第59話 聖都⑬ 永久の誓い~聖都消滅
*
「なんだこれは……!?」
『魔』原子炉があったフロアよりさらに下層にその施設はあった。
そこは更に広大が横に広がっており、天井は円錐状になっていて、中心に向かえば向かうほどすり鉢状に窪んでいるのがわかった。
空間全体は薄暗く、だがごく一部が強烈な光によってライトアップされている。
僕はようやく理解する。この空間の全てはすべて『それ』のためだけに存在していることを。
それは『孔』だった。そうとしか表現できない。
下手をすれば視界の全てを埋め尽くしてしまいそうなほど巨大な『孔』が僕の正面に口を開けている。
直径にして100メートル以上はあるだろうか。
その『孔』は極彩の光を放ち、絶えず波打ち脈動していた。
空間に横たわる『孔』を支えているのは、まるでクモの巣状に張り巡らされた青白く光る格子状の物体だ。その素材はなにでできているのか、クリスタルのようにキラキラとしている。その格子が複雑に絡まり合いながら『孔』を支えていた。
僕はその『孔』へと向かう人影を見つける。『孔』の中心に向かって伸びる、まるでマスドライバーのような陸橋の上を三人の人影が歩いていた。
その姿は宇宙服のようなずんぐりとしたスーツを身に着けており、一人が先頭を歩き、もうひとりが小柄な人影の腕を引いている。
彼らが一歩、また一歩と近づいてくたびに、『孔』を支える青白い格子は輝きを増し、極彩の『孔』自体もまた明滅を繰り返していた。
僕は――、走りだした。
例えどんな姿形をしていようと、彼女の姿だけは見間違えるはずもない。
僕は力の限り、彼女の名前を叫んでいた――
「セーレス――ッッッ!!」
途端、弾かれたように宇宙服のひとりが振り返った。
ヘルメットのシールド越しに、翡翠色の瞳が見えた。
驚愕。
呆然。
そして歓喜。
すべてが一瞬にして訪れ、涙となって彼女の瞳を彩る。
「タケルッッッ!!」
彼女はヘルメットを脱ぎ捨て、こちらに向けて走りだす。
僕もまた、慌てて転びそうになりながらも駆け出す。
ひかれ合うように、導かれるように、僕達の影がひとつになった。
「セーレス、セーレス……! 会いたかった!」
「タケル、私、も……! 生きてて、よかた……!」
力いっぱい彼女を抱きしめる。
分厚い宇宙服がもどかしいがそれでも力を込める。
魔族種として生まれ変わって以来初めて耳にする彼女の声。
相変わらず拙いヒト種族の言語。
記憶にあるままの可愛い片言に胸が締め付けられる。
「私、タケル、死んだ、思って、でも……!」
「ごめん、今の僕はあの頃の僕じゃない。……キミを助けるために魔族種になったんだ」
僕の言葉にセーレスが目を見開く。
そう、彼女がわからないはずがないのだ。
魔法とは無縁だったはずの僕が纏う精強な魔力を見て取り、セーレスはすべてを理解したようだった。
「でも、それでも僕は、どんな姿になってもセーレスを助けたかったんだ。だから……!」
「いい。タケルは、タケル、だから。生きててくれて、嬉し……!」
ああ。
ああ……!
報われた。
すべてが。
ただひとつ。
変わり果てた僕という存在だけが、彼女の目にどう映るのか。
それだけが気がかりだった。不安だった。
受け入れられたことが。
彼女が赦してくれたことが。
僕に絶大なる安堵を与えてくれる。
「帰ろう、セーレス。森辺でも東國でもどこでもいい。キミさえいれば、僕はそれだけで十分なんだ」
「うん……!」
うなずく彼女に笑いかけると、セーレスもまたとびきりの笑顔を返してくれる。
これだ。この笑顔に会いたかったのだ。
そうして彼女の手を引き、踵を返そうとした瞬間だった。
まるで今まで待っていたかのように無粋な拍手が聞こえてきた。
僕は不機嫌さを隠すこともなく、陸橋の向こうから近づいてくるふたつの人影を見やる。ひとりは無言で。そしてもうひとりが軽い足取りで、分厚いグローブ越しに喝采を送っている。
やがて歩みを止めると、拍手をしていた方と無言だった両方が大きなヘルメットを取り払った。
「いやはや素晴らしい。とても素晴らしい光景です。おふたりの睦まじい姿に私感動してしまいました……!」
そう口にしたのは年若い美丈夫だった。
流暢だがおそらくネイティブではないとわかるヒト種族の言語で話しかけてくる。
美形だが口元はヘラヘラと笑っており、それがどうにも癇に障る。
線が細く、髪はくすんだ金髪、そして特徴的なのが瞳の色で、左右で虹彩が異なっている。初めて見るがオッドアイというやつだった。
なるほど、こいつがエアリスが言っていた
そして更に、オッドアイの後ろにいるのは大聖堂のテラスで見た顔――教皇クリストファー・ペトラギウスだった。
彼はオッドアイの男とは対象的にそわそわと落ち着きがない様子だ。しきりに後ろの巨大な『孔』を振り返り、焦れたように目の前のオッドアイに視線を投げている。さらに、まるで邪魔者とでも言うように僕のことを睨みつけてきたので、こちらも睨み返す。するとどうだろう、彼はすくみ上がり、サッと視線をそらしたではないか。あれこの男、なんか思っていたのと違う……?
「お前は何者だ? セーレスをどこに連れて行くつもりだ? あの『孔』は一体なんだ!?」
僕は教皇は小物と判断し、とりあえず目の前のオッドアイに質問を投げた。
「おやおや、性急ですねえ。まあ急いでいるのはこちらも同じですし、私が何者なのか、という問いは私もあなたに返したいところなのですが……。失礼、先に名乗りましょう、私の名前はアダム・スミスといいます。経済学者の方ではありません――ってこのネタはあなたには通じないですよね」
「それってまさかイギリスの……?」
「おや――あなた、本気で何者ですか?」
男の笑みが消えた。
それは地球の経済学や歴史の教科書に出てくる人物の名前だった。
つまりこの男か。聖都に地球の文明の利器をばら撒き、それを
「今度はこちらからも質問をさせてください。あなたはこの世界に根ざす魔族種、で間違いありませんね?」
「だったらどうした?」
「巡礼の最中、都市機能を麻痺させるだけの大地震を引き起こしたのもあなたですね?」
オッドアイ――アダム・スミスは口元を引き結び、厳しい表情で聞いてくる。
とんでもないことをしてくれたのだと、おそらくそう言いたいのだろう。
だが、僕だって引き下がるつもりはない。
どれほどの犠牲が出ようとも、僕にとって大切なのはセーレスなのだ。
彼女を助け出すためには必要なことだった。
僕は頷き、挑むように男を睨み返した。
「素晴らしい! なんと強大な力をお持ちなんですかあなたは! ぜひ私と一緒に、ヒト種族が単一で栄華を極める世界へと行きませんか!?」
「なっ――」
何を言ってるんだこいつは――と僕が言うより早くその言葉に反応したのは誰でもないクリストファー・ペトラギウスだった。
「何を言い出すのだスミス殿! そのような、どこの馬の骨とも知れぬ小僧を連れて行くなど正気か!? あの『ゲート』の定員は三名、そのものを連れて行くとなれば、一体誰を残すつもりか!?」
「それはもちろん、あなたですよ」
あっさりと言い放ったオッドアイに対して、クリストファー・ペトラギウスは顔面を蒼白にしてフラフラと後ずさった。
「馬鹿な、ありえん! 私とそなたは一心同体! ともに何十年もかけてようやくここまできたのではないか! それをそなたは……私を裏切るというのか!?」
なんというか哀れな叫びだった。
まるで父親に置き去りにされることを恐れた子供のようだと思った。
やはり小物と見込んだ通り、クリストファー・ペトラギウスは教皇の器ではない。
それはペルソナで、その仮面をこの老人に被せて利用していたのは、このアダム・スミスだったのだろう。
「うーん、やっぱり嫌ですか?」
「当然だっ! 私は、今日この日を、この日だけを目標に生きてきたのだ! 亜人種のいないヒト種族だけの世界を目指して、ただそれだけを夢見て……なのに、なのにぃ……!」
「まあまあ、落ち着いてくださいクリス」
よよよ、と崩れ落ちたクリストファー・ペトラギウス――クリスに近づくとポン、と気安く肩を叩くアダム・スミス。
「あなたの目的はそうでも、私の目的は違う。あの『ゲート』の向こうの世界――地球にできるだけ高い魔法の素養を持った人物を連れていく。それが私がこの
クリスが絶望の眼差しでアダム・スミスを見上げる。
彼はそんなクリスに残酷とも取れる満面の笑みを浮かべた。
「その点、あちらのハーフエルフのアリスト=セレスさんは大変優秀です。稀有なる精霊という高次元生命体をその身に宿している。果たしてどれだけの成果をもたらしてくれるのか楽しみでなりません」
饒舌なアダム・スミスの言葉は止まらない。「さらに」と今度は僕の方にも目を向けた。
「あちらの方は魔族種というではありませんか。果たしてそれは精霊魔法使いに比べてどれほどのスペックを持っているのか、考えただけでワクワクしませんか? おまけにアリスト=セレスとは相思相愛みたいですし、おふたりをいっぺんに連れて行って、協力を打診すれば、きっともっとずっと上手くいくと思いません?」
クリスはもはや言葉が出ない様子だった。
ズリズリっと床を這い、ただ懇願するようにアダム・スミスへと縋った。
そして滂沱の涙を流しながら、彼を見上げる。
そのときのアダム・スミスの顔には一瞬だが確かに嫌悪の視線がよぎったのを僕は見逃さなかった。
「わかった。わかりましたよ。私は友達は大事にする男なんです。連れていきますよ。連れて行きますってば。…………まあ、どちらに残ろうとも短い命ですし」
最後の呟きはクリスには聞こえなかったのだろう。
飴を与えられた子供のようにクリスは表情を明るくした。
今のやり取りだけで、二人の上下関係というものは明白だった。
やっぱりこの男が黒幕か――
「と、いうわけで。大変残念なのですが、もう間もなくお別れの時間です。こちらの教皇様がおっしゃる通り、あの『ゲート』の定員は三名までなのです。どうやらそれが物理限界というやつでして。一度きり、二度とは戻れない初渡航なわけなんです」
やれやれ、とアメリカンナイズな仕草で両手を掲げて見せるアダム・スミス。
この男――ヒトを苛立たせる天才だ。クリスへの仕打ちもそうだが、むかっ腹が立ってしょうがない。
「それでそちらの魔族種様におかれましてはどうか彼女のことは諦めてくださいますよう伏してお願い申し上げます。あ、大丈夫ですよ、彼女の身の安全は保証します。この世界の住人なら目玉が飛び出るくらいの贅沢をさせて上げますので」
「ふざけるな」
僕はかつてない規模で虚空心臓に火を入れた。
まるで僕の内側で神なる龍が雄叫びを上げているような――それほどまでに暴虐的な魔力の激流が巻き起こる。それはこの広大な空間そのものを埋め尽くして余りある濃密極まりない魔力量だった。
「あなたマジですか……個人で魔力炉の臨界運転を凌駕するエネルギー量を放り出すってどんな化物なんです!?」
クリス、知ってますか? などと足元の老人に聞いてみれば「お、おそらく魔族種の中でも特異な龍神族では……?」という答えが返ってくる。
「へえ、あれが……ますます惜しいなあ」
アダム・スミスは目を皿のように見開き、しげしげと僕を観察している。
足元の老人はもはや眼中にないようだった。
「僕が何者かわかったところで改めて言う。セーレスは返してもらう。もし抵抗するなら、僕はお前らを殺す。これは脅しじゃない。命令だ……!」
魔力を開放した僕は、魔族種の本能があらわとなり、常になく獰猛で尊大な口調になりがちなのだが、腕の中にいるセーレスを怖がらせないよう、努めていつもの口調で話していた。
しかし、アダム・スミスは余裕の笑みを崩さず、手の中にあるものを僕に見せびらかした。
「これ、なんだと思います?」
長方形のリモコンのように見えた。いくつもボタンがあり、普通のリモコンとは明らかに違う感じがした。
「実は上の施設――、電気エネルギーを作り出す施設のね、臨界運転をしてるんですさっきから。おかげで『ゲート』に回すエネルギーは十分集まりました。でもそろそろ無理がきかなくなる頃合いなんですよね」
「なッ――!?」
僕は急ぎ頭上を見上げる。
龍神族の特別な眼を使い、天井の向こう――『魔』原子炉を見つめる。
確かに暴走していた。
臨界などというレベルではなかった。
メルトダウンだ。
『魔』原子炉は今にもはじけ飛びそうな風船のようになっていた。
制御棒はすでに溶け落ちている。
燃料棒からウランが流出していた。
規定温度を遥かに超えた蒸気が圧力容器内部から吹き出しそうになっている。
そして魔素が――四大魔素のすべてが暴れ狂っていた。
とけ合い、ひとつになり、どの属性とも言えない別の何かに変貌を遂げていた。
「貴様――ッ! 聖都をまるごと吹き飛ばすつもりか!」
「おや、心外ですね。それはあなたも同じはずでしょう」
まったくもってその通りだった。
規模が違うとはいえ、僕がやったことはこいつがしていることと同じだ。
だが、だがこれはあまりにも――
「証拠隠滅か」
「ご明察です。もともと最初で最後の渡航とわかったとき、寿ぎの日として聖都を隔離し、すべてを道連れにするつもりでした。一応被害を聖都に限定するためにがんばったのですよこれでも。
狂っている。眼の前の男は明らかにヒト――人間だ。
だがその壊れ具合は僕なんかを遥かに凌駕している。
いや、それよりも今は彼女を説得しなくては――
「セーレス!」
「タ、ケル……?」
これまでの会話の意味がわからず、彼女はキョトンとした表情で僕をみていた。
その背中を――、やっとの想いで再会できた最愛のヒトの背中を、僕は押した。
ニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべるアダム・スミスの方へと。
戸惑い、慌てて振り返る彼女に、非情な言葉を告げる。
「行け。今はあいつと行くんだ……!」
「嫌、どして、タケル――!?」
僕に抱きつき、ギュウっとしがみついてくるセーレス。
ああ、抱き返したい。今すぐこんな不格好な宇宙服を取っ払って、彼女のぬくもりを直に感じながら、折れるほどに抱きしめたい。
でも、それだけは絶対に出来ないのだった。
「本当に感心――、いや尊敬しますよあなた。それほどのチカラを持ちながら、よくこの状況を理解されている。魔族種の根源貴族とはこれほどの知性と理性をお持ちだったのですね」
笑みを引っ込めたアダム・スミスが神妙な面持ちで頷いている。
僕は噛み殺すような勢いで彼を睨みつけた。
「うるさい。もし彼女に危害を加えてみろ、必ず貴様を殺してやる……!」
「それはもう、何なら神に誓ってもいいですよ。
そう言ってアダム・スミスは左手を胸に、右手を上げた。
一挙手一投足がふざけたやつだが、自分の神に対してだけは多少は真摯であるらしい。
「タケル、ダメ、私、一緒いい……! もう離れたく、ない!」
「セーレス、ダメだ、ダメなんだ……!」
ここに至り、セーレスは聞き分けのない子供のようになってしまった。
僕が諌めるより早く、彼女を叱りつけたのは、あろうことかアダム・スミスだった。
「いい加減にしなさいアリスト=セレス。彼が血を吐く想いであなたの命を救おうとしているのがわからないのですか!」
「い、のち……?」
涙に濡れる瞳で振り返るセーレス。
意外なことに、そこには
「もう間もなくこの聖都は消滅します。如何な魔族種の根源貴族であっても、この大深度地下から地上に出て、爆発の範囲外に逃げることは不可能。あなたを確実に救うためにはこの『ゲート』を潜り、別の世界に渡るより他にすべはないのです」
セーレスの瞳が僕を見上げる。
本当なのか、と問うている。
僕は頷いた。力強く。
ボロボロと翡翠の瞳が決壊した。
彼女は幼子のように首元まで真っ赤になって、イヤイヤをしながら尚も僕を抱きしめてくる。
僕はその肩を優しく押し返し、細い顎を手に取る。
そして花の蕾のような唇に、そっと口づけをした。
「セーレス、僕は誓うよ。必ずキミを迎えに行く。もっともっと強くなって、例え違う世界であってもキミを助けに行くよ。だから待っていて……!」
「うん、待ってる。私、ずっと、待ってる」
もう一度、今度はお互いが顔を寄せキスをする。
「愛してるセーレス」
「私、も。愛、してる」
名残を惜しむようそっと離れる。
セーレスがアダム・スミスが待つ方へと歩いて行く。
何度も何度も振り返りながら。
僕の姿を目に焼き付けるように。
それは僕も同じだった。
遠ざかっていく彼女を見つめながら誓う。
必ず。必ず迎えに行く。
だから、だから今だけは――
「僕は本気だ。僕が迎えに行くまで、彼女をおまえに預ける」
「ええ、もし本当にそんなことが可能ならば――と私も期待せずにいられません。是非我らが世界へのお越しをお待ちしています。タケルさん、でよろしかったですか?」
「僕は魔族種龍神族、タケル・エンペドクレスだ」
「頂戴しました。私の名前、アダム・スミスもどうかお忘れなきよう」
アダム・スミスはセーレスに宇宙服のヘルメットをかぶせると、自分もまたかぶり直し、殿を勤めながら極彩の『ゲート』へと向かっていく。
その時、広大な空間に点在していた照明が一斉に破砕した。
照明球が壊れてもなお紫電がほとばしる。
電力過多のオーバーロード。
一瞬にして辺りは暗闇に包まれ、それとは真逆に『ゲート』の極光は眩いばかりに輝きを増していく――!
「タケルぅ――!」
「セーレス――!」
僕らの最後の叫びをかき消し、光が――聖都を飲み込んだ。
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