第28話 死と再生と誕生④ 招かれざる新領主
*
翌日の昼過ぎ。
河で洗濯などの仕事を片付けた僕らは、あばら家の手前で立ち止まることとなった。僕らの家の前に、あまりにもミスマッチなモノがあったからだ。
あばらやの前には白馬に引かれた豪奢な一台の馬車が停まっていた。
周りにはリゾーマタの紋章をつけた銀甲冑の騎士たちが整然と並んでいる。
僕は洗濯かごを抱えたまま、セーレスの肩越しに彼らを見つめ続ける。
すると、騎士のひとりが恭しく馬車の扉を開けた。
むわっと、甘ったるい香水の匂いがここまで漂ってくる。
馬車の中には、いかにも貴族然とした派手派手なドレスをまとったお姫様が座っていた。
「うわ」
思わず、僕は声をあげていた。
年頃は四、五十代だろうか。
どうみても厚化粧のおばさんが、お姫様然としたドレスで着飾って座っていた。
正直言って気持ち悪いババアだった。
もっと実齢に合った装いというかコーディネイトもあるだろうに。
まるで自分の娘の服を母親が無理して着こなしているような、そんな印象を受けた。
「いやらしい」
馬車の中から、そんな蔑む声がした。
「まさか本当にヒト種族の男を誑し込んでいるとは」
は?
「由緒正しきリゾーマタ唯一の汚点。今までは父の温情でここに住まうことを許可してきましたが、これからはそうはいきません。またぞろ半端者のエルフの子を作られては我が領地の沽券に関わりますからね」
いやいやいや、突然、何を言ってるんだこのババアは?
「まったく、母娘そろって汚らわしい存在だわ」
ババアがそう口にした途端、セーレスの周りが揺らいだ。
次の瞬間、彼女の美しい金髪が、地を舐める大蛇のごとく、数十本にも及ぶ水の蛇に変化した。
「お母さん、汚く、ない」
未だかつて聞いたこともないようなセーレスの声。
本気で怒りに震えるドスの効いた声音だった。
まるでゴルゴンのように数十本もの水の大蛇を揺らめかせセーレスが一歩を踏み出す。
慌てたのは騎士たちだ。
急ぎ剣を引き抜き、馬車の前に人の壁を作り出す。
狼狽する騎士たちとは対照的に、女は心底汚らわしいものを見るように、馬車の中からセーレスを睨んでいた。
さて、やっておしまいなさいセーレスさん、というわけにもいかないだろう。
彼女がヒトを傷つけるのは見たくないし、それと同じくらい侮辱されるのも我慢がならない。
「セーレス」
彼女の肩に手を置く。
振り返った彼女の目には涙が浮かんでいた。
それでも、僕は首を横に振った。
セーレスはうなだれ、肩を落とす。
途端、孔雀の羽のように広がっていた水の大蛇が地に落ちた。
えー、こほん。
「お、お初、お目にかかり、ます」
正直、しゃべるのは苦手だ。
町でも、良くしてくれるパルメニさんやロクリスさん以外とはしゃべってはいない。
それがこんな敵意をむき出しにしてくるババアが相手なんて。
でもここは逃げていい場面ではない。
一歩、セーレスの影を越える。
セーレスのため、セーレスのため、セーレスのため……そう自分に言い聞かせれば、口は勝手に回ってくれた。
「リゾーマタ、新しい領主様と、お見受け、します」
ババアは初めて憎しみ以外の感情を僕に向けた。まあ多分にゴミを見るような目だったが。
「東國から、やってきました、冒険者、ナスカです」
「東國? エストランテから?」
ふりふりがいっぱいついた扇子で口元を隠しながらババアが呟く。
「森のなか、ゲルブブ、襲われました。彼女、助けてくれました。僕、感謝してます」
セーレスは水の大蛇をまだ消してはいない。
剣を構えた大勢の騎士を前にして怖いという気持ちは当然ある。
でも領主と事を構えることがマズイという自覚もあった。
ここはヒトである僕が場を収めなければ。
「本日は、このようなところまで、ご用件は、なんでしょう?」
「ふん、少しは話せそうね。そこのあばずれとは違って」
なんで余計なことを言うんだ――、そう思ってセーレスを見やるが、彼女は首を傾げていた。
よかった。彼女は一生スラングとは無縁でいて欲しい。
「もう間もなく領内に触れが出されますが、前領主である父、リゾーマタ・デモクリトスが亡くなりました。当主の座は保留となっていましたが、代官が到着し、私が世継ぎを産むまで、対外的に私が領主を代行することとなりました」
んん? 世継ぎ、いないのか?
養子とかじゃなく、このババアが産むって?
そりゃあ無茶無理無謀ってものだろう。
この魔法世界では、成人が十五歳だ。
どんなに遅くとも女性は二十歳前後に出産するという。
加齢とともに出産の母体リスクが桁違いに増えていくからだ。
経済的に裕福な家なら治癒魔法師などを呼んで治療をしてもらえるようだが、リスクがあることにかわりはない。
それなのにこのババアが産むって。
そもそも相手がいるのだろうか?
どこかで冷や飯食ってる貴族の次男坊でも遠慮するだろう。
「したがって、今まで父が放置していた諸問題にも私が当たることになりました。その最たるものが、はぐれのハーフエルフの存在です」
畳んだ扇子をビシっと突き出す。セーレスを指しているようだ。
「これ以上、あなたの存在を放置することはできません」
うん、やっぱりというかなんというか。
予想の域を出ない展開だ。
でもまあ、そうなったときの対応は考えている。
あとは少しの時間を僕が稼ぎ出せればいいだろう。
そう考え、口を開きかけたとき、まったく予想だにしない言葉を耳にした。
「リゾーマタの領主の名において命令します。そこなハーフエルフの身柄は私、リゾーマタ・バガンダに帰属し、以後すべての生殺与奪を捧げるものとします」
「はい?」
なんだって?
「聞こえたのなら大人しく縛につきなさい」
「ちょっと待って、ください」
「冒険者風情に用はありません。またどこぞに流れるがいいでしょう」
「違います。あなた、彼女、どうするつもりです?」
「言う必要を認めません」
「彼女を、家族として迎える、違います?」
「なぜ私が汚らわしいハーフエルフを係累として迎えなければならないのですか」
「それでも彼女、使い道ある、ですか?」
「ふん、本当に小賢しいですね冒険者というのは」
「わかり、ました」
僕はふう、と溜息を一つ。
後ろのセーレスに振り返る。
彼女は眉を寄せ、口をへの字にしていた。
いまのやりとりがわからなかったのだろう。
正直僕もわからない。だが交渉が決裂したことはわかる。
だから――
「セーレスさん、やっておしまいなさい! あ、殺しちゃダメだよ」
僕は
一月ほど前から、彼女は僕に
いまだに殆どわからないらしいが、なんとか意味は伝わったようだ。
騎士たちは僕の叫んだ言葉がわからないので棒立ちのまま。
その足首に水の大蛇が絡みつき、軽々と持ち上げる。
騎士たちは抵抗することもできず、はるか森の彼方へと放り投げられた。
まあ死にはしないだろう。
あっという間に、頼みの騎士たちを失い、バガンダと名乗ったババアは唖然としていた。残ったのは馬車の御者台に座る昨日の老騎士だけだ。
「な――、なにをっ! この私の決定に逆らうというのですか!?」
「はい」
オーイエスだぜ。
「なッ!?」
ブルブルと震えながら、バカンダは扇子をへし折らんばかりに僕を睨みつけてきた。
「理不尽、命令、従う、ダメです」
「こ、この――、たかだか冒険者風情がいい気になって! 絶対に許しません! 必ず後悔することになりますよ!」
ツバを撒き散らしながら吠えるバガンダに、セーレスが水の大蛇を差し向ける。
ヒィ――と、小さな悲鳴を上げてバガンダは急ぎ馬車の扉を閉めた。
「どうぞ、お引き取り、ください」
「くっ――出しなさい!」
バガンダの金切り声に御者台の老騎士はうなずき、手綱を握り直す。
その視線が僕を見ていた。
「え?」
馬車がゆっくりと進み始める。
獣道にガタガタと車輪を取られながら遠ざかっていく。
「タケル」
「うん、大変なことになったね」
言いながら連れ立ってあばら家へと入る。
僕は去り際に、老騎士が僕に向かって口を動かしたのを反芻していた。
な・う・と――
それはヒト種族の言葉で『逃げろ』という意味ではなかったか。
そしてその言葉の意味を真に理解した時は、すべてが手遅れになっていた。
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