20話「いじめられっ子という共通点」

 ネメスはご馳走された昼食に満足してくれたようだった。


 キラキラした瞳で運ばれてきた料理を眺めていたかと思いきや、周りから奇異の視線を集めていることには気付きもせず、あっという間に食事を平らげてしまう。


 会話一つ無い昼食風景であった。勿論プラスの意味で、ではあるが。


「パン以外の物でこんなに満たされる日がくるだなんて……。夢みたいです」


 完食した後のネメスはしばらく目を瞑り、幸せそうにお腹をさすっていた。


 放っておけばそのまま昇天してしまいそうな様相だ。


 ちなみに、ヴィーレの「構わず好きなものを選べ」という許可を受けて、彼女が頼んだのは一般的な子どもサイズのランチとホットミルクだった。


(美味しそうにご飯を食べる子って可愛いよな~)


 そんなネメスの対面には、ほのぼのとした心持ちでブラックのアイスコーヒーを楽しむヴィーレの姿が。


 あまり感情を表に出さない彼にしては珍しく顔をほころばせている。


 ネメスの満足そうな姿に心の底から癒されているらしい。イズに対する態度とはえらい違いだ。


 ちなみに、ヴィーレも少しは食べておいたようだ。


 本当は節約したいところなのだが、ネメスに気を遣わせないように、という意図で贅沢をさせてもらったという。


「かなり急いで掻き込んでいたな。美味かったか?」


「はい! とっても!」


 ヴィーレが尋ねると、ネメスは元気一杯に返事を返してきた。


 背もたれからバッと起き上がるようにして身を乗り出してくる。その瞳は先ほどまでの淀んだものとは違って、宝石みたいに煌めいていた。


「あっ。えと、すみません……! はしゃいじゃって……」


 されども、彼女はすぐに萎縮した態度に戻る。声も尻下がりに小さくなっていった。


 周りの客に迷惑をかけぬよう配慮したのかもしれないし、ヴィーレの固い表情に怯えているのかもしれない。


 羞恥心か臆病が頭をもたげたのだ。


 どちらにせよ、勇者にとっては、ここでフォローを入れない理由が無かった。


「喜んでくれた方が嬉しいよ。奢り甲斐があるってもんだ」


 言いながら、机の脇に立て掛けてあった小本のようなメニューを手に取るヴィーレ。


 もう片方の手は、用意していた新しいハンカチを持ち、ネメスの口周りに付着している食べカスを拭ってあげていた。


 メニューの最終ページにあたる部分を開くと『ドリンク&スイーツ』という表記が目に飛び込んでくる。食事前の、特に長い時間、ネメスが釘付けになっていたページだ。


 ヴィーレは自身の顎を指で撫でつつ、思案した風を装ってネメスへ提案した。


「……ふむ。そうだな、デザートも頼むか?」


「え、えぇっ!? ダメダメ! お腹一杯になっちゃいますっ!」


 しかし、ヴィーレからの質問に、ネメスは両手を前へ突き出し、二つの瞳をグルグル回してしまった。


 伸ばした腕を上下に振り回して、拒否の意を示している。


 表情豊かな彼女に呆れ笑いを漏らしそうになりながらも、ヴィーレは適当に会話を進めた。


「満腹になるのって、悪いことなのか?」


「悪いことですよ。わたしが食べた分だけ、世界のどこかでパンを食べられなくなる子が出てきちゃうんですから……」


「そういった思考を続けて、実行までしなきゃいけないのなら、博愛主義者はとことん大変な生き物だろうな」


「ハクアイシュギシャ?」


「ネメスは優しいな~ってこと」


「や、優しいだなんて……そんな……!」


 ネメスは両手をブンブン振って恥ずかしがっている。


 素直に褒められたと勘違いしたようだ。頬を人差し指で掻いて、あちこちに視線を泳がせている。


 ヴィーレはネメスの教養が浅いのだと十分に理解していたから、敢えて現実の事情を伝えることはしなかった。


『たとえ戦争中であっても、貴重な食糧を平気で残す者が世の中には沢山いる』


 そんなくだらない話を、彼女に知らせて何になるだろうか。


 博愛の実現を信じているのは、安寧を追い求める夢想家ロマンチストであって、賢しく育った実際家リアリストではないのだ。







 閑話休題。


 そんな寄り道をしつつも、現在は再びネメスの案内で、彼女を家まで送り届けているところだ。


 相変わらず、ヴィーレが人通りの少ない道へと誘導しつつ、ネメスの歩行速度に合わせて二人で歩く。


 たまに会話のキャッチボールも交わしながら。


「うぅ……。すみません、ヴィーレさん。ちょっとお腹が痛いです……。食べるのを急ぎすぎちゃったかも」


「胃薬なら持ってるぞ。飲むか?」


「すみません。ありがとうございます……」


「好きな物を選ばせた俺にも責任はあるから。初めはお腹に優しいメニューを選ぶべきだったな。サラダとか」


 答えながら、ヴィーレは荷物の中から薬包紙を取り出し、水と一緒にネメスへ手渡した。


 衛生兵かと勘違いしてしまうほど偏った備えだ。


「もしかしたらストレス性の胃痛かもしれないぞ。あるいは、さっき腹部をしこたま蹴られていたからって可能性もあり得る」


「嫌なことはすぐに忘れるようにしているんですけどね……。わたし、根に持っちゃってるんでしょうか……」


「ネメスは悪くないだろう。いずれにせよ、奴らのせいってのには変わりないさ。アイツらの顔は覚えた。仕事が終わったら、俺が代わりに親ごと説教してきてやる」


「わ、わたしは平気ですよ……? ほら、ヴィーレさんのくれたお薬があれば、きっとすぐに治りますから」


 平和主義なのか日和見主義なのか、いじめっ子達を庇うように「えへへ」と作り笑いをするネメス。


 ヴィーレは彼女の振る舞いを受けて、どうにも煮え切らない気分になったが、話の軌道をわずかに逸らすことで気持ちを別の路線に切り換えた。


「……そういえば、胃薬を売ってくれた商人によると、それは『胃痛の原因もとに直に効く』らしい。これさえあれば、あのガキ共を暗殺できるやもしれんな」


「お薬を作った人も流石にそこまでは汲んでくれていないと思います」


 ネメスは作っていた笑顔を少し崩してそうツッコんでくる。


 それから、彼女はまた微笑ましそうに広角をあげて、ヴィーレを横目で見上げてきた。


 顔色をうかがうような瞳には憧憬しょうけいの光が映っている。


「ヴィーレさんは……あんまりいじめられなさそう」


「そもそも人付き合いが苦手なタイプだからな、俺は。こじれる関係ってやつがはなから無い」


「……友達、いないんですか?」


「短い台詞で俺のウィークポイントを的確にえぐってくるんじゃない」


 最低限の威圧をもって注意するヴィーレ。わりと洒落にならないダメージをメンタルに食らってしまったようだ。


 けれど、そこは速攻で立て直すのが勇者である。


 彼は前方に視線を固定したまま自身の置かれている境遇を努めて穏やかに吐露した。


「理不尽な目に遭うことや悪意に晒されることを『いじめられる』って言うんなら、俺も結構いじめられてるよ」


「そうなんですか?」


「ああ。ただ、仕事仲間にいじめっ子みたいな奴がいるけど、アイツからの口撃こうげきは別に辛くないな……。どうしてだろう」


「……本当は嫌われてないんだって信じられる関係だから。かもしれませんね」


「ふぅん。俺は愛のあるむちで叩かれているわけだ」


「『イジリ』と『イジメ』の境目って難しいですから……」


 口頭だけでヴィーレの仲間がどんな性格をしているのか察したらしい。ネメスは顔も知らない誰かさんまでも、力なく擁護してくれた。


 二人の間に流れる空気は、朝のそれよりかは大分柔らかくなっている。


 いじめられっ子という共通点が明かされたからだろう。ネメスの方も言葉数が増えてきたように感じる。


 おかげで、ヴィーレは自然体のまま会話を交わすことができていた。


(ところで、ネメスみたいな小さい子と二人きりで歩いているこのシチュエーション……。イズにでも見つかったら、何らかの犯罪容疑をかけられて、問答無用で衛兵に突き出されそうだな……)


 ふと浮かんだ嫌な予感に悪寒を覚える勇者。


 ヴィーレが閑散とした道を選んでいるのは、仲間と鉢合わせする確率を可能な限り下げるためだった。


 また、言うまでもなく、人々の悪意から逃れるためであったり、ネメスへ寄越される好奇の視線を減らすためであったりもする。


 つつがなく成功の岐路を辿るには、警戒しなければならない要素が数えきれないくらいにあるのだ。


(今回はカズヤもいるからな。下手に出くわしてしまうと、前回通りのやり方が通用しなくなりそうだし、できるだけ他人との接触は避けていきたいところだ)


 時間を繰り返している勇者にとって、旅の前半にあたる部分の行動はほとんど最適化され、半ば作業と化していた。


 必然的にその期間は、死亡してから巻き戻った彼の精神回復期となっている。


 イレギュラーがいるとはいえ、できるだけアドリブは控えたいものだ。ただでさえ削れているメンタルをこんな序盤で摩耗させたくない。


 人間は誰しも楽をしたがる生き物なのである。


「ここです……」


 ネガティブな想像からヴィーレを現実へ引き戻したのは、隣の少女の控えめな声だった。


「もう家に着いたのか」


 おぼろげな思考の海から引き揚げられながら、ヴィーレはポツリとそう漏らす。


 そして地面とにらめっこしていた顔を正面まで上げる彼だったが、前方に建っていたのは家屋や屋敷、邸宅などではなかった。


 ただの、陽当たりの良いだけの、だだっ広い空き地である。


 否、単なる空き地ではない。正確に描写すると、アルストフィア村の隅にポツンとたたずむ寂れた『公園』だった。


 公園と言っても、木でできた大きな遊具が二つか三つ確認できるくらいで、あとは申し訳程度の砂場と、芝生の敷かれた広場しかない。


 閑散とした空気を囃し立てるように、高い音を立ててつむじ風が吹いた。


「おい、俺は『家に送る』と言ったんだが」


「ここが家です……。ここに住んでます……」


「は? マジかよ」


「ま、マジです……」


 返事を返してくるネメスへ心の中だけで「ただのホームレスじゃねえか」とツッコミを入れるヴィーレ。


 何度も繰り返してきた恒例の流れだ。


 齢十三歳の少女ネメス。


 ありふれたいじめられっ子に見えるこの薄幸娘の正体は、身寄りのない一人の『野良人間』であった。

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