第54話 聖都⑧ 解放作戦〜寿ぎの日

 *


 その日、聖都は物々しい雰囲気に包まれていた。

 日の出から日の入りまで、その日だけは全ての城門が閉ざされ、聖都は完全なる籠城都市となる。


 全ての商業活動が停止し、人々は朝早くから、大聖堂前広場を目指し巡礼を開始する。始祖アークマインを讃え、現教皇クリストファー・ペトラギウスを敬い、祈りを捧げる一大イベント。それが『寿ことほぎの日』である。


 老いも若きも男も女も子供もみな。敬虔なる人類種神聖教会アークマインの信徒としての勤めを果たす一大行事である。


 宗教は、人類が生み出した最も知的な発明だと、誰かが言っていた。

 それはヒトが理性と知能ある生き物の証であり、到底獣には創りだすことができない崇高なものだからだという。でもそこには、『ウソと虚構に同等の真実を持たせたもの』という大前提がつく。


 聖都は確かにいい街だ。快適な暮らしがある。

 僕もここ最近、すっかり忘れかけていた地球の生活を思い出した。

 そして自分がどれだけ異常で、恵まれた文明の利器に囲まれていたのかを知った。


 もしセーレスと過ごした森辺に、この生活があったら。

 闇を削る灯りと温かいお湯の出る蛇口。

 たったそれだけでもあれば、僕らは東國エストランテを目指そうとしただろうか。

 なんとかその生活を守ろうとしたのではないか。


 この聖都の住人は敬虔なる人類種神聖教会アークマインの信徒を名乗りながら、誰も彼もが、『快適な生活』という見えない鎖で繋がれた紛い物たちだ。

 あるいは聖都での生活だけが目的で、面従腹背しながら信徒のフリをしている不埒者もいるかもしれない。


 今日、僕はその化けの皮を剥がす。

 自分の生活よりも大切なものが、自分自身の命であるのだと、100万人のヒト種族に思い出させてやるのだ――


 *


「龍神様……」


「アイティアか。準備はできたのか」


「はい。荷物なんて殆どありませんから……」


 僕の部屋を訪れたアイティアは暗く沈んだ声をしていた。

 放っておけば地の底に沈んでいきそうな表情で項垂れている。


 ついに、アイティアの競売が決定したのだ。

 明日の中天に、地下教会で彼女の競りが大々的に催される。

 実はもう前評判だけで始値が決まっており、その時点で、彼女は前回の競売で売られていった獣人四人を上回る価格が決定していた。落札予想価格は歴代最高値さいたかねになることは間違いないという。


 そのことが告げられたのが十日前。

 エアリスが部屋に乱入してきた翌日だった。

 その日以来、彼女は目に見えて落ち込み、そして夜になると僕の部屋を訪れるようになった。


 その目的はもちろん――


「結局、毎晩どんなにお願いしても、一度もお慈悲はくれませんでしたね……」


「またそれか」


 自分の純血を、自らの破瓜を僕へと捧げること。

 それだけを願い、彼女は日参を繰り返した。

 昨夜はついに寝静まった時刻を狙い、僕のベッドに潜り込んできた。

 強い口調で叱ると彼女は幼子のように泣きじゃくった。

 そうして言うのだ、自分を抱いて欲しいと。


 でも僕はそれをすることはできなかった。

 彼女自身・・・・のためにも、絶対にできないのだ。

 おかげで彼女の目の下にはクマができ、瞼は腫れぼったい。

 明け方までずっと泣き続けていたためだ。

 最後は僕の右手を抱きしめたまま眠ってしまったので、こちらのほうが寝不足だった。


「失礼しますぞ……。おお、やはりこちらでしたか。アイティア、まだそのような格好で。もう構いません、その服の上から急ぎこのローブをかぶるのです。卑しくも獣人の分際で巡礼に参加できることを人類種神聖教会アークマインに感謝するのです」


「はい……」


 マンドロスが奴隷用のローブを投げよこす。

 つらそうに顔を歪めると、アイティアは素早くローブを被り、きつく前紐を縛った。


「ナスカ・タケル様。くれぐれも護衛をお願いいたします。信徒にとっては巡礼中が最も無防備な瞬間。不埒者が狙うとしたらこの機会以外にないでしょうからな」


「大丈夫だ。大船に乗ったつもりでいろ」


「無論です。あなたのような屈強な護衛を持つことができて私は幸福ですとも」


 エアリスのヒステリーな戦闘に付き合った翌日、朝帰りを果たした僕は、破れた服の言い訳として刺客らしきモノと戦闘になったと嘘をついた。


 正体を確かめる暇もなく魔法戦の応酬となり、最後は跡形もなく消し飛ばしたことにした。


 これにより僕はマンドロスから兄弟の杯を交わさないかと持ちかけられたが、丁重かつ全力で辞退させてもらった。


「さあ、間もなく我らの区画も動き始める頃合いです。私は一足先に外で待機しておりますぞ」


「ああ、すぐに行く」


 立ち去るマンドロスがドアを閉める。

 アイティアはギュウっとローブの裾を握り、肩を震わせていた。

 ポタポタと、床に涙のしずくが落ちる。


「時間だ。行くぞ」


「――ッ、はい……!」


 しゃくりあげる彼女の手を掴み、部屋から連れ出す。

 建物の外には、すでに集まり始めた尋常ならざる信徒の息遣いがひしめいている。

 巡礼の儀が始まる。

 偉大なる始祖アークマインを讃え、現教皇の魔法研究を称える寿ぎの儀式が。

 そして今日が聖都の最後の日になるなど、僕ですらこの時は思っていなかった。


 *


 エアリスが話した作戦は、以前からラエル・ティオスが計画していた獣人種奴隷救出作戦だった。


「聖都内に間者を送り込む。私が連絡役となり、決行日には実力行使を持って奴隷たちを解放、先導する」


「そうか。やっぱりあの子たちは自らの意志で売られて行ったのか」


 赤猫族のソーラスとテオ、豹人族のカルモス、そして白兎族のパティア。

 誰一人悲観することなく、自ら望むような態度で奴隷になっていった。

 それは特別な許可がない限り、近づくことの出来ない貴族の居住区画に入るためであり、同じく奴隷の身分にやつしている仲間たちへと接触し、作戦を呼びかけるためなのだという。


「本来計画の実行はまだまだ先になるはずだった。大きな力を持つアークマインとそれを要する聖都。こちらも生半可な戦力では対抗できない。だが貴様の存在が計画の実行を決意させた」


「僕が?」


「ラエル・ティオスは及び腰になる他の列強氏族たちの前で協力を請い、自らの覚悟を示した。貴様も見たであろう。獣人種たる証を自ら切り落とし、卑劣なるヒト種族に媚びへつらう姿を」


「ああ」


 マンドロスの前に奴隷商として姿を表したラエルは、ケモミミを切り落とし、貴婦人もかくやといった物腰と礼節で、一縷の疑念すら抱かせることなく、自らの息がかかった間者を聖都の貴族の元へ潜りこませることに成功した。


 プライドばかりが高くて全く行動をしないものより、自ら恥と汚名を被ってでも行動するものでなければ下のものはついてこない。ラエルはそれを体現したのだ。


「計画実行日には他の列強氏族が要する強力な魔法師と雷狼族の戦士による混成部隊が聖都の外で騒ぎを起こす。聖都の守りを手薄にして奴隷となっている獣人種を救い出す。ついては貴様も手を貸せ」


「…………」


 確かにその計画では陽動が大きな役割を果たす。それも内側と外側。

 もし聖都の近辺に獣人種が攻めてきたとなれば、アークマインの聖騎士部隊が出てくるだろう。


 だが敵は何も聖騎士だけではない。

 ここには100万人のヒト種族がいるのだ。

 奴隷を要する貴族ならば独自の護衛も持っているかもしれない。

 それらはエアリスが引き受けるとして、やはり街を混乱状態にするためにもう一手が必要となるだろう。


「おい、僕が聖都にいることが作戦を決意させたって言ってたな。最初っから僕を当てにしてたってことか」


「然り」


「冗談じゃないぞ。僕の目的はまだ達せられていない。もしお前たちが来たことによって聖都が獣人種と戦争状態になってみろ、セーレスを探すどころじゃなくなるかもしれないじゃないか!」


 彼女を探すことができなくなるばかりじゃない。

 もしその混乱の最中に彼女が傷つく事態になってしまったら……。

 加担するべきではない。僕は全力でラエルたちの敵になる必要がある。


 気炎を吐く僕に対して、エアリスは先程の戦闘がウソであるかのように平静だった。そして用意していた手札を切ってみせた。


「……今より一月ほど前、予定のない貴人専用馬車が聖都に入っていくのが目撃されている。どうやらその馬車はリゾーマタへ向かい、聖都へ帰還したという」


「なんだって?」


「本来なら貴族が使用するはずの馬車には教皇の姿はなく、その右腕と称される年若い司教が乗っていたという。しかもその馬車は、壊滅したアークマイン・リゾーマタ支部には一切立ち寄らなかったとか」


「おい、それってまさか――!?」


「獣人種の間者が掴んだ確かな情報だ。貴様の女は確実に聖都にいるは――」


「本当か!」


「うおっ」


 僕はエアリスの肩を掴んでいた。

 驚き目を丸くする彼女も構わず手に力を込める。

 聖都に来て以来初めて得られた彼女に関する情報だったからだ。


「それで、セーレスはどこにいる……!? 頼む、作戦でもなんでも協力する! 教えてくれ!」


「ま、待て、貴様、ちょっと待て!」


 ぶわっと風が巻き起こり弾かれる。草地に後頭部をぶつけながらも一回転、僕は再びエアリスへ迫ろうとして――、彼女が顔を真っ赤にしているのに気づいた。


「なんだ? どうかしたのか?」


「そんな恥知らずな格好で迫ってくるな、気狂いか貴様は!」


 僕が上半身丸裸なのを言ってるらしい。


「これはおまえがやったんだろうが!」


「と、とにかく落ち着け。これ以上その格好で近づくな痴れ者が!」


 僕は憮然としながらその場に腰を下ろした。

 自然石の上で何やら自分の身体を掻き抱き、こちらを見ながらそわそわとしている様子のエアリスが落ち着くのを待つ。


 だが、正直僕は興奮していた。

 セーレスはやはり聖都にいる。

 そしてやはり奴隷という立場ではなく、人類種神聖教会アークマインの中枢に捕らえられているようだ。


 いくら自分自身に大丈夫だ、諦めるな、そう言い聞かせたところで、僕の中に焦りは当然のようにあった。この一報を齎してくれたエアリスには感謝しかない。


「それで、聖都に連れてこられてきたセーレスがいる場所は?」


「一番可能性があるのは大聖堂だと踏んでいる」


 ようやく落ち着きを取り戻したエアリスは、腕を組みながらムスっとして言った。

 何か全然僕と目を合わせようとしない。感じ悪いなあ。


「貴様も独自に動いて回っていたようだが、聖都において貴族と言えど関われない禁忌といえばふたつしかない。貴様が身を寄せている奴隷商アナクシア商会と」


「そして教皇のいる大聖堂か……」


「現教皇、クリストファー・ペトラギウスと言ったか、元王都の宮廷魔法師だった男だが、ヤツは珍しく魔法師としての実力ではなく、魔法研究で身を立て上り詰めた学者だったらしい」


 この魔法世界ではごくごく当たり前に存在している四大魔素を使用した魔法。

 その四系統以外の魔法を発見、開発することを目的としたものが魔法研究だという。


 例えばラエルたち雷狼族の魔法もその一つだ。

 彼らの特殊な毛並みを持っており、帯電体質で困っていたとか。

 それをディーオのアドバイスを受けて、溜め込んだ雷を筋肉の駆動に応用するようになり、彼らは最速の獣人種呼ばれるまでになった。


 それ以外にも四系統を組み合わせ、『炎』『水』『土』『風』以外の効果が生み出せないかと、一部では盛んに研究されているらしい。


「教皇は一体なんの研究をしているんだ……?」


「それはわからん。そもそも研究の内容事態、一般人の知るところではない。だが、どうやら大聖堂の地下に大規模な研究施設があるという話だ」


「地下、か」


 聖都の中心にある巨大なお堀とそこに聳える大聖堂。

 あそこの地下にセーレスが囚われている可能性が高いのかのか。

 いや……、何故かは分からないが確実にいるような気がする。


「ラエルが作戦を前倒しした理由は実はもうひとつある。今言った教皇の研究がどうやら成功を収めたらしい。今度行われる『寿ぎの日』に信徒による巡礼を行い、大々的に祝うとのことだ」


「な、それって、まさか……!」


 研究の成功。そして贄として連れて行かれたセーレス。

 このふたつを組み合わせて考えることは、決して大げさな話じゃない。

 まさかその研究というのはセーレスの命を以て完成するというのではないだろうな。そんなことは許さない。絶対に阻止してやる――!


「話はわかった。決行は十日後の寿ぎの日だな」


「ああ、貴様には聖都内で、派手に暴れて欲しい。それを合図にラエル・ティオスにも動くよう伝えておく」


「ああ、ものすごくわかりやすいことをする。おまえも奴隷たちの解放を頼んだぞ……!」

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