第55話 聖都⑨ 人為的局地災害~神の御業

 *


 整然と居並ぶ信徒たちの群れ。

 それが途切れることなく街を進んでいく。


 もしいまこの聖都を上空から俯瞰する者がいれば、まるで血脈が心の臓をめぐる姿を連想したことだろう。綺麗に区画整備された街路を歩く人々の動きは、まるで一個の生き物のようにも見えた。


『寿ぎの日』が始まったのだ。


 アークマインと現教皇を称える大巡礼は、各区画に存在する教会の広場を通り、最後は大聖堂前広場を目指す。この日ばかりは、普段立ち入りが禁止されている貴族の居住区画も開放される。対外的には唯一、上も下も身分が関係がなくなる日とされているのだ。


 そうして人々は半日がかりでクタクタになりながら聖都をまんべんなく巡り、最後は自分の家に帰り泥のように眠る。その翌日から三日間は、例のアークマインの加護、電気と温水が夜間のみならず一日中仕えるようになり、人々は存分に疲れを癒やすのだ。


 周りの信徒たちはみな顔を伏せ、胸の前で両手を組み、祈りを捧げながら歩いている。僕だけは、すぐに動けるよう顔を上げて堂々と歩き、アイティアは僕のマントの端をつかみ、おずおずとついてくる。


 アイティアもこんなに大規模なヒトの流れを目にするのは初めてだろう。

 ひとりだけ奴隷という立場で大集団の中にいるのだ、生きた心地がしないのかもしれない。


「あの龍神様」


「外でその名前は禁句」


 僕が振り返るとアイティアは「ひっ」と息を飲んだ。

 失礼だな。別に怒ってないぞ。ただ振り返っただけだ。


「す、すみません……!」


 グスっ、と鼻をすするアイティア。

 どうしたものかと思い、僕は彼女の隣に移動するとそのほっそりとした手を握った。


「りゅ――タケル様?」


「お前危なっかしいから」


 女の子と手をつなぐのはセーレスに続き二人目だ。

 こうして歩いてみると男とは全然違う生き物なのだとわかる。

 歩幅が違う。かなりゆっくり歩かないと引きずってしまいそう。

 手が柔らかい。小枝が詰まってるんじゃないかと思うくらい華奢だ。

 そして温かい。なんかしっとり汗ばんでいるような気がする。


「だ、誰かに見られたら……!」


「誰かって誰だよ。みんな俯いて歩いてるから平気だろ」


 前方を歩くマンドロスも含め、全員視線を下げながら敬虔な態度だ。今この聖都で人類種神聖教会アークマインに反感を抱くものは僕ら以外にいないだろう。


「タケル様はずるいです……」


 手を握り返しながらフード、アイティアの瞳が僕を見上げる。


「こんな時に優しくしないでください」


 それでも暫くの間、僕たちは手をつなぎながら巡礼を続けた。


 *


 朝から歩き始め中天に差し掛かる頃、僕とアイティアは大聖堂前広場にたどり着いた。


 水堀の浮島が大きな広場になっており、すぐ目の前には大聖堂の威容が聳えている。


 この魔法世界にありえるはずのない技術をもたらした人類種神聖教会アークマイン。そして今度はセーレスを使って何をしようとしているのかは知らないが、僕が全部ぶっ壊してやる……!


「敬虔なるアークマインの信徒諸君、偉大なる教皇の御前であーるっ!!」


 司祭と思わしき男の掛け声によって全員がその場に膝を折る。

 中には熱心に祈りを捧げながら、啜り泣いている者もいるようだった。


 はるか向こう、大聖堂の中ほど。見晴らしの良さそうなテラスから純白に金字の刺繍が入った法衣を纏った男が現れる。


 あれが教皇。

 人類種神聖教会アークマイン頂点、クリストファー・ペトラギウス。

 年の頃は六十歳以上か。蓄えたヒゲで口元は見えないが、目には強い意思を宿している。


「タケル様……?」


 アイティアの困惑した声が聞こえた。

 何故なら、僕はその場に立ち尽くしたまま、教皇を真っ直ぐに見据えていたからだ。


 アイティアを含め周りが跪く中、たった一人僕だけが、恐れ多くも教皇の視線を受け止め、睨み返している。かなりの距離があったが教皇と目が合う。奴は訝しげに眉をひそめたようだ。


 ザワザワと、僕に気づいた他の信徒も非難がましい目を向けてくる。

 ひとり真っ青になって「何をしているのですか、伏せて、跪いて!」と小声で喚いているのはマンドロスだ。ふん、お前との縁もこれまでだな。


「アイティア」


「は、はい?」


「東門に走れ。そこにキミの仲間がいる」


「え――!?」


 僕は虚空心臓を解放した。


 *


 地震とは神の怒りであると、自然学が全盛だった時代には、本気で信じられていたという。


 その定義に従うのなら、意図して地震を起こす僕こそが神ということになる。

 多くの人心を集める聖都でそれを行うのは、我ながら最大の皮肉だと思う。


 様子がおかしいと気づいた衛士たちが信徒をかき分けながらこちらに近づいてくる。それを目端に捉えながら僕は――、僕の内側に存在する異界の扉を開け放った。


「きゃっ!」


 一拍――、強く叩きつけられた拍動に驚き、アイティアが自分の頭を抑え蹲った。


「ああ、あああ……!?」


 その声は衛士のひとりが。恐らく魔法の才があるものなのだろう。なまじ魔力を感知できるものにとって、僕の放つ禍々しい魔力により動きを封じられてしまうのだ。


 ドクン、ドクン、ドクン、ドクドクドクドクっ――!!


 自身の内部――異界に封じた扉の向こうで神龍しんぞうが猛り狂う。

 その魔力は間欠泉のように僕から噴出し、たちまち辺り一帯を駆け抜け、街中を満たしていく。


 僕は、自身ですら制御不能な魔法を行使する。

 放てば必ず自爆か、桁外れの威力になるそれを敢えて行う。

 大都市である聖都の機能を奪う大災害を起こすために。


 僕は自身の意識を下へ下へと傾ける。

 ヒト種族を越えた龍神族の高度な認識力は、聖都全域の地盤とさらに霊的な地脈の存在すら仔細に捉える。


 呼びかけるのは『土』の魔素だ。

 僕の『憎』の意思に従い、魔力を添加された土の魔素は、聖都全土を飲み込むほどの琥珀色の光となって広がっていく。


 人々は突如として具現した謎の光に怯えおののき、アイティアは「綺麗……」と天を仰いで呆然としてしまっている。


 準備は整った。僕は言葉とともに自身の魔法を解き放つ。


「タケル・エンペドクレスの名において願い奉る。礎となりし『土』の魔素よ、神の名を語る愚者たちに、裁きの鉄槌を振り下ろせ――!」


 次の瞬間、地面が消失した。

 それは地面がバウンドし、だれしもの身体が一瞬宙に浮き上がったためだ。

 次いでダダダダダッダーンッッッ、という轟音。


 前後左右上下に聖都が揺れていた。

 いや、揺れなどという生易しいものじゃない。

 がまるで虫かごの中に入れられ、シェイクされているような激震が起こっているのだ。


 平衡感覚を失ったまま人々は、必死に地面を手繰り寄せて倒れ込んだ。直立し続けることなど不可能。このような状況になったときヒトは、逃げ惑うどころか背中を丸めて蹲る以外、何もできなくなってしまう。


 そして、時間にすれば僅か十数秒。

 だが、人々にとっては悪夢のような長い時間。

 ようやく地震が収まったとき、聖都の姿は一変していた。


 華やかな街並みなどどこにもない。

 まるで子供が描いた絵のように、すべてが歪み、崩れ、ボロボロになっていた。


 あらゆる建築物が傾き、街路の石畳は軒並み破壊され、ガラスがはめ込まれていた窓も戸板も脱落し、地面に凶器となって撒き散らされていた。

 街の各所からは煙が上がり始め、火の手が上がっているのがわかった。


 そしてカンカンカンカンと、どこからか敵襲を知らせる警鐘が鳴り響く。

 聖都の外壁、西側に集中して、大きな魔素の流れを感じた。

 中心部からでもハッキリと見えるほど、大きな竜巻が沸き起こる。

 僕の魔法を合図に、ラエルたちが戦闘を開始したのだ。

 こちらも急がなくては。


「アイティア――アイティアッ!」


「は――、龍神様……!」


 上を向いたまま魂が抜けたようになっていたアイティア。

 強く肩を揺り動かすことで正気に返す。


「しっかりしろ、ちゃんと立て!」


「で、でも、私、腰が抜けて……」


 他の信徒たちと同じく、アイティアはその場にへたり込み、一切身動きが出来ないようだった。


 よほど怖かったのだろう、ガチガチと歯の根が合わないようで、肩もガタガタと震えてしまっている。


 僕は、アイティアを抱きしめた。

 震えを無理やり押さえつけるように、強く胸に掻き抱く。


「よく聞けアイティア、今聖都の西側でラエル・ティオスが騒ぎを起こしている。お前は東門を目指して走れ。そこに奴隷となっていた獣人たちが待っている」


「え、え、本当に……?」


「後な、やっぱり女の子の初めては、ちゃんと好きなオスとした方がいいと思うぞ」


「ふえ!? な、なな、何を言い出すんですかいきなり――!」


 真っ青だった顔にサッと朱が差す。

 なんとか震えも収まったようだ。


「ほら、行け。もう隠す必要はないから、存分に獣人種の力を使え」


 抱き上げて強引に立たせるとトン、と背中を押してやる。

 一歩二歩進んだアイティアは立ち止まり、一度だけ僕を振り返った。

 その美しい瞳を見返し、力強く頷いてやると、彼女は獣人の身体能力を遺憾なく発揮し、風の様に走り去っていった。


 もう二度と捕まるなよ。

 さあ、今度は僕の番だ。


 正面大聖堂を見上げる。

 あちこち崩れたり、傾いだりして酷い有様だったが、それでも尚聖都一の巨大建築物は未だ健在だった。


 そして大聖堂へと繋がる唯一の跳ね橋が動き始めていた。

 周りからはゾロゾロと信徒を踏み越えて衛士達が集結しつつある。

 こんな奴らに付き合う義理はない。


「おおお――ッ!」


 僕は気合と共に全力で浮島を駆け、大跳躍した。

 垂直になりかけていた跳ね橋の頂点を掴み、ひらりと乗り越えると、そのまま滑るように橋を下っていく。


 落下地点では驚いた衛士が慌てて剣を抜こうとするが遅い。

 僕はその顔面を殴りつけ、さらに群がる衛士も叩き伏せていく。

 以前のように自身が骨折するほど力は込めない。

 良くて失神する程度にしておく。これが一番効率がいいのだ。


「地下、恐らくそこにセーレスが――」


 いる。必ず。

 なぜかは分からないが、僕には絶対の確信があった。

 並み居る衛士たちの中を進み、あるいは押しのけながら、僕は大聖堂の地下を目指した。


 続く。

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