第70話 地球へ…② 間に合った女~駆けつける疾風

 *


 ミュー山脈は活火山である。

 今は休眠状態ではあるが、もともと地理的に炎の魔素が集まりやすい場所であった。


 古よりミュー山脈は霊峰と崇められ、さらに聖剣を手にした勇者の史実も相まって、わざわざ山の一部を切り崩して『聖剣の祠』は作られている。


 そして今、円筒形のコロッセオを思わせる『聖剣の祠』は燃え盛る紅蓮の炎に包まれていた。


「――これは、まさか――!?」


 魔法による炎。

 ヒトの『憎』の意思が介在する魔力の流れを感知し、僕は素早く周囲を精査する。


 目に見える場所に魔法師の姿はない。

 だが感じる。百人や二百人では効かない、もっと多くの意志力を。

 下手をすればその十倍――いや、それ以上の魔法師がいるかも知れない。

 僕は、完全に包囲されていた。


 オクタヴィアからの情報――、僕は聖都消滅の大罪人として人類種ヒト種族の各国家に認知され、討伐するための軍隊まで組織されているという事実。


 僕が聖剣を手に入れるのが先か、それとも討伐軍に見つかるのが先か、微妙なところだとは思っていたが、ついに補足されてしまったらしい。


(結局はぶっつけ本番か……!)


 聖剣の力――『ゲート』の魔法を使い、地球へ帰還する。

 できれば何度か実験をしたかった。またあの『暗黒世界』や、まったく別の世界に飛ばされることも十分考えられるからだ。


 そう、僕の懸念はそれだけだ。

 討伐軍の相手を真面目にするつもりなど最初からない。

 逃げられるのなら逃げるつもりだった。


 だが、完全に取り囲まれてしまってからではそれも難しい。

 押して通るか、滅ぼされて終わるか。

 その二択しかないなら、僕は前者を取る。


 そう決意した瞬間、ヒトの気配を感じた。

 今尚炎がくすぶる、爆心地跡のようなこの場所に現れた男の存在に僕は目を見張る。供のものを従え、霊廟内にやってきた男もまた、僕と目が合うなりギョッとした顔で固まった。


 五体満足――どころか、全身くたびれて汗まみれ、泥だらけだった僕は、何故か暗黒世界から帰還して、全身リフレッシュされて今ここに立っている。


 焦げ跡どころか一欠片の煤さえ被っていない有様の僕に、男は大いに動揺した顔を見せたあと、何かを取り繕うように尊大な態度で質問を投げてきた。


「見たとろこまだ子供のようだが……この場にいてその無傷な様相。貴様が聖都を滅ぼした魔族種だな。名を聞いておこうか」


 男は、周りにいる騎士風の男たちに比べて、明らかに戦う者の体つきではなかった。なのに鎧だけは立派なもので、馬子にも衣装と言った風情が拭えない。


「どうした、まさか口が聞けぬわけではあるまいッ、疾く答えぬか!」


 スラリと、ややもたついて腰元の剣を引き抜く。その切っ先を僕に向けながら男が吠えると、おお〜、とお付きの者たちから感嘆のため息が漏れた。


「名を問うのなら、まずは自分から名乗ったらどうだヒト種族よ」


 僕は男のことを計りかねながらも、ディーオの口調で問い返す。

 部下の手前かっこつけたいのだろう、男は鼻白みながらも大声で名乗りを上げた。


「我が名はフリッツ・シュトラスマン。貴様を討ち滅ぼし勇者となる男よ!」


「勇者?」


 かつて聖剣を操り、王都を救った英雄。

 そしてその聖剣は、今現在僕の手の中にある。

 偶然か。たまたま野心の強い男がその言葉を口にしただけか。


「ふふ、自らの死に場所にこの祠を選ぶとは、魔族種にしては粋な男よ。だが貴様の首を摂る前に、貴様がしてきた悪業をつまびらかにしておく必要があるな……!」


 なにやら勝手に話が進んでいくが、これは僕は名乗らなくていいのかな?

 フリッツという男は、まるで断罪を下す神官のように、剣を地面へと突き刺し、その柄頭に悠々と手を添えた。


 そして厳かに――延焼よって幾分息苦しくなったこの場所で、僕の罪とやらをつらつら並べ始めた。


「貴様、人類種神聖教会アークマインリゾーマタ支部を壊滅させ、その後にリゾーマタ領主館において、領主リゾーマタ・バガンダ並びに臣下の者を殺害したこと、相違ないな!?」


「…………」


 まあ、だいたい合ってる。

 バガンダはともかくとして、人類種神聖教会アークマインの砦を壊滅させたのは、ディーオを助けに来た雷狼族のラエル・ティオスとその配下の魔法師の仕業なのだが、細かいことはどうでもいい。


「では、聖都をその100万人の信徒ごとを消滅させ、今なお近づいた者を悉く死に至らしめる強力な呪いをかけたのも貴様の仕業だな?」


「…………」


 いろいろ違うとは否定しきれず、僕が原因であるとも言える。

 人類種神聖教会アークマインは大聖堂の地下で『魔』原子炉という、地球とこの魔法世界との技術を応用したエネルギー炉で電気を作り出し、都市生活に応用していた。


 異界の扉を開く『ゲート』の魔法を使い、教皇クリストファー・ペトラギウスを伴ったアダム・スミスは、最高の魔法師であるアリスト=セレスを手土産に地球へと渡った――はずだ。


 その際、地球から齎された文明の利器を抹消するため、奴は『魔』原子炉を暴走させ、聖都をその住民ごと消滅させたのだ。


 聖都の跡地は深刻な放射能汚染により、何人も近づくことができない死の領域と化してしまった。


 ――と、例え真相はそうであっても、それを話したところで確かめようなどない。

 原因となった男が消えてしまった今、その次に咎があるとすれば、止めることができなかった僕、と言っても過言ではないだろう。


「沈黙は肯定と見なすぞ。己が罪を認めたな魔族種よ。これらだけでも百度の極刑が適応される未曾有の大罪だが、まだあるぞ――!」


 剣の柄頭をギリギリと握りしめ、双眸を怒りに燃やし、フリッツは僕を睨みつけた。


「僅か半日前、貴様はこの『聖剣の祠』において、炎の魔素を用い、ミュー山脈を噴火させようと画策したな!?」


「なんだと……?」


 強い口調で断定するフリッツに、僕は初めて違和感を覚えた。


「貴様は、この世界の平和と秩序を著しく乱そうとした! それは万死に価する行為である! そして有ろう事か『第七剣王異界セブンスキングダム』を手に入れるため、ミュー山脈全体を巻き込もうとしたな!? 絶対に許せん!」


「――ッ!?」


 僕が消えていた時間は半日程度だったのか。

 それは有益な情報だったがしかし、このフリッツという男――異常だ。


 お付きの騎士たちは、最初こそ威風堂々とした上官に対して誇らしげに頷いていたが、最後の方はお互い顔を見合わせ、首を傾げていた。


 今フリッツは僕以外の第三者には絶対わからない情報を口にした。

 それは僕の正確な意図――大規模な炎の魔素を用いてミュー山脈を噴火させようとしたことと、そしてこの世界では耳慣れない単語『第七剣王異界セブンスキングダム』という言葉だった。


 それがもし、聖剣のことを指しているのだとしたら、なぜこの男がそれを知っているのか。聖剣とはこの世界のヒト種族がつけた名称。もし仮に本当の正式な名前があるのだとしたら、それを知っているものは――この世界の神にほかならない。


(まさかこの男が神に選ばれた本物の勇者!?)


 あるいは神の傀儡、神の使徒なのか。本人にその自覚はなくとも、超越的存在から影響を受けていおり、そして聖剣を奪った僕のことを目の敵にしている。身の丈に合わない情報を有していることからも、その可能性が高い。


「貴様には死すらも生ぬるい。四肢を切り刻み、はらわたをかき出し、首を剥製にして未来永劫晒し者にしてくれるわ――!」


 咆哮とともにフリッツが刺さった剣を引き抜く。それと同時にフルアーマーの騎士たちもまた自分の獲物を構える。長大なバスターソードの切っ先を、身の丈ほどもある大槍の穂先を向け、僕を取り囲むよう展開していく。


「全員俺に続け――!」


 突撃だった。なんの捻りもない愚直なまでの突貫だった。

 神に選ばれた勇者ならば奥の手があるのかと思ったがそんなものはなかった。

 大挙して迫った騎士たちのエモノが容赦なく僕を串刺しにしていく。


 フリッツの剣もまた、見事に僕の喉を貫通していた。

 僕は仰向けに倒れ伏す。それを傲然と見下ろし、フリッツは両の拳を天へと突き上げた。


「おお、うおおおおおおお――! 討ち果たしたり! 王都に仇なす魔族種をここに討ち取ったぞ!」


 フリッツは勝どきを上げた。騎士たちも興奮し、雄叫びを上げている。

 荒涼とした風が吹き、周囲の炎は鎮火していた。


 今この瞬間より『聖剣の祠』はその役目を終え、ヒト種族の怨敵たる魔族種を討ち取った戦勝地として歴史に名を刻むこととなる。凱旋したフリッツは英雄として讃えられ、未来永劫語り継がれるはずだ。本来であれば。


「気が済んだか――道化め」


 自分の声とは思えないほど、凄惨な響きだった。

 単にそれは、声帯に突き刺さった剣が振動しただけなのだが、耳にした者は恐ろしいバケモノの怨嗟に聞こえたことだろう。


「なッ、馬鹿な!?」


「悪いけどこの身体は、刃金を刺し込まれた程度じゃ死ねないんだ」


 ガチャリ、ガチャリ、と全身に刺さった剣と槍がぶつかって不協和音を奏でる。ハリネズミの有様で起き上がった僕は、バキっと首の剣を半ばからへし折り、打ち捨てる。身体の再生が始まると、突き刺さった刀剣類は血糊すら付着せず、体外へとはじき出される。当然のように傷跡など残らない。


「なッ、なッ、なあッ――!?」


 その一部始終を目撃しながら、フリッツ達は後ずさった。

 武器を失い、丸腰なのを思い出したのだろう、顔面蒼白になっていた。


(ふう……、これはこの場を切り抜けた後の課題にしよう)


 無限の魔力のおかげで死なないにしても、致命傷を受けると一瞬意識が飛んでしまい、動きが止まってしまう。


 これがもし聖都の地下で出会った近代兵器で武装した騎士たちだったら、その一瞬でさらに次の致命的な一手を打たれてしまう。できれば僕自身、攻撃を躱すため、本格的な訓練の必要性を感じていた。


「ば、化け物め――、ま、魔法師隊! 魔法師隊を前面に展開せよ!」


 フルアーマーの騎士たちが下がると、入り口の方から対魔法ローブを身につけた魔法師たちがなだれ込んでくる。そして全員が一斉に炎の魔素を集め、手のひらサイズのファイアーボールを撃ち始めた。


(これもまた僕の弱点――)


 魔法による波状攻撃。

 ひとりひとりの魔法ならば、その魔素の流れを読み取り、『愛』の意志力の元に魔力を注ぎこみ、術を破綻させるという攻撃が有効だ。


 だが現れた何十人もの魔法師たちは、それぞれタイミングも規模も速度もバラバラな魔法を次々に繰り出してくる。これではひとりを無効化させている間に、いい的になってしまうだろう。


 いちいち全員を相手になどしていられない。とっととこの場から逃げ出せばいいのだが、僕の機動力は己の脚のみである。下手に『聖剣の祠』から外に出た途端、さらなる敵の攻撃を受けることになってしまう。


 それに加えて。神に愛された男――フリッツは、先程から次々と僕の弱点を突くような最善手を打ってくる。


「魔法師部隊、二番から三十番まで祠の中心に向けて攻撃開始!」


 壁際まで対比したフリッツが激を飛ばした瞬間、外に待機していた魔法師部隊による無差別攻撃が始まる。なるほど、予め火を放っていたのは炎の魔素を効率よく集めるための呼び水だったのか――


「ぐぅ、おおおおおおッ――!」


 今度の攻撃は先程の比ではなかった。

 恐らく『聖剣の祠』の外に待機している魔法師たちは軽く見積もっての千人以上はいる。それが古の鉄砲隊よろしく、タイミングをずらしながら連続で攻撃してきているのだ。


(暗黒の世界の次は火炎地獄かよッ!?)


 幾重にも叩きつけられる爆撃のような魔法攻撃により、僕は酸欠になりながら、かろうじて魔力の障壁を張って直撃を防いでいた。


(その代りまったく身動きが取れない!)


 こうしている間にも、『聖剣の祠』の外ではせっせと炎の魔法が紡がれているのを感じる。ヒト種族の怨敵である僕を殺そうと、魔法師達が憎悪を燃やしているのがわかる。このままでは押しつぶされる――


「こうなったら仕方ない、ここら一帯を吹き飛ばして――ッッ!?」


 悪いことは重なる。

 有り余る周囲の炎の魔素を使おうとした瞬間、地面が揺れた。

 それは着弾し、爆発を繰り返す魔法攻撃の衝撃などではなく、純然たる地震。


「こんなときにッ!?」


 ミュー山脈の火山が活性化していた。

 僕が刺激したことに加え、今現在、千人単位の魔法師たちが一斉に炎の魔素を使用しているため、山全体がそれに呼応しているのだ。


 ならば土の魔素を使い、再び地震を――ダメだ、このタイミングでは下手な刺激はできない。噴火を後押しするかもしれない。水の魔素と風の魔素は遠い。炎の魔素が満ちる周囲から遠ざけられている上に量も少なく、十分な威力は期待できそうにない。従って僕は今――


(聖剣でゲートを開き、地球を探し出す余裕がない――!)


 異界への扉を開き、かつて自分が住んでいた地球を捜索する。

 それは広大な砂漠の中からたったひとつの素粒子を探し出すのにも等しいことだ。

 龍神族の特別な眼を限界を越えて駆使するため、相当な精神力と集中力がいるはず。


(僕は、よっぽどこの世界の神に嫌われたらしいな……!)


 こんなところで躓いてなどいられない。

 僕は今すぐ地球へと旅立ち、セーレスを助けにいかなくてはならない。


 だが下手に戦い、さらなる戦争をもたらす結果になれば、残されたこの世界でそれに巻き込まれるのはラエルやアイティア、ソーラスたちかもしれない。


(だがどのみち、このままられるわけにはいかない!) 


 決意し、僕が『聖剣の祠』の外へと走り出そうとした瞬間だった。

 頭上から――、一陣の清涼な風が吹き込んだ。

 風と共に新鮮な空気も流れ込み、酸素が枯渇していた『聖剣の祠』内で、瞬間的に巨大な炎が起こる。


 一瞬、何倍にも膨れ上がった炎が衝撃波を伴いながら炸裂する。

 逃げ場を求めた炎が、『聖剣の祠』のアーチというアーチ――至るところから外に拡散していく。


「――これは……?」


 攻撃が止む。恐らく周辺一帯は、逆流した炎によってかなりの被害が出ているだろう。そして――


「ふん、とうに『ちきゅう』に行ったかと思えば、まだこんなところをウロウロしていたのか」


 煙が立ち込める霊廟内に、褐色の美少女が降り立つ。

 僕が身体にかけてやった漆黒の外套衣マントを身にまとい、エアスト=リアスが見下ろしていた。


 続く。

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