第24話 働こうよ④ 報告と同衾
*
「というわけでロクリスさんに誘われたんだ」
都合四度目。町へでかけたその日の夜。
僕は夕餉の席で、町であったことを洗いざらいセーレスへと報告していた。
これは毎度のことだ。
彼女の居ないところで僕がどんなことを言われ、何をしてきて、何を感じてきたのか。全てを包み隠さず彼女へと報告している。
別段強制されたわけではない。
ただそうしないと、出迎えてくれる彼女の笑顔に翳りのようなものが差すのだ。
そして今日の報告は、やはり彼女の顔を曇らせる結果となってしまった。
町の事情、というかこの世界の食文化というものをロクリスさんから聞いた限りでは、かなり閉鎖的な印象を受けた。
基本的に素材は素材のまま、塩、胡椒、香草で味付けをする至ってシンプルなものが大半だった。素材の扱いは日本料理に近いが、ダシやみりん、醤油といったうま味調味料がないので、味は単調になりがちだ。
また乳製品というものが流通しておらず、料理に活用することも殆どないそうだ。
ミャギの乳は滋養にいいので、そのまま好んで飲む客のために仕入れているらしい。
「あう、タケル……?」
さっきまでオムレツを口いっぱいに頬張り、ごきげんの様子だったセーレスから、笑顔が消えいていた。
ああ、今晩はせっかく、昼間のオムレツと同じものを作ったのに。
ミャギの乳と瓶入りの植物油。甘やかな香りとコクのミルク、そして癖のない油のおかげで、まるでデザートのような口当たりの一品が仕上がった。
そんな最高のオムレツを味わって、翡翠の瞳が夜空の星々のようにキラキラと輝いていたのというのに、今の彼女は膝の上にオムレツが入った木皿を置き、しょんぼりと項垂れてしまっていた。
「断ったよ、もちろん」
魔法世界の料理とは栄養補給の意味合いが強く、庶民の娯楽になり始めたのはここ数十年ばかりだという。
趣向を凝らした贅沢な料理とは、やはり王侯貴族特有のもので、ロクリスさんはお父さんが領主お抱えの料理人だったらしい。
そうやって家庭料理の域を出る料理は、特別な立場の係累しか学ぶことができず、庶民は貴重な食材を使って料理の研究など無謀な冒険は一切しないのが普通だという。
「僕の帰る家はここだからね。町の食堂でなんて働いてられないよ」
僕は料理のプロじゃない。
一人暮らしが長くて、一通り家事ができるだけだ。
中学のときは休みがちだったので、給食ではなく自前の弁当を作って持参していた。
作るおかずはもっぱら卵焼きだった。
最初は殻が入った焦げ目だらけの酷いものだった。
幼馴染の心深がつまみ食いの度に文句を言うもんだから自然とうまくなっていったのだ。
「あくまで町へは必要な食材を買い足しに行ってるだけだから。あんまり入り浸ると僕の正体がバレちゃうかもだしね」
この世界ではない、別の世界からの異邦者。
セーレスにも詳しいことは話したことはない。
話したところで彼女は何も気にしないだろうが、今はそのタイミングではないと思う。
「だから、まあ、これからもよろしくお願いします」
僕が断りを入れると、ロクリスさんは「そうか」と静かに頷いた。
そうして頭を下げてきたのだ。
どうかオムレツの作り方を俺に教えてほしいと。
親子ほども年の違う人に頭を下げられたのは初めだった。
同時に、こんな立派な店を切り盛りしている人に頼られるのが純粋に嬉しいと思った。僕は二つ返事で了承し、オムレツの作り方を手ほどきした。
と言っても、流石はプロ。僕が焼いているのを見て手順は覚えてしまっていた。
僕が教えたことといえば、フライパンの温め具合と油をケチらないこと。
あとはトントンのコツくらいなものだった。
オムレツは基本の料理で、いくつもバリエーションが存在する。
味に変化が欲しければ、赤いスープに使っている酸味の強い野菜を煮詰めてソースにすればいいし、食べごたえが欲しければ、火を通したひき肉やボイルした野菜を入れるのもありだとアドバイスしておいた。
「こいつはすごい料理に化けるぞ!」
興奮した様子のロクリスさんは、料理魂に火が点いたようで、危なげなく次々とオムレツを焼いていた。あの分なら自分で色々と新しいメニューを考えつくだろう。
その手ほどきのお礼として、ミャギの乳と瓶入りの植物油をもらったのだ。
ガラスの瓶は貴重品らしく、基本的に使いまわしで、乳と植物油が欲しければいつでも来い、と言われてしまった。ありがたや。
「タケルぅ」
「うわッ!」
気がつけばセーレスの顔が直ぐ目の前にあった。
びっくりして木皿を取り落としそうになる。
ゆるゆると、彼女の手が伸びてくる。
まるで割れ物を扱うように僕の首に腕を回してくる。
「タケル、ごめん、でも……!」
絞りだすような声で、彼女は僕に縋り付いてきた。
セーレスが何らかの事情で人間の領地に住み着いているエルフだということはわかっている。
彼女が今一番恐れていることは、自惚れでもなんでもなく、僕がヒト種族の町に行ったまま帰らなくなってしまうことだ。だから僕が離れて行かないことが嬉しくもあり、また自分が足かせになっていることに罪悪感も感じている。
でも僕は根っからの引きこもりで、ヒトとのコミュニケーションも苦手だ。
パルメニさんやロクリスさんはいい人だけど、正直ずっといたら疲れてしまうだろう。
それでも僕が町に通い続けるのは、やっぱりセーレスのためなのだ。
人間に忌み嫌われ、町に足を踏み入れることができない彼女の役に立ちたい、喜んでもらいたいと、そう望んでいるからなのだった。
「ほ、ほら、せっかくの料理が冷めちゃうよ。食べよう」
「もう、少し」
もう少しってどのくらい?
心地のいい重さと温もりに、こわばっていた身体から力が抜けていく。
でもそれとは裏腹に胸の奥はドキドキし始め、全身が熱くなっていく。
もっと頼りがいのある男にならなければ。
そうして彼女を幸せにしなければ。
地球にいた頃は絶対思いもしなかったことを、僕は静かに決意していた。
*
その日の夜。
焚き火も燃え尽き、就寝の時間だ。
干し草を敷いた地面に大判の布を被せ簡易のベッドにしている。
慣れればなかなかの寝心地だ。
あばらやの周囲では虫の声が木霊し、天井を見上げれば崩れかけた屋根の向こうに満天の星空が見える。
ムートゥ――ふたつの月は地球で見るものより倍以上も大きく、辺りが完全な闇に閉ざされることはない。
どうやら完全な新月はないらしく、ふたつの月のうち、どちらか片方は必ず空にあるそうだ。
それにしても。
ああ、どうしてこんなことになってしまったのか。
「タケ、ル……」
何故か僕はセーレスの腕の中にいた。
今僕は彼女に抱きしめられながら寝ていた。
告白すれば、最近寝る時、セーレスが近いなあと思っていた。
本来少し離れて寝ていたはずなのに、その距離は少しずつ近づいてきて、ついに今日ゼロになった。
夜中、不意に目覚めたら、自分の頭が抱きしめられていて、すぐおでこのところに彼女の吐息を感じた。暗くて見えないが、もしかして今目の前にはセーレスのむ、胸が……。
(お、落ち着け、落ち着けよ僕…………無理だぁ!)
干し草の匂いに混じって甘やかな彼女の匂いを胸いっぱいに吸い込む。
吸い込んだ途端、頭がクラクラした。ちっぽけな心臓がドクドク鳴ってうるさいほどだ。
町へ行ったこと、彼女の事情を知ってしまったこと。
それでも僕は変わらず、セーレスと一緒にいることを選んだ。
町のヒトにも気に入られたが、それでも僕はこのあばら家にいることを選択した。
きっと、それはセーレスにとって嬉しいことで。
少しずつ詰めてきていた心の距離を、一気に縮めてしまうくらい、今日の報告は感激することだったのだろう。
「う……ん……タケ、ル……」
(ふおおおおっ!?)
息が苦しい。顔全体になにか柔らかいものが押し付けられる。
確かめるまでもなくそれはセーレスのむ、胸で……。
あ、ウソ、思ってたより全然彼女、おっぱい、あるねー……。
(でも動けない……?)
頭はガッチリとホールドされて、身動きの取りようがない。
彼女を起こしてしまおうかと思ったが、それは何故かできなかった。
(苦しい、でも離したくない……ずっとこのままで……)
それはあら手の拷問のようだった。
苦しいけど嬉しい。
離れたいのに離したくないという。
(こ、これだけ近いんだから不可抗力だよな。ちょっと目の前の柔肌にキ、キスくらいは……)
遅ればせながらそれは僕の性の目覚めを促した。
僕にとって一番近かった異性は幼馴染の心深だったのだが、彼女は気の強い性格をしていて、正直恋愛の対象とはならなかった。
でも、セーレスなら。
この泣き虫なエルフの女の子なら。
僕は――
「おかあ、さん……」
声が聞こえた。
頭の上、セーレスが僕以外の名前を呼んだのだ。
グスっ、と泣いている声が聞こえる。
どうやら起きてはいないようだ。
寝ながら泣いているみたいだった。
(そりゃあないよ……)
無理だった。
母が恋しくて泣いてる女の子に助平心など抱きようがない。
もしかしたら何年もの間、彼女は泣けていなかったのかもしれない。
ふと人肌を求め、その温もりに安堵し、お母さんのことを思い出してしまうくらい、彼女は孤独だったのか。
(お母さんは多分、いない。じゃあお父さんも、いないのか……)
どうしてセーレスがこの辺境に住んでいるのか。
彼女の両親はどこでどうしているのか、生きているのか死んでいるのか。
それすらも僕は知らない。
(セーレス……僕は、もっとキミのことを……)
知りたいと、そう思いながら僕は、深い眠りについていた。
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