エルフとの生活編

第9話 エルフとの生活① 生命と晩餐

 僕の名前は成華なすかタケル。

 親の仕送りで優雅な一人暮らしを満喫していた15歳だ。

 ちょっと事情があって春からは高校に通わず、本格的な引きこもり生活を送っていた。


 そんな僕がなんの因果か、突如見知らぬ大平原で目を覚ました。

 牧歌的で自然あふれる風景に心和んでいたのも最初だけ。

 すぐに自分がとんでもない状況に陥っていると知り青くなった。

 電気もガスも水道も、食べ物もない場所でのたれ死ぬんだと思った。


 そんな僕は、ひとりの女の子に救われた。

 命の危機にあったのを助けられ、食べ物や住む場所まで世話をしてくれた少女。

 名前をアリスト=セレス、というらしい。


 長い金色の髪に翡翠色の瞳。

 体つきはほっそりとしていて、身長は僕よりやや低いくらい。

 なんといってもトンガリ耳の持ち主で、容姿だけならどこからどう見てもエルフに見える。


 実際彼女は魔法が使えるらしく、僕を助けてくれたときにも使用していた。

 自作したと思われるフード付きの上着と、簡素な短パン、そこから伸びる白く眩しい健康的な脚。つま先は革で編まれたサンダルを履いており、腰には何でも入っている不思議なポーチをぶら下げている。


 なんというか、見たことも聞いたこともない、おとぎの国からやってきたような、そんなとてつもなく綺麗な女の子だ。


 現実の女の子は苦手だ。何故なら僕の周りには口うるさい幼馴染様しか異性がいなかった。僕はただひたすら苦手だったのだが、幼馴染――心深は学校でも人気者だった。


 そんな人気者が僕みたいなのにしょっちゅう構うものだから、イジメの対象になってしまった。


 嫌がらせもされたし、殺されかけもした。確証ないけど、でも誰かに背中を押されて僕は車に轢かれたのだ。


 まあ、そんなこんなで嫌気が刺して、高校だけ受験してあとはずっと引きこもっていたのだ。新しい高校で心機一転――とはいかず、なぜか幼馴染様も一緒の高校だった。わざわざレベルの高い進学校を受験したのに……。


 中学時代の二の舞になるのは嫌だったので、もう僕は意地でも学校に行かなくなった。そのうち、ネトゲという最高の暇つぶしを見つけて、仮想世界の英雄を目指した。順調にレベルを上げて、これから僕を中心としたギルドでも立ち上げようかと色々準備していたのに……どうしてこうなった?


 *


 見知らぬ異世界で目覚めた僕は、アリスト=セレスの元で世話になることになった。


 だってそれはしょうがない。

 僕は別に神様からチートを貰ったわけじゃない。

 勇者になって、魔王を倒す宿命を背負ったわけでは全然ないのだ。


 ただただ文明から切り離された僕は、まずこの世界で生きていくことを考えなければならない。


 幸いにもアリスト=セレスは好意的だ。

 僕みたいなお荷物が増えたというのに、食べ物を分け、一人暮らしと思わしきあばら家に住むことも許してくれている。

 それどころか年の離れた姉、もしくは母親のように世話を焼いてくることもあるのだ。


 なんにせよありがたいことだ。

 もしも僕が、異世界に放り出されてすぐ、彼女に出会わなければ。

 未だに森の中を一人さまよい歩いていたとしたら、きっとすぐ死んじゃってたかもしれない。


 でも、僕が彼女を必要とするように、もしかしたらアリスト=セレスにも僕という存在が必要なのではないか。そんな風に思うときがある。


 彼女は僕を引き止めてくれた。

 そして一緒に住むことを許してくれた。

 理由はそれだけだが、何故かそう考えてしまう。


 とにかく、僕と彼女の同居生活は始まったのだ。


 *


「ぷあっ!」


 まどろみの淵から無理やり引き戻される。


「え、あれ、あれ――?」


 目覚めるとそこは見知らぬ天井――というか屋根がなくて外が丸見えの天井が見えた。

 のっそりと身を起こすと、濡れた前髪からぽたぽたと水のしずくが落ちた。


「雨?」


 しゃべると何やら頬が痛い。

 前髪をかきあげながら顔を上げれば、すぐ目の前にはやや呆れ顔のアリスト=セレスが立っていた。


 いつものようにフード付きのノースリーブの上着に、細長く引き締まった脚がニョキッと覗くパンツルックスタイルだ。


「モニーア」


「も、もにーあ」


 朝の挨拶、おはようだ。

 どうやら僕は頬を叩かれても目を覚まさず、ついには彼女の魔法で水をぶっかけられて、ようやく目を覚ましたらしい。


 これで三日連続の寝坊だ。

 と言っても、彼女がたたき起こしてくれるから寝坊でもなんでもない。

 ただ起きたい時間に自発的に起きるという習慣がないだけだ。


 あたりはまだ薄暗い。

 まだ日も上らぬ時間だ。

 朝日が上る直前の薄紫の闇の中、ピンと張り詰めた清廉な空気が森全体に漂っている。


 彼女の朝はとにかく早い。

 やらなければならないことが山積みだからだ。

 とにかくまずは食料の確保に出かけなければならない。


 寝ぼけ眼であくびを噛み殺す僕を、やれやれと言った感じで見つめながら、アリスト=セレスは僕を連れ立って森の中へと分け入っていく。

 これから朝食を採取しにいくのだ。


 幸いというか、アリスト=セレスの住んでいる周辺に食べ物は豊富だった。

 森の中で採れるのは、くるみのような木の実やりんごにそっくりの果実だ。

 そして野草類、大葉のような巨大な葉に、クレソンのようなハーブを籠に入れていく。


 大葉のほうは食器代わりにしたり、保存する際には梱包紙の役割もしてくれる。

 クレソンの方は、苦くて青臭くて正直僕は苦手とするハーブだった。

 でも毎度の食事の度に必ずそれを食べなければならなかった。


 一度残そうとしたら、「エント!」――食え、と叱られてしまった。

 どうにもこの野草がこのあたり一帯の食生活では欠かせないものらしい。

 良薬口に苦しと言うし、ビタミンとか整腸作用とかありそうだ。


 朝食が済んだら洗濯である。

 徒歩で十分ほど。

 彼女と初めて出会ったあの清流まで足を運び、朝食に使用した大葉や木皿、木匙などを洗う。


 ――水を確保するためにいちいち川辺まで行くのは面倒だよなあ。せめてあのあばら家の近くに井戸でもあれば……いや、アリスト=セレスは魔法で水を作り出せるんだからそれで食器を洗えば歩く手間が省けるのに……って!?


「――ちょっと!」


 唐突に嫌な予感がして振り向くと、アリスト=セレスがにじり寄っていた。

 無理やり裸にひん剥かれて、水の触手で全身を洗われた時を思い出す。

 僕は必死に、自分で洗うからと身振り手振りを交えて伝え、岩場の影に引っ込んだ。


 アリスト=セレスは唇をとがらせると、つまらなそうに足元の石を蹴っていた。

 なんでそんなに僕を洗いたがるんだろう。ペットかぬいぐるみとでも思われているんだろうか。勘弁して欲しい。


 そして中天を過ぎたあたりで、少しの昼食を食べたら、もう夕食の準備が始まる。

 この日は、アリスト=セレスの後ろについて狩りの見学である。

 彼女は弓を携えゆっくりと森の奥へと足を踏み入れていく。

 水の魔法は使わないのだろうか、と思っていると、彼女が弓につがえたのは藍色の水の矢だった。


「――ふっ」


 僅かな呼気とともに水の矢が放たれる。

 木々の隙間を通すように直進した矢は、遥か向こうにいる鳥を仕留めた。


 あひるくらいの大きさの灰色の鳥だった。

 翼を動かす肩の辺りに矢が突き刺さり、灰色鳥はなんとか逃げようと羽をばたつかせている。


 だが、矢が刺さった翼は動かすことができないようだ。

 地面の上でバサバサと暴れることしか出来ない。


「ほーッ、ほうッ!」


 もう何度目かになる、お決まりの威嚇を吠えながら、アリスト=セレスは灰色鳥に飛び掛かると、両手で躰を押さえつけ、もがく首をへし折った。


「う」


 手早く心臓あたりにナイフを突き刺し、血抜きを施す。

 ぐでん、と羽を投げ出した鳥の足を持ち上げる。

 赤い液体が勢いよく流れるのをしばし見つめる。

 時間にすれば僅か数分ほどで、彼女は鳥の羽をむしりとり始めた。

 次第に地肌が現れて、元の鳥とは呼べない有り様になっていく。


「たっ、ける」


 アリスト=セレスが僕を呼ぶ。

 すると自分の足元を指差し、手で掬ってひっくり返す仕草をする。

 どうやらここ掘れと言っているようだ。

 僕は生草をむしり、柔らかな地面を顕にしてから素手で穴を掘り始める。


 アリスト=セレスはナイフで鳥の首を落とし、腹を割いた。

 ドロリとした赤い液体に包まれた内臓がこぼれ、穴の中に収まる。

 こちらの人たちは内蔵を食べる習慣はないらしい。


 普通に鳥一羽を捌いていく彼女を、僕はじいっと見つめ続けた。

 生理的嫌悪感は当然ある。

 血を見るなんてやっぱり嫌だった。

 でもこれは僕がいた地球でも当たり前のように行われている行為だと思い出す。


 屠殺業社のヒトが捌いてくれた精肉を僕たちはスーパーで購入する。

 あるいは精肉を加工した食品をコンビニなどで気軽に買っている。

 僕が目を背けていただけで、当然こういうことをされた食肉たちを、僕は毎日美味い美味いと食べ続けて生きてきたのだ。


 だからこそ、生理的な嫌悪を抱きながらも僕は、決して目を背けることをしなかった。むしろ、変わり果てた姿になってしまった丸ごと一羽の鳥を、無駄にすることなく食べ尽くさなければならないと思った。


 あらかた内蔵を落としたアリスト=セレスは、最後は腹に手を突っ込んで残りの臓物を掻き出した。

 僕は上から土を被せて穴を埋めると、自然と手を合わせていた。

 見上げるとアリスト=セレスが僕を見ていた。

 翡翠の瞳が深い色を宿し、ジッとこちらを観察していた。揺れているように見えた。


「グルオン、たっける」


 随分軽くなった鳥を肩に担ぎ、彼女は踵を返す。

 そうして水辺で焼いて食べた鳥は大層美味しかった。

 スーパーで買って食べた惣菜の鶏肉と比べて、食べ終わった時の充足感が半端ではなかった。

 こんな感じで僕の狩猟生活は続いていった。

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