第62話 聖剣を求めて② 笑う白蛇様〜オクタヴィア・テトラコルド
*
地球。
僕が生まれた星であり、科学が魔法を凌駕した世界。
そして僕の愛しいヒト――セーレスが連れ去られてしまった場所である。
僕は連れ去られた彼女を助けるべく、地球へと向かう手段を探し始めた。
……もう二度と帰れなくてもいいとさえ思ったのに、まさか是が非でも戻らなければならない理由ができるなんて、皮肉なものである。
「見えたぞ。あそこだな……!」
魔の森。
ヒト種族の領域プリンキピア大陸。
魔族種の領域ヒルベルト大陸。
そして魔の森と。
一部の海洋国家やエルフの領域を除き、
魔の森はプリンキピア大陸に次ぐ面積を誇っており、8割が深い森と山岳地帯、残りの2割の沿岸部にかろうじて獣人種と、そしてヒト種族と獣人種の一大商業都市、東国エストランテが存在する。
獣人種の列強氏族とは、すべからく魔の森開拓とモンスターからの防衛を責務としており、日々広大な魔の森を拓いて、そこから採れる木材を加工して収入を得ている。
だが、魔の森の奥地には未だ前人未到とされる秘境が存在し、驚くくらい強力なモンスターや、既に絶滅してしまったとされる希少な魔獣さえも生息し、独自の生態系を築いているという。
僕は風を纏ったエアリスに抱えられ、遥かな高みから眼下に聳える威容を見下ろしていた。
今、僕らの眼下には白蛇族の居城があるという大樹がそびえ立っている。
大樹、と言うよりも巨樹と言ったほうが適切か。
高さにして数百メートル、幹の太さは30メートルはあるだろう。
林冠部はもはや山のようなボリュームであり、それを支える幹は幾重にも大木が絡まり合って大地に根を張っている。
「この木はアーク巨樹と言ってな、魔の森特有の化け物大木だ」
僕の頭の上で、エアリスが解説をしてくれる。
これほどの規模のアーク巨樹はもう一本、獣人種の中立緩衝地帯、『ナーガセーナ』にあり、かつて魔の森だったそこは完全に開拓され、獣人種たちの街のシンボルになっている。
「確か木の中をくり抜いて、子どもたちに魔法を教える学校になっているとか」
「そ、そうなんだ」
なにやら一生懸命エアリスが解説をしてくれているが、僕の頭の中には一切話しが入ってこないため生返事になってしまう。さすがのエアリスもそれに気づいたのか、「むっ」などと言いながら僕を叱りつけた。
「貴様、せっかくヒトが説明しているのに聞いてるのか!?」
「ちょっと今は無理かも」
「なんだと? 貴様、ちゃんとこっちを向け!」
「む、無茶言うな!」
だって僕の目の前にはエアリスのむ、胸が。
慎ましやかだったセーレスとは比べるべくもないボリュームのおっぱい様があるのだ。
ラエルと別れ、魔の森を目指すとなったとき、エアリスが空を飛んで送ってくれることになった。それは素直にありがたかったのだが、何故か彼女は僕を正面から抱きかかえて飛び立ったのだ。
ちなみに彼女は例の露出度が高いボンテージファッションみたいな革鎧にマントといういつもの姿である。
おかげで僕は空を飛んでいる最中、ずっといい匂いに包まれ、油断をすれば柔らかいものが顔に当たり、とてもではないが生きた心地がしなかったのだ。
「ふん、私は知っているぞ。ここに来るまでの道中、不可抗力のフリをして貴様、私の乳房に顔を埋めていたな?」
「本気で不可抗力だから。というかこの体制でずっと顔をそむけ続けるのにも限界があるんだよ」
「何故顔を背ける!?」
「そこに胸があるからだよ!?」
我ながら有名なアルピニストの至言みたいなことを言ってしまった。
でもこのチョコレートクリームみたいな肌に包まれていると、一瞬で僕の緊張感とか悲壮な使命とかが吹き飛んでしまいそうになるのだ。
したがって僕は負けるかこの野郎、という気概でずっとエアリスの胸の谷間をにらみ続けていたのである。
「馬鹿なことを言ってないで、覚悟はいいな。同じ魔族種とはいえ、根源貴族が別の根源貴族の領地に足を踏み入れることはあまりに危険だ」
「おまえの方こそ、僕を下ろしたらひとりでとっとと帰っていいんだぞ?」
「さっきも言ったがそれはできん」
飛行の道中、散々「ついてこなくていい」と言ってもこの調子だ。
もう僕にはなんの義理もないはずなのに、それでもエアリスは一緒についてくると言って聞かないのだ。
「いいか、貴様はディーオ様のお力を継いだ最強の魔族種なのだ。相手が根源貴族の王であろうとも堂々と対等に――いや、それ以上に尊大に振る舞っていい。もしエンペドクレスの名前に傷を付けるようなことそしたら即刻千の肉片に変えてやるからそう思え?」
ニコっとエアリスが笑いかけてくる。
なんて猟奇的なことをなんていい笑顔で言うんだ。
つまりこいつは自分の知らないところで、ディーオの力を継いだ僕が勝手な振る舞いをすることが許せないらしい。
「決して下手に出たり、相手におもねるような態度は取るなよ」
「わかってる、わかってるから……!」
「それから――」
「早く行こうってば!」
せっかちな男め……、などと文句をたれながら、エアリスは高度を下げ始める。
いちいちうるさすぎるだろ。おまえは僕のオカンか、と言いたい気分だ。
思えばアイティアやソーラスに対してもエアリスはどこかライバル心むき出しな感じだった。こいつってばこんなキャラだったかな、とその時のやりとりを思い出す。
*
――あの後、ラエルに貴重なアドバイスを貰った僕は、早速オクタヴィアの元へ向かおうとした。
だがオクタヴィアの住処は魔物が跋扈する魔の森の奥深くであり、数多くの困難と戦闘が予想された。そこで頼もしくも協力の名乗りを上げてくれたのがソーラスとアイティアだった。
「恐れながらラエル様、今やタケル様は我ら獣人種に取ってひとかどならぬ大恩のあるお方。その目的を阻むものがあれば露払いをするのは我らの当然の勤めであると愚考します」
「わ、私も、タケル様のお役に立ちたいです。どうか帯同する許可をください!」
ソーラスとアイティアがメイドという立場を超えて意見具申をする。
獣人種は例えいちメイドとはいえ、戦闘訓練を受けているので戦力としては期待できる。
特にソーラスはもともと諜報活動をするための訓練と、魔法こそ使えないものの戦闘能力はかなり高いらしい。二刀の短剣を両手に構え、まるで四足獣の如く縦横無尽に相手に飛びかかる姿は赤い稲妻のようだと、雷狼族のラエルをして高い評価を得ているとか。
正直僕ひとりで魔の森を踏破するのはシンドそうだったので、彼女が強力を申し出てくれるのはありがたい。アイティアは……できれば残ってくれると余計な気を使わなくていいから安心なのだが。などと思っていると――
「私が行こう。私が風の精霊に願い奉れば、魔物族などいちいち相手にするまでもなくひとっ飛びだ。貴様も時間が惜しいのではないか、ナスカ・タケルよ」
足を組み、ゆったりとソファに座ったエアリスが片目を開けて僕を見た。
確かに。
というのも、空を飛ぶことは『ありえないこと』に分類されるくらい難しいこととしてこの世界では認知されているらしい。
ヒト種族の中では四大魔素以外の研究が盛んだが、風の魔素の派生研究として『空を飛ぶため』の研究も存在する。
だが今現在は、風で作り出した足場を踏み上げ、ごく短距離の断崖絶壁や足場のない山間部を踏破するための技術くらいしか確立されていない。
つまり、風に乗って自由自在に空を飛ぶことができるのは、正真正銘風の精霊の祝福を受けたエアスト=リアスにしかできない大偉業なのだ。
「いやまあ、そう申し出てくれることはありがたいけど……でも、そんなことしてる暇があるのかおまえ……?」
例えそれを返し終わったとしても、こいつはディーオ・エンペドクレスの腹心として、龍神族の領地に戻り、諸々の庶務をこなす義務があるのではないだろうか……。
「遠征費用の借金は、獣人種解放作戦の成功を以って完済した。今や私は自由の身である。我が風の精霊と同じく何者にも縛られない存在となったのだ」
えっへんとドヤ顔で、エアリスは豊かな胸を突き出してくる。
うーん……やっぱりアイティアより大きいなうん。
「でもほら、おまえってずっとディーオの領地に帰ってないんじゃないのか。主不在のまま放ったらかしはマズイだろ。一度戻った方がいいと思うぞ?」
「龍神族の領内に侵入を試みる愚か者など存在しない。それにあそこ――龍王城のディーオ様の私室は、私には価値を図ることさえできないもので溢れていた。ディーオ様のように深淵の知識をお持ちの方でなければ、例え盗んだところで意味の無いものばかりだろう」
ふっ――とエアリスが遠い目をした。
つまり、ディーオにとってしか価値のないガラクタの山ばかりだったと。
そんなものの管理やら掃除やらもこいつがしてたのか。
以外と苦労してるんだなあ。
だが問題はもっと別なところにある。
エアリスは僕のことをとても嫌っていることだ。
愛するディーオが死ぬ原因となった僕を彼女は憎んでいるはず。
そんな彼女とふたりっきりで旅をするなどとても耐えられない。
またぞろ喧嘩にでもなったら面倒くさいなあ……。
などと考えていると、すっくと立ち上がったエアリスが、つかつかと僕の側までやってきた。
「先程から貴様は何故私の申し出を拒否しようとする。私の飛翔術があれば余計な戦闘を避けることができる上に、いざ戦いになったとしても容易に敵を退けることができるのだぞ。馬鹿正直に地上から森に入り、並み居る魔物を倒しながらでは、一体どれだけ無駄な時間を費やすことになるのかわからぬ貴様ではあるまい?」
「……確かに、そうだな」
エアリスが風を纏い空を飛ぶ速度は、地球で言うならレシプロ機並の巡航速度である。
しかも風の抵抗を極力減らして進むために更に速度を上げることも可能らしい。
おそらく彼女はこの
「わかった。僕の方から改めて頼むよ、協力してくれるか?」
「はッ――、仕方がないな。憎き貴様に手を貸すのは甚だ遺憾ではあるが、私にはディーオ様の力を受け継いだ貴様を監視する義務があるからな。そこは勘違いするなよ、あくまで義務としてしかたなく貴様に帯同するだけなのだからな――!」
「ああ、わかってるよ」
やたらと『義務』を強調するエアリスは、何故か僕ではなくソーラスとアイティアに勝ち誇った笑みを向けていた。
ソーラスは悔しそうにエプロンの裾をギュウっと握りしめ尻尾を逆立てている。なんというか「ぐぬぬぅ」という感じだ。
対照的にアイティアは猫耳と尻尾をシュンとさせて涙目になって僕を見ていた。
何、何なのこれ。僕何かしたかな……?
頬杖を着いて様子を見ていたラエルだけが、「はあ」と面倒くさそうにため息をついていた。
*
そんなこんなで、オクタヴィア・テトラコルドが住処にしている魔物の森のアーク巨樹の元へ到着し、僕らがランディングアプローチに入ろうとしていたときだ。
突如として林冠から怪鳥の群れが一斉に飛び立った。
ギャアギャアとやかましく、漆黒のカラスみたいな鳥たちが霞の如く一斉に羽ばたく。
そして僕たちは見た。
巨樹の林冠の中から大きなな影が立ち上がり翼を広げようとしている姿を。
「バカな――、翼竜種――
エアリスにしては珍しい、驚愕の声を上げていた。
硬いウロコを持ち、皮膜に包まれた翼を広げた
僕は――猫耳獣人種を見た時以上にハイテンションになっていた。
「おおっ、やっぱり本物の竜とかいるんじゃないか。すごいぞ魔法世界!」
「言ってる場合か! 竜種など厄災クラスの魔物だぞ!?」
「はは、あれもおまえなら簡単にやっつけてくれるんだろ精霊魔法師様?」
「貴様、ヒトの苦労も知らないでさらっと私に押し付けるな!」
などと漫才をしている内に
だが、
僕と同じく金色の虹彩を放つ両の眼に確かな知性を感じる。
そしてその眼には敵対する意思が全く感じられなかった。
「多分、ついてこいって言ってる、と思う」
「わかるのか!?」
「なんとなく。攻撃してこないし。ついてってみよう」
僕とエアリスもその後を追っていくと、陽光を遮る薄暗い枝葉のベールの奥に、なんと大きなお城があるのに気がついた。
まるで広げた両手のような木々にすっぽりと包まれた古めかしい古城である。
「おい、あそこ」
「ああ」
テラスにある扉が大きく開け放たれていた。木々の枝葉の中でも風の流れがあり、白いカーテンがさわさわと揺れている。その姿はまるで僕らを手招きしているようだ。
僕らは音もなくテラスに降り立つと、慎重な足取りで室内へと足を踏み入れる。
そこはリビング――茶室のようだった。
真紅の絨毯が一面に敷き詰められ、真ん中には茶器を乗せたテーブルが――木目の美しい大きな丸テーブルと、アンティークチェアが三つ、置かれている。
そして上座――丸テーブルなので上座も下座もないのだが、僕らから向かって一番奥の椅子に座り、優雅にカップを傾けるひとりの幼女の姿があった。
彼女はカップから顔をあげると、僕らに向けて微笑みを投げた。
「ようこそ、エンペドクレスの名を継ぎし者よ。儂がこの城の主、魔族種白蛇族のオクタヴィア・テトラコルドじゃぞい」
じゃぞいって……。
愉快犯みたいな
根源貴族ってどうなってんの、と僕は思うのだった。
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