第58話 聖都⑫ 力の目覚め~蟻と恐竜

 *


「おめでとうございます。あなた達は私に選ばれたのです」


 その言葉は、年若い新米司教から齎された。

 今度新しく就任する次代の教皇クリストファー・ペトラギウスの右腕として重宝されている男――その男から直々の指名を受け、彼ら五人は今まで立ち入りが禁じられていた地下施設へと通されていた。


 そこで煌々と明りが灯る司教の執務室に通された。

 何の変哲もない部屋だった。

 奥に執務机と、壁一面に本棚が並べられている。

 彼らは隊長格である聖騎士を先頭に、執務机の前に直立不動で立っていた。


「なぜ、私達なのでしょうか」


 隊長格――ヒゲを生やした聖騎士が慇懃な態度で質問する。

 彼らはハッキリ言って落ちこぼれだった。

 いや、正確には一番年長者であるヒゲの聖騎士は剣の実力だけならば聖騎士全体でも五本の指に入る実力者だった。望めば今頃聖騎士分隊長くらいにはなっていたかもしれない。


 だが彼は平民出身であり、名誉ある聖騎士に成れただけでも僥倖。ましてや隊長になるためには、貴族の子息であることが最低条件となっていた。


 加えて、後ろに立つ四人――ヒゲの聖騎士の部下たちはすこぶる評判がよくなかった。全員同じく平民出資であり、喧嘩っ早く、周りの聖騎士たちからは疎まれている存在だった。


 ハッキリ言って全員がはみ出し者の集まりであり、これから新教皇の元で辣腕を振るおうかという司教様に選ばれる立場には到底ない者たちばかりだった。


「おや、理由が知りたいですか? 神であるアークマインの代理たる教皇の右腕ある私の言葉は始祖アークマインの言葉。あなたたちはただ盲目的に従う義務があるはずでは?」


「それは――おっしゃるとおりですが」


「なんです?」


「いえ……」


「ふふ。わかっていますよ」


 明らかに立場が上な司教に対し、再三言葉を濁すヒゲの聖騎士は、それだけで懲戒処分を受けるに価する。先程から耐えるように拳を握りしめる他の四人もまた同様だ。


「あなた達はろくでもない集まりだ。粗野で野蛮で下品で品がない。教養もなく、敬虔な信仰心も足りない」


「――ッ」


 ヒゲの聖騎士の眉間にビシっと皺が寄る。

 すべて司教の言うとおり。反論の余地さえない。

 聖騎士などやってはいるが、彼らに人類種神聖教会アークマインへの帰属意識はほとんどない。ただ糊口をしのぐ手段として所属しているだけだ。


 それを見透かされ、司教に指摘されているというこの状況は不味い。このままでは、良くて身分を剥奪されるか、あるいは組織内で私刑にされるかだ。


 スゥっと、ヒゲの聖騎士の目が細くなった。

 眼の前の年若い司教――優男の戦闘力を一瞬で値踏みする。

 いける。後ろの部下四人もそうだが、自分であればなおのこと、たやすく絶命させることができる。


 一瞬でこの司教をくびり殺して聖都を脱出する。

 もちろん望めば後ろの四人も連れて行く。

 そうしてから後は、獣人種の領域で盗賊でもするか。

 東の果てのエストランテへと逃げるのもいい。


「ふふふ。殺気の消し方は下手ですね」


 言われた瞬間、ヒゲの聖騎士の心臓が跳ね上がった。

 後ろの四人からは驚愕の感情が伝わってくる。


 戦闘経験などまるでなさそうな司教が自分の殺意を見抜いたというのか。いや、ならばこそ即座に目の前の司教を殺すべきだ――


「まあまあ、慌てないでくださいよ。どうです、ひとつ勝負をしませんか?」


「勝負?」


「ええ、そうです。私とあなた達とで戦いましょう」


 この男正気か、とヒゲの聖騎士は思った。

 こんな見るからに文官出身の男が、日夜練磨を繰り返す自分たちと勝負だと?


「私、こう見えても捨てたものではないのですよ」


「失礼ですが司教は特別な訓練などはされていらっしゃらなかったはず」


「はい。毎日机仕事に追われてそれどころではありません。ちょっとお腹が出てきたかもしれません」


「魔法師というわけでもないと伺っておりますが?」


「はい、残念ながら私には魔力もなければ魔素を感じることもできません」


「それでも我々に勝てると?」


「はい。あなた達だって弱っちい私に顎で使われるのは嫌でしょう。権力を振りかざして命令することもできるのですが、それではいつか裏切られかねない。まあ、そんなあなた達だから気に入ったというのがあるのですが……」


 司教の男は椅子から立ち上がり、あろうことか机の上に身を乗り出した。

 羊皮紙の束を押しのけながら座り込み、気障ったらしい所作で足を組む。

 その手には何やら円筒形のもの――酒瓶だろうか――らしきものを持っている。

 彼の姿はどこからどう見ても隙だらけだ。自分なら十数える間に殺せる――


「はい、じゃあ始めましょう。ここは地下で、教皇であってもおいそれとは来られない場所です。どんなに騒いでも誰も来ません」


「司教、あなたはバカです」


「おや、バカですか私?」


「弁は立つようだが、交渉の仕方が下手すぎる――」


 ヒゲの聖騎士は膝を折って身体を沈み込ませ、その反動で司教に飛びかかろうとした。だがそれより疾く、司教は手の中の酒瓶――らしきものを放った。


 視線が誘導される。その酒瓶は放物線を描いて天井近くまで達し――司教はその場で後転し、机の向こうに身を隠した。次の瞬間――


 ――ドカンッッッッ!!


 凄まじい光と轟音が部屋を満たし、目も耳も使い物のならなくなってしまう。

 反射的にしゃがみ込み、床に蹲る。それ以外になにもできない。視覚と聴覚という外部からの情報を寸断され、唯一できることは我が身を守ること。だがそんなものは無駄なことだった。


 どれくらい経ったか。

 それほど長い時間でもないが、極端に短いわけでもない。

 キィーンとしていた耳がようやく外の音を拾い始めるくらいには時間が経っていた。


 ヒゲの聖騎士は自分の後頭部に、なにか硬いものが押し付けられているのを感じた。


「そろそろ聞こえますかー?」


 真上から司教の声がした。

 先程までヘラヘラ笑っていたとは思えないほど冷たい声だった。


「他の四人は既に制圧済みですよ」


「――殺したのか?」


「いいえ。ですが口から泡を吹いて、ピクピクと痙攣しています。しばらくは起き上がれないでしょう」


「馬鹿な。一体何をした。あんたは魔法師ではなかったはずだ」


「ええ、先程のは魔法ではありません。フラッシュグレネードという、一瞬で強烈な光と音を周囲に撒き散らす武器です」


「武器? あれが? そんなもの聞いたこともないぞ――!?」


「ええ、そうでしょう。もともとこの世界ではない、別の世界の兵器ですから」


「それはどういう――」


「おっと」


 グリっと、再び硬いものが頭に押し付けられた。

 恐らく剣などではない、もっと別のなにか。

 だが剣先を突きつけられたときよりも遥かに恐ろしく、身体がすくみあがっていた。


 これは、この司教の放つ殺気のせいなのか――


「あなた達がそれを知る必要はありません。ただ私の手足となって働くために、これから訓練を受けてもらいます。今私が使用したような武器を使いこなせるよう、私が自ら教官を務めます」


「あんたが? ――それで、我々に何をさせる?」


「ここよりさらに地下にある、とある施設を守ってもらいます。ただそれだけです。さて、全員を代表してあなたの答えを聞かせてください」


 答えなど最初から決まっている。

 もしここで拒絶してしまえば、この司教は「そうですか、残念です」と言って自分たちに止めを刺すのだろう。


「わかった。あんたに従う。他の部下たちもそうさせる。逆らうなら俺が殺す。これでいいか?」


「はい、よくできました。正しい選択をしましたよあなた」


 フッと、頭上にあった圧力のようなものが消えた。

 それと同時に押し付けられていたなにかも無くなる。

 ヒゲの聖騎士は「ふー」と大きく息を吐いてから起き上がった。


「それは何だ?」


「これですか? これはスミス&ウエッソンM500という武器です」


「武器? それが……?」


「ちょうどいい、腰の剣を抜きなさい」


「いや、俺はもう――」


「わかっています。抜いたら刀身の腹をこちらに見せてしっかり踏ん張りなさい」


 言われたとおり、剣の腹を見せて構えると、司教は両手で『えむごひゃく』とやらの先端をこちらへ向ける。


 それは――先程の『ふらっしゅぐれねーど』よりもさらに獣の咆哮だった。

 ガオンッッ、と雷鳴を凝縮したような爆音が轟き、次いで両手がしびれる感覚。

 軽くなった手元を見やれば、剣の刀身が真ん中からポッキリとへし折れていた。


「今日、今この時より、あなた達の武器はこれになります。その剣はもう必要ありません。まあ、これは威力が強すぎて使い勝手が悪いので、もっと取り回しのいい銃を用意しますよ」


 聖騎士ならば誰もが与えられる最高級ヒヒイロカネ製の大剣が破壊された。

 魔法師が放つ火球など目ではない。まさにこの力を手に入れれば、ヒトなどたやすく殺傷することができるだろう。


「さあ、明日から忙しくなりますよ。あなた達には今まで培ってきたものをすべて捨ててもらいます。一度中身をまっさらの状態にしてから銃を扱うにふさわしい訓練を行います」


「了解しました」


 ヒゲの聖騎士は眼の前の男に完全服従していた。

 折れた剣を見せつければ、他の四人もすぐ納得するだろう。

 四人は自分という強者に従っていた。そんな自分が認めた強者になら、彼らは従うはずだ。


 魔法が最強とされるこの世界で、魔法を凌駕する武器の扱いに精通する。

 なるほど、この司教の言う通り、自分たちは選ばれた存在になったのだ。


「厳しい訓練を終えた暁には――魔の森の魔物相手に、血の宴を開いてあげましょう」


「それは――楽しみです」


 強力な武器だからこそ、使い時は見誤らないようにしなければならない。

 それとは真逆で、思う存分武器の力を試すことができる機会というのは、この上ない快楽だろうということは容易に想像できた。


 ヒゲの聖騎士はニィっと凄惨な笑みを浮かべていた。


 *


「魔族種でしたっけ、大したことなかったですね」


 ライフルを担いだ四人が、いつもの気安い調子で喋り出す。

 原子炉建屋を後にし、壁際にある搬入路へと向かう。

 広すぎる施設は移動が大変だった。


「バカかてめーは。隊長だったから簡単に見えたんだ。お前だったら最初にライフルごとふっ飛ばされて終わってたぞ」


「それはおまえだって同じだろう。しっかし、隊長の格闘術はすごかったな。あのガキの腕を掴んで投げるヤツ」


「ジュードゥーだ確か。俺も昔司教様に習った。相手の力を利用して投げるから馬鹿力には都合がいい」


「俺も司教様にそれで散々投げられたっけな。おまえ、今度隊長に教えてもらえよ」


「いや、遠慮しときます。司教様の方がまだマシ……」


「隊長、こいつこんなこと言ってますよー」


 戦闘の緊張が解ければいつもこんなものだ。

 ヒゲの聖騎士は仲間たちの掛け合いを背中に聞きながら問いを投げた。


「司教は今どこだ?」


げーと・・・の方にいるはずです。間もなく主機を起動させる手はずです」


「クリストファーと一緒か」


「一応『様』をつけろよ」


「嫌だよ。世間じゃ司教様が腰巾着なんて呼ばれてるけど、まるっきり逆だろ」


「まあ、そうなんだが……」


「ええと、ほらあとあの女・・・長耳長命族エルフでしたか。あれと一緒にいるはずですから――」


「女……? 耳の長い……?」


 その声に五人はギョッとした。

 布袋の中から聞こえてきたのは、この世のものとは思えない怨嗟の声だった。

 馬鹿な――首だけの状態で、頭を割られた状態でもまだ――!?


 ヒゲの聖騎士が放り投げるより早く、突如として布袋が浮かび上がった。

 頑丈な繊維が弾け飛び、中から短剣を生やした少年の首が現れる。

 爛々と血走る瞳で、彼ら五人を見下ろしていた。


 *


 手がなかろうが、足がなかろうが関係なかった。

 何故なら虚空心臓はいつも僕の内側にある。

 例え全身をバラバラにされようとも僕は絶対に死なない。

 そして、例え僕が首だけの状態になったとしても、虚空心臓は無限の魔力を生成し続ける。


 薄れゆく意識の中、かすかに聞こえた『エルフ』という単語。

 それだけで十分だった。

 今この聖都で長耳長命族エルフはたったひとりしかいない。


 やっぱりセーレスはここにいる。

 それもすぐ近くにいるのだ。

 それさえわかればもういい。

 こいつらに用などない――


「――そのような有様でまだ!?」


 遥か眼下から男たちの声が聞こえる。

 今、僕を浮かび上がらせているのは純粋な魔力のチカラ。

 魔力とは無色透明なエネルギー。

 何ものにも染まらず、如何様にも染められる存在。


 あの夜――エアリスの『ホロウ・ストリングス』でバラバラにされた夜。

 僕は初めて客観的な視点から自分自身の身体が再生するという光景を見た。

 そしてその時、ヒントを得ていたのだ。


 例えバラバラにされても、僕の身体は無色透明なチカラ――魔力によって繋がっている。魔力のラインを通じてパーツは結合し、完全な形に戻ろうとする。


 魔力とは単なるエネルギーではない。

 魔法師の意思を、魔素というスターターを得て現実に顕現させる媒介なのだ。


 通常の魔法師では魔素と組み合わせなければ殆ど役に立たないほど微量な魔力しか持たないが、幸い僕の魔力量は無限・・に存在する。


 そしてそれは、魔素なしでも僕の意思ひとつで、現実に干渉できるエネルギーフィールドを形成することが可能だった。


 魔力のラインが、バラバラになっていた僕の身体パーツを引き寄せる。

 だが各部位は、なかなかひとつに結合しようとはしない。

 首、胴、両手、両足。大きく間断を空けながら、その間を見えない魔力のフィールドが覆っていた。その姿は見るものが見れば、大きな身体を持つ巨人に見えたことだろう。


 僕と男たちの間に存在するスキルや経験と言った差など物ともしない。

 蟻と恐竜が戦った場合、蟻がどんなに戦闘強者であったとしても関係などなくなるからだ。


 男たちに取って、その光景は正に悪夢と言っていいだろう。

 僕自身もこんな光景を目の当たりにしたら、思わずこう言わずにはいられない。


「この、化け物めええええッッ!」


 アサルトライフルが火を噴く。

 5.56ミリ弾が僕の身体に殺到する。

 だが、強力無比な弾丸も、その運動エネルギーを凌駕する魔力フィールドを突破することはできなかった。


 そして僕は右手を振り上げる。

 魔力フィールドによって拡張されたそれは、手というより枝葉を伸ばした巨木と呼ぶに相応しいものだった。


 その巨木を――渾身の力を込めて彼らに叩きつける。


 屈強な男たちが、まるでゴミのようだった。

 横合いから飛び出してきた大型トラックにはねられたみたいに、全員重なりながら宙を飛び、そして羽虫のように壁へと叩きつけられた。


「――ふぅ」


 僕は身体をひとつに統合する。

 またしても服が前衛的なデザインになってしまったが、今は男たちへの止めを優先しよう。


 僕はようやく、カラダを一つに統合する。

 またしても服が前衛的な有様になってしまったが、今は男たちにトドメ・・・を刺さなければ。


 彼らはプロだ。生きていればあらゆる手段を尽くして僕を殺しにやってくる。

 ならば確実に息の根を止めておかなければ、セーレスを助ける際の障害になりかねない。


 男たちはピクリともしなかった。

 全員が折り重なるように床に倒れている。

 そのうちのひとりが動いた。

 腰だめから大口径のハンドガンを引き抜き、僕に向けて引き金を引く。


「本当に本物の化け物だったとは……俺たちの認識が甘かったか」


 ヒゲの聖騎士――プライスが撃ったのは、確か狩猟用に開発されたという拳銃で、ハンドキャノンと呼ばれるほど威力が強い銃だ。

 だが僕が展開した強固な魔力バリアに阻まれ、弾丸は空中で静止していた。

 こんなもの、僕に届くことは絶対にない。


「くッ、全身あちこち骨折している……こいつらも似たようなものか」


 プライスの周りの四人は、かすかにうめき声を上げるもの、顔面を蒼白にして血の泡を吐くもの、手足があらぬ方向にネジ曲がったり、ピクリとも動かないものもいる


「俺の大切な仲間を貴様のような化け物に殺させるわけにはいかん――!」


 そう言ってフラフラと立ち上がった彼は、ひしゃげた鎧の下から爆薬を取り出した。携帯しやすいよう形を変えられた粘土のようなもの。――プラスチック爆弾というものか。


 僅かな量であっても旅客機さえ落とせるそれに起爆用の信管を突き刺すと、彼はそれを腹に抱えたまま起爆装置のスイッチを押した。


「くたばれ――!」


 ドンッッ、と至近距離で衝撃と熱波が炸裂する。


「悪いけど僕は死ねない」


 彼らの亡骸は、僕でさえ目を背けたくなる有様だった。

 結局、彼らがどうして地球の兵器を持っていたのかは不明だったが、もうそんなことはどうでもいいことだった。


「セーレス……今行くぞ!」


 戦士たちの遺骸に背を向け、僕は猛然と走りだした。

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