉を潤す。

 白く透き通るような細首がコクリと鳴った。


「昨夜未明にも同じく都内の裏路地で暴力事件が発生しました。極星会系のシマを荒らしていたチンピラ数人が重軽傷を負いました」


「近年では珍しい話ですね。暴対法施行以降、それらの組織も縮小傾向にありますし、表立ったシマ荒らしをするなど上が許さないでしょうに。本来であれば、所轄の警察に対応をお願いするところですが……」


「御堂の統制を離れた妖かしの存在を見過ごすことは絶対にできない、ということですね」


「その通りです」


 御堂百理のもうひとつの顔。

 それは日本全国津々浦々、太古の昔より存在してきた『妖かし』たちを束ねる頭領としての顔だった。


 かつて、人間と妖かしはひとつのものだった。

 人と妖怪は互いに手を取り合い、共に生活をしていた。

 それを分ける判断を下したのは三十代目、平安期の『御堂』である。

 魔なる部分を影に追いやることで、人は本来の潔癖さと高潔さを発揮し大きな発展を遂げることができた。


 しかし、現代に至るまで妖かしのものが陰ながら日本を支え続けてきた事実は厳然としてあり、一般人は全く知らないことだが、日本を代表する経済人や政治家の一部、そして皇室のみがその事実を知っている。


 この日本において、妖かしという身分にありながら御堂の名を土足で汚すような大うつけは、自然発生した新興の妖かしと相場は決まっていた。


「今回、暴力事件を起こした妖かしは、どうやらその範疇を大きく逸脱する力を持っているようです」


「ほう……」


 百理の瞼がすうっと細まる。

 の御堂財閥は代々壮年の男性が会長職を継ぎ、百理が顔を出すことはない。


 だが裏の、妖かしの総大将としての百理の顔は有名だ。

 この日本で『御堂』の名を知らない妖かしは存在しない。


 古来より日本を根城にする妖かしはもちろん、渡来の妖かしでさえその存在が厳格に管理されている。正面から堂々と御堂に逆らう妖かしなど、あの憎たらしい吸血鬼女のみである。


「極星会系の下部組織に属する回収係四人組のうちのひとりが被疑者でありますが、いずれの事案でも圧倒的な怪力で大の大人を瞬く間に無力化しています」


「怪力……?」


「昨夜の場合は多少趣きが異なり、被害者側が被疑者に発砲するに至っています」


「まさか」


 予想される事態に、百理は綺麗に整えられた愁眉の片方をピンと跳ね上げた。


「発砲された被疑者は無傷。即座に反撃に出て相手を無力化。銃弾は逸れたか、ギリギリで躱したと周囲には認識されたようですが、おそらくは……」


怪力・・不死身・・・……。ふ、ふふふ……そうですか。念のため確認しますが、その妖かしと目されるモノは『男性』ということで間違いありませんね?」


「はい。成人に満たない少年とのことです」


「そうですか。あの白黒髪・・・執事の眷属ではないのですか。ふふふ……ついにやってくれましたね。いえ、よくぞやってくれやがりましたと言うべきですか、あの糞吸血鬼女……!」


 ダンッ、と湯のみをテーブルに叩きつける。目玉はとうに退避済みだった。


「まさかこのまま自分の眷属を増やしてこの国を乗っ取るつもりですか。そうはさせません――百々目鬼!」


「は、はっ――!」


「監視はつけていますか!?」


「本人は追跡できておりません。申し訳ありません」


「あなたともあろうモノがなんという体たらく」


 百理は普段温厚な人柄ではあるが、癇癪がてら周囲に霊気を撒き散らす悪癖がある。百々目鬼は急ぎ言い訳をした。


「か、重ね重ね申し訳ありません。どうにも我々を撹乱する手段を持っているようで、不意に姿を消したものですから」


「言い訳は結構です。次善策は当然実行しているのでしょうね?」


「はい、現場となる可能性が高い場所をピックアップし、『影女』を通じて全てに『目』を配置しています。カーミラ・カーネーション・フォマルハウトの邸宅前にも監視をつけて……あっ」


 報告の途中で何か変化があったのだろう。

 百理は「何事ですか?」と報告を急かした。


「カーミラ邸より眷属の女が単独で出てきました。これからどこかへ向かうようです」


「ベゴニアですか。よろしい、監視を続行しなさい。件の被疑者と接触しないか随時報告を」


「畏まりました」


 目玉がすうっと影の中に溶ける。

 それを見送り、百理は眉間に深々と傷のような皺を刻んだ。


星読ほしよみが指し示す『厄災』は必ず訪れる……。それまでに極力危険分子は排除しておかねばなりません」


 あるいはあの吸血鬼女自体が災いを齎すということも考えられる。

 日本国の妖かしを預かる『御堂』として、何としてもそれだけは防がなければ。

 決意も新たに百理はすっくと立ち上がった。


「きゃっ」


 途端可愛らしい悲鳴を上げて尻もちをつく。

 ふかふかの座布団に足を取られたのだ。

 キョロキョロとあたりを見渡す。

 誰も居ないことを確認すると彼女はパンパンと手を叩いて侍女を呼びつけた。


隠隊おんたいに準待機命令を。それから経産省と経団連、警察庁にも御堂付で同様の連絡を」


 人間である侍女は初めて耳にする言葉にきょとんとするもそれを承服した。

 後に棒読みで告げられた侍女の報告を受けた侍従長は顔を真っ青にして飛び出して行った。


 長年に渡る因縁の戦いが始まろうとしていた――

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