第65話 聖剣を求めて⑤ 方針決定~白蛇様の手付金
*
「貴様らは、心労で、私を殺す気か――!」
真っ青な顔をしたエアリスが、椅子の上でグデーンと喘いでいた。
「悪かったよ。僕もちょっとナーバスになっていたんだ」
「わかる言葉で謝罪しろっっ!」
確かに僕は冷静じゃなかった。
セーレスとようやく再会出来た矢先に引き離され、ようやく会いにいける算段がついたと思ったら今度は奈落に突き落とされたのだ。いっそ全てを灰にしたいと、ちょっと本気で思ってしまうのも無理はない、かも?
まあ実際まだ地球に行ける可能性がゼロになったわけではない。
なんとか不死身の身体と時間を使って、アダム・スミスたちのように『ゲート』の魔法を研究することもできるはずだ……。果てしなく時間がかかりそうだが。
「いやいや、ほんに楽しいのう。こんなに賑々しいのはとんと記憶に無いわい」
「オクタヴィア殿も焚き付けるようなことはしないでくれぬか!」
椅子の上でオクタヴィアはパチパチと手を叩いて喜んでいる。
エアリスは魔族種の王相手に一応の敬意を払いつつも相当本気で怒っているようだった。
「んん? 儂は別に本気でよいと思うぞ。世界を滅ぼしてくれてものう」
「な――」
「それはどうしてだ?」
問うたのは僕だった。
オクタヴィアは小さな手で頬杖をつきながら、両足をブラブラとさせた。
「魔族種に限ったことではなく、誰しもが己の裁量で壊せるモノを必ず持っておる。ディーオのやつから力を引き継いだお主はそれが桁違いにでかいだけよ。よいではないか、お主が世界を滅ぼすというのなら、儂はそんな終わりでも良いと思うぞい。……ああ、若いお主らには理解できぬか。この気持を共感できるのは、ディーオくらいのものじゃろうかのう」
ディーオもまた心が死に至る病を抱えていた。
魔族種の根源貴族とは死人ばかりだとも言っていなかったか。
寿命ばかりが長いだけで、それとは対象的に心は、精神は死んでいく。
オクタヴィアは自己分娩を繰り返すことで肉体のリセットは叶うとしても、やはり少しずつ心は衰えてきているのだろうか……。
「それにの、なにも儂は享楽のためだけにお主が世界を滅ぼすことを勧めたわけではないぞ。もしかしたらのう――ひょっこりと聖剣が出てくるやも知れんと、そう思ったのよ」
「どういうことだ!?」
ガダン、と僕は椅子を倒して立ち上がっていた。
穴が開くほど真剣にオクタヴィアを見つめる。
彼女はニヤニヤとイヤらしい笑みを浮かべた。
すべてをお見通しといわんばかりの腹立たしい表情だった。
「実はの、
そしてオクタヴィアは語る。
はるか昔、ヒト種族がまだ小さな群れで原始的な生活を送っていた頃から現在に至るまでの間、魔法世界を襲った三度の危機――即ち、彼女が知る限りにおいて、聖剣が現れたタイミングを。
一度目は数万年前。
地殻変動が誘発され、大きな地震とともに、天を突き破るほどの大隆起現象が起こった。その時である。空が一瞬で引き裂かれ、巨大な『口』が姿を表した。その口は隆起した大地を丸ごと飲み込み消えてしまったという。
二度目は一千年ほど前。
大地震が起こり、壊滅した地上を洗い流さんと大津波が発生した。
その大津波を、突如空に現れた漆黒の『穴』が残らず吸い上げてしまった。
そして三度目。
聖剣はヒト種族の青年の手に渡り、都市に押し寄せんとしていた溶岩流を消し去り、役目を終えた後に虚空へと消えてしまったという。
聖剣に選ばれ、一時的にでもその担い手となった男は勇者と崇められ、その後も語り継がれる英雄譚が誕生した。
これらの話しを総合して考えれば、聖剣がいかなる存在なのかが見えてくる。
聖剣は神出鬼没。
聖剣は自らの意思、あるいは何者かの意図によって遣わされる。
出現するときは決まってこの世界の危機。
大勢の命のが失われる危険性があるときのみ唐突に現れ、その原因のみを消し去る。
そして三度目を最後に、聖剣はこの世界から姿を消したままだ。
王都は聖剣が最後に消えた場所に『聖剣の祠』を建立し、神格化しているという。
「聖剣という呼び方も元はヒト種族固有のものよ。儂などは勝手に『鍵』と呼んでおる。言い得て妙であろう、たった一人のヒト種族を、勇者と呼ばれる上位個体に昇華せしめる『鍵』。そして異界への扉を開くという意味での『鍵』。おそらく人造によるものではあるまい。それこそ天上人が作った神器なのじゃろう。もしその力を得ることでき、正しく導くことができれば、お主の望む世界への扉も開かれるであろうよ」
すっかり冷めてしまった紅茶をすすり、オクタヴィアはそのように締めくくった。
なるほど……そういうことか。
「礼を言うオクタヴィア・テトラコルド。話を聞いて希望が湧いてきたよ。とりあえずは聖剣が三度目に現れ、そして消えたという場所を目指してみる。そこで少し
「そうかそうか。お主なら
拙いながらも儂の知識と同水準の者と会話ができたのだからのう、とオクタヴィアは言った。
「ところでのう、なにか忘れとりゃあせんかお主?」
ニマ~っと邪悪な笑みを浮かべて、オクタヴィアは紅葉のような手を差し出してきた。
「儂はなにもただで相談にのってやったわけではないぞ。ちいっとばっかし相談料を置いてゆくがよい」
「……悪いが今手持ちがなくてな。金なら雷狼族のラエル・ティオスに請求してくれ」
「さらっと酷いな貴様」
エアリスが呆れ顔で僕を見上げてくるが知ったこっちゃない。
協力するとラエルは言ったのだ。喜んで謝礼金くらい払ってくれるだろう。
だが、オクタヴィアは「金などいらぬわ」と突っぱねた。
「じゃあなんだ、何が望みなんだ?」
「儂が望むものはのう、ずばりお主自身じゃ」
「……あ? 何だって?」
僕を望むとはどういうことだ。
なにか肉体労働でもしろというのだろうか。
オクタヴィアは怒るでも拗ねるでもましてやイヤらしい笑みでもなく、もじもじと恥ずかしそうに俯いたあと、ほっぺたを赤くして言った。
「どうじゃ、そのな、お主の
「……………………」
「そんなのダメに決ってるだろう――ッッッ!」
エアリスが叫んでいた。
あまりのことに僕が沈黙していると、テーブルを両手で叩きながら立ち上がった彼女が猛然と唾を飛ばしていた。というか何故お前が……。
僕は――やにわに痛みだした頭を抑え、努めて冷静に言った。
「意味がわからんぞ。アンタは自分だけで妊娠と出産が可能なんだろう。男なんて必要ないじゃないか」
「もちろん、この身は老いを知らず、寿命が近づけば次なる肉体を
衝撃の告白だった。
鋼鉄とかそういうレベルではない。
な、七万年の間生娘って。
僕は身震いした。
「あ、あー、その、何だ。アンタが七万年もの間大切に守り続けてきた処――純血? を奪うというのは、僕には重――荷が勝ちすぎるような気がするんだが。なんだってそんなことを要求する?」
ふむ、と頷き、オクタヴィアは椅子からぴょんと飛び降りた。
「ディーオの深淵を継ぎしものよ。お主にならわかるのではないか。儂らの寿命が齎す倦怠のことを。儂はこの悠久に変化が欲しい。しかも単独では儂より遥かに長い時間を過ごすエンペドクレスが相手じゃ。お主の一万の深淵と、儂の七万の悠久。これがひとつになれば、次代には新たな可能性が生まれるやもしれん……!」
身振り手振りを交えながら、僕へと近づいてくるオクタヴィア。白蛇族の朱い虹彩に射すくめられる。それは蛇に絡め取られるような、抗いがたい吸引力をもっていた。
「じゃが、この未熟なカラダでは到底
ちらりと、後ろに控える前オクタヴィアを見やる。何度も言うが、絶世と言っても過言ではない美女だ。それは認める。このちんまい幼女が、近い将来必ずアレになるのか……。
「どうじゃろう、そのときにどうか儂と子作りをしてはくれまいか?」
オクタヴィアは不意に
足元から僕を見上げてくるその姿は、愛らしい子供の哀願そのもだった。
そして僕の出した答えは――
「わかった」
「ちょっと待てぇ! 認めん、私は絶対にそんなこと認めんぞ――ッッ!」
だからなんでおまえが反対するんだよ。
エアリスは顔を赤くしながら僕に詰め寄ってくる。
「きききき、貴様は! 畏れ多くもディーオ様から賜ったお力を! ほほほほ、他の女にくれてやるなど、などなどなど――ッッッ!」
「おや、エアリスよ、何じゃお主もしかして『おぼこ』かえ? てっきりディーオのやつから寵愛を受けておると思っておったのに」
「お、おぼ、おぼこって……!?」
「いや、こいつはずっと娘扱いしかされてなかったらしいから――」
「貴様は黙っていろ!」
エアリスの手の中、風の魔素が分子切断レベルで微細振動を始める。
やばい。この話題に触れるときは一度死ぬ覚悟をする必要があるようだ。
そんな僕らの様子を見て取ったオクタヴィアは「ふむ」と頷き、さらにとんでもないことを言い始めた。
「ではこうしよう。儂が胤をもらうのはエアリスの次でよい。儂が成熟するまでの間に、タケルより寵愛を受けるがよい。タケルはエアリスを存分に抱いて男として
我ながらよい考えじゃ、とオクタヴィアは小さな胸を張った。
なんというか、オクタヴィアの中ではもう決定事項らしかった。
「ああ、わかった。ならそれでいい」
僕はもう色々面倒になってきていた。
この話はさっさと切り上げてしまおう。
「いいわけあるか! 貴様、自分が何を約束したのかわかっているのか!? き、貴様はオクタヴィア殿と交わるためにわ、私を練習台に――」
なに言ってんだこの馬鹿は。
「おい、エアリス。ちょっと」
「なん――うわっ!?」
褐色の手首を握り引き寄せる。
吐息が触れるほどの至近距離からエアリスを見つめる。
赤くなってギュッと目をつぶる彼女の耳元で僕は囁いた。
(いいんだよ、約束なんて適当で)
(な、なんだと!?)
(情報さえ引き出せばあとは聖剣を手に入れて地球におさらばだ。そうしたら追いかけてくることなんて絶対不可能だろ)
(あ、ああ……なんだ、そういうことか。というか貴様も悪いやつだな)
(あたりまえだ。僕はセーレス一筋だからな。浮気なんかしないさ。というかこれくらいの悪知恵、ディーオだって平気で使うぞ。騙される方が悪いのさ)
(そう言われるとすごく複雑な気持ちになるのだが……)
「密談は済んだかの?」
オクタヴィアは子供のイタズラを見守る母親のような目をしていた。どんな策を弄するのか楽しみでしょうがない――、そんな目だった。
「ああ、タケル・エンペドクレスの名において誓う。適切な時期が来たら、美しく成長したオクタヴィアの身体を抱く。泣いて嫌がっても僕の子を無理やりにでも孕んでもらう」
宣言した途端、「ほっ――ほっほっほ!」とオクタヴィアは興奮した様子で笑いだした。
「聞いたか前オクタヴィアよ! 今宵は祝杯じゃ!」
「はい、しかと聞きました。おめでとうございますオクタヴィア様。これで白蛇族はさらなる進化の高みを目指せることでしょう」
「うむうむ。楽しみじゃのう! わくわくするのう! 儂は一体どんな手荒な真似をされてしまうんじゃろう! ひょっとして娼婦のような扱いを受けて、お主の欲望のはけ口にされてしまうんじゃなかろうか!?」
「ま、魔族種の根源貴族って……」
エアリスががっくりと肩を落とした。
うん、僕も同じ気持ちだ。
でもディーオだってこんな感じだったぞ?
「いやあ、こんなに未来が楽しみなのは久しぶりじゃ。ふむ。だがな……ちょい、近う寄れタケルとやらよ」
「あん?」
僕の元までやってきたオクタヴィアが背伸びをして顔を近づけてくる。
まだまだ、もっと寄らんかい、と指をクイクイっとする。
しょうがないな、と僕がしゃがみ込むと、突然首っ玉に抱きつかれた。
「――なッ!?」
「手付金じゃ」
唇に吸い付かれた。
それだけでなく、いきなり舌を差し込まれ、口内を舐られた。
蛇だけあってものすごい舌テクだった!
「ふふふ……、儂はしつこいぞい。どこに逃げようと必ず追いかけていくからの。覚悟せい」
ペロリと、血のように赤い舌が覗いていた。
僕は背中に走った悪寒を誤魔化すよう声を荒げた。
「――ちっ、雌狐め」
「狐などではない。白蛇じゃ。一度絡みついたら相手を絞め殺すまで絶対に離さんぞい。ふふっ」
流石は七万歳の御大だった。
一万年と一年目の僕などでは到底太刀打ちできない相手だった。
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