第31話 死と再生と誕生⑦ 零れた未来
僕たちは結局東國、エストランテまでたどり着くことはできなかった。
東國は最果ても最果て。
最短ルートは魔の森を突っ切るのが一番だが、それはセーレスのような強者にのみ許される攻略であり、僕という足手まといが一緒の場合は、沿岸一帯の獣人種領を通るのが安全だ。
獣人種とは獣の特徴を持つ亜人種であり、様々な種類が存在する。
猫、犬、狼、狒狒、羊、鼠――などなど。
そんな彼らをまとめる存在こそ獣人種列強氏族と呼ばれる者たちであり、彼らはヒト種族や魔族種とも距離を置き、独立独歩の道を突き進んでいる。
彼らが何世代にも渡って掲げるのは魔の森の開拓であり、そこで伐採した森の巨木を加工し、造船業を営んでいる。
僕とセーレスは一緒に獣人種領を旅しながら、森で取れた香草をギルドに売ったり、林業や造船業を手伝いながら路銀を稼いでいた。
そんな中、とある貧しい村に立ち寄ることになった。
その村は列強氏族の加護に預かれないハグレ者たちが作った村であり、漁業と農業で生計を立てる村だった。
だが、漁業はまだいいとしても、農業の方は上手くいっているとは言いづらかった。何故なら彼らの住まう土地は呪われた土地と呼ばれており、ろくに農作物が育たないからだ。
従って麦やら穀物類は高いお金を払って遠い隣町まで買いに行かねばならず、逆に魚を売りたいが、町い行くまでに腐らせてしまうことが多々あるという。
たまたま立ち寄っただけの僕らは、しばらくその村に逗留することにした。みんなが呪われた土地と言っているのは、なんのことはない、地形的に海風が強く吹く土地柄であるため、土壌に塩害が起きているためだった。
塩害というのは土壌の水素イオン指数が酸性を示している場合をいう。
塩害が起きると作物は育たない。塩化ナトリウムの浸透圧が高まり、作物の根や茎の吸水作用を阻害するのだ。
またナトリウムイオンにより、作物自体のイオン濃度も上昇し、光合成などの酸素反応を邪魔してしまう。
そんな状態では、農作物は愚かあらゆる植物が芽吹くことはないのだ。
ま・さ・か。地球にいた頃、小学校の授業をサボって図書室で読みふけっていた本の知識が、こんなところで役に立つとは。
僕は村人たちに訴えた。
これは呪いのせいなんかじゃない。
PH指数が〜、酸性とアルカリ性が〜、土壌に塩害が〜――と。
うん、黙殺されたね。
頭のおかしい奴扱いされた。
僕はどうしたらいいんだセーレス?
「タケル、言ってること、わかんなーい」
何がおかしいのか、村人たちから痛い子扱いされる俺を見て、セーレスはゲラゲラ笑っていた。ちくしょう、唯一の味方だと思っていたのに……!
「タケル、話難しい。私も、わかんない」
なるほど。それもそうだな。
地球にいた頃の知識をそのまま伝えても理解はされない。
現地の獣人種たちにもわかるように、噛み砕いて伝えないと。
というわけでセーレスに協力してもらった。
「えー、ここにおわすは世にも珍しいエルフの少女! 彼女は水の精霊の声を聞くことができます。……セーレス台詞(小声)」
「わ、私、アリスト=セレス。天気快晴、波は高めでも、海穏やか。水の精霊、皆の漁、見守ってる……!」
おお〜、と老若男女の獣人種たちが集まってきた。
猫耳、犬耳、羊みたいな角を持ったのから拍手が湧く。
でもどんな世界でもひねくれたやつはいるものだ。
「精霊の声が聞こえるなんてホントかよ!」
はい来ました。いちゃもんつけてくるやつ。
セーレス、見せてやってくれ。
「はい!」
セーレスの長い金髪が藍色の蛇となり、それが数百、数千匹の束となって広がる。
その光景は魔の森の
「ということで、彼女は正真正銘の水の魔法使いだ! その彼女がこの村に立ち寄ったとき、水の精霊から神託を聞いたそうだ。みんな聞きたいか!?」
先程まで話半分で聞いていた村人たちの目つきが俄然変わる。
もったいぶらずに言え、と無言の圧力が僕に殺到する。
「なんとそれはこの土地の呪いを解く方法だ。呪いを解くためには村人の協力が不可欠である。誠意ある村人たちの姿を見せつることで、水の精霊が少しずつ、この土地を豊かにしてくれるそうだ!」
おお〜!
拍手喝采だった。
僕の言葉には全く耳を貸さなかったのに、精霊の言葉を語ったらあっさり信じた。
もしかしてこの世界って精霊詐欺とか流行ってたりして。
*
まず行ったのは実験的に小さな農園を作ることだった。
限定された土地を開梱し、そこに川の上流から水を引いた。
真水を流し込んで土壌の塩分を中和するためだ。
村人たちには水の精霊の加護により、土地を浄化すると適当ぶっこいた。信じた。ちょろい。
川の水を引く作業にはセーレスの魔法が大いに役に立った。
普通なら何年も掛かる治水整備も、彼女の特別な魔法を用いれば、大量の水が意思を持つように地面を掘削しながら流れてくる。
その光景は村人たちの度肝を抜いた。僕も度肝を抜かれた。
そしてセーレスが精霊の声を聞けるというのを疑う者は誰もいなくなった。
また、僕は村中に頭を下げながら、卵の殻をもらったり、海岸で貝殻を集めたり、廃棄処分される魚の骨などを収集した。
「儀式、儀式をするから」と言ったが、要するに炭酸カルシウムがほしかった。これらは土壌の栄養になるのだ。
また僕は街中に頭を下げながら卵の殻をもらったり、海岸で貝殻の骨格を集めた。
これらに含まれる炭酸カルシウムが土壌の栄養素になるためだ。
そうして、僕の目論見通り、呪われた土地と呼ばれていた農園に、初めて植物が芽吹いた。この事実は村で大評判となり、セーレスだけでなく、僕の話にも耳を傾けるヒトが大幅に増えた。
小さな農園で蓄えたノウハウを使い、さらに大きな農園を作ることとなった。
麦を半分と、もうひとつ、米によく似た種籾を蒔くことにした。
精霊の祝福を受けた水、と嘯いたセーレスの作り出した水をまくと、作物は著しく成長し、僅か三ヶ月ほどで収穫することができた。
確かな手応えに村人たちは大喜びで、その頃にはすっかり僕とセーレスは仲間として受け入れられていた。
*
大規模農園から収穫できたのは、本当にお米とそっくりな穀物だった。
脱穀して鍋で炊いてみると、やや粒は不揃いではあるが、地球で食べた懐かしい米の味がした。
村人たちも、魚との食べ合わせがいいと、その米もどきを主食にするようになる。こうして第二第三の農園開発が決定した。
*
セーレスの強い希望により、鶏とよく似たクルプを飼育することになった。
籾殻や麦くずなどを餌としながら、クルプはすくすくと育ち、まんまるとした卵を生むようになった。
僕は漁村の一部で造られていた魚醤を手に入れ、セーレスに卵かけごはんを教えた。
「――こ、これはっ!?」
彼女はものの見事に虜となり、放っておけば毎日三食卵かけご飯ばかり食べるようになってしまった。
*
また米もどきの需要拡大により、商売上がったりだよ、という村のパン屋さんのために、卵を使ったマヨネーズ、ミャギ乳のバターなどの作り方を教えた。
また、パン自体の品質を向上させるために、柑橘類を発酵させ、酵母になり得る菌も作り出した。
さらに隣町まで魚を売りに行けるよう、燻製の方法も村人たちと試行錯誤した。
全てはそう、地球で得たムダ知識のお陰だった。
*
数年が経った。
村はいつの間にか町になっていた。
うまい食べ物がある、という情報は時間がかってでも確実に伝播する。
さらに精霊の声に従って呪われた土地の浄化をして得られた作物というのは近隣一帯のブランドとして定着した。
魚と米を使った定食は旅人の間で大評判となり、甘い香りのする柔らかいパンと魚に衣を着けて揚げたフィッシュサンドは連日売り切れ続出の人気商品となった。
そうして今度、周辺の町が共同出資し、新たな街道の整備計画が発令された。
僕たちの町はやがて大きな街となり、交易の拠点として機能していくことになる。
*
そうして気がつけば、十年という月日が経っていた。
僕とセーレスは結局東國へは行かず、街に定住することにした。
僕は農園の最高責任者となり、セーレスと結婚した。
獣人種はヒト種族よりも暖かかった。
最初こそ警戒心が強いものの、一度懐に入ってしまえばどこまでも親切に――家族のように接してくれる。
セーレスがエルフということを気にする者は誰もおらず、僕との間に生まれた子供も長い耳をしていたが、街の人々は我が子とのように喜び、祝福してくれた。
地球にいた頃は考えられなかった生活だ。
この世界に来て、セーレスに出会えて本当によかった。
パルメニさんとロクリスさんも笑っている。
………………あれ。
ふたりはリゾーマタにいるはずなのに、どうしてこの街に。
ああ、そうそう。
リゾーマタはバガンダの過度な圧政になり、領地を出奔するものが続出。
それで、獣人種領での僕の噂を聞いて、ふたりとも引っ越してきたんだった。
パルメニさんは相変わらず冒険者ギルドで働き、ロクリスさんは食堂を開き、魚介を使ったメニューを考えている、とか?
*
「ああ……しまった、な」
かすれた声が漏れた。
「せっかく、うまく……いってたの、に」
妄想が。夢が。
全て霧散してしまった。
現実に戻されてしまった。
痛みも恐怖も忘れていたかったのに。
僕は薄汚い地下牢で目を覚ます。
叶うなら、もう一度同じ夢を見たい。
誰にも害されることのない幸せな夢を。
「セーレス……」
無事でいて欲しい。
どうか僕のような目には遭わないでいて欲しい。
僕はいま――本物の拷問を受けていた。
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