第32話 死と再生と誕生⑧ 人間落第

 学校でイジメに遭ったら、先生に訴えればいい。

 町中で暴力を振るわれたら警察に助けを求めればいい。

 でも、その国で一番強い組織がイジメてきたら、一体どこを頼ればいいのだろう。


「ぁ……あー」


 昏睡から無理やり叩き起こされる。

 頭から水をかけられたのだ。

 セーレスに起こされた時のような幸福感は微塵もなく。

 蹴り上げられた側頭部の痛みだけが、僕にまだ生きているという証明をくれる。


 セーレスと離れ離れになって、一体何日が経ったのだろう。

 窓もない地下牢に囚われ、時間感覚が消え失せている。

 牢から出され、引きずられていく。

 今日もまた拷問が始まるのだ。


 あの日、新領主となったバガンダがやってきたその日の夜。

 僕とセーレスは襲撃を受けた。

 襲撃者たちの存在にいち早く気づいたセーレスは、なんとかこれを撃退しようとした、らしい。


 だが、昼間にやってきたバガンダの騎士たちと、襲撃者たちの実力は桁違いだった。

 結局、あばらやに火を放たれ、飛び出した僕はあっさり拘束。僕を人質に取られたことでセーレスも捕まってしまった。


 僕達を捕らえるためにやってきたのは、人類種神聖教会。

 アークマインと呼ばれる、今や王都にも匹敵する100万人都市聖都を本拠地に置く宗教国家――その聖騎士部隊と呼ばれる連中だった。


 *


 15年間生きていて拷問というものを初めて知った。

 身体と心の自由を奪われ、殺さないように肉体的苦痛を与えるものに、抗うすべはない。


 拷問の歴史は長い。

 およそ人類史とともに拷問はあり、そして歴史の影で重宝されてきた。


 僕が最初に受けた拷問は単純な水攻めだ。

 だが、これがなかなか凹んでしまう。

 自分のリズムで呼吸ができない。

 そのことがとんでもないストレスだった。


 苦しくなる直前に引き上げられ、呼吸も落ち着かないうちに水瓶に沈められる。

 じわじわと真綿で首を閉められるように、息が苦しくなっていく。

 だが意識を手放せば確実に溺れ死ぬ。

 僕は自分の唇を噛み締め気付けとした。

 噛み締め過ぎて唇を噛みきってしまった。


 水瓶の水はかなり濁っており、本来なにに使われていた水瓶なのか、あまり考えたくない。雑菌が入ったらどうしよう、などと考えられたこの時はまだ幸せだった。顔面の穴という穴から体液を出しながら僕は床に転がされる。


 頭上からシルエットが怒鳴りつけてくる。

 部屋の奥で篝火が焚かれ、逆光で人影しか見えないのだ。

 その手には何やら四角く薄いカードみたいなものが握られている。

 僕のスマートホンだ。


 男たちは指先でそれをつまみ、時折電源ボタンを押したり突いたりして恐々と声を上げている。


 どうやら、これはなんだ、何の道具なのだ、と問われているらしい。

 セーレスがこのスマホを初めて見た時、目を白黒させながら叫んでいたっけ。

 アークマインがやってくる――と。


 人類種ヒト種族の繁栄を謳うアークマインは、他種族排斥はもちろん、自分たちに敵対するもの、自分たちの意に沿わないものを異端者として排斥する――と、パルメニさんが言っていた。


 つまり、この魔法世界では見たことも聞いたこともない、なんの用途に使うかも不明で、現在の研磨技術でも到底創りだすことのできない、鏡みたいにキラキラしてて、金属でも木製でもないポリカーボネイトとゴリラガラス製のスマホは一体どこで作り出したものなんだと問うているのだ。


 そんなの地球に行けば今時小学生だって持ってるよ。

 クス、っと笑うとこめかみを思い切り蹴り上げられた。

 僕はほぼ丸一日ぶりに意識を手放した。


 *


 目覚めは激痛だった。

 両腕を縛られ、天井から吊るされていた。

 男たちの手には角材が握られていた。


 僕は上半身裸で、三ヶ月のサバイバル生活でかなり引き締まった青白い胸板に真っ赤なミミズ腫れができていた。

 口には猿轡がかまされ、くぐもった声しか出せない。


 男たちがニヤニヤ黄色い歯を見せながら角材を振り下ろした。

 肋骨に沿うように角で打たれ、声にならない苦悶が漏れた。

 男たちのひとりが再びスマホを掲げてくる。

 これは何かってか……。

 しゃべれねえよ馬鹿野郎。


「ふぐぅ、ぐうううううッ!」


 答えない僕に男たちは殴打を続ける。

 むき出しの肌で赤くなっていないところない。

 腫れ上がった部位に重ねるように角材を振り下ろしてくる。


 やがて肌が紫色に。

 更に殴られ続けるとドス黒い色へと変色していく。

 まるでまな板の上で肉叩きで叩かれているようだ。

 ただひとつ違うのは、僕は血抜きをした死肉などではなく、血の通った人間だということ。


 どうして。

 どうしてこいつらは笑いながら僕を殴ってくるんだろう。

 もうスマホが何だろうが、僕が何者だろうが彼らには関係ないのだろう。

 理不尽な責め苦はまだまだ続く。


 *


 次に内出血で腫れ上がったカラダを切り裂かれた。

 感覚が鈍くなっているかと思ったがそんなことはなく、ビリビリとした痛みが全身をめぐり、精神がささくれだっていく。


 極めつけが傷口に粗塩を擦り込まれた。

 傷口が発火したように熱い、痛い。そして激烈に痒い。


 ヒトは痛みには耐えられるようにできているが、痒みを伴うとどうしようもない。

 今直ぐ転げまわりたいのに、縛り付けられているためにそれもできない。

 身をよじりながら苦悶する。

 猿ぐつわを噛み締めすぎて奥歯が折れた。


 男たちは笑っている。

 笑いながら傷口に塩をすり込み続ける。

 ナイフを閃かせ、傷に傷を幾重にも重ねる。


 今日は気絶することは許されなかった。

 気を失いかけては殴られ、延々と傷を弄ばれる。

 自分の心が、壊れていく音を、僕は確かに聞いていた。


 *


 もう何日経っただろう。

 途方も無く長い時間、傷めつけられては気を失い、

 叩き起こされては、責められ続けるを繰り返す。


 限界だった。

 どうして僕がこんな目に。

 終わりの見えない拷問の中。

 次第に壊されていく自分自身に絶望する。


 そうして僕は、意識を切り替えた。

 自分の身体の主人をやめたのだ。

 僕の意識は天井の付近からこの光景を第三者として見下ろすように心がけた。


 この痛みは他人ごと。

 決して自分の身体などではない。

 醜く変貌した己自身を見ながらそう思い込み続けた。

 でも、せめてひと目でいい、セーレスに会いたい。

 それだけが、僕の唯一の心の支えだった。


 *


 そうしてついに。

 無限とも思える苦痛が。

 無限とも感じる時間が。

 唐突に終わる時がやってきた。


 その男はシルエットではなかった。

 仰々しい神官服に身を包んだ初老の男が現れ、僕を見下ろしていた。


 僕の有様は、ボロ雑巾という言葉がピッタリな有様だった。

 全身真っ黒。

 焼けただれ黒炭化したわけではなく。

 今にも破裂寸前のドス黒い血袋といった風情だ。

 顔は原型を留めず、四肢はおかしな方向にへし折られ。

 自分で自分を俯瞰して、よく生きているものだと感心する。


 神官服の男は懐から羊皮紙を取り出し、つらつらと何事かを読み上げ始めた。

 どうやら僕は処刑されるらしい。

 予め人権を剥奪しなければ執行できない、そのような究極刑のようだ。

 今まで受けてきた拷問でも、ヒト扱いされていたことに驚いた。


 神官服の男がシルエットの異端審問官に指示を出す。

 僕は無造作に左の親指を切り落とされた。

 流れる血はもはや赤くはなく。

 痛みすらろくに感じることはなかった。


 泥水のような血液を、切り落とした指の腹に塗りたくって羊皮紙に押し付ける。

 それで、全てが終わったらしい。

 僕は引きずられ、初めて地下から出された。

 長い長い螺旋階段をまるでモノのように運ばれていく。

 どこか大きな塔の上に向かっているようだ。


 だがなぜか、僕を引きずる男たちが緊張しているのが分かった。

 まるで何かに怯えているようだ。

 僕をイジメ抜いた異端審問官たちが怯えている姿は愉快だった。

 そして、階段を登り切った先には、とてつもなく大きくて頑丈な牢獄があった。


 銀色に光る鉄格子には、複雑な紋様が描かれた符がびっしりと張り巡らされている。

 その奥に、巨大な巌の塊のようなものが佇んでいた。


(ああ……)


 それは顔だった。

 巨大な両の眼。

 亀裂のようなシワが寄った鼻梁。

 目元まで裂けた大きな口には乱杭歯がびっしりと。


 龍だ。

 格子の向こうに本物の龍が鎮座している。

 ようやく分かった。

 僕はコイツの餌になるのだ。

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