第63話 聖剣を求めて③ 紡がれる記憶〜悠久の蛇

 *


 白、白、白……。

 何もかもが白一色で埋め尽くされた幼女が艶然と微笑んでいた。

 足元まで届きそうな長い白髪に、伸ばし放題の前髪も白。

 フリフリがいっぱいついたドレスも白ならば、まつ毛も眉も真っ白け。

 そんな一面雪化粧をしたような少女の中に宿る唯一の色は、唇の差した薄い紅と、血を流したかのような真紅の瞳だけだった。


「どうじゃったかの、我が家自慢の飛竜ワイバーンによる出迎えは。なんぞお主らに失礼なことをせんかったかのう」


「竜種が番犬代わりとは大したもんだ。別に、何にもされちゃいないよ。飛竜アイツ、僕とは目を合わそうともしなかったしな」


 隣のエアリスが「そうなのか?」と聞いてくる。

 オクタヴィアは「気づいておったか」と言った。


「あやつは儂が見つけ育てた希少な竜種の生き残りでな。自分の事を儂らと同じ魔族種と思い込んでおる。基本的に竜種の凶暴性とは無縁の臆病者なのじゃよ」


 それって番犬にすらならないんじゃないか。

 あの巨体でビビリって……。 

 渋い顔をしていると、白い幼女がじいっと僕の顔を覗き込んでいた。

 どうみても十歳前後の女の子が、目をキラキラさせながら、僕のことを上から下まで観察している。そんな遠慮なく見られると居心地が悪い……。


「久しいのう、最後に直接会ったのはかれこれ千年ほど前のことじゃったかのディーオよ。ずいぶんと面白い有様になっているようじゃな」


「僕はディーオじゃないぞ」


「ふむ。では、ディーオの深淵を継承した誰彼よ、名前を教えてはくれまいか。我が名はオクタヴィア・テトラコルド。永劫の輪廻を巡り、この世界を傍観する観察者じゃ」


「……ヒトであった頃の名をナスカ・タケル。今の僕はタケル・エンペドクレスだ」


「ナスカ・タケル。珍しい響きの名前じゃの。して、そちらはディーオの腹心、エアスト=リアスじゃな」


「え」


 今まさに名乗りを上げんとしたエアリスが機先を制されて口ごもる。

 見た目は十歳前後の子どもにしか見えないが、相手はディーオをも超える最古参の魔族種である。慎重に言葉を選びながら彼女は口を開いた。


「貴殿と私は初対面のはずだ。失礼だが以前にどこかでお会いしたことがあっただろうか……?」


「ないぞよ。しかし、お主が奴隷の身分からディーオに救われた経緯は知っておる」


「それは、ディーオ様から直接聞いたという意味か……?」


「先ほど千年ぶりと言うたはずじゃぞ。忘れたのかの?」


「むむ……」


 なぞなぞみたいな感じになってきた。

 しかめっ面をするエアリスを放り、オクタヴィアは椅子からぴょんと飛び降りると、タタタと戸棚へと向かう。自分の頭ほどもある陶磁器製の瓶ツボをよっころらせと背伸びして取り上げると、おっとっと、とフラつきながらなんとかそれをテーブルまで運んだ。


 なかなか一挙手一投足がスリリングである。

『はじめてのおつかい』を見守る親の気持ちがわかるというか……。


「まあ、座るがよいぞ。今茶を入れるでな。いやあ、客などもう何百年ぶりにもなるかのう。少々手際が悪いかも知れんが大目に見てくれよ」


 口をへの字に曲げたまま立ち尽くすエアリスを尻目に僕は椅子に腰掛ける。

 慌てて隣に座ったエアリスが「不用意に動くな」と言ってきたが無視した。


 オクタヴィアは僕らなどお構いなしにお茶を入れ始める。

 湯気の立つティーポットに掬った茶葉をダバっと入れると、椅子に座り直そうか少し迷ってから、テーブルに肘をついて茶葉が開くのを待つことにしたようだ。


 時間を身体で計るように首や足が規則的に揺れている。

 なんというか、絵になる。鼻歌なんかも歌ってごきげんな様子だった。


 そして「よし」とティーポットを片手で持ち上げると、「うわわ」と慌ててもう片方の手を添える。三名分のお湯が存外に重かったらしい。


「エ、エアスト=リアス――エアリスよ!」


「な、何だ、何事だ!?」


「儂としたことが抜かったわ。こちらに来て湯呑の上に茶こしを置いてくれ! 早くしろ、長くは支えきれん!」


「わ、わかった……!」


 ささっと近づいたエアリスが、傍らにあった茶こし――ティーストレーナーをカップにセットする。注ぎ口から茶葉が入るのを防ぐあれだ。

 オクタヴィアはプルプルと震えながらお茶を注いでいく。


「あの、よければ代わろうか?」


「ならん! 茶の注ぎ方、ポットの傾け具合でも味は変わってしまうのだ! こればかりは如何な場合でも絶対に他者には譲れんのだ!」


「は、はい、すみません……」


 エアリスはシュンとなって紅茶が注がれるのを見つめていた。

 僕はふたりを視界に収めながら、『初めてのお手伝い~ハラハラ見守るお母さん』なんてタイトルを心のなかでつけていた。


「ふいー。もう良いぞ。持って行ってくれるか。砂糖と乳脂も好みで入れるとよいぞ。儂は両方とも三杯は入れるがの。ほほっ」


「ほら」


「ああ」


 受け取った紅茶を啜る。うむ、午後ティーより美味い、くらいの感想しか浮かばないが、まあ美味いは美味い……と思う。


「してなんじゃったかの……。そうそう、儂が何故お主を知っているのか、ということじゃったか。エアリスよ、ほれ、これじゃ」


 椅子に座り直したオクタヴィアは額に汗をにじませながら左手を頭の上に掲げてみせた。


 なんだ、とエアリスは顔をしかめる。

 その手には何も握られていなかった。

 僕にも何もないように見えた。

 なので、龍神族の特別な眼を通して見てみた。

 するとそこには、ウネウネ蠢く蛇の姿を見て取ることが出来た。


「蛇のエーテル体がアンタの眷属なのか」


「ほほ、やっぱり見えるのじゃな。これを見ることが出来るのは儂とお主くらいのものじゃろうな」


「えーてるたい……?」


「目には見えない魂、あるいは霊魂と呼ばれるものの総称だ」


 正確にはなんだったか。エーテル体とは星に満ちる第五元素であると同時に光や電磁波の中間物質である幽離エネルギーだったか。日本にいた頃そんな眉唾SF本を読んだ気がする。


「その通り。儂はこの魔法世界のあらゆる場所、ヒト種族の領域から獣人種の領地、果てはエルフの里や魔族種の街までもを見渡すことができる。あらゆる場所にこやつを放ち、自分の目として情報を集めておるのだ」


 どうじゃすごいじゃろう、とオクタヴィアは自慢気な様子だがつまりは――


「それって覗きだろ結局は」


「断じて違う。観察と情報収集じゃ」


「いやプライバシーの侵害だって」


「ぷらいば……? なんじゃか知らんが違うもんは違うんじゃい!」


 オクタヴィアはバタバタと手足を動かした。

 まるっきり駄々をこねる子供の仕草だった。


 ここで攻勢に出たのがエアリスだ。

 ガタン、と椅子から立ち上がると、指を突きつけながら糾弾し始めた。


「そこな男の言うとおり、そなたのやっていることは他者の秘密を暴く行為にほかならない。いかな魔族種の根源貴族であろうとも、他者の私的な空間を覗いていい道理はないぞ。今すぐやめなければ私が――」


「違うもん」


 エアリスがハッとする。

 見ればオクタヴィアは大粒の涙を目尻に湛え、ヒックヒックとしゃくり上げていた。


「覗きじゃないもん。観察だもん。ずっと一人ぼっちなんだもん。みんなが楽しそうにしてるのを見るくらいええじゃないか。悪いところは見てないし、見ても誰にも言わないもん。これだけが楽しみなんだもん。これしかすることがないんだもん……!」


「わーんッ」とオクタヴィアは火の玉がついたように泣き出してしまった。

 エアリスは完全に虚を突かれ、ポカンとその様を見ていた。


「あーあ。泣かせたなおまえ」


「バ、違う、これは、私が悪いわけでは――」


「うわーんっっっ!」


「あわわわ、オクタヴィア殿、オクタヴィア殿、な、泣き止んでくれ、私が悪かった! 節度を以ってみんなを見守っているのなら大丈夫だ、きっと大丈夫だから!」


 急いで駆け寄り、オクタヴィアの傍らで一生懸命フォローをするエアリス。

 なんというか、『叱り方を間違えたお母さん』って感じだ。


「大丈夫……? みんなも許してくれる?」


「え……、みんな、はどうだろうか。もしかしたら怒る者もいるかも……」


 僕は「バカ」と口を挟んだ。


「え?」


「びえーんっっっ! みんな怒ってるぅー! 絶対許してくれないぃぃぃ!」


「わー、ウソウソ、冗談だから、みんな怒ってなどいないからぁ!」


 こんなにテンパってるエアリスを見るのは初めてだ。

 彼女は小さな子どもにするように、よしよしとオクタヴィアの頭を撫でている。

 やっぱりこいつ『おっかさん』属性を持ってるなあと思う。


 そうして数十分も泣き続けて、オクタヴィアはようやく泣き止んだ。

 エアリスはテーブルに突っ伏して、「ぜえはあ」と青い顔をしていた。


「みっともないところを見せたの。どうしても儂の精神は未熟な肉体に引っ張られてしまう。たまに情緒が不安定になってしまうことがあるのじゃ」


 ハンカチで赤くなってしまった目元を拭い、オクタヴィアが言う。


「それってどういう意味だ? 今は、ってことはこれからどんどん成長して安定するということか?」


「然り。儂は大体100年を持って成人――、大人の姿形になり、以後死ぬまで年齢が固定化するのだ」


 なんだって? 死ぬまで・・・・


「ちょっと待った。アンタは七万年の時を生きる魔族種じゃないのか?」


「そのとおりじゃ。儂の中には七万年に渡る悠久の記憶と知識が息づいておる」


「いや、でもアンタ今死ぬって言っただろ?」


 訳がわからない。蓋を開けてみたら実は違いました、見た目通りの背伸びしてるただの子供です、などと言われたら僕がここにきた意味が無い。


 オクタヴィアは何か決意をするように瞼を伏せたあと、静かに語りだした。


「儂は――、白蛇族の長は、約200年周期で次の個体へと生まれ変わるのだ」


「生まれ変わる……?」


「死期が近づくと、儂ははらのなかに次代の個体を宿すのじゃ。ひとりで身ごもり、ひとりで産み、ひとりで育てる。生まれてから肉体の成長と安定を待って、七万年に及ぶ記憶は継承される。そうしてさらに十数年の時をかけて、それを思い出すように自分の知識としていくのじゃ。今はまだ記憶の継承は七割方といったとこかの」


「――単為生殖するってことなのか」


 人間は常染色体が22対の合計44本の染色体を持っている。

 理論上、これが一対しかない場合に自己妊娠、自己分娩が可能となるそうだ。


 さらに性染色体が2本あり、女性ならXX、男性ならXYである。

 どうみてもオクタヴィアは女なので性染色体XXの2本に、常染色体が一対の合計4本しかないことになる。


 これは、妖怪変化どころか遺伝子工学的に見たらとんでもない価値を持った存在である。


 単純計算で彼女は七万年の間に350回以上も自己妊娠と自己分娩を経験しているのだ。


 単独で一万年以上を生きていたディーオは、その精神に倦怠という名の病を抱えていた。


 彼女は200年というサイクルの中で、懐妊出産し、育て、記憶の継承を繰り返す、という手間を惜しまないことで精神に破綻を来たさず、常に瑞々しい心を保っているのだろう。


 と、その時、不意にドアが開かれた。

 キィ――と隙間が開き、そこから白貌の美女がこちらを覗いてくる。

 オクタヴィアはタッ――と走り寄り、大きくドアを開け放った。


「何をしておる、客が来ている間は部屋にいるようにと申し付けておったじゃろう」


「も、申し訳ありません……、でもオクタヴィア様の泣き声が聞こえたものですから、何か大事があったのではないかと……。言いつけを破り申し訳ありませんでした」


「もうよい。大事な客を前に半端な真似はできん。ちょうど話も儂らのことに及んでおったところじゃ。紹介するので中に入るが良い」


「失礼をいたします……」


 粛々と入室してきたのは、メイド服を着た紛うことなき美女だった。

 オクタヴィアと同じ白髪を結い上げ、頭の上にはホワイトブリムを載せている。

 エプロンの胸元はエアリス以上の豊かさで、腰なんかも服越しにもわかるほど細くくびれている。


 そして虹彩も睫毛も眉毛もすべてが燃え尽きた灰のような白さだった。

 まさか彼女は――


「紹介しよう。儂を出産した前代のオクタヴィア・テトラコルドである」


「前・オクタヴィアでございます。お客様には大変見苦しい姿をお見せいたしました。平にご容赦ください」


 完璧なる貴人への礼を持って謝意を表す前・オクタヴィア。

 なるほど、確かに各パーツは小さなオクタヴィアを大きくした感じがする。

 だが全身から漂う精気は薄弱だった。気だるげ、とでもいうのか。

 元気いっぱいな現・オクタヴィアとは対照的だ。


「記憶と知識の大半を儂へと引き継ぎ、こやつにはもはやオクタヴィアを名乗る資格はないのじゃが、儂らの間では『前』や『今』などと呼び合ったりしておる。儂の記憶の定着が完了する残り十数年あまりで寿命を終える予定じゃ」


 七万年の時を生き、脈々と繰り返されてきたことなのだろう。

 もはや二人の関係は母と子、主とメイドといったものを超越してしまっている。

 僕はただただ、魔族種という常識を逸脱した存在に感心するばかりだった。

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