第33話 死と再生と誕生⑨ 歓談の龍

 金色に光る両の眼。

 硬い岩のような鱗と角。

 巨大な口から覗く乱杭歯。


 それはお伽噺の中でしか見たことのない、本物の龍だった。

 牢獄の中、何重もの鎖に拘束された龍がこちらを見ている。


 異端審問官はカチカチと震える手で鍵を開け、牢屋の中へと僕を放り投げた。

 ゴシャッ、と何かが潰れて、何か大事なものが切れる音を聞いた。

 割りと今のがトドメになったっぽい……。


「……ぁ」


 身体は動かず、目だけで龍を見る。

 ああ、僕は今日死ぬのだ。

 異世界に来て本物の龍に貪り食われて――


 *


 龍、ドラゴン。

 マンガやゲームなどではお馴染みの神獣。

 僕を運んだ異端審問官たちがビビっていた理由はこれだったのか。


「は――はは……」


 なんだか無性に笑えてきてしまった。

 地球にいた頃、ネトゲの中では散々やりあったモンスターだった。

 翼竜、飛竜、地竜、水竜、風竜、火竜、と。

 それぞれの属性を持つ鱗や牙、貴重なドロップアイテムを集めていた。


 剣で斬り裂き、戦斧でボコボコにし、攻撃魔法をありったけぶちまけた。

 もし本当に生きている龍にそんなことしたら、痛かっただろうし、人間ごときにやられて悔しかっただろう。


 もしかしたらそうやってドラゴンをイジメてきた、これは報いなのかもしれない。

 でも魔法を使うエルフよりも、こういう生き物がいる方が魔法世界らしいな、などと思ってしまう。


 なんて大きな口なんだ。

 僕なんて一瞬で丸飲みにされるだろう。

 ああ。今までイジメてきて悪かったよ。

 やるなら一思いにやってくれ――


「Ryゆぅっ――、RぅwおたぉしDANoが?」


 え――?

 ものすごい胴間声がした。

 必死に目を向ければ、そこに龍の姿はなかった。


 あれほどの存在感を放っていた巨躯が一瞬で姿を消していた。

 でもそのかわり、鎖に繋がれた一人の男が立っていた。


 僕と同じく拷問でもされたのか、ボロボロの服を身にまとった男。

 だが露出する地肌に傷は見えない。


 黒髪に金色の瞳。

 どこか不敵に釣り上げられた唇。

 見上げるほどの大男だ。

 でも何故かひどく頼りない印象を受ける。

 そう、痩せて今にも枯れそうな巨木のような男だと思った。


「……あ」


 そうだ、この男だ。

 リゾーマタの宿場町で張り付けにされて引き回されていた男だ。

 ならば、この男はヒトではなく、確か魔族種ではなかったか――


『少年よ、貴様は龍を打倒したことがあるのか――?』


 目を見開く。

 不意に舞い降りたクリアな声に目を瞬かせる。

 それは頭蓋の中に反響して聞こえた。

 まるで頭の中に直接語りかけられているような。

 しかも日本語・・・

 まさかこの男が――?


『我の念話・・が届いているであろう。その状態ではしゃべるのもままならぬと思ってな。考えるだけでよい』


 いやいや、いきなりそんなこと言われても。

 念話とか言われても意味不明だ。


「ぼ、く……は」


 痛みに耐えながら喋べろうとする。

 口の中が粘ついてろくに動かない。

 舌が腫れているのか、口の中がパンパンだった。


『思うだけでいい』


 思うだけって――


『不意に余計なことしゃべっちゃいそうで怖いな』


 あれ、なんだ、僕の声が頭の中に響く?


『本当に考えるだけでいいの? 僕の声聞こえてる?』


『おお、そうだ、聞こえているぞ。飲み込みが早いな。我の趣味は死にかけている者の末期の声を聴くことなのだ。大抵の者は我の声を神やなんだと思い込み、懺悔するか命乞いを始めるのだが、まともに会話が成立したのは初めてだな』


 末期の声ってなんて悪趣味な。

 いやそれよりも――


『死にかけって……僕は死ぬのか?』


『そうだな。てっきりゴミでも運ばれてきたと思った。連中、我が何を与えても口をつけんと見て、ついに残飯を与える嫌がらせを始めたのかとな』


 僕が死ぬ。

 なんだかとっても現実感に欠ける。

 自分が死ぬというのもそうだが、眼の前の男と頭の中で会話しているのもよくわからない状況だ。


 念話というのは言語の壁がないのか。

 僕はほぼ三ヶ月ぶりとなる日本語での会話を続ける。


『我が問いに答えよ。貴様、ヒトの身で龍を――魔族種を打倒したことがあるのか?』


 どうやら僕が運ばれてきてからずっと、こちらの思考を読んでいたらしい。

 なんでそんなことができるんだ、なんて聞くのは恐らく無駄だろう。


『質問に質問で返すようで申し訳ないけど、最初に僕の疑問に答えて欲しい』


『むう。無礼な奴め。我の質問より先に質問だと。……まあその愉快な有様に免じて許す。申してみよ』


『もしかして、お前は僕を食べるのか?』


 ぶふっ――

 その声は目の前の男から。

 念話ではなく、実際吹き出したらしい。


『誰が貴様など食うか。我は本来食事を必要としない。経口摂取はもう何十年もしておらん。だが奴らはせっかく捕まえた我に死なれるのはよほど困るようで、せっせと食事を運んで来るのよ』


 最初は粗末な食べ物。次に豪華な食事になり、それでも手を付けないでいると、生肉を持ってくるようになったとか。


『極めつけは貴様よ。我が供物』


 供物。やっぱり僕は生贄ってことなのか。


『然り。ここに連れられてくるのは罪なき罪人ばかり』


 罪なき……?


『貴様の顔を見ればわかる。虫も殺せぬ顔をしている。だがここに来るものはすべからく大罪人よ。何故なら奴らがそうと決めたのだからな』


 それはつまり、人類種神聖教会アークマインの教義に照らし合わせて有罪にされた、ということか。なら僕もそのひとりだろう。


 それは、人類種神聖教会アークマインの教義に照らしあわせて悪と断じられた、という意味。無罪有罪を決めるのは全て人類種神聖教会アークマインなのだから。


『僕が大罪人なら、アンタは一体なんなんだ? 町中では張り付けにされていたのに、今は随分大事に扱われているみたいじゃないか』


『それはそうであろう。我は人類種神聖教会アークマインの多大なる犠牲の上にようやく捕まえることができた戦果・・なのだからな』


『戦果……?』


『テルル山地の人魔境界線を越え、ヒルベルト大陸まで進軍してきた7万の兵士たち。生き残ったのはたったの1000人ほどよ』


『なッ――!?』


 まさか、6万強の人間をこの男がたった一人で殺したというのか。

 それだけの犠牲を払わなければ生け捕りにできないほどこの男は強いというのか。


『ふ……我も戦闘は久しぶりだったのでな。危うく加減を忘れて皆殺しにするところだった』


『は……? 皆殺しって、随分余裕なんだな?』


『当然であろう。我を誰だと心得る。我こそは魔族種根源27貴族がひとつ、龍神族のディーオ・エンペドクレスなるぞ』


『魔族種……!?』


 やっぱりそうか。

 ヒト種族や獣人種よりも遥かに強力な力を持っている。

 しかも根源貴族とは魔族種の中でも特別な存在だとか。


『ふん、我をその辺の新興魔族種と一緒にするなよ。我は二代目だが、こう見えて1万の年月を生きている』


『いッ――!?』


『さらに我が始祖、初代エンペドクレスは四大魔素による魔法体系を構築した張本人であり、故に我にも初代の強力無比な魔法が使えるのだ』


 なんて自信だ。

 この男が言っていることは紛れもない事実なのだとわかる。

 何故なら念話とは魂と魂の会話。その領域において、ウソなどつけるはずもないからだ。


『でも、そんなにすごい魔法が使えるなら、どうして人類種神聖教会アークマインに捕まったりしたんだ?』


『それは――む。質問が増えてるぞ。今度は我の質問に答えるのが道理ではないか?』


『あ、ああ……ごめん。で、なんだっけ?』


 なんだ、今はぐらかされた、ような気が……。


『貴様がヒトの身でありながら今はなき竜種を打倒したことがあるのか、という質問だ。暇つぶしに貴様の思考を読んだ。ウソは言っていないようだ。答えよ』


 暇つぶしって……。

 まあ僕もずっと拷問されてて、こんな穏やかな気分になったのは久しぶりだ。

 従って答えてやるのもやぶさかではない。どうせウソはつけないんだし。


『倒したことは事実だけど、それはゲームの中の話だし』


『げーむ? なんだそれは?』


 ゲームを知らないやつにゲームを説明するってどうしたらいいんだろう。


『日本で一番流行っていたMMORPGのことだよ。その中で僕はレベルカンストした最強のハンターだったのさ。ドラゴンなんて三ターンあれば楽勝だったよ』


『…………』


 黙っちゃった。正直に言っただけなのに。

 まあゲームの中の設定をそのまま言っただけだから理解なんてできないだろう。

 うーん、なんと説明したらわかってもらえるのか……。


『ヒト種族の子供よ。名はなんという?』


 あれ、質問が変わった。


『成華タケル』


『ナスカ・タケルよ、貴様の操る単語はどれも我が知識の深淵にないものばかりだ。さしずめ貴様自身が龍を倒したわけではないようだが、どうにも要領を得ん。貴様――何者だ?』


『僕は――』


 言い淀んでから、密かに笑ってしまった。

 もう秘密にする必要なんてどこにもないじゃないか。

 どうせなら全部ぶちまけてしまえ。


『僕は魔法世界マクマティカとは違う世界から来たんだ』

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