3

 珍しく、母が私に声をかけた。


「これをお隣さんに持っていきな」


 そう言って、母が私に手渡したのは、もぎたての籠いっぱいのラズベリーだった。 

 しかしどれも見てくれは異常に悪い。

 収穫したは良いけど、ニュー・スウォンジーの市場で売りさばけそうにない余り物をニッキーのところへ持っていけというのだ。

 私は露骨に嫌な顔をしたが、まだ腕力と経済力で親に刃向かえる歳ではなかった。

 それと経済観念と貞操観念では経済観念が勝る母だ。低い石垣作成でやんわりとだが文句を言ってきた隣のオハラハン家を偵察してこいという意味も含まれているようだった。

 隣との距離が離れていようが隣接する隣とは仲が悪くなるのは殺人的距離感を持っているカンザスでも同じだった。

 悲しいかな、人間社会の性である。


 私は渋々二マイルほど歩いてニッキーの家まで出かけた。タンブル・ウィードは生きているかのように我が物顔で走り回り、役目を終えた夕日が背中に落ちようとしていた。

 オハラハン家は建築物としての家そのものだが一言で書けば酷かった。

 煮沸しすぎた小さな服を着せられていたニッキーがそのまんま家に化けたような家だった。

 家という語句が当てはまるかが微妙だったが、あばら家という言葉で表現するしかない。

 ありとあらゆるものが中途半端でおえられていた。いや終わっていないのかしれなかった。

 ニワトリ小屋、飼い葉桶、ポーチもどき、豚小屋の柵、結論に至るまで二三分要すおそらく馬止めであろうの棒。試みただけでやめた井戸。

 何もかもがどうでもよくなってしまったらこういう家に住めるのではないか、ラズベリーの甘酸っぱい香りを嗅ぎながらオハラハン家を数分見続けたあと私はそういう結論に達した。

 うちの地道な努力を一切しない父が意外と律儀で真面目な人間だということに気付かされた。

 万事世の中相対評価なのである。偉大なる西部は私にいかなる教育機関を経ないでもたくさんのことを教えてくれた。

 そして、中途半端であると同時に、敵意がありとあらゆる方向にむき出しになっていた。

 いたる所底の抜けたポーチ。破れた壁。ささくれだった板で出来た壁。屋根も城を空堀のようだった。管理されずに野生化しつつあるニワトリ。管理されずに野生化しつつある豚。

 その敵意は私のような訪問者だけでなく、当然オハラハン家自身にも向けられていた。

 こんな家では住人が一番住みにくいだろう。

 私は、ニワトリの嘴と豚の威嚇を避けながら、ドアまで達すると軽くノックした。

 ドアはすぐに開き、出てきたのは、ニッキーと同じブロンドのざんばら頭のニッキーの食べ汚しで元が何色かわからないスモックを着た妹だった。

 妹はむすっとした顔で無言で私を見ていた。


「ハウディ」


 私がニコッとして挨拶した。もうディではなかった。夜になろうとしていた。

 私の声に気づいたのか、


「やー」


 とニッキーが飛び出てきた。オハラハン家は暗かった。そして臭かった。独特の匂いがしていた。いろんなものが入り混じった匂いで、その自身のどれでもない匂い。 

 ビーンズを煮込んだ匂い。安ウィスキーの嫌なアルコール臭。汗の匂い。人の肌の脂の匂い。 

 壁はほうぼう開いているのに暗かった。ランプはなく蝋燭の明かりだった。

 蝋燭ではない、明かりがぼやーっと室内を照らしていた。暖炉がかろうじて存在し、室内を温め明るさを提供していた。

 その暖炉の前にロッキングチェアと人影があった。


「あのこれ、母ちゃんが持ってけって、あげるって」


 私は用事を早く済ませて帰りたくなった。


「おー、ありがと」


 ニッキーが言った。ニッキーは籠を受け取るとさっとキッチンに居る姉に渡した。 

 動きは不自然なくらい早かった。 

 ニッキーは私とロッキングチェアの人影の間に入ろうとしていたのだ。


「隣の<ストーン・ボーイ>か?」


 低い声がオハラハン家に響き渡った。


「違うよ、隣のリアンだ。もう友達になったんだ」

「サルーンのクソ腰抜けのバーテンダーが言ってたクルツ家のクソガキだろ」


 実際は二声だったがこの人物の声で室内の空気が一転した。

 このロッキングチェアに座った男が、ニッキーの父親、<ザ・ヴィラン悪役>こと、ヴィンセント・オハラハンだった。

 私の位置からは暖炉の火で逆光になり姿しか見えない。


「うちの土地に石を投げてたクソガキだな」

「違うよ、もう投げてないよ、な、そうだろう」


 私は急いで頷いたが、言葉で返事するべきだったとすぐに後悔していた。


「うるせー、ニコラス、お前に言われなくても、何がどうなっているかぐらい俺にはわからぁ」

 

 声のトーンが一段とグレードアップした。このあばら家の見た目の敵意など可愛く小さいものだった。

 そのとき感じたのは恐怖感だけだった。生きることの厳しさと恐怖を常に与え続けてくれるのが西部だ。新大陸だ。

 <ザ・ヴィラン>は立ち上がりもしなかったが首を若干こちらに傾けていた。

 人影でそれだけわかった。

 こっちを見ているのだ。声のトーンが変わったことで、私はもちろんニッキーですら声を出せなくなっていた。

 首が傾いたせいで暖炉の光が顔にあたり<ザ・ヴィラン>の横顔が少しうかがえた。

 顔下半分は白髪まじりの一週間分の無精髭。ヴィンス・オハラハンはその無精髭でも隠せないほどコケた頬をしていた。そして悪魔のような赤い目。

 そして若干姿勢を変えたことで、ロッキングチェアの肘掛けに置いていた右腕がダランとまるで細い縄のように下に垂れた。

 <ザ・ヴィラン>の右腕は死んだ蛇ではやしているような感じだった。

 私は大男のその太い二の腕でなく、細い死んだ蛇のような腕に恐怖した。

 後付けで知ることになるのだが、ニッキーの父親、ヴィンス・オハラハンは西部でもなるての悪党、デスペラード、荒くれ者だった。

 過去形なのが微妙だ。ニュー・スウォンジーの街での噂では、テネシー州のナッシュビル近辺で銀行強盗を連続で犯しカンザスの東隣ミズーリー州へ逃亡。

 ミズーリー州のスプリングフィールド郊外のワットソー牧場で追っ手の連邦保安官と保安官補と派手な撃ち合いをしたあげく右肩に被弾。右腕の付け根の関節の骨が木っ端微塵になり右腕が不具となったらしい。そして、追手をかわすため更に西へ逃亡。このカンザス州の片田舎ニュー・スウォンジーにて現在潜伏中なのだ。

 連邦保安官に向かって引き金を引いたのだ。ヴィンセント・オハラハンの首には三千ドルの賞金がかかっていた。

 ウォンテッド・デッド・オア・アライブ。

 この西部で右腕が使えないとあっては職にもつけない。日がな無聊をかこいつつ、追っ手の恐怖にも耐えるため酒浸りの日々を送っているのであろう。

 だが、<ザ・ヴィラン>は左手は使える。今も左手にはしっかりマグカップが握られている。もうまともな食事からではなく安ウィスキーから栄養も摂取している様子だ。あと左手は家族を支配するために。


「ガキ、名前ぐらい名乗ったらどうだ」

「ハイ、ミスター・オハラハン、僕はリーランド・クルツです」


 と私が返事するのを遮るように、ニッキーは私の肩を抱き私を扉の外に追いやった。

 室内ではもごもごくぐもったヴィンス・オハラハンの声が聞こえていた。 


「おい、ニコラス」

「父さん、やめて」

「おまえが口答えするんじゃねぇ、色目使いやがってこの売女」


 ぴしゃっと人がぶたれる音。などなど。 

 

「悪いとき来ちゃったのかな?」


 とポーチで私。


「いや、いつもあんな感じ」

「ごめんな」

「いやぁ、ラズベリーありがとな」

「あれ、酸っぱいだけだから」

「じゃあ」


 話は飛ぶが、私とニッキーが仲良くなるのにはそれほど時間がかからなかった。

 そしてこの石垣の境には後二人の同世代の少年が集まるようになる。

 リッチー・スウェイガーに、ジャノス・ペティボーンである。

 逆に言えば、このカンザス州のニュー・スウォンジーには私と同世代の少年は

この四人しかいなかったのだ。

 四人は広いニュー・スウォンジーを信じられないほどの距離を歩いて集まり、言いつけられた仕事は超適当にちゃっちゃっと済まし空いた時間で湧き水の流れいず二瘤ふたこぶの丘で遊ぶようになる。

 他に遊び場所などなかった。

 だが、この二コブの丘が四人にとってニュースウォンジーでの壮絶な遊び場となる。

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