町へ行こう編

第13話 町へ行こう① 生活の質と彼女の不安

「このあたりに町ってあるのかな」


 それは、僕の不用意な一言が発端となった。

 アリスト=セレス――セーレスと暮らし始めてもう一月以上。

 今日で32日目になる。


 カレンダーもないサバイバル生活でどうしてそんなに正確に分かるのかといいうと、実は彼女の目を盗んで、時々スマホを起動させているのだ。


 時計の電波は拾えなくとも、内部クロックは進み続けている。

 それを確認しながら、細々と日記をつけたりしていた。


 ディスプレイ光度を最低にして、CPUも節電モード。電波捜査は当然無駄なのでオフ。時計もセルフモードにするのを忘れない。そうしてなんとか保たせていたが、ついに先日電池残量が15%を切った。起動できてもあと二回、といったところだ。


 バッテリーがなくなってしまったら、僕も覚悟を決めたほうがいいもしれない。

 いっそセーレスが見ている前で穴を掘って埋めてしまうのがいいだろう。


 最近では、めっきり地球のことを思い出すことも減ってきた。

 毎日やることはたんとあるし、夜は時間の許すかぎり、セーレスにこちらの言語を習っている。地球にいた頃に比べれば格段に健康的で健全な生活を送っていると言えるだろう。


 サバイバル生活のおかげか、最近では目に見えて体つきが変わってきた。

 先日、水浴びの際、水面に写った自分の引き締まった身体にびっくりしたものだ。


 *


 さて。

 そんな生活を続けながら、僕がずっと疑問に思っていたことを今、彼女にぶつけてみたのだ。


 即ち町はないのかと。


 基本的にここでは自給自足の生活だ。

 セーレスの住まいは森と水辺と大平原からほぼ等距離の場所にある。

 森には恵みの果実が多く、食べるのには決して困らない。

 木皿や木匙、歯を磨くための歯木しもくなどは彼女が作ってくれる。


 だがあばらやの中を見渡せば、彼女の手によるものではない物品が幾つか転がっている。その最たるものが鉄製の鍋だった。基本的な調理が串に刺して焼くという域を出ないので、今まで使う機会がなかったのだ。


 というのも先日、僕たちはゲルブブという大物の獲物を仕留めたことで、実は少々困った事態に陥っていた。


 一トンに届こうかという巨大四足獣を、僕とセーレスではとても食べきれず、持て余してしまっているのだ。当然、というか、丸ごと一頭を独り占めするのではなく、僕達が何とか血抜きを施し、切り取って運ぶことに成功したのはごく一部だけである。


 持ち帰れない残りは放置した。

 セーレスによれば、他のケモノたちが食べてくれるので無駄にはならないという。


 僕らが持ち帰ったのは、小分けにして運んでも50キロ近くはある肉の塊だった。

 実食してみると、これは意外というかかなりの美味だった。


 豚肉、というよりボタン肉に近いだろうか。

 多少の匂いとクセはあるものの、焼くと全く気にならなくなる。

 僕の常識では、身体が大きくなるほど大味で筋張っていて不味い、と思っていたのに意外なことだった。


 淡白で引き締まった野鳥の肉とはまた違った味わいをここ二日ばかり堪能していた。でも、さすがに食べきれない。おそらくあと十日、毎日食べても余らせてしまう。幾つかは燻製にするつもりだとセーレスは言うが、それでも多かった。なら、こんなに美味しい肉なんだから、町に行って売ってしまえばいいのではないか、そう思ったのだ。


 僕の提案を聞いたセーレスは、ゲルブブに住処を侵されたときとおんなじ顔になった。


「セーレス?」


「町、行く、必要ない」


 そっけなく答えると、彼女はナイフを研ぎ始める。


 ここ最近、僕と彼女の会話はかなり円滑に行えるようになってきていた。

 僕のヒアリング能力的に彼女の言葉は片言に聞こえてしまうのだが、それでもだいぶコミュニケーションができるようになった。


 そのきっかけとなったのが、彼女の呼び方だ。

 狩りをしたその日の夜、僕がアリスト=セレスと呼ぶと、彼女は首を振ってこう言ったのだ。「セーレス」と。


 どうやら僕は彼女を愛称で呼べる程度には好感度を上げたらしい。

 これはかなり嬉しいことだった。

 

「いや、でもさ、もったいないじゃない」


「もった、ない?」


 地球でも外国人に説明しづらい『もったいない』である。なんといったものか。


「ゲルブブの命を無駄にしたくない」


 そう言うと、セーレスは眉をシュンとさせ、唇を尖らせた。

 悲しんでるのか拗ねてるのか、よくわからない表情だ。


「タケル、町、行く?」


「行く?」


 ああ、行きたいのか、ってことか。


「必要なことだと思うよ」


 別に遊びに行きたいわけではない。

 ただ、自給自足の生活でも、もう少し質を求めるのは悪いことではないと思う。


 例えばもう少し調理器具が――、せめてフライパンみたいのものがあれば、炒めものができる。


 ただでさえ、野菜類のような植物を見つけているのだ。

 硬くて黄色くて青臭い野菜。一度生でかじったが、苦くてとても食べられなかった。味は極めてにんじんに近かったのだが、直火で焼いたら真っ黒焦げになってダメになってしまった。


 それ以外にも、直火に向いていない野菜がいくつか存在する。

 それらを美味しく食べるためには、やっぱり料理器具と調味料が必要になるのだが、ここには塩や香辛料のたぐいがまるでないのだ。

 肉類にしたって、ただ焼いて食べるだけでなく、調味料があれば野菜と一緒に汁物だって作れるはずである。


「タケル」


 セーレスはナイフを研いでいた手を止め、僕の目の前にやってきた。

 膝をつき、僕と目線を合わせ、じっと見つめてくる。

 改めて言わなくても、とんでもなく綺麗な顔立ちの子だ。

 そんな彼女が、深い翡翠色の瞳で、一切の虚偽を許さないとでも言うように見つめてくる。


「私、目、見る、ちゃんと」


「う、うん」


 近い近い。一体どうしたというのか。


「タケル、住む、ここ」


「うん――うん?」


「町、住む、ない、いい?」


「は?」


 何を言ってるんだこの子は。

 彼女の言葉の真意を図りかねているだけだったのだが、それが不味かった。

 言葉をすぐに返さない僕が、彼女の懸念通りのことを考えていると思ったのか、翡翠の瞳にみるみるうちに涙が溜まっていく。


「違う、違うぞ、絶対違うぞ。僕の家はここ。町なんかには住まないぞ」


「ウソ、ない……?」


「ないない、本当! 絶対!」


「なら、いい。行く。町」


 すんすんと鼻をすすりながら、セーレスはナイフを腰のシースに差し込み、フードが着いた上着を羽織り、それを深く被った。


 そしてキロ換算にして十キロはあろうかというゲルブブの肉塊ふたつを大葉に包み込み、それを籠に入れて背負った。


「ん」


 手を差し出す。僕は抗う術を持たず、無言でその手を握った。

 ぎゅうっと、いつもよりもつなぐチカラは、ずっと強いものに思えた。

 こうして僕は、魔法世界で目覚めて以来、初めての町デビューを果たすこととなった。

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