第12話 エルフとの生活④ 初狩りと勝利

 ゲルブブはもっと森の奥の奥、アリスト=セレスが住んでいるあばらやから、滝を挟んでもっとずっと遠くの河を挟んださらに奥の大森林に生息しているのだという。


 だが、たまに群れから離れた個体がここまで来てしまうことがあるそうだ。

 あのゲルブブもその一匹で、もう長いこと水辺の周辺を徘徊しているらしい。

 アリスト=セレスには決して近づいて来ないし、見かけてもすぐに逃げて襲いかかることはなかった。


 それが何故かアリスト=セレスの周囲を侵害し始めた。


 やっぱり――、それは僕が原因のような気がする。

 僕が襲われていたのを、アリスト=セレスが助けてくれた。

 その際、彼女はゲルブブの右目を水の矢で穿ち撃退したのだ。

 最初にどっちが手を出したのか――

 なんだか、そんなタイトルの映画を昔見たのを思い出した。


 *


 ゲルブブ狩りは朝から行われることになった。

 準備は前日にすべて済ませている。

 昨日のうちに収穫していた木の実や果実で腹を満たし、いざ決戦のときである。


 でも、こんなに広い森の中、どうやってゲルブブを探すのか。

 そう思っていると、アリスト=セレスははたと足を停めた。


 再び、彼女の周囲の大気が揺らめく。

 最近なんとなくわかってきた、これは魔法を使う前兆なのだ。

 ブツブツと口の中で何かを呟く。

 すると彼女の眼前に、淡い光を湛えた水の球が現れた。

 水球はどんどん大きくなっていき、二メートルほどのサイズになる。


 アリスト=セレスは水球の下に手を当て、まるで重さを感じさせない動作で上空へと放った。


 はるか林冠を飛び越え、更に更に昇っていく。

 そうして豆粒ほどの大きさになるまで上昇した水球がパーンと弾けた。

 その光景は光のシャワーだった。まるで森全体を水のベールが覆うように拡散していく。


「イグルゥ」


「え」


 ぽそりとつぶやき、彼女は歩き出す。

 いまので見つけたのか。

 索敵と捜査の魔法、なのだろう。

 原理はまるでわからないが。


 僕も緊張した面持ちで後ろをついていった。

 歩きで数十分といったところか。

 彼女が不意に僕の手を取り、木の影に隠れた。

 人差し指を口元に寄せて「しー」とする。

 僕は頷いた。


 ゆっくりと、音を立てないように茂みをかき分けていくと――いた。

 そこだけ森を切り取ったように木々が無くなっていて、ヤツの姿がハッキリと見えた。


 全長三メートル以上。全高は僕の頭を軽く超える。

 片目が潰れたあのゲルブブである。

 ガン、ガン、と木の幹に頭を押し付けている。

 いや、アレは角を擦りつけてマーキングをしているのだ。

 こうやって自分の縄張りを増やしているのだろう。


「タケル」


「うん、大丈夫。できるよ」


 僕らは事前に作戦を立てた。

 それは罠に誘いこんで彼女がトドメを指すというものだ。

 だがそのための囮役は僕が買ってでた。


 渋い顔をするアリスト=セレスだったが、確実に一撃で仕留めるためには、やっぱり罠まで誘導する必要がある。


 アリスト=セレスはヤツに顔が割れている。

 遭った瞬間、逃げられかねない。

 そうするとやっぱり僕が最適なのだ。


 頷く僕に、アリスト=セレスが手を伸ばす。

 ぎゅっと抱きしめられた。

 ビックリして固まってる僕に顔を寄せると、ピタリと額を合わせる。

 また彼女の周囲が揺らめく感じ。

 何事かを口の中でつぶやき、僕の瞼に口を寄せた。

 そしてそっと離れる。


 名残惜しそうな顔で彼女は立ち上がると、何度も振り返りながら離れていく。

 一足先に罠をしかけた場所に向かうのだ。

 つまり僕は一人でゲルブブの気を引き、彼女が待つ場所まで行かなければならない。

 そう思った途端、ドクンドクン、と胸が鳴り出した。


 ゲルブブを見る。

 こちらにおしりを向けたままマーキングの真っ最中だ。

 ゆっくりと木の影から出る。


 落ち着け、僕はもうニートの頃の僕じゃない。

 体力だってついた。

 彼女の手伝いをしながら、この辺りの地形も覚えたし、森の中だって問題なく走れるはずだ。


 あとはほんの少しの勇気があれば……。

 そう思ってからそっと瞼に触れる。

 もう、前払いでもらってたや。


「おいっ!」


 フゴフゴと今度は穴を掘り始めていたゲルブブに大声を張り上げる。

 首を巡らせ、巨体ごと振り返ったヤツと目が合う。

 陽の光の下、改めてその姿を見た僕は後悔した。

 ものすごい迫力だった。


 漂う力強さ、ケモノ臭さが半端ではない。

 日本でも動物園にでも行かない限りお目にかかれないほどの大きさだ。

 トラやライオンよりも一回り以上大きい。

 例えるなら、象の子供くらいの巨体。

 それが、ぐるりと首をめぐらし潰れていない方の目で僕を睨みつけてくる。


「あ」


 ヤバイ。固まってる場合じゃない。

 作戦通り逃げないと――


「ピグゥルゥゥ――!」


「!」


 ヤツの遠吠え。それを聞いた途端、頭が真っ白になる。

 気がつけば、ヤツが眼前にまで迫って来ていて、僕はかろうじて倒れるようにしてそれを躱すことができていた。


 ガンッ、と鈍い音を立てて、ゲルブブが木の幹に突撃する。

 それだけで、僕の身体くらいの太さの木が、爪楊枝みたいにへし折れた。


「はっ――はっ――はっ!」


 息が苦しい。視界が狭まる。身体が動かない。

 何もかも、想定していた通りにいかない。


 作戦ってなんだっけ――?

 僕は何をどうするんだっけ――?


 あんなに覚悟を決めたのに。

 勇気だってもらったはずなのに。

 恐怖は、こんなにも身体を縛り付ける代物だったのか。

 土埃にまみれながら何とか身体を起こす。

 のっそりとゲルブブが首を巡らす。


「しまった……!」


 状況はさらに悪くなっていた。

 下手に体を躱したために、僕が進むべき進路をヤツが塞いでいる。

 ヤツの横をすり抜けるなんて無理だ。

 大きく迂回をして罠のある場所まで行かなければならない。


「クソっ!」


 悪態をつきながら背を向け走りだす。

 ヤツも雄叫びを上げながら追いかけてきた。


「はあ、はあ、はあっ!」


 森の中を逃げる逃げる逃げる。

 後ろを振り返れば、木々に足を取られながらもヤツが迫ってきているのが見えた。


 ここで進路変更。

 元のルートに復帰するべく僕は九十度右に進路を変更する。

 大きく距離を取ってはいても、ヤツの横を抜けるときは緊張した。

 木々の隙間からでも、ヤツは僕の方をしっかり見ていたのがわかったからだ。


 こっちは必死に走っているのに、距離は一向に広がらない。

 囮としては好都合なのだが、その事実が僕の恐怖を煽り立てる。

 さあ、そろそろ規定のルートが見えてくるはずだ。

 感覚としては、ヤツを最初に見つけた場所にでるはず。


「あれ?」


 ない。ヤツがマーキングしていた木があるあの場所がどこにもない。

 さあっ――、と血の気が引いていく。


(まさか、迷った――!?)


 真っ直ぐ走っているつもりで、見当外れの方向を目指していたのか!?

 バキバキッ、と遮る枝葉を意に介さず、ゲルブブがすぐ近くまで迫っている。


「ちくしょうっ!」


 いまはヤツから逃げるしか無い。

 でもこれ以上進んで、ますます迷ったら……。

 いずれ僕の体力が尽きて、ヤツの餌食になってしまう。


 急激に足が重くなる。

 恐怖。そして絶望。

 ふたつの枷が僕を雁字搦めにしようとする。


 どうしてこんなに一生懸命走ってるんだろう。

 もともと野垂れ死ぬ運命だったのが、一月も生き延びられたのだから十分じゃないか。


 それが汗水垂らして、いかにも僕らしくないことをしている。

 もうやめよう。諦めてしまおう――


 そんな思考が頭を埋めたとき、僕の視界に奇妙な光が映った。

 僕は反射的にその光の方――、左手奥へ足を向けた。

 それは青々とした清涼な輝きだった。

 木の幹に液体のようなものが――発光塗料でもぶちまけたように光を放っていた。


(もしかしてアリスト=セレス?)


 もしかしなくても彼女だ。

 僕に見えるように魔法をかけてくれたんだ。

 それは確信に変わる。

 彼女のつけてくれたマーキングを通り過ぎると、更に奥――、再びマーキングが施された木が見えた。


 身体が軽くなる。

 視界がひらけ、全身に力が戻ってくる。

 僕は何の迷いもなく、その光を追って全力で駆け抜けた。


 森を抜け、平原が現れる。

 僕が最初に目を覚ましたあの大平原だ。

 そしてはるか草原の向こうに、アリスト=セレスの姿が見えた。


 強い風が吹く。

 視界の中、彼女は逆巻く金髪をそのままに、手に持った弓を引き絞り――放った。

 僕のすぐ顔の横を水の矢が通り過ぎる。


「ピグぅ――!」


 直ぐ真後ろでゲルブブの悲鳴が聞こえた。

 こいつ、いつの間にこんなに近くに!?


「タケル――!」


 アリスト=セレスが両手を広げて待っている。

 ラストスパートだ。

 僕はすっ転びそうになりながら全力疾走する。

 ゴールは金髪のエルフ様。

 これ以上、最高のトロフィーはなかった。


「うおおおおおおおお――!」


 草原を駆け抜け、アリスト=セレスへと飛び込む。

 華奢な彼女が僕を支えきれるはずもなく、二人して草原に倒れこむ。


 僕は彼女の匂いと一緒に、これでもかと酸素を吸い込む。

 そして――


「ピグルゥ――!?」


 僕らの背後で、ゲルブブの巨体が、落とし穴にハマっていた。

 大きな穴だ。深さは約五メートル。直径も同じくらいある。

 昨日の内に二人で掘っていた穴で、先ほど僕が駆け抜けたときは彼女が水のベールで穴を塞ぎ、上から草をかぶせていたのだ。

 それに安心して直進してきたゲルブブは、見事穴に落ちたという寸法だ。


「はあ、はあ、はあ、はあああ……!」


 肩で息をする僕をアリスト=セレスは抱きしめ続ける。

 汗だくでホコリまみれなのに、彼女は気にした風もなく、僕の頭を優しく撫で続けていてくれた。


 ひとしきり、といっても一分ほども経った頃。

 彼女はようやく僕を解放すると最後の締めにとりかかる。

 僕に見せていた笑顔とは真逆の、獰猛な狩人の顔になり、その手には水で編まれた鋭い槍が握られていた。


「ほーッ、ほうッ!!」


 穴の中に飛び込むアリスト=セレス。

 直後、ゲルブブの断末魔が響き渡った。


 這いずるようにして穴の中を見てみると、

 ゲルブブは眉間を一撃で串刺しにされていた。


 お見事、としか言い様がない。

 穴の中で四肢を投げ出し、絶命するゲルブブ。

 身の丈三メートルもある成体の巨大なケモノ。

 それが、僕がアリスト=セレスとが初めて仕留めた獲物だった。

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