第11話 エルフとの生活③ 縄張りと侵害

 僕はニートである。

 幼馴染の女の子との確執、学校でのイジメ。

 そんなことをきっかけに、学校に通うのを辞めてしまった。


 高校もせっかく合格した学校には通わず、春からはずっと引きこもってネトゲばかりしていた。


 面倒くさがりだし、掃除も洗濯もしない。たまに料理は作って食べていたけど、それくらいである。


 そんな僕でも、死にそうな目にあったり、生き死に直結するような状況に陥るとがんばるらしい。地球にいたころはそのような目に遭ったことがなかったので、実に新しい発見だった。


 見ず知らずの異世界で目覚めてから半月あまり。

 僕は、僕を保護してくれたアリスト=セレスの負担を軽減すべく、毎日家事に勤しんでいる。


 地球にいた頃はひとりぼっちだった。

 だれに迷惑をかけることもなかった。

 でも今はアリスト=セレスに多大な負担をかけている自覚がある。

 さすがにこんな状態でニート生活は送れないと思ったのだ。


 毎日の食料の確保も、燃やす薪の量も僕がいる分、増えている。

 朝、叩き起こされる以外に僕が何かを強制された記憶はない。

 それでも二人分の木の実や果実でいっぱいになる籠を、黙って見ていられない。

 水でいっぱいになった手桶を彼女が両手に持っていたら、やっぱり手を差し出してしまう。


 告白すれば、年の頃なんて僕と同じか、あるいは若いくらい見えるアリスト=セレスに、僕は明らかな母性じみたものを感じていた。


 僕の両親は共働きで、物心がつく頃から僕はひとりでいることが多かった。

 いつも作りおきの冷めたご飯しか食べた記憶はないし、小学校に上がる頃には、両親はほとんど家に帰らなくなっていた。


 だから、自分の食べる分を僕に分けてくれたり、水辺で洗濯するたびにミノムシになる僕のために服を作ってくれたり、必要以上に僕にかまってくれる彼女を見ていると、もし僕が地球で母親と暮らしていたらこんな感じになるんだろうかと、そんなことを考えてしまう。


 だからアリスト=セレスがいままでどんな生活をしてきて、周りからどんな扱いをされているのかを知った時はかなりショックを受けたのだった。


 *


 異世界に来てから一ヶ月が経った頃。

 僕はようやく、初日の恥を雪ぐ機会を得た。


 その日は朝から厳戒態勢だった。

 数日前から、アリスト=セレスは「ゲルブブ、ヘファイスト!」と息を巻いていた。


 というのも、アリスト=セレスのあばらやからかなり近い、いつも薪を集めている辺りで奇妙なものを見つけたのだ。


 僕が切り倒せないような太い幹の大樹の表面に、何か硬いもので擦りつけたような傷があった。


 明らかな作為によって付けられたものなので、もしかして僕が知らない間にアリスト=セレスがやったのかと思い、聞いてみたのだ。


 ちなみに、僕と彼女から時間の許す限りこちらの言葉を教わっている。

 そんなときにも役に立つのが「ナダビ・ドゥ」だ。

 採集している野草に「ナダビ・ドゥ」。

 川辺で魚を焼いていても「ナダビ・ドゥ」。

 風に揺れる赤い綿毛が付いた花を指差し「ナダビ・ドゥ」。


 とにかく一刻も早くこの世界の言語を取得するために、彼女の言葉を記憶に留め続けた。

 しつこいくらいに話しかける僕に、アリスト=セレスは嫌な顔をするかと思いきや、いつでもニコニコにと、まるで僕の言葉を待っているかのように受け答えしてくれた。


 むしろ僕が覚えた単語の整理をするために、ずっと黙っているときなどは、逆につまらなそうに唇を尖らせていたりするのだ。そして僕のスウェットの袖を引っ張り、「モニア・トルン」と言ってくれる。多分、「もっと話せ」とか「もっと質問しろ」みたいな意味なんだろう。


 そんなことを繰り返していく内に、ああ、なんとなく今のはこう言ったんだろうな、という『当たり』がつくようになっていく。


 日に日にその『当たり』の精度が上がっていく。そうして一ヶ月が経過する頃には、僕はなんとか彼女の言葉を片言ずつでも理解できるようになっていた。


 とにかく。

 薪を切って帰るなり、僕は彼女に変なものを見たと報告する。

 樹皮がついた薪を彼女のナイフで削ってみせる。こんな風にガリガリ削ったような痕だったよ、と。


 はたとアリスト=セレスを見ると、彼女は真剣な表情になっていた。

 そうして叫んだのだ、「ゲルブブ・ヘファイスト!」と。


 詳しく聞いてみると、僕がこの世界に来た初日に、散々追いかけ回されたイノシシもどきが『ゲルブブ』というやつらしい。

 そのゲルブブは、あの突き出た角や牙で木の幹を削り、印をつけるという。

 つまりここは自分の領域、縄張りだとマーキングをするのだ。


「え、それってヤバくないか?」


 あんな巨体を持ったイノシシのすぐ近くに僕たちは住んでいるのだ。

 アリスト=セレスは弓とナイフを携え、僕の手を引きながら、印の場所までやってきた。辺りを見渡すが、ゲルブブの姿は見当たらない。


 さ――っと、アリスト=セレスの周囲で大気が揺らめいた気がした。

 次の瞬間、彼女手にはしなる水の鞭が握られていた。


「ほーッ、ほうッ!」


 気合とともに腕を振ると、それを印が付いた大樹へと巻きつける。

 ピーンっと張られた水の鞭を両手で握りしめるアリスト=セレス。

 いや、まさか、と僕が思っているとギシ、ギシギシっと嫌な音が大樹から響く。


「ほうッ!」


 彼女が腕を振りぬくと、バキバキバキッ――っと、半ばから大樹はへし折られ、そのまま土煙を上げて横倒しになる。

 驚いた野鳥が周りの木々からバサバサと飛び立った。


「ウソ……」


 超すごくないですか、アリスト=セレスさん。


「タケル、グルオン」


 来い、と。彼女はズンズン森のなかを進んでいく。

 うわ、すげー怒ってる。

 彼女がこんなに怒りの感情を露わにするのは初めてだ。

 自分の縄張りが侵害されるのがそんなに腹に据えかねるのだろうか。


(いや。もしかして僕のためか?)


 その日はあばらや周辺を徹底的に散策した。

 結局同じようなマーキングが、なんと他に二箇所も見つかった。

 当然のようにアリスト=セレスはそれらを破壊した。

 完全に僕らの住処を侵害している。

 こうして僕らはゲルブブ狩りをすることになった。

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