第53話 聖都⑦ 悋気〜風と戯れる
*
蒼みがかかった銀髪は涼し気で、その肌は太陽の残光のように燃えている。
風の精霊に祝福を受けた高位にして稀有な魔法使いであり、そしていまは亡きディーオ・エンペドクレスの唯一の係累であるエアスト=リアス――エアリス。
彼女に首根っこを掴まれたまま、今僕は夜の空中散歩を愉しんでる――はずもなく。一方的に宙吊りにされ、頬肉がブルブルするほどのスピードで空を移動していた。
「どこまで行くつもりだ――!?」
「邪魔者が入らないところまでだ」
やだ、僕何されちゃうんだろう。
これが色気のある話なら、「やめてくれ、僕にはセーレスという心に決めた女性が……!」と毅然とした態度で断りを入れることもやぶさかではないのだが、さっきから無言で僕を牽引するエアリスからは、無言の圧力というか殺気めいたものが注がれていて息をするのも苦しい。というか奥襟を掴んで飛んでいるので首吊りと変わらないからどうにかしてくれないかな……。
あのあと――あのあとというのがどのあとかというと、エアリスが部屋に乱入してきてからのことだ。
あのあと、アナクシア商館はかなりの大騒ぎになった。
何故なら僕ら――僕とアイティアは、駆けつけたマンドロスへと一芝居打つことで合意したからだ。すなわち、何者かによってアイティアが襲われた、とウソをついたのだ。
――就寝前に異常が無いかどうかアイティアの様子を見に行った僕は、窓の外に不穏な気配を感じ、とっさに彼女を庇った。すると外から投げナイフが投擲され、危うくアイティアを串刺しにするところだった。僕が偶然見回りにこなければ危なかっただろうと。
「まさかまだこのアナクシア商会に楯突くものがいようとは……。ふーむ、見たことのない型のナイフですな。いや、この直刃の造り、ゴルギアスの趣があるような……。となればキュレネ-商会の刺客か、あるいは……」
ブツブツとマンドロスは思考の海に埋没した。
やっぱりというかなんというか。聖都を牛耳るアナクシア商会も、叩けばホコリが出まくるわけで。
結局アナクシア商会を妬んだ商売敵の仕業が濃厚とされて、アイティアはもっと安全性の高い館の奥の部屋へと移された。とにかく夜も遅いとあって、敵対商会への対抗策は明日へ回すとして、僕は自ら寝ずの番を買って出ることにした。
「おお、タケル様が警戒してくださるなら、私も枕を高くして眠れますな!」
おまえはそのまま永眠しろと言ってやりたいが我慢する。
そうしてみながめいめいの部屋に戻っていくのを見届けてから僕は、真犯人であるエアリスに「ちょっと顔を貸せ」てな感じで暗闇で合流するやいなや、彼女は僕ごと周囲の風景と同化し、誰にも気付かれることなく聖都の外へと脱出したのだった。
「うわわっ!」
深い山間の森の中、ポッカリと口を開けた草地に僕は放り投げられた。
無様に受け身を取りながら頭上を仰ぎ見る。
エアリスは風でホバリングしながら軟着陸するところだった。
「酷いな、もっと優しく降ろせよ」
「言いたいことはそれだけか?」
驚いたことに、エアリスは僕に笑みを向けてきた。
あの嫌味ったらしい酷薄な笑みではない。
心の深奥から溢れ出るアルカイック・スマイルだった。
「ちょ――待て!」
チュン、と顔のすぐ脇を風の刃が通り抜けた。
風を切る音さえしない、鋭利かつ超高速度の刃だった。
掠めた頬が遅れてバックリと切り裂かれ、スゥっと傷が消えていく。
首を傾けるのが遅ければ、僕は立ったまま地面にキスしていたことだろう。
「なんだ、何なんだ、いきなりどうしたんだよおまえは!?」
「どうしたもこうしたもあるか。黒猫族の娘に言い寄られ無様に狼狽えおってからに。一度その情けない心根と共に
何が恐ろしいって、そんな猟奇的なことを平然と口にするのもそうだが、エアリスは終始笑顔だった。これまで見たこともないくらい綺麗な笑みで僕に殺傷性の高い風の刃を差し向けてくる。話が通じないエアリスほど怖いものはなかった。
「言ってることがおかしいぞ、なんでおまえそんなに怒ってるんだ!?」
「私は怒ってなどいない。なぜ私が貴様ごときのことで腹をたてる必要がある?」
夜間、不可視の風の刃。
囲まれれば一巻の終わり。
だが僕は魔族種龍神族だ。
周囲の魔力と魔素の動きを感じ取ることができる。
風の魔素は海中や土中以外、あらゆる場所に最も多量に存在している。
それはこの
魔法師とは魔素の存在を感知し、自身の魔力を燃料に、『愛』『憎』いずれかの意志力の元、『炎』『水』『風』『土』にまつわる現象をこの世界に顕現させる者を言う。
風の精霊の加護を受けたエアリスは風魔法に特化した魔法師だ。
魔素を支配する影響力、そしてそれを形として発現する速度。
見れば見るほどエアリスの魔法は超がつくほど一流なのだと分かる。
だが彼女の一流たる所以は、それだけではないことを僕は思い知ることとなる。
「うわッ! ほッ! なんと――!」
僕は素人丸出しなデタラメな動きで風の刃を躱し続けていた。
魔族種の身体能力と動体視力があればこその芸当だ。
だが、次第に僕はおかしなことに気づく。
(エアリスのやつ、本気じゃない――!?)
攻撃がぬるいのだ。ラエルの屋敷の時は逃げ場などないくらいあっという間に風の刃で畳み掛けられた。
それが今はどうだ、確かにあの時より刃は鋭く疾い。
だが僕でもなんとか躱し続けられるレベルだ。
攻撃が単調なわけでもない。一体何を――
「――ッ!?」
それは初めての感覚だった。
視覚以外の皮膚感覚が目覚めた瞬間だったのかも知れない。
とにかく僕は、背後に凄まじいまでの殺意の存在を感知した。
そしてようやく僕は、
「
ボソリと、エアリスの呟きが聞こえた時には、僕の意識は闇に沈んだ。
*
│
大昔の少年マンガがデジタル出版されたとき、そんな技を見た。
ハッキリ言って現代では発禁確実のグロい技だった。
僕はエアリスが張り巡らせた真空の糸にまんまと絡め取られたのだ。
鋭利などという言葉では生ぬるい。切断でもなく、そう断絶というがピッタリの表現だ。その真空の糸に触れた途端、何の抵抗もなく、頑丈な服も堅牢な黒曜の胸当ても、そして肉も骨も一即多にスライスされた。
あとは自分の重さにしたがって、カラダの中身をぶち撒けたのだ。
血の海の中に沈んだカラダの周りに、僕の頭と腕、そして下半身がゴロンと打ち捨てられる。
ザッザッ、と草地を踏みしめながらエアリスがやってくる。
おもむろに首だけになった僕の髪を掴みあげ、目の高さにまで引き上げた。
至近距離から見るエアリスの顔は、おそろしいくらい綺麗だった。
「これだけしてもまだ死なぬか。忌まわしい男だ」
「それは同感だ。呪いだよこのチカラは」
僕の身体はすでに再生を始めていた。
シュウウウウゥウゥ――と体外に漏れだした血液は赤い霧と化し、使えるパーツはくっつき、使用に耐えないモノは新たに作り直される。
練造、とでも言えばいいのか。
僕はエアリスに掴み上げられたまま、自分の身体が再生される様をつぶさに観察した。
濃密なまでの魔力が全身を覆い、肩口や腰部から切断された手足を引き寄せていく。そうして頭部不在のディラハンみたいな格好で起き上がった僕の身体は、腕以外の上半身が素っ裸の状態だった。
そんな前衛的な服装のまま両手を突き出す。首をくれというポーズだ。
頭部がないのに、まるで意識することなく普通に動かすことができた。
これもまたよく見てみれば、首と胴体が魔力のラインでつながっているのがわかった。
「おい、いい加減気が済んだだろ、僕の首返せ」
「掴まれた頭の方が首を返せとはどういう冗談だ?」
「揚げ足とるなよ、頼むからさ……」
「まあ待て。貴様の頭部も同じように細切れにしたら、このカラダの方から首が生えてくるかもしれんぞ」
「なんか昔そんな小説を読んだことがあるけども! 残念、正解は再生した首の方から赤ん坊の身体が生えてくるんだよ!」
「それは興味深い。ぜひやってみよう」
「待て待て待てッ!」
エアリスの手の平に再び風の魔素が集まるのを見て取り、僕は慌てて泣きを入れた。
「わ、悪かった。正直に言うと本当はあんな可愛い子に迫られてかなりグラっと来ていた。エアリスが乱入してくれて助かった、おまえがいてくれてよかったよッ!」
我ながらなんでこんな浮気男みたいなセリフを言ってるのだろう、と思う。
だが、言われたエアリスの方は効果があったみたいだった。
「ふ、ふん――、最初から素直にそういえばいいのだ」
エアリスは僕の側頭部を両手で挟み込むと、突き出した手の上には載せず、僕の胴体の上にそっと置いた。瞬きの間に首と胴体はくっつき、正常な視界が戻ってくる。ホっと内心で息を吐いた。
「というか僕が本当に謝らなきゃいけないのはセーレスなのに……」
「何だ、何か言ったか?」
「いや……。それで、何か話があって僕をこんなところに連れてきたんだろう?」
もし本当にさっきの意趣返しだけが目的だったら嫌過ぎる。
エアリスは先程よりも幾分かさっぱりとした顔つきで言った。
「聖都で貴様の目的のものは見つかったのか?」
ちくしょう。いきなり痛いところをついて来やがる。
「いや、ダメだ。どうやら奴隷という身分では聖都には居ないらしい」
「そうか。貴様にひとつ提案がある」
エアリスは手近にある丸い自然石の上に腰掛ける。
優雅に脚を組みながら彼女は不敵に僕を見据えた。
「ラエル・ティオスの獣人奴隷解放作戦に協力しろ。見返りにこちらも情報を与える。この作戦が成功すれば、私も晴れて自由の身だ」
そういやラエルに借金してたんだったっけなこいつ。
そうして、
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