第15話 町へ行こう③ 涙のわけと約束

 森辺と街道の分岐路まで戻ってきた僕は、周囲に誰も居ないことを確認するとセーレスの手を離した。


 手近な木陰に背負い籠を下ろす。

 僕は未だに俯いたままのセーレスの前に跪き、無言で額を草むらに擦り付けた。


「ごめん、セーレス!」


 それ以外の言葉が見つからなかった。

 どうして彼女が自給自足の生活をしているのか。

 どうして彼女がたったひとりで暮らしているのか。

 どうして彼女が町に行くのをあれほど嫌がったのか。


 僕はその理由をどれも深く考えることをせずに、ただ自分の好奇心にのみ従い、彼女を傷つけたのだ。きっとこの世界のエルフという存在は、普通の人間にとっては忌避すべき存在なのだろう。


 彼女はなんらかの事情で、ヒトの町からほど近い水辺に住み着き、極力誰にも頼らないようたった一人で暮らしていたのだ。


 彼女一人ならばなんの過不足もなかったその生活を、僕という存在が壊してしまった。不用意にも彼女を嫌うヒトの町に連れて行き、彼女をおぞましい目で見る衆人の前に晒してしまった。


「キミはあんなに嫌がったのに僕がバカだった、本当にごめん!」


 土下座なんて、地球にいた頃にだってしたことはない。

 テレビでお笑い芸人がしたり、お芝居として見かけることはあっても、そんなのはポーズだけで全部ウソだと思っていた。


 でも、人間、本当に心の底から相手に詫びたいと思ったとき、これ以上のやり方はない、と思う。僕はそれほどまでに後悔し、彼女に対する申し訳ない気持ちでいっぱいになっていた。


 ポタ、ポタポタ、と草地を叩く雨音が聞こえる。

 恐る恐る見上げると、セーレスが翡翠の瞳から大粒の涙を流していた。


「タ、ケル」


「セーレス……」


 フラフラと、彼女はその場に膝をついた。

 長い耳はしゅんと萎れ、真っ赤に上気した頬の上を涙は次々と滑り落ちていく。


「ごめん、さい」


「え?」


「私、みんな、嫌われ、タケル、イヤ……? タケルも、キライ……?」


 何を――、何をバカなことを――、と思った。


 そして僕は、自分が本当に何もわかっていなかったのだと理解した。

 彼女が町に行くのを嫌がったのは、町の人達に白い目で見られるのが嫌だったんじゃない。そんな人々の反応を見て、僕が変わってしまうのが怖かったんじゃないか。


「タケル、ヒト……、私、エルフ……、一緒ダメ? 町、いい?」


 こんなことってあるんだろうか。

 金髪のエルフなんていったら、ネトゲの世界では憧れの存在で。

 清く正しく賢く、そして美しい。

 誰からも好かれて、嫌いになるヤツなんているはずがないのに。


 それなのに今、僕の目の前にいる本物のエルフの女の子は、近郷近在すべてのヒトから嫌われているのだ。町の人々の様子を見れば、おそらくどこの町に行っても同じだろう。


 そしてそんな彼女を心の底から好きだと言えるのは、うぬぼれでもなんでもなく、本当に僕だけしかいないのだ。


 リアルの友達は一人も居ないし、女の子と付き合った経験すらないけど、彼女を悲しませないために、ありったけの勇気を振り絞ってその手を取った。


「ぼ、僕はセーレスと一緒がいい。セーレスとず、ずっと一緒にいるよ」


 細い手だ。毎日荒仕事をしているのに、肌荒れもささくれもシミもない。

 ピンク色の桜貝みたいな爪が奇跡みたいな形の良さで指先に乗っかってる。


 彼女の方から僕に触れることはあっても、僕の方から彼女に触れるのは初めてだ。

 顔が半端じゃなく熱くなっていくのがわかる。


 セーレスはびっくりしたように目を瞬かせ、恥ずかしそうにもじもじとしたあと、少しだけ腫れぼったくなった目で、ようやく笑ってくれた。


「じゃあ、帰ろっか」


 そう言って立ち上がろうとすると、セーレスは僕の手を握りしめたまま首を横に振る。そして再び町の方を指さした。


「え、また町に行くの? いいよもう。行く必要なんてないって」


 調味料や調理器具がなくたって今まで十分に生活出来ていたんだ。

 贅沢は敵。堅実健康をモットーに生きていけばそれでいいのだ。


「タケル、必要なもの、買う。私大丈夫、待ってる、ここ」


 森と街道の分岐点。

 エルフの住処とヒトの町の境目。

 帰る場所さえちゃんと定まっていれば、決して迷うことはない。


 彼女があんな想いをするくらいなら、町なんていかなくてもいいが、僕一人、用事だけ済ませてさっさと帰れば問題はないか。


「わかった。できるだけ早く帰るから、待ってて」


「うん。待つ、ずっと」


 肉の塊が入った背負い籠は先程よりもずっと軽く感じた。

 何度も振り返り、彼女の姿を確かめながら、僕は再び町を目指した。

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