第27話 死と再生と誕生③ 葬送〜水辺にて

 その日の夜。

 晩餐を摂った僕とセーレスは、水辺へとやってきていた。

 河の流れが穏やかな場所を選び、セーレスは何かの儀式をするという。


 河辺に立つセーレス。彼女の周辺の空気が揺らめく。

 何度か見たことがある。彼女が魔法を使う時に起こる謎の現象だ。

 いつもならすぐに消えるその揺らぎは、彼女の手の中に寄り集まり、そして清い流れの中へと沈められる。


 するとどうだろう、河全体――見える範囲全てが輝き出し、水面から幾つもの淡い光を纏った水球が現れ、ゆっくり空へと上り始める。

 十や二十では効かない。百――千ちかくはあるかも。


 なんだか、ヒトの魂が天へと帰っていくようだった。


 セーレスはもうずっとずっと昔に、このリゾーマタへと、お父さんを訪ねてやってきたらしい。その理由はエルフの領域で一緒に暮らしていたお母さんが亡くなったためだ。


 セーレスのお母さんはヒト種族と許されざる恋をし、セーレスを産んだ。

 産んだことでエルフたちからは迫害され、セーレスとふたり、ずっと森の奥に隠れて暮らしていたそうだ。


 お母さんが亡くなったことを知らせるため、そして唯一の肉親である父を頼るべくセーレスは旅に出た。僅か12歳の時だった。


 それから数年かけて彼女は大冒険をした。

 カロア海域を渡り、デルデ高地を抜けて、魔の森を踏破した。


 それは父が通った道を逆に辿る行為。

 ヒトの世界ではエルフの領域は世界の果て。

 もしもそこまで生きてたどり着けたものがいれば、そのものは勇者と呼ばれる。

 それほど過酷な道のりを、幼いセーレスは旅したのだ。


 ようやく再会した父はリゾーマタを治める領主となっており、もうすでに別の女性と結婚していた。当然ヒト種族とエルフのハーフであるセーレスのことなど、到底受け入れることなどできなかった。


 それでも、父親としての最後の情なのか、セーレスが領地の片隅に住むことだけは許し、領民に不干渉を敷いた。


 奇しくもヒト種族の間では、人類種神聖教会アークマインが台頭し、他種族排斥の世論が高まりつつあった。


 それでもセーレスのお父さんは不干渉の触れを取り下げることはなかった。


 でも、それもおしまい。

 昼間あばら家にやってきた老騎士は、昔から領主に仕えている最古参で、領主の命令で長年セーレスを見守ってきた唯一のヒトだった。


 そのヒトから告げられたのは父の死と無情な言葉。

 新しい領主は決してセーレスの存在を許さないだろうと。

 身の振り方を考えなさいと、警告をしに来たのだ。

 

 夕餉の席で、どうにかそこまでのことを聞き出せた僕は混乱していた。

 セーレスがひとりぼっちなのは知っていたが、でもまさかそんなに長くひとりでいたなんて思いもしなかった。


 若くして領主となったお父さんが年老いて、今日亡くなるまでずっと。

 ヒトの人生の最盛期から終焉まで。それは多分五十年以上の月日だろう。


 そんなに長い時間、彼女は孤独だった。

 今と変わらない慎ましい暮らしをずっとずっと続けてきたのだ。


 以前、彼女から聞いたことがある。

 それは一度だけ正体を隠して町まで行ったときの話だ。

 あまりの孤独に耐えられず、誰かの顔が見たいと足を向けてしまったのだと。


 結局正体がバレ、衛兵を呼ばれてしまった。

 その時の人々の恐怖に引きつった表情が忘れられず、もう町には行くまいと心に誓った。


 でも本当は町で色々なヒトとおしゃべりをしたかった。

 そのためにヒト種族の言葉も勉強した。

 でもそんな事件が遭ったため、話す機会もなくなり、以来ずっと片言のまま。

 たまに様子を見に来る老騎士とも会話などあるはずもなく、一方的な伝達ばかり。

 僕と出会うまで、何十年もの間、言葉を発することさえなかった。


 それがセーレスがこの森で暮らしてきた全て。

 僕はその話を聞いて、なにも言えなかった。

 想像していたレベルを軽々と越えていて言葉がでなかったのだ。

 そんな僕をセーレスは寂しそうに見つめたあと、水辺へと誘ったのだった。


 *


 幾百、幾千もの光が空へと昇っていく。

 これは水辺に溶けた様々な生物たちの魂――それこそ河辺で力尽きた獣や、水魚に至る前での小さな雑霊たちを送っているのだという。


 やっぱりセーレスの魔法は特別だ。

 彼女以外に魔法を使っているヒトを僕は見たことがないが、それでもセーレスが今やってるようなことが他のヒトにもできるとは到底思えない。


 セーレスは河に両手を差し伸べるように伸ばし、昇っていく輝きを見守っている。

 この中に彼女のお父さん――リゾーマタの領主だったヒトの魂は含まれていない。

 婚外子であるセーレスは認知されず、身内としても認められないため、葬儀などにも参加することはできない。


 ただ死んだという事実だけを突きつけられても、到底納得することなどできはしない。だからこれは、事実をただ受け入れるための、自分のためだけの葬送の儀式なのだ。


「セーレス」


 彼女は答えない。

 だが閉じられたまぶたがかすかに震えた。


「こ、これからどうするの?」


 もう領主だったお父さんの守りはない。

 新しい領主が誰になるかはわからないが、今まで通りの生活はできないかもしれない。


「エ、エルフの領域に戻るの……?」


 僕がそういうと、セーレスは静かに首を振った。


「ここ、いちゃダメ、て、お母さん……」


 ここにいてはいけない。

 亡くなる直前、彼女の母はそう言い残したらしい。

 セーレスもその言葉に従い、旅立つことを決意した。

 それにしても……本来不老で永遠に近い寿命を持つエルフも死ぬことがあるのか――


「お母さん、ずっと言ってた。お前、とくべつって」


「特別って、セーレスの魔法のこと?」


「わから、ない」


 僕はとっさに普段から思っていたことを口にしていた。

 やっぱりセーレスは普通のエルフとは違うのかもしれない。

 その特別な力のせいで、彼女に災いが降りかかることを危惧したのかも……。


「タケル」


「うん?」


「ヒト、死ぬと、ヒト、どうする?」


 そうは言われても、僕にはこちらの世界の葬儀はわからない。

 なのでとっさに胸の前で手を合わせ、空へと昇っていく御霊たちに黙祷をする。

 それを見たセーレスもまた、見よう見まねで手を合わせ、目をつぶった。


 リゾーマタの領主。セーレスの実父。

 彼女が森に住まうことを許し、不干渉を敷いていた張本人。

 ヒトの親として、十全に役割を果たしたとは言い難い。

 でも、それでも難からず娘のことを気にかけていた、と思いたい。

 そう思いながら僕は、光が昇り続ける河辺で、いつまでも手を合わせ続けた。


 そして、その翌日。

 招かれざる客が、僕達のあばらやへとやってきた。

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