第77話 学校へいこうよ⑤ 昼下がり・誘惑の保健室〜可憐な巫女様はちょいマヌケ

 *


「な、長かった……」


 昼休みになった。

 できれば放課後までとっておきたかった言葉を吐き出しながらタケルは机に突っ伏した。


 体育の授業のあと、タケルたちE組の男子は、当事者ということで警察の事情聴取を受けることとなった。そのため三時限目がまるまる潰れてしまい、ようやくまともな授業となったのは四時限目になってからのことだった。


 もう何年かぶりに受ける授業だというのに、タケルの頭にはちっとも入ってこなかった。なんというか、心はずっと戦い続けているようで、こうしている間も気が休まらないのだ。もうタケルはそういう生活が当たり前になってしまっていた。


(なにはともあれようやく昼休みだ……)


 わいわいガヤガヤと、賑やかな教室を眺める。

 お昼を食べるため弁当を広げるもの、急ぎ食堂へと向かうもの、机をくっつけて仲のいいもの同士で食事を始めるものなどなど。


(ああ、こういうのも悪くないなあ)


 遠ざかってみて初めて分かる大切な時間。

 仮初とはいえまたここに戻ってくることができた自分は幸せなのだろう。


 ――よし、と決意して立ち上がる。

 取り敢えずは食事だ。不死身の身体に食事が無意味ということは断じて無く、精神安定のためにもなるべくご飯は食べるようにしているのだ。


(もしくは誰かを誘ってみようかな……?)


 普段のタケルなら絶対にしない行為。

 留学生マジックは彼自身にも働いていた。


 チラっと教室内を見渡してみれば、ササッと顔を背けるものが数名。

 まさか僕のことが気になってる?

 声をかけたら一緒に御飯を食べてくれる?

 出してみようか勇気っ……!


 ぐぐぐっと下っ腹に力を入れ、挫けそうになる自分を鼓舞する。

 もう僕はニートではない、生まれ変わったことを証明するんだ。

 タケルは手近な男子グループに気さくに声をかけよう手を上げた。

 その直前だった。


「頼もうッ!」


 バーンッッ……!

 デジャブである。


 朝のときと同じく、エアリスが猛烈な勢いで教室の扉を開る。クラスメイトがビビって静まり返るのも一緒だ。


 ただひとつ違う点はエアリスの胸に抱えられた大きな包みと、金魚の糞のように彼女のクラスメイト2年生が後ろについてきていることくらいか。


「待たせたなタケル。食事を持ってきたぞ」


「お、おう……、そういやそうだったな」


「すまんな、本当は終業の鐘と共に馳せ参じたかったのだが、あそこにいる連中がどうしても私と食事がしたいなどと抜かして通せんぼをするのだ。そのせいで遅れてしまった」


「そ、そうだったのか……。暴力とかは振るってないだろうな?」


「無論。だが不用意に触れようとしてくるものがいたのでな、予め風を纏っておいた。……これくらいはいいだろう? この身体に触れられる男は貴様だけだからな」


 もじもじと若干顔を赤らめながら上目遣い。

 エアリスのやつ、いつの間にこんな技を……。


 でも確かに自分の身を護るための魔法ならいいだろう。

 見た目はまったく変わらず、触れようとした不埒者は、見えない壁に阻まれたり、風に手を流されてしまうだけなのだから。


「さて――おい、少しいいか?」


「は、はひ? 私ですか!?」


 エアリスが声をかけたのは、タケルの隣の席に座る女子生徒だった。

 彼女は今正に机の上にお弁当を広げ、蓋を開ける直前だった。


「悪いが席を譲ってくれないか。私はタケルと共に食事が摂りたいのだ」


「は、はわわわ、どどど、どうぞ!」


「うむ。ありがとう」


「いえ、ごごごご、ごゆっくり!」


 女子生徒はそそくさとお弁当を包み直し、教室を出て行こうとして他の女子グループに呼び止められていた。


「どうだった?」「すっごく綺麗で心臓が止まるかと……」「いいなー」「目もなんか宝石みたいな色で……」「へえ〜」「もっと聞かせて!」などとちょっとした人気者になっていた。よかった、のか?


「さあ、今日も貴様のために腕によりをかけて弁当を作ったぞ。どうだ、美味そうだろう?」


 どん、と机の上に包みを置く。

 その中身はお重の弁当箱だった。


 広げられた一段目に詰められているのはおにぎりだ。

 俵おにぎりやのりたまおにぎり、ごま塩おにぎりなどなど、様々な種類が並んでいる。


 二段目の重箱には各種おかず、卵焼きやタコさんウインナー、唐揚げにお煮しめ、さらにはポテトサラダがぎっしりと詰められている。


 三段目はデザート類だった。リンゴやポンカン、ぶどうに柿が綺麗にカットされている。まったくすごい気合の入れようだった。


 おおおお〜、と遠巻きに見ていたクラスメイトたちが感嘆の声を上げる。

 タケルも心の中では称賛を惜しまなかった。

 なにせわずか二ヶ月前まで、彼女は台所にすら立ったことがなかったのだ。


 初めて作ってくれた料理はお世辞にも美味しくはなかった。

 それでもエアリスはタケルのため、懸命に料理を覚えてくれた。

 今では完全に胃袋を握られてしまっていた。


「さあ食べろ、今すぐ食べろ、ほらほら!」


「わかったわかった、いつも本当にありがとな」


 普段は照れくさくてなかなか言えない言葉がポロッと出てしまう。

 途端エアリスは目を見開き、次いで咲き誇る花弁のような、美しい笑みを浮かべた。


「ば、馬鹿もの……急にどうした。悪いものでも食べたのか?」


「あー、美味いものしか食べてないよ。僕はもうエアリスが作った料理以外は受け付けない身体になってるから」


「タケル、この馬鹿者が……!」


 エアリスは口元を抑え顔を逸した。

 その肩が小刻みに震えている。

 大丈夫かな、とタケルが顔を覗き込むと、彼女は今まで見せたことがないくらい表情を崩してニヤニヤとしていた。


「み、見るな、今の私を見るでないっ」


「ご、ごめん」


「謝るなっ! この、不意打ちは卑怯だぞっ。いつもはそんなこと言ってくれないのに……!」


「いや、言おう言おうとは思ってたんだけど、なんか自宅だと照れくさくて。悪かったよ、もう言わない」


「違っ、そうじゃなくて、たまになら――あとふたりきりのときに言ってくれ」


「え、なんで?」


「なんでって、わからぬのか貴様。私が今どれだけの幸福に包まれているか、そしてどれほど貴様のことを――」


 抱擁したいと思っているのか。

 エアリスはかろうじてその言葉を飲み込んだ。

 何故なら、あんなに騒がしかった教室が静まり返り、タケルとエアリスの会話に全員が聞き耳を立てていたからだ。


 ざわざわと喧騒が戻ってくる。

 だがそれは与えられた情報を検証し直すためのものだった。


「今の会話って完全に」「ああ、なんか……なあ?」「え、自宅って?」「まさか同棲」「ひとつ屋根の下的な……?」「もう夫婦みたいじゃん」などなど、疑惑とときめきが止まらないE組なのだった。


 *


「うん、美味い」


「そうか、よかった……」


 エアリスはホッとした表情を見せた。

 いくら地球の料理に慣れてきたとはいえ、タケルが美味いと言ってくれるまでは常に不安なのだ。


 最初の頃タケルは、失敗した料理を「美味いよ」と言って食べていた。

 だが、それではいつまで経っても上達しないからと、エアリスは率直な味の感想を求めた。


 自分が望んだこととは言え、愛するものに「不味い」「ここがダメ」と言われる日々は辛かった。


 だがそのかいあってエアリスの料理の腕は急速に上がっていった。今ではよほどの失敗をしない限り、タケルから常に美味しいと言われるまでになっていた。


「あ、卵焼き……」


 タケルの箸が止まる。

 エアリスも「あ」と小さく声を上げた。


「すまん、それは私が食べるために入れたのだ。気にするな」


「ごめんな、自分でも意味のないことだとは思ってるんだけど……」


「よい。こだわりは大事なことだ」


 タケルは地球に来てから一切の卵料理を食べていない。

 馬鹿なことだと自覚しているが『願をかけている』のだ。

 彼女を取り戻すその時まで、彼女が好きだった料理を封印する。

 そして取り戻した時こそ、みんなで一緒に――と。


「……ディーオ様は、こういう食事を全くされない方だったので、私も料理はからっきしだったのだ」


 エアリスは唐突に話題を変えた。

 自分の手元に卵焼きを引き寄せながら、タケルとは違いフォークを使いながら口に運ぶ。


「その時、お前はどうやって食事をしてたんだ?」


 お煮しめを食べながらタケルも話に乗った。

 もうエアリスはディーオの話題を出しても取り乱すことはない。

 笑って話せるくらいに、心の整理がついているようだ。


「うん、大概はダフトン――龍王城の城下町まで出て、馴染みの店で食べていた」


「城下町? そんなのがあるのか?」


 おにぎりと唐揚げを一緒に食べていたタケルが驚いた顔をする。

 エアリスは「はあ」と苦笑しながらため息を吐いた。


「当然であろう。ディーオ様は紛うことなき龍神族の王だったのだ。ディーオ様は一切の係累をお持ちにならなかったが、あまりにも強大なお力の持ち主だったので、その庇護下に入りたいと流浪の民が集まり、街を、やがては国を形成していった。それがダフトンだ」


「へえ〜」


 まるっきり他人事のように感心するタケルに、エアリスは憮然とした。この男は普段はあれほど他者や周りに対して鋭い観察眼を持つのに、自分のこととなるとまるで鈍くなってしまうのだ。


「へえ、ではない。今では龍王城もダフトンも全部貴様の領地ものなのだぞ?」


「え」


 ウインナーをパキッと齧ったところでタケルは固まった。

 その様子を見たエアリスは、鈍く痛み出した頭を抱える。


「わかっているのか。貴様は三代目エンペドクレスなのだ。いずれ全てことが終われば、貴様は自らの領地に戻り、国を平定しなくてはならない。これは王の義務だ」


 ポロッと、半分になったウインナーが落ちる。

 タケルはそれを拾い、口の中に放り込みながら「うん」と頷いた。


「ああ、大丈夫、ちゃんとわかってるよ」


「本当か?」


「もちろん……。でも、じゃあ今その領地は王様不在ってことか? 大丈夫なのか?」


 エアリスは爪楊枝で摘んだいちごをパクパクと食べながら答える。


「無論だ。あそこはディーオ様の威光が周辺国に轟いている。そんな龍神族の領地に手を出そうなどという馬鹿はヒルベルト大陸にはおらん」


「ならいいけど……。でも僕は自分の目的を果たすまで帰るつもりはない。それだけはハッキリ言っておく」


「ああ、わかっている。貴様の目的のもの――彼女を取り戻すまで、私が全力で貴様を支えよう」


「ありがとう」


 このやり取りだけはもう何度も繰り返されたものだった。

 彼の目的と彼女の目的。

 それをすり合わせるための儀式だ。


 タケルはセーレスを取り戻したい。

 エアリスはいずれタケルに自国領を治めてもらいたい。

 それが叶うのは一年後か、はたまた十年後かはわからない。

 だがそれでも今のタケルたちは、仲間や協力者と共に戦い続けるしかない。

 この地球のどこかにセーレスがいると信じて……。


 *


 あらかた弁当も食べ尽くしたところで、ふとタケルの耳にラジオの音声が聞こえてきた。廊下側の男子グループがスマホでウェブラジオを流しっぱにしているらしい。


 普通なら「男子うるさい」と注意する女子たちも、そのラジオには積極的に耳を傾けているようだ。一体なんのラジオなのだろうか――


『みなさんこんにちは、パーソナリティーの綾瀬川心深です。本日も公開録音ということで、ブースの前にはたくさんの方々がいらしてくれてまーす。みなさん寒い中ありがとうございますー。スタッフがあったかカイロを配っていますのでご利用くださいねー』


 ギョッと、タケルの顔がこわばった。

 その様子を見て、エアリスが「どうした?」と聞いてくるが、答える余裕はなかった。


『さてオープニング早々で大変恐縮なのですが、この番組も今週で最後となります。たくさんの応援ありがとうございますー。もともと『局地的地球災害』に見舞われた皆さんを励ますという企画で行われたラジオですので、仕方がないんですねー、ごめんなさーい。でも地球が無事だったので、ホントに良かったですー』


 スピーカーを通したにもかかわらず彼女の声は衆目を集めた。

 まるで見えない声に色がついていて、空間を漂っているようだ。

 クラスメイトたちが聞き入っているのがわかる。


 恐らくこの教室だけではない、彼女を知る殆どの生徒たちが、校内のいたるところでこの放送を聞いているのだ。


 タケルが知っていた半年前より、ずっとずっと彼女は成功し、多くのファンを獲得しているようだった。


『まずは最新のニュースです。日本時間の本日未明、NASA――アメリカ航空宇宙局が正式に局地的地球災害に対し見解を発表しました。『北極点に現出したブラックホールは、完全に消滅した。未だ原因は不明ではあるが、このような現象は地球の歴史の中で度々繰り返されてきた可能性が高い。プレートテクトニクスによって地震が誘発されるように、地球の生理現象の一種なのではないか――』とのことです。この発表を好感した東京株式市場は寄り付きから反発をして――』


「タケル、どうしたのだ、難しい顔をしているぞ?」


「ああ、ごめん。ごちそうさま。僕、ちょっとトイレに……」


「行儀が悪いぞ貴様」


「ごめんごめん。おまえも遅れずに自分の教室に戻れよ」


 タケルはエアリスを残し、ひとり教室を出た。


(そうか、学校にいないのは、ああいうラジオ番組に出演していたからなのか……)


 トイレとは反対方向へ歩きながら胸中で呟く。

 タケルが学校へ通い直す決意をした理由の一つが彼女――綾瀬川心深の存在だった。


 地球にいた頃、まだ人間だったタケルを知る数少ない人物。

 彼女との関係は単なる幼馴染の枠に収まらず、とても複雑なものだった。


 嫌っていたとはいい難く、遠ざけていた、関わりを避けていた、というのが本当のことろだ。


 彼女は小学生の頃から子役として劇団に所属し、中学に上がる頃には声優の仕事を始め、あれよあれよという間にアイドルとしての階段を駆け登っていった。


 そんな彼女をタケルは眩しく見上げることしか出来ず、なのにも関わらず、心深はタケルのことを決して放って置かなかった。


 彼女がタケルに干渉するたび、周りのものたちはタケルを羨み、そして妬んだ。中にはあからさまに嫌がらせをするものまで現れた。


 綾瀬川心深に関わる一切合財が面倒になったタケルは、彼女の存在ごと世界を否定し、自室に引きこもるようになった。


 そしてあの日の朝、自室の扉越しにお互いを罵り合い、盛大なケンカ別れをした。


 心深は帰り、そしてタケルはそのままベッドに横になり……目覚めると魔法世界マクマティカにいたのだ。


 綾瀬川心深のことはタケルの心に刺さった棘だ。

 思い出す度に鈍く鋭い痛みを与えてくる。


 でも、そんな彼女にタケルが救われたのも事実。

 自分の帰るべき場所を見失っていたタケルは、綾瀬川心深という唯一無二の一個人を道標にすることで、地球に帰還することができたのだ。


 セーレスを取り戻すことはもちろんとして、タケルにとって避けては通れない相手――それこそが綾瀬川心深という少女だった。


 彼女と今一度向き合い、正面からぶつかり、そして乗り越える。

 過去と決別し、新たな自分を受け入れるための通過儀礼だ。


 そうすることでタケルは、エアリスに領地云々のことを言われても、間抜けな面を晒さなくて済むようになる――と、そう思うのだった。


 *


『1年E組の成華・エンペドクレス・タケルくん。至急保健室までお越しください。繰り返します――』


「は?」


 トイレではなく購買部の方に足を向けたタケルは、自販機の前で立ち尽くしてた。視線の先は『果実みかん生たらこフレーバー』なる奇っ怪なネーミングのドリンクに固定されており、もしも放送がなければ明らかな地雷を購入するところだった。


「(……危ないところだった)なんだろう、職員室じゃなくて保健室に呼び出されるってどういうことだ?」


 転入手続きの不備なら職員室だろうし、保健室に呼ばれる理由がわからない。それともこの学校では入学に際して保健講習を全員が必ず受けるそうなので、もしかしてそれだろうか。うーん。


 迷っていてもしょうがない。

 昼休みも半分を切ってしまっている。

 行くなら少々急がなければ。

 頭の中に校内地図を呼び出し、タケルは保健室を目指す。


「失礼しまーす、成華ですけどー?」


 室内には誰も居なかった。

 常駐しているはずの養護教諭の姿がない。

 いや、昼休みなのだからごはんを食べているのかも。

 ならどうして自分は呼び出されたのか。


 無人の室内に立ち尽くしていても仕方がないし、もう帰ってしまおうか……。そう思っていると、カーテンの向こうから不意にうめき声が聞こえてきた。


「ううっ……はあ、はあ」


 どうやら誰かが奥で寝ているらしい。

 苦しげな声だ。大丈夫だろうか?


「くっ、はああっ!」


「お、おいおい、大丈夫か?」


「くる、しい……!」


 どうやら相手は女子らしい。

 というか本当にヤバイんじゃないかこれ?


「ちょっと待っててくれ。今すぐ誰か助けを呼んで――」


「ダメ、たす、けて……!」


 不味いぞ。一刻を争う事態かもしれない。

 女の子が寝ているのにカーテンを開けるのはマナー違反だが、命に関わるような事態なら仕方がない。


 タケルは急ぎカーテンを開き、ベッドルームへと踏み入る。


「わっ!?」


 その途端、真っ白い手がシーツの中から伸びてきて、タケルをベッドの中へと引きずり込まれる……ようなことはなく。白い手の持ち主は、プラーンととタケルの首にぶら下がっていた。


「うんしょ、よいしょ。タケル様、私が温めたお布団が冷めてしまいます、お早くベッドの中へ」


「何がだよ。てか何してんのさ百理びゃくり


 首にぶら下がったままヘコヘコと腕を動かし、百理と呼ばれた少女は懸命にタケルを布団へと誘導しようとしている。だがどうあがいても体格差がありすぎて無理だった。


「百理ではありません。私はどこにでもいる至って普通の病弱な生徒です。持病の癪が思わしくないのです。優しくさすってくださいまし」


 タケルは百理の腰を抱えあげると、そのままベッドへとポーンと放った。

 軽くバウンドした少女は「あんっ」と危なげもなく着地すると、その場で品を作ってみせた。


「殿方との初めてが斯様に荒々しいというのも燃えるものですね。では、どうぞ」


「いやしないから。いい加減にしてくれる?」


「据え膳食わぬは男の恥といいます。今ならその発言は聞かなかったことにいたします。さあ、どうぞ」


「無限ループって怖いよね?」


 タケルは改めてベッドの上の少女を見やる。

 彼女の名前は御堂百理みどうびゃくり

 まるで夜を流し込んだような黒髪・・に、螺鈿をあしらった古めかしい髪飾りをつけている。


 容姿は幼く、良くて中学生くらいにしか見えない。

 それなのにも関わらず彼女が纏う雰囲気は大人びていて、可愛いというより美人という形容がピッタリだった。


 こうみえて彼女は日本では知らぬものがいない程の大財閥の当主様である。

 ただし、タケルと同じくまともな人間ではないため、表立って動くことは殆ど無い。


 普段は白紬姿という純和装を愛する彼女だが、今はなんと豊葦原の女子用制服に身を包んでいる。ベッドで品を作るとき、わざとスカートの裾をたくし上げ、太ももを露出させたりする程度にはお茶目なヒトだった。


「くすん……。相手にしてくださらないなんて酷いです。私とっても勇気を出しましたのに……はっ、もしやこれもタケル様の『ぷれい』の一環なのでしょうか。申し訳ありません、最初からやり直して――」


「違うから。焦らしてるわけじゃ全然ないから。誰の入れ知恵かは大体想像つくけど、キミみたいな子までプレイとか言い出したら日本は終わっちゃうよ?」


「タケル様、私が色にかまけた程度で傾くほど、日の本2700年の歴史は甘くありません」


 百理は口元を隠しながら「ほほほ」と雅やかに笑った。

 そう、御堂とは古より日本を守り続けてきた影の支配者。

 この国の誕生に深く関わった巫女の一族の末裔なのだ。


 百理も見た目通りの年齢ではなく、有に330年以上を生きている。

 本人に年齢の話をすると呪いのお札をいつの間にかポケットに入れられる仕様なので決して指摘したり、ネタにしてはならない。この二ヶ月で学んだことだ。


「とにかく、こんな強引なのキミには似合わないよ。いつもの百理の方が僕は好きだなあ」


 一度死んで生まれ変わったタケルは、そんなお世辞も必要とあらば使える男になっていた。百理は「まあ」と頬を赤らめながら目を見開き、しきりにまばたきを繰り返した。


「わかりました。やはりあの魔女に殿方の誘い方を聞いた私が愚かだったようですね」


「ああ、それだけは間違いない。あの吸血鬼には後で灸を据えよう」


「それには賛成ですが……。時にいかがですか、私の制服姿は?」


 百理は乱れた襟元を整えながらベッドから飛び降りる。

 その場でクルッとターンを決めると、ふわっとスカートが持ち上がった。


 豊葦原学院高等部は、私立学校らしく制服もデザイナー御用達の逸品だ。

 チェック柄のスカートにオフホワイトのブレザー。

 襟や袖口にもアクセントが施されていて、とても可愛らしい。

 中には制服を目当てに入学を目指す女の子もいるくらいだ。


「似合ってる。可愛いよ。いつもの和装も素敵だけど、たまにそういう格好も新鮮でいいよね」


「まあ、まあまあまあ……!」


 本当に、とても江戸時代から生きている御仁とは思えないほどだ。


「何かおっしゃいましたか?」


「いいや、なにも?」


 危ない危ない。

 相手は霊験あらたかなる姫巫女様。

 不穏な心の声も勘だけで拾ってしまうのだ。


「畏まりました。タケル様はこのような格好も好みなのですね。またいずれ、あなた様と戯れる折に着てまいります」


「余計なお世話かもしれないけど、何も相手は僕限定じゃなくてもいいんだよ?」


 百理は綺麗だし、日本を本気でどうにかできるくらい大金持ちなんだから、もっと素敵な男性が現れるかもしれない。だが彼女はその言葉を一笑に付した。


「私など所詮婚期を逃しまくった行かず後家。もはや相応の幸せは望めず、相手をしてくださる殿方はタケル様のように、永劫を歩む定めを持ったお方だけです」


「いきなりそんなに卑屈にならなくても……」


「事実です。人外の頭領ともなると相手にも相応の血筋と力を望みます。その分タケル様は申し分ないお方なのですが……」


 瑪瑙のような複雑な色をした虹彩がタケルをじいっと見つめてくる。

 まるで女郎蜘蛛にでも絡め取られたかのような圧迫感。

 もしや、これが降り積もった女の執念というやつなのだろうか?


「……でも今はやめておきます。タケル様の目的が達成されるまでは、フェアではありませんので。さて、私も執務に戻らねば――」


 そう言って百理はおもむろに制服を脱ぎ始めた。


「ちょっと、何いきなり脱いでんのさ!」


「ああ、失礼をいたしました。カーテンを閉めていただけますか? エアリスさんに比べて、こんな痩せっぽちのカラダでよければ如何ようにも見てくださって構いませんが……」


 百理はそう言って艶然と微笑んだ。

 幼いナリをしているのに、なんとも背徳的でエロティックな表情だった。

 それがいつでもできるなら、例えどんな男もイチコロだろうに、と思う。と――


「ちょっと〜、誰かいるの~」


 不意に保健室のドアが開かれ養護教諭が入ってくる。

 タケルは咄嗟にカーテンを閉めて振り返った。

 ――百理は珍しく狼狽えた様子で、脱ぎかけのシャツの前を合わせて、首をフルフルと振っていた。


「もしもーし、開けるわよ~?」


「あ、すいません」


「あら、どうしたの? 具合悪い?」


「はい、少し立ちくらみが。勝手に入ってすみません」


「ううん、それはいいけど。一応利用するときはノートに記帳してからにしてね。キミ、名前とクラスは?」


「成華・エンペドクレス・タケルです。1年E組です」


「あー、留学生ってキミかー。日本語超うまいのね~」


「はは、まあ、勉強しました」


「そっかそっか偉いなあ。きみから見て日本はどうかな?」


「いい国ですね。それら良い部分を少しでも祖国に反映できるよう、勉強してしていきたいです」


「うわーますます偉いわあ。のんべんだらりとしてる他の生徒達に聞かせてあげたい――」


「んッ」


「え? なんか言った?」


「い、いえ。ごほん、大丈夫ですっ」


 ベッドに横になり、首元まで布団を被ったタケル。

 その中では、制服をはだけた半裸の百理が、彼の脇にピッタリと密着していた。


 なるべく一人に見えるよう、しっかりと抱き寄せているので、百理の熱く荒い吐息がタケルの胸元をジワジワ温め続けていた。


(タケル様……)


(おとなしくしてろ)


(はい……。仰せのままに)


 百理がクタッと脱力する。

 きっと息苦しくて大変なのだろう。

 クソ、早くどっか行ってくれ。


「戻ってきて早々悪いんだけど、またちょっと呼ばれてるのよ。書類は……あった」


「お構いなく。寝ていればよくなりますので」


「うん、何かあったら無理しないで言うのよ。生活環境の違いで体調を崩すなんてよくあることなんだからね」


「はい、ありがとうございます」


 養護教諭が去っていく。

 タケルは勢いよく布団を撥ね退けた。


「百理、大丈夫か!?」


「はい、問題ありません……」


 そうはいうものの顔は真っ赤に上気していて、首元も少し汗ばんでいるようだ。


「着替えた後、迎えを呼びますのでもう大丈夫です。タケル様は授業に遅れるのではありませんか?」


「うん、そうだけど、こんな状態の百理を放っておけないよ」


「タケル様……。ありがとうございます。ですが、特別気分が悪いわけではありません。むしろ少々血の巡りが良くなりすぎているみたいでして」


 そう言って彼女はとんとん、と首の後を叩いた。


「なんだって?」


「いえ、とにかく平気です。着替えますのでどうか……」


「わかった、もう行くよ。無理はするなよ」


「はい。残りの授業も頑張ってくださいまし」


 タケルは潤んだ瞳の百理に見送られながら保健室を後にした。

 ドアを閉める直前、「罪なお方……」と聞こえてきたのは気のせいだろう。

 うん。きっとそうだ、と自分に言い聞かせるのだった。


 続く。

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