21話「『不可能』をやらなきゃいけない瞬間」

 アルストフィア村の片隅にある公園。


 そこは昔、近隣住人のファーガス家が自身の所有していた庭園を、児童や年寄りのために整え、公開した土地である。


 当時から現代に至るまで、その公園は田舎村の数少ない遊び場として、主に子ども達から根強い人気を得ていた。


 さて、野良猫からは昼寝スポットにされている公園だが、そこには一人の野良人間ホームレスまでもが住み着いているみたいである。


 路地裏でいじめられているところをヴィーレに救われた少女、ネメス。


 ついでの見送りとして、彼女の自宅までネメスを護衛しようとしたヴィーレだったが、案内されたのは件の公園だった。


 どうやら彼女はどこにでもいる普通のいじめられっ子というわけではないらしい。


(何回やってもリアクションに困るな、ここ)


 公園の入り口で立ち尽くす勇者。


 当然ヴィーレはあらかじめ承知していた事柄なのだが、いかんせん無表情な男だから、傍から観察してみても彼がどういった感情を抱いているのかは分からないだろう。


「ネメス、話をしよう」


 淡々とそう告げてから、ヴィーレは公園の中に入っていった。相手の返事は敢えて待たないで。


 残されたネメスはといえば、彼女もどこかで打ち明ける覚悟をしていたのだろう、神妙な面持ちのまま彼のすぐ後ろへ続いていく。


 勇者に選ばれた件とは関係無しに、ヴィーレは元来お人好しな性格だった。


 じっくりと話を聞くため、遊具近くにあった木製のベンチへ腰かける。少しだけ間を空けてネメスも隣に座ってきた。


 二人の微妙な距離感が、現時点での互いの関係を教えてくれている。


「家族はどうしているんだ」


「いません……。物心ついた頃には、もう……」


「とすると、やっぱり金も家もないのか?」


「はい。ずっと公園ここで暮らしています……。食事は……ちょっと前までなら、分け与えてくれる優しいオジサンが近所にいたんですけど……。その人も最近はいなくなっちゃって……」


 ネメスという少女は、その純朴さに不釣り合いな悲しく辛い過去を背負っているらしい。


 小さな身にはあまりにも重すぎる環境だ。


 ヴィーレは、時を繰り返した現在に至っても、彼女の苦労に見合うだけの言葉を考えつけなかった。


 今の段階では、ただ彼女の話を聞いてあげることしかできない。


「色々気になるところはあるが……。ネメス、それじゃあ一体どうしてお前は他所よその子どもにいじめられているんだ?」


「分かりません……。わたしからはあの子達に何もしていないですし……。戦争のせいで、みんな怖がっているだけなのかも……?」


「治安の悪化と、積もりに積もったストレス。加えて、周りにいる大人の意識が子へ注がれなくなったことによる弊害か……」


 口を覆うように手を当てて呟くヴィーレ。


「だが、そんな理由でネメスがいじめられるのはおかしいだろ。たまには抵抗したらどうだ? そうだな、例えば……呪文は使えないのか?」


 抵抗する力があるなら、あとは意志さえあれば無駄に傷つくこともないだろう。


 そう考えての問いかけだった。


 ヴィーレの質問を受け、わずかに悩む素振りを見せたネメスだったが、こちらを信用してくれているのか、あまり時間をかけずに返事を寄越してくれる。


「その、二つなら……」


「二つも使えるのか。それだけで凄い才能じゃないか。ちょっと試しにここで唱えてみせてくれよ」


「えっ。えっ?」


 突然投げられた振りにネメスは困惑している。


 けれど、ヴィーレがジッと待機している姿を認めると、こちらが真剣に彼女の問題へ向き合っているという誠実さを理解してくれたのだろう。


 やがて、遠慮がちにではあるが、ヴィーレの方へと両手をかざしてきた。


「し、失礼します……。《ハピネス》」


 呪文だと推測される、たった四文字の言葉。


 ネメスがそれを詠唱した瞬間。


 ヴィーレの口角が、わずかばかり上がった。彼が自主的に笑おうとしたわけじゃないにもかかわらず、である。


 さらに、どういう訳か、ヴィーレは段々と楽しい気分になってきた。精神的な作用まであるようだ。


 謎の高揚感にヴィーレが身を任せていると、ネメスは不意に呪文の効力をオフにした。


 かざしていた両手を下げながら説明してくれる。


「他人を笑わせることのできる呪文です……。役に立ちませんよね、こんなの……」


 ネメスが緩く握られた拳を膝の上に戻すと、呪文の効果は完全に切れたようで、ヴィーレの顔も元通りになり、いつもの無愛想な彼に戻る。


 しかし、そんなヴィーレの意志は見た目ほど冷めてはいなかった。


 すっかり意気消沈してしまった様子のネメスを真っ直ぐに見据える。そして――――


「そうか? 俺は良いと思うぞ。きっと世界で一番優しい呪文だ。確かに、戦いにおいては役に立たないかもしれないがな」


 率直な感想をありのまま伝えた。


(実際、俺は今その呪文を使いたいしな。もしくはネメスにその呪文を使用してほしい。彼女自身に対して。そうすればいつもの笑顔に戻るだろう)


 心ではそうこぼしつつも、消極的な思考は言葉に出さない。


 ひたすらに甘い励ましを続けるつもりだ。


 そうすることで、ネメスに不足している自信を付けさせ、心のガードを解かせる作戦なのである。


「ありがとうございます……」


 こちらの思惑通り、ネメスは照れているようだ。


 疑うことを知らない彼女の性格が幸いした。顔を赤らめ、体はモジモジさせている。


 ネメスの事情を鑑みるに、純粋に褒められ慣れていないのだろう。ヴィーレは油断すると父性が目覚めてしまいそうになっていた。


 そうして、しばらくの間はテレテレしていたネメス。


 が、突然ハッと我に返ると、ベンチの近くに落ちていた小石を拾い、人差し指と親指でつまんでヴィーレに見せてきた。


「も、もう一つの呪文はこれです。《モデリング》」


 会話の本筋を思い出したのだろう。次は五文字の言葉を詠唱する。


 ヴィーレは何も言わずに、彼女の持つ小石を注意深く観察してみた。些細な変化も見逃さないように。


 すると、不思議なことに、みるみるうちにその形が崩れていくではないか。まるで意思を持ったスライムみたいな液体っぽい動きだ。


 それはグネグネと脈打つようにうねり、最終的にある動物の形へと落ち着いた。


 ヴィーレは形の変わった小石を眺めて、数秒だけ間を置くと、誰に尋ねるでもなく独りごちる。


「これは……もしかして、猫の顔か?」


「そ、そうです! 猫さんです! 猫さんの形に変形させました!」


 こちらの独り言は聞き逃されなかったらしい。


 ネメスは興奮した様子で正解を与えてくれた。飛び跳ねそうなくらいに喜んでいる。


 正解を言い当ててもらえたのがよほど嬉しかったのだろう。両手のひらにチョコンと小石を乗せて、ちょっぴり自慢げだ。


(汚れてても可愛いな、コイツ)


 ヴィーレは昨日以来、一番のメンタルケアを受けているようだった。


 純粋無垢な子どもと接するのは削れた精神の回復に多大な貢献をもたらすらしい。


 しかし他方で、ネメスはたった二回呪文を使っただけなのに、異常なまでに汗をかき、軽く息をあげていた。


 気持ちが平常に戻ったら急に疲れが押し寄せてきたようだ。


 彼女は呼吸を整えるためか、落ち込んでいるためか、深く息を吐き出した。


「でもわたし、魔力量が少ないみたいで……。こんなんじゃ全然ダメです……」


 そう言って、ネメスはヴィーレの隣に座り直した。


 彼女はまたまた勝手に自ずから落ち込んでしまったみたいだ。


 十秒前までは明るかった顔に影を落とし、芳香性の憂鬱感を身に纏っている。


 おかげでこちらまで後ろ向きな気持ちになってくるが、ここでヴィーレまで気分を暗くさせていては、勇者失格だろう。


「……ネメス」


 彼は意を決して一度瞑目すると、上半身だけを横に向けて、ネメスを正面で捉えた。


「俺はな、魔物の王である魔王討伐を任された身なんだ。でも、呪文なんて一つしか使えない。そのたった一つもショボいもんさ。《チェック》っていう呪文なんだがな。相手の魔力量を知ることができるだけなんだよ」


 会話のどさくさに紛れてネメスに分析の呪文を使用する。


 続けてベンチに文字が浮かび上がってくるが、呪文を唱えたヴィーレ自身にしか紡がれたメッセージは見えていない。


【レベル1・世界一の弱虫だ】


 答えは調べずとも予想できていた。勇者は困ったように鼻の先を掻く。


(やっぱり最弱なのか……。普通はそこら辺のひ弱な一般人でも、魔力レベルってのは3~5ほどあるもんなんだが。魔物どころか虫一匹すら殺したことがなさそうだな)


 文字を目で追いながらそんな感想を抱く。


 ネメスが呪文を二回使っただけで疲弊している理由は、少女が自覚しているとおり、彼女の魔力量の低さにあると思われた。


 イズと同様、やはり前回までのネメスと何ら変わりない。


 ヴィーレは密かに安堵しながら話を続ける。


「とにかくさ、無茶な挑戦でもやってみろよ。世の中ってのは案外気合いだけでどうにかなる事が多いもんだぞ。もしそれでもダメだったら、俺が助けてやる。俺は勇者だからな」


 ちょっとばかり強引な説得だった。


 しかし、ヴィーレには感情だけでモノを言っているのが自分でも分かっているのだ。こんなところで学の無さが露呈するとは思ってもみなかったろう。


 だが、彼の手応えとは裏腹に、ネメスはある単語へと興味を示してくれた。


「勇者……?」


「ああ。世界を救って人々を幸せにする仕事だよ」


 ヴィーレは続けてちょっぴり情けなさそうに「何の取り柄もない普通の村人だけどな」と付け加える。


「俺は魔王を倒さなきゃいけない。魔物を統べる王を、だ。ただの村人である俺が、そんなデカイ壁を前にして挫けずにいられる理由はただ一つ、仲間がいるからなんだ」


 語りながら、首にかけているロケットを握りしめるヴィーレ。


 彼は仲間の顔を脳裏に浮かべると、橙色の宝石みたいなネメスの瞳を、奥の奥まで覗きこんだ。


 心の底に届かせるよう力を込めて言葉を紡ぐ。


「お前には俺がついている。決して独りじゃないんだ。だから、もうちょっとだけ頑張ってみろ」


「でも、わたしには……」


「無理だと思うか?」


 逃げるように視線を逸らして、いつまでも答えないネメスに問うと、小さな首肯だけが返ってきた。


 ヴィーレは無言で頷き返し、彼女の頭に右手を置く。


 何だかベットリしていて脂っぽい。けれど、そんな事を勇者がいちいち気にするはずがない。潔癖のまま英雄になど成れはしないのだ。


 ヴィーレはネメスの傷んだ髪の毛を優しく撫でながら、努めて穏やかに、かつ厳しく教え聞かせる。


「誰にでも、必ずやって来るもんさ。『不可能』をやらなきゃいけない瞬間が」


 少し間を空け、「俺みたいにな」と肩を竦めてみせるヴィーレ。


 彼の無理やりな激励にネメスは両の目をパチクリさせていた。色々と唐突過ぎて、理解が追い付いていないらしい。


 ところが突然、何がおかしかったのか、彼女は「ふふっ」と吹き出した。


 自分の悩みが馬鹿らしくなったのかもしれない。もしくは、重大な任務を『不可能』と言い切ったヴィーレの態度が気に入ったのかもしれない。


 どちらにせよ、コロコロと笑うネメスの姿は、さっきまでの陰気さをまるで含んではいなかった。


「……ありがとうございます。ヴィーレさんに自信と元気を貰えました。ことはできないかもしれないけれど、ことはできそうです」


 ひとしきり楽しそうに笑ってみせてから、彼女は再び口を開く。


「わたし、勇気を出して頑張ってみます! 欠点がいくつもあるけれど、役に立たない長所もあるけれど、それでも大丈夫なんだって、学ぶことができたから!」


 宣言して、内気な少女はようやっと、真正面からヴィーレと目を合わせてくれたのだった。

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