第64話 聖剣を求めて④ 絶望の龍~すり抜ける希望
*
前オクタヴィアが危なげなく淹れなおした紅茶(かなり動作はゆっくりだったが)をすすり、僕たちはようやく一息つくことができた。オクタヴィアは僕らの許諾を得て前オクタヴィアを自分の後ろへと控えさせていた。
さて、ようやく本題を切り出せそうな雰囲気になった。
僕はここに来た目的をかいつまんで話し始めた。
僕が元ヒト種族で、ディーオからその力を受け継いだこと。
聖都の地下で見た『魔』原子炉の存在や、連れ去られてしまったセーレスのことをなるべく私情を交えず客観的に話した。
オクタヴィアは子どもに似合わぬ真剣な表情で「うむうむ」と聞いていた。
「僕は教皇が研究していた『ゲート』と呼ばれる魔法のことが知りたい。この世界の生き字引と呼ばれているアンタなら知ってるんじゃないのか?」
「ふむ。確かにその魔法のことならば知っておる」
「本当か!? 是非教えてくれ!」
「落ち着けよ小僧」
「――ッ!?」
いつの間にか、オクタヴィアの様子が一変していた。
白貌にうっすら赤みが刺すと、彼女の首元から蛇のまだら文様が浮かび上がってくる。瞳の虹彩は血のように朱く染まり、子供らしからぬ妖艶な雰囲気を纏っている。これがオクタヴィアの魔族種としての本性なのか。
「儂は多くの眼を持ち、この世界のことを遍く知っておるが、全てが全てお見通しというわけではない。そしてクリストファー・ペトラギウスが今は失われた魔法の研究をしていることは知っておったが、それがかの『ゲート』の魔法だとは知らなんだ。昔から亜人種嫌いで有名な男じゃったが、ついに行き着くところまで
なんとかと天才は紙一重じゃ、とオクタヴィアは続ける。
だが、そんなことはどうでもいい。僕にとって重要なのはそっちじゃない。
「頼む、教えてくれ、その『ゲート』の魔法とはどんな魔法なんだ。僕でもその魔法を使うことはできるのか!?」
僕の必死な問いかけに、オクタヴィアは神妙な顔つきのまま、無情な言葉を突きつけた。
「不可能じゃ。例え龍神族の王が世界を焼き尽くせるだけの魔法が使えようとも、『ゲート』の魔法を使うことだけは絶対にできぬじゃろう」
ドクンッ――!
大きく強く。
ただ一拍の鼓動が僕より漏れた。
途端喫茶室――、というよりオクタヴィアの居城全体が揺れた。
僕が不用意に漏らした魔力により、外の怪鳥が再び飛び立つのがわかった。
近くの巨木で翅を休めている
「悪い。話を――続けてくれ」
「元ヒト種族という割には大した忍耐力じゃ。お主、いい男になるぞ」
オクタヴィアは身体を揺らしながら愉快そうに笑っていた。
ふう。落ち着け落ち着け。まだ地球に帰れないと決まったわけではないのだ。自重しなくては。
「例え魔族種だろうが、
「聖剣?」
なるほど、そういう意味で僕には『ゲート』の魔法が使えないと言ったのか。
そしてその点で言えば、教皇クリストファー・ペトラギウスは――いや、アダム・スミスは聖剣の魔法を再現した本物の天才、ということになるのだろう。
「お主も『聖剣の勇者』のお伽話は聞いたことがあるじゃろう。定番の読み物じゃなからな。かつてヒト種族の勇者が聖剣に選ばれ、そのチカラを振るったときには、押し寄せる大波のような溶岩流を『ゲート』の魔法で消し去ったと言われておる」
かつてマンドロスからも聞いた勇者のおとぎ話だ。
その物語の場所となったのは、確か聖都と王都を隔てるミュー山脈だったはず。
山越えをする旅人の為の店や宿が山中に一軒もないのは、勇者が誕生した場所だから神聖視してヒトが住むことを禁じているとも言っていた。
クソ、こんなことになるんだったら、あの時マンドロスからもっと話を聞いておけばよかった……。
「じゃがなあ、儂にはどうにも疑問が残る話でもある」
オクタヴィアは椅子の上で膝を立て、その上にちょこんと顎を載せていた。
背後の前オクタヴィアが注意しようか、いや客人の前で恥をかかせるのは、みたいな顔でオロオロしていた。
「何だ、何が疑問なんだ?」
「ふむ。聖剣が作り出す『ゲート』の魔法とは、本来異界への扉を開くだけの
なかなかするどい指摘である。
だが、連れ去った場所ならもうわかっているのだ。
「教皇たちが向かった先は『地球』と呼ばれる異世界だ」
「ほう、『ちきゅう』とな。聖剣の開くゲートの魔法はそんな場所につながっておったのか。何故そうだとわかる?」
「教皇を導き、セーレスを連れ去ったのがその地球からやってきた男だったからだ。そしてそこは僕のいた世界でもある」
「なんじゃと!? つまりお主は――」
「僕この世界のヒト種族じゃない。地球からやってきたんだ」
人間――、ヒト種族が単一で栄華を極める世界。自然環境がとても似ており、私見だが例えこちらの住人が地球に行っても、問題なく生きていけるだろうと告げた。
すると案の定、オクタヴィアはディーオの時と同じくものすごい勢いで食いついてきた。
「なんとなんと、外なる世界とな! そこにはヒト種族以外おらんのか! 魔法は――科学だと!? ほうほう、げに興味深いのう!」
彼女は夢見るように天井を仰ぎ、椅子の背もたれに身体を預けると、そのままゆらゆらと椅子を動かし始めた。ついに堪え切れなくなった前オクタヴィアが、後ろからギュッと椅子を押さえつけた。基本この幼女は片時もじっとしていることができないようだ。
「オクタヴィア・テトラコルド、ひとりで盛り上がっているところ悪いけど、次に僕が進むべき指針が見えた。礼を言うよ」
「ふむ。それは喜ばしい限りじゃが、儂が思うにそれはぬか喜びになりかねんぞ」
「……どういう意味だ?」
腰を浮かしかけた僕に、オクタヴィアは年長者特有の慈しむような温かい眼差しを向けてきた。幼女にそんな目で見られるとお尻が痒くなってしまうぞ。
「タケルとやらよ、察するにお主は、異界の扉を開く手段を得て、『ちきゅう』に向かうつもりのようじゃな。この世界で『ちきゅう』の存在を認識しているのは、お主を於いて他におらんからのう。龍神族の目を使えば、望む世界も見つけられるやもしれんしな」
「反論の余地もないな。さすが七万歳のばーさんだ」
「こんな可愛い幼女を捕まえてばーさんはないじゃろう!」
オクタヴィアは子供らしく拗ねた表情で「イー」と白い歯を見せてきた。こいつは拗ねたり怒ったりしてるときが一番子供っぽいな。
「おおかたお主は、聖剣の力を使い、異界への扉を開くつもりなのじゃろう?」
「ああ、もちろんそのつもりだ」
「それが無理なのじゃ。お主は聖剣を手に入れることはできんよ」
「そ、それはどうしてだ? 聖剣はどこに――誰が持っているんだ? 邪魔をするなら例え相手が王都の軍隊であっても蹴散らすぞ!」
次なる希望を見出した途端、それを全力で否定される。
これほど怒りを覚えることが他にあるだろうか。
僕はセーレスと約束したのだ。
例えどんな世界であっても迎えに行くと。
それを邪魔するものがあれば容赦はしない。
「惚れた女のためなら一国を滅ぼすのも躊躇わぬか。その心意気やよし。先ほどから背伸びをして儂と対峙している姿もよいが、歳相応の激しさや未熟さを覗かせる姿もまたよいのう……シシシ」
子供らしい表情が拗ねたり怒ったりすることだとするなら、その真逆――もっとも似つかわしくない大人の表情がこの笑い方だと思う。イヤらしいったらない。
「うるさいぞ! 無理だというならその理由を今すぐ話せ!」
テーブルを強く叩く。ティーセットその他が一瞬浮いてガチャンッと盛大な音を響かせた。エアリスやオクタヴィアは平気そうだったが、驚いた前オクタヴィアは首を引っ込めて目をギュッとつぶっていた。
「やれやれ、せっかちな男じゃ。仕方がないのう」
オクタヴィアはすっかり年長者風を吹かせて、やれやれと見つめてくる。
「現在、ミュー山脈には『聖剣の祠』と呼ばれる場所が存在する。かつてヒト種族の勇者が聖剣を顕現させたとされておる場所じゃ。じゃがな、そこに聖剣は祀られてはおらん。もちろん王都のオットー・ハーン王も持ってはおらん。魔族種も獣人種も
「何だと……、ってことはまさか――!?」
「そうじゃ。聖剣は今現在、この世界には
最後の希望が打ち砕かれ、僕は目の前は真っ暗になった……。
*
「この世界に……聖剣はないのか」
「ない。存在しておらん」
「かつてはあったのか」
「あった。じゃが今はない」
「どこへ行ったんだ?」
「さあ、そこまではのう」
長い沈黙。
僕はテーブルの上に肘を付き、がっくりと肩を落とした。
「タケル……」
珍しくエアリスが名前で呼んでくる。
その声には十二分に労りが含まれていた。
でも今の僕はそれどころではなかった。
聖剣が存在しない。
すなわち地球に行くことができない。
つまりもうセーレスには二度と会うことができない。
「タケルよ、気を落とすな……という方が無理か。だが諦めるな。私もできる限り貴様に協力しよう」
エアリスが席を立ち、気遣わしげに僕の肩に触れてくる。
かつて無いほど優しい彼女だったが、今の僕――絶望に支配された僕には届かない。
セーレスにもう会えないなら僕はなんのためにここにいるのだろう。
セーレスに会えないまま僕は死ねず、ずっと生き続けるなんて――地獄だ。
ならもういっそ世界を地獄に変えてやろうか。
「エアリス」
「うん、何だ、どうしたのだ……?」
「ラエルの屋敷からリゾーマタに送ってもらったときの話、覚えてるか?」
「は――? な、何の話だ?」
「いいよ、やってやるよ魔王ロール。僕、今なんでもいいからとにかく世界をメチャクチャにしたい気分だ……!」
「なッ――!?」
狼狽えるエアリス。
琥珀の瞳を驚愕に見開き、まるで弾かれるように僕の肩から手を離す。
魔力が――僕の全身から間欠泉のように湧き出ていたからだ。
「まて、まてまて、『魔王ろーる』とはなんのことだ!? いや、意味はわからずともなにやら物騒な響きなのはわかるぞ! やめよ、そのように身体から尋常ならざる魔力を立ち上らせるのはやめよ!」
エアリスは圧倒的魔力量に気圧されながらも、後ろから抱きつき僕を押さえつけようとしてくる。
「おほ、なんじゃなんじゃ? 世界を滅ぼそうというのか? 面白そうじゃのう。どれ、儂も付き合おうかの」
「オクタヴィア殿!?」
「僕を止めないのか?」
「儂に龍神族の王を止める力などないわい。それより戦争など400年前の人魔大戦以来じゃのう。ほほっ」
オクタヴィアは実に楽しそうに僕の背中を押してくれる。
ああ、かつて僕には幼馴染の心深って子がいたが、あれもダメこれもダメと、僕がやることなすこと全部に文句を言ってきた子がいた。でもこうして悪巧みにも背中を押してくれるのはありがたい。生意気なガキだと思ってたけど気に入ったぞ。
僕はニッコリと、オクタヴィアに笑みを向けた。オクタヴィアもニンマリと笑い返した。多分に毒花の笑みってやつだった。
「セーレスのいないこの世界なんてぶっ壊してやる……!」
「その調子じゃ! これはしばらく退屈せずにすみそうじゃ!」
「ちょ――待ていッ! やめぬかタケル! 両手を天にかざして炎の魔素を集めるのを今すぐやめろッッ――!」
血相を変えたエアリスがかなり本気で僕に抱きついてくる。
魔力の奔流によってしがみついてないと吹き飛ばされてしまうのだ。
オクタヴィアはその様子を見てケラケラと笑い出していた。
「なんじゃなんじゃふたりして熱い抱擁を交わしてからに。そういうことがしたいんなら今直ぐ寝室を用意してやるぞよ、のう前オクタヴィア?」
「その前におふたりとも、長旅の疲れを癒やすためにも湯殿の方が先かと存じます」
「そなたはっ! この危機的な状況がわからんのかッ!?」
「ほほ、そうじゃのう。どれ、儂も相伴にあずかろうかのう。なあに、うちの湯殿は泳げるほど広いぞい。全員が入っても余裕じゃわい。お主も入るか前のよ」
「恐れながらいちメイドの立場でそのようなことは――」
「タケル・エンペドクレスの名に於いて炎の魔素よ――」
「堅いことを申すな、久しぶりの来客なのだ。今宵は無礼講ぞ。それにの、見てみるよがいい、エアリスの男好きのする体つきを。今の儂では太刀打ち出来なんだ。お主の力が必要なのじゃ」
「得心がいきました。そういうことでしたらオクタヴィアのため、全力で――」
「いい加減にしてくれえええええええっっっ!」
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