第74話 学校へ行こうよ② 待ちぼうけの廊下~嫉妬する人工精霊

 *


 学校生活。

 それはかつての僕にとっては辛い以外の何ものでもない苦渋の日々だった。

 そんな僕が何故再び学校に通うことを決意したのかというと――

 まあ、理由は色々とある。


 大まかにはエアリスが言ったとおりだし、細かいことは僕の胸の中にある。

 個人的に気にしていることもあるが、今はいい。

 とにかく僕は、かつて僕が合格し、そしてついには一度も通わなかった学校に入り直すことにした。


 復学ではなく、留学という体裁である。

 僕はこの世界では死んだことになっている。

 今朝、立ち寄ったのはかつて僕の家があった場所だ。


 何も残っていなかった。

 半年以上も前に不審火が起こり、家屋は全焼。

 住んでいたはずの家人は遺体も残らなかった。

 まあ、違う世界に行ってたんだから当然といえば当然だ。


 でもそれはもう重要なことじゃない。

 僕は一度死に、そして異世界で生まれ変わった。

 文字通り人間を超えた存在になったのだ。

 そして――


「二ヶ月と少し、か。自分でもこんなに早く軌道に乗るとは思わなかったな……」


 地球帰還を果たしてからまだ三ヶ月も経っていない。

 短いようだが、僕にとってはとても濃密な時間だった。

 悩み、足掻き、出会い、戦い、鍛え、考え、創り、生み出した。


 不死身の肉体を限界まで酷使し、この二ヶ月あまりでまともに休んだのは一日にも満たない。毎日朝から晩まで、宵から明け方まで、自分にできる最善を尽くしてきた。


 エアリスも言ったとおり、最近の僕は確かにオーバーワークだったのだろう。

 肉体の方は不死身でも、僕の精神は人間の域をまだ出ていない。


 ディーオもかつてはヒト種族――人間だったようだが長い時間をかけて……それこそ千年単位で自らを変質させ、魔法を自由自在に操れるようにまでなったという(エアリス談)。


 僕の場合はそんなに時間をかけるわけにはいかない。

 したがって自らチートを生み出し、それに頼っている状況だ。


 とにかく――今はミスが許されない時期だ。

 逆に言えば、だからこそ休養が必要であるとも言える。

 決して焦らず、学校内でも極力目立たないように。

 無用な波風は立てないよう生活しなくては。


(タケル様、タケル様、大丈夫ですか?)


 僕の内側・・から真希奈が語りかけてくる。

 スマホからではない、首から下げていると注意されるので今はかばんの中だ。


 本来僕らの会話に機械などは必要なく。

 あれは対外用のカモフラージュなのだ。

 彼女のコアとなるものは僕の内面世界――虚空心臓を収めた世界にある。


 真希奈のコア――賢者の石シードコアは大変貴重なものであり、僕の仲間の一人である御堂百理から譲り受けたものだ。


 形は種粒ほどの小さな宝石に似ており、真希奈ほどの精霊――高次元生命を格納するためには既存の格納容器ストレージではまるで容量が足りなかった。


 そのため、地球上で現存する最も大容量の情報データを収納できる賢者の石シードコアの中に誕生した真希奈を収容することとなったのだ。


 賢者の石シードコアだけでも大変貴重なものなのに、さらに人工的に創り出した高次元生命――精霊はさらに貴重である。


 おいそれと外に出しておくわけにもいかず、結果的に絶対安心な虚空心臓の中に収納することとなった。


「生まれたての頃はよかったんだけどなあ……」


(うん、タケル様、何かおっしゃいましたか?)


「いや、なんでもないよ」


 生まれたばかりでオギャアオギャア言ってる頃はまだよかった。

 僅か一月前、この世に誕生した真希奈ではあるが、通常の百倍以上のスピードで精神が成長してしまった。


 虚空心臓内に格納しているということは、ある程度僕の情動も彼女に筒抜けになるわけで。とりわけ自分以外の異性――特にエアリスなどに対する僕の助平心などには敏感だったりする……。


(不安な気持ちが伝わってきます。どうされたのですか? なにかお困りでしたらなんでも真希奈に話してください)


 ――やれやれ。これではどちらが保護者かわからないな。


「うん、やっぱり僕は緊張してるのかも……」


 今僕たちがいるのは職員室前の廊下である。

 これから担任と一緒に自分の転入する教室へと向かう予定だ。


 季節外れの留学生。

 入学試験は期末考査と同じタイミングで、もうあと一週間もすれば冬休みに入るという微妙な時期だ。受験のある三年生は違うのだろうが、やっぱり校舎全体に浮足立った雰囲気が漂っていた。


(――確かに、少しだけ脈拍が早くなっているようですね。もちろんバイタル上は問題がないレベルですが。何かリラックスできるようなBGMでも流しましょうか?)


「いや――、それよりもエアリスはどうなったかな? 先に二年生の教室に行ったはずだけど……」


 自分のことはなんとでもなる。

 小中と学校に通った経験はあるのだから。


 問題はエアリスだ。

 なにせ彼女は学校に通った経験がない。

 基本的な読み書きはディーオに習ったそうだが、それだけ教えられて放置されたという。


 なのであとは自分で勉強するしかなく、だが幸いにしてディーオが長年かけて集めた世界中の本が書斎にはあったため、彼女はそれを読みながら自分で一定以上の教養を身に着けたそうだ。


 でもそんなことは心配してない。

 彼女は頭がいい。それはわかっている。

 もう殆ど、日本語の会話はできるし、一般常識も勉強している。


 でもだからと言って平穏無事に学校生活を送れるとは到底思えない。

 不安だ。超不安だ。


 ハッキリ言ってエアリスは綺麗だ。美少女だ。

 セーレスもドエライ美少女なのできっと僕は見慣れていたのだろう、エアリスを初めて見たとき、確かに綺麗だとは思ったが、衝撃は少なかったように思う。


 ところが地球に来てからのエアリスは、一般人が引くくらいの美少女だということが判明した。周りの反応でそれを嫌という程思い知らされた。だから学校になんて連れてきたくなかったのに……。


「エアリスのやつ、魔法とか使ってないといいんだけど……」


(タケル様、どうか私の前であの女の話はしないでください)


 僕の感情も伝わるのなら、真希奈の感情も僕に伝わる。

 彼女のこの態度も僕の悩みの種だ。

 取り付く島もないと言うか、頑なというか。

 エアリスの方はそうでもないのだが、真希奈の方がやたらと噛み付くのだ。


「本当にどうしてそんなに仲が悪いんだおまえたちは。真希奈だって、まだそんなに毛嫌いするほどアイツのこと知らないだろう?」


(好き嫌いの問題ではありません。真希奈はタケル様の側にいるあの女を基本的に憎んでいます)


「憎むって、なんでそんな……」


 僕が言葉を失っていると、マキナは誕生一ヶ月の間に得たであろう、己の心の機微を話してくれる。


(真希奈には肉体がありません。情報生命体とも言うべき精霊です。常にタケル様のお側に居ることはできますが、女としてタケル様を満足させることはできません。それがとても悔しく、他の女にその役目を譲ることが歯がゆいのです)


「は――? おまえそんなこと考えてたのか!?」


 生々しいというか、なんというか。

 いや常時インターネットと繋がっている彼女だから、いくらでもその手の知識は調べられるんだろうけど。それでもまさか、こんな『嫉妬』みたいな感情まで抱くまでに成長していたとは……。


(……か、考えてはいけませんか? 人工精霊ごときがタケル様をお慕いしてはいけないと?)


「いや、違う違う。お前を創りだすことができたのは僕にとっても幸運なことだったし、好きだって言われるのは素直に嬉しいけど、でもどうしてそんなに僕のことを……?」


 我ながらマヌケな質問だと思うが、人間ではない真希奈だからこそ聞いてみる価値はあると思った。


 彼女を創造した一翼は間違いなく僕ではあるが、特別好きになるように働きかけたりした覚えはない。とすれば彼女は超自然的な情動から、僕に好意を抱くに至ったのだ。これがどれほどすごいことなのか、協力者の一人である安倍川マキ博士あたりならぜひ知りたいと思うだろう。


(タケル様は人間を遥かに超越した存在です。私はその源泉たる『虚空心臓』に格納され、そのことを誰よりも何よりも痛感しています……)


 真希奈を虚空心臓に格納したのは、彼女を生成した場所があまりにも極限環境下だったためだ。賢者の石シードコアを守るための一番安全な場所がそこしか思いつかなかったのだ。


 そして虚空心臓の中には無限の魔力を生み出す初代エンペドクレスの神龍しんぞうと聖剣が仕舞われている。


 それらは元々僕の力ではないのだが――真希奈はまず僕に対して畏敬を抱き、それがやがて尊敬となり、愛へと変じて行ったのではないかと推察される。


「真希奈、慕ってくれるのは嬉しいけど、僕自身はそんな大したやつじゃないぞ。ただ単にチートを与えられたってだけで、実際真希奈を創るまでは、自分で魔法すらまともに操れなかったんだからな」


(もちろん。タケル様のお力は精霊型オペレーションシステムの補助無しで使いこなすことは絶対に不可能です。元人間であるタケル様には尚更……。だからこそ、高次元生命を人工的に生み出すという夢物語を現実にしたタケル様は、尊敬と敬愛に価します。真希奈の最高のご主人様です!)


 ダイレクトに暖かくて熱くてこそばゆい感情――愛が伝わってくる。

 こりゃあ本気だ。本気と書いてマジだ。僕ってば、こんなに真希奈から慕われて――愛されちゃってたのね。


 これは……裏切れないなあ。

 エアリスも常々言ってるけど、僕はもう昔の僕じゃない。

 成華タケルではなく、タケル・エンペドクレスなのだ。


 したがって、その名前にふさわしい振る舞いとか、矜持ってやつを持たないと駄目なんだろう。


 いつまでも卑屈なニートの気分でいては、僕を慕ってくれるヒトたちをガッカリさせてしまうことになる。


 今回の学校生活は、そういうことにも気を使い、これまでとは違った態度で臨む練習をしようじゃないか。うん。


(なのでもし、この学校にタケル様を侮辱するような輩がいたら真希奈は絶対許しません。エアリスあの女のことは憎んでさえいますが、そのことに関しては意見が一致しています。肉体がない真希奈に代わり、愚か者共を八つ裂きにしてくれるでしょう)


「やめて!? がんばるから、みんなに舐められないように頑張るから僕っ!」


 まさか僕が舐められる=近親者が殺人を犯すことになるとは思ってもみなかった。うわあ、こりゃあいよいよ覚悟を決めて学校生活を送らないと……!


「わかった真希奈。できるだけ僕も努力する」


(ああ、ご理解いただけましたか! その言葉を聞きたかったのですっ!)


「でもな、いくらなんでも相手を傷つけるのはなしだ。たとえ僕が侮辱されても決して感情的にならずに耐えろ。これは命令だ」


(な、何故ですか!? 真希奈は目の前で愛するタケル様が傷つけられても我慢しなければならないというのですか!? 凡百の人間たちなどどうして庇われるのですか!?)


「だからそうならないようにするってばさ。僕は僕が侮辱されるより、僕を侮辱したつまらない人間をお前やエアリスが傷つける方がよっぽど嫌だよ」


(ううう……畏まりました。真希奈はタケル様のご意向に従います……)


 再び真希奈の感情が流れ込んでくる。

 冷たく底冷えするようなこの感じは不安、そして怒りか。

 納得しろと頭を押さえつけても無理な話かもしれない。

 どうしたものか……。


「なあ真希奈。僕ってそんなにすごいかな?」


(すごい、などという言葉すら生ぬるい、突き抜けた神のような存在だと思います!)


 神っておいおい。


「でも僕なんて全然大したことないぞ。学校にも通わず、ずーっと家に引きこもっていたんだからな」


(そ、それはタケル様がまだ人間だった頃のお話で、今は――)


「じゃあ真希奈にとって人間だった頃の僕は、おまえの言うような取るに足らない存在だったってことか?」


(そんなことはありません!)


 半ばムキになって否定してくる真希奈。

 僕はさらに畳み掛ける。


「何故だ。その時の僕はただの人間で、不死身でもないし虚空心臓だってない。魔法だってからっきし使えなかったんだぞ? エアリスがいつも嫌悪してる愚昧愚劣を絵に描いたような男だったんだぞ?」


(ま、真希奈は、魔法が使えるからタケル様をお慕いしているわけでは……、例え人間であっても、タケル様のことを……ううっ)


 いかん。ちょっとやりすぎた。泣かせたかったわけじゃないのだ。


「意地悪な質問をしたな。でも嬉しいよ。魔族種じゃなくても、人間だった頃の僕も好きだって言ってくれて。まあ、何が言いたかったかというと、ただの人間だって捨てたもんじゃないってことさ」


 魔族種になって変わったのは肉体だけで、僕の精神構造は人間の頃のままなのだ。

 真希奈を生み出した発想力だって、人間だった頃に培った知識が使われている。


 なにより今僕に協力してくれている仲間たちは人間――とは一部言えないヒトたちもいるけど――ヒトの世界の知識や技術に助けられている。


「お前だってマキ博士が人間だからって馬鹿にしたりしないだろう?」


(あの方は半ば人間を辞めているような気もしますが……)


 ――まあ、それはすこぶる同意見ではあるが。


「でも別に嫌いじゃないだろう? なんてったって、お前を短時間でここまで育て上げたのは博士の人工知能アルゴリズムとデバック・ケアのおかげだもんな」


 御堂百理が所有する人工知能進化研究所の主席研究員にして所長、安倍川マキ博士。彼女との出会いがなければ、そもそも真希奈は誕生していない。僕が不死身と知った瞬間「硫酸プールに入れてもいい?」などと聞いてくるくらいにはぶっ飛んだ科学者である。


(確かに今真希奈が存在できているのもヒトの御業。わかりました……ヒトを超えた存在だからと言って、ヒトの手によって創造された事実を忘れず謙虚でありたいと思います)


「おお、そっか……いやあ、よかった」


 本当に、真希奈に肉体がないことが残念だ。

 今の彼女の精神年齢は自称10歳前後。

 まだまだアウラのように抱っこできる年齢である。

 そしたらもう、抱っこしてハグして頭撫でながらちゅーするのに。


 いつか真希奈の身体も人工的に再現してやれる日はくるのだろうか。

 科学技術の進歩を願って止まない僕なのだった。

 

 *


「それにしても遅いなあ僕の担任。なにしてるんだろう?」


 待つこと10分以上。

 とっくにホームルームは終わって授業が始まってる時間だ。

 無人の廊下なのが幸い、そうでなければ僕は独り言をブツブツ言ってるヤバいやつにしか見えないだろう。


(長電話の最中のようです。ずいぶんとペコペコしてます。回線を盗聴しますか?)


「いやいいさ。どうせ遅刻は遅刻なんだし。それより暇つぶしにニュースを聞かせてくれないか」


(畏まりました。検索――ヒット。ハイライトを作成――完了。本日は12月12日月曜日。天気は快晴、夕方から曇り。最高気温11度。最低気温4度。現在の日経平均は1万9千円とんで32銭。先週から約5000円の大反発。ドル円は110円40銭、こちらも5日営業日連続、約11円の続伸です)


「あー、大分戻ってきたなあ。百理やカーミラ達に事前報告しててもかなりの損害出ちゃったよなあ」


 世界はつい一週間前に滅びかけた――と言われている。

 イリーナの願いを叶えるため、聖剣の力を解放したためだ。


 それはブラックホールの日なんて呼ばれており、世界中の科学者や研究機関を持ってしても謎とされる超常現象だった。


 まさか僕ひとりが少女の願いを叶えるために行ったブラフだとは知らず、世間は大混乱に陥った。経済に与えた影響はかなりのものだった。


 だがそのおかげで新たな仲間を得ることができた。

 彼女の異能を駆使すれば、きっと今まで影も形も掴めなかったセーレスを探し出すことができるはずである。


 例え、世界を敵に回すことになったとしても、僕は彼女を救い出すまで立ち止まるわけにはいかないのだ。


(――次のニュースです。内戦が続くシリアに邦人医療スタッフを含む非政府系組織G.D.Sグローバルドクターズが到着。慢性的な医師不足に悩むシリア国内での活動を開始しました。以上で国際ニュースの項目を終了します。続いて国内芸能、オリコンデイリーランキング10位に現役女子高生声優のデビューシングルがチャートイン)


「ん? それって……?」


(どうかされましたかタケル様?)


「……いや、ちょうどいい。今言った曲、聞かせてくれる?」


(畏まりました。公式サイトのPVにアクセス。デイリーランキング10位、テレビアニメ『富士宮くんの生態事情』EDテーマ、綾瀬川心深あやせがわここみで『君がいなくて』――どうぞ)


 …………その歌は不思議な魅力を放っていた。

 生歌ではないし、インターネットのストリーミングを通じていくらでも圧縮、加工、変換をされているはずなのに、決して褪せることのない強い想いが伝わってくる。


 歌詞は悲恋をテーマにしているのに、それでも私は待ち続けている――、そんなことを匂わせる曲だった。というか、アイツ・・・こんなに歌が上手くなっていたのか……。


「――いやあ、お待たせ! 悪かったねー、長々と」


 職員室から若々しい男性教員が飛び出してくる。

 僕の担任だ。気がつけば、もう一時限目が半分ほど終わろうとしていた。


「いえ、お気になさらず。最初に遅刻してきたのは僕の方ですから」


「そうか、それじゃ急ごうか。教科の先生にちょっと時間もらうから、自己紹介だけ済ませてくれ」


「はい」


 さあ、いよいよ僕の高校デビューが始まる。

 気合を入れてがんばろう。

 僕のことを慕ってくれるエアリスや真希奈がガッカリしないように。


 叶わぬ願いかも知れないが、どうか平穏無事で一日が終わりますようと。

 僕は祈らずにはいられなかった。

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