19話「勇者、野良人間を拾う」

 村中を歩きまわり、衛兵を発見しては流し作業的に話を聞いていく。


 大剣を背負ってなかったら、ヴィーレの格好はただのみすぼらしい旅人なので、しばしば不審がられたが、勇者の証のおかげで円滑に事を進められた。


「目新しい出来事や通報の類いは無し、か……」


 人気のない通りを歩きながら独りでそう呟くヴィーレ。


 彼は本来臨むべき仕事を成し遂げる前に、空いた時間を使って、何周かぶりの真っ当な聞き込みをしていた。


 カズヤというイレギュラーが出現したことにより、前回以前と今回の間で何かしらの変化が起こっているかもしれないと考えたのだ。


 だがそんな期待半分、不安半分な予感は大外れ。


 この村で得られる情報には特に変わったものなど無かった。


 だから現在のヴィーレは何をするでもなく、ぶらぶらと散歩して小休止を満喫しているのである。


「……そろそろか」


 と、呟きを漏らしたところで、彼は路地裏から何やら声がしているのに気が付いた。


 これまでに幾度となく体験したのと完全に同じシチュエーションだ。既視感が景色に重なって、心地の悪い重奏を作り出す。


 そのデジャブこそが、ヴィーレが本日中に果たさなければならない仕事であった。


 初回から欠かさずに遭遇している、否、遭遇するようにしているイベント。そして、勇者がわざわざ三日目までアルストフィアに残った理由の一つ。


 いじめられっ子の救出である。


(予定の時刻には早すぎるかと思ったが……。クソ、もう始めてやがる……!)


 即決だった。ヴィーレは聴覚ではなく記憶を頼りに路地裏へと入っていく。


 雑踏がほとんど無い細道へ侵入すると、段々と声の主が何を話しているのかが聞き取れるようになってきた。


 いや、それは話しているというより、何人かが一方的に怒鳴り散らしているような声色だ。ついでに砂袋を思いきり叩いているような鈍い音もする。


「あんたムカつくのよ!」


「役立たず!」


「おい、悔しかったら何か言ってみろよ!」


 路地の中央辺りまで来たところで、ヴィーレは足を止める。


 よくよく目を凝らして注視してみると、うずくまる少女を取り囲んで、五人の男女が殴り蹴りをしながら彼女を罵倒していた。


 先ほどは『いじめられっ子』などという表現をしたけれど、あまりにも生温かったかもしれない。


 そこで行われていたのは、イジメの域を飛び越えた、容赦のない暴行だ。


 しかも恐ろしいことに、加害者と被害者の全員が年端もいかぬ『子ども』なのである。ここはつくづく治安の悪い村らしかった。


「……ッ! ……ッ!」


 暴行を受けている娘は抵抗をせず、助けを呼ばず、ただジッと頭を抱えて地面に丸まっている。


 それは真上から浴びせられる哄笑を聞くまいとしているようにも、神へ許しを請うているようにも見えた。


(こんな奴らを守るために、俺は一体どれだけの無駄な努力を強いられているんだ?)


 ヴィーレが背後まで近寄ってきても、イジメっ子どもはこちらに気付くことなく、『遊び』を止める気配がない。


 随分と熱心に楽しんでいるようだ。


(……いいや、違う。俺が守りたいのは、漠然と存在や人数だけを知らされている『全人類』なんかじゃない。たった数人の、かけがえのない『仲間達』だけだ)


 事態のあらすじを大雑把に把握したばかりである勇者の義憤は早くも臨界点に到達する。


 少女が時々苦しげに呻いている姿を、彼の不正義を黙っていられない心は、一時たりとも眺め続けてはいられなかったのだ。


「おい、お前達」


 心持ち強めに子どもらの肩へ両手を置く。


 問答無用で顔をちたいという衝動は、理性が歯止めをかけて防いでくれた。


 だから、ヴィーレはただ低く低く、幼い背中に声をかける。


「女の子へ寄ってたかって、被災時に何をやっている」


 すると、子ども達は甲高い悲鳴をあげて、蜘蛛の子を散らすように一斉に逃げていった。


 脅すような口調だけでヴィーレを衛兵か何かと勘違いしたのだろう。


 イタズラがバレた時みたいに無邪気な笑顔で、「マズイ」だの「急げ」だのと騒いで、狭く曲がりくねった道を走っていった。


「怒られる事をやらかしている自覚はあるのかよ……」


 追うわけでも叱るわけでもなく、憎たらしげにそう吐き捨てて、ヴィーレはただ一人残された少女のもとに歩み寄る。


 彼女の小柄さから推測するに、イズよりも歳は若いようだ。


 暖かい陽光のような髪色は泥と土で汚れ、痩せ気味な体には数えるのも億劫になる量の擦り傷が付いている。


 泣いているのか、痛みを堪えているのか、少女は小刻みに震えていた。


「大丈夫か……?」


 ヴィーレの言葉は、子猫に話しかけるような慈愛に満ちた音色を含んでいた。


 続けて倒れ伏している少女に手を差し伸べる彼だったが、こちらを見上げる相手の顔からは、怯えや恐怖といった感情しか伝わってこない。


 差し伸べられた手を握り返す様子もなかった。


(……そりゃあ、出会ったばかりの怪しい男なんて信用できないよな)


 仕方の無いリアクションだけれど、この娘に怖がられるということが、ヴィーレの胸をどうしようもなくキツく締めつけた。


 少女は逃走するでもなく、瞳を震わせてヴィーレを見つめ返してきている。


 新手の敵が現れたのかと疑っているようだ。


 ヴィーレは棒立ちのまま、「前回はどう対処したっけ」と慌てて思考を巡らしている。


 しかし、記憶の棚を調べている途中で、顔を上げた少女の額に一際大きな負傷があるのを、彼はとうとう発見した。


 地面でぶつけたのだろうか。砂塵と皮膚の隙間から、うっすらと血が滲んでいる。


「おいおい、怪我をしているぞ。前髪を手で上げてくれ。治療してやるから」


 荷物から綺麗な布と水を出すと、ヴィーレは慣れた手つきで少女の手当てをしてあげる。


 ついでに肘や膝なども簡単に診ておいた。


 幸い、肉体に重大なダメージは無いらしい。とは言っても、不幸中の幸いに他ならないのだけれど。


 水分が傷口に染みたらしく、少女は苦痛に表情を歪ませていたが、目をギュッと瞑って健気に我慢していた。


「……これで大丈夫だろう。軽い内出血はあったけど、骨折なんかはしていないはずだ。どれも数日内には治るものばかりだよ」


 汚れを洗い流し、応急処置を済ませた後で、ヴィーレは再び立ち上がる。


 予習していたハプニングだけに、必要物品の用意は尽くしておいた。

 けれど、それでも事態を未然に防げないところが、彼の悲哀を表している部分なのだろう。


 ヴィーレは水や布をしまって荷物を背負い直す。


「あ、ありがとうございます……」


 すると、蚊の鳴くような声量で、少女から礼を述べられた。


 まだ警戒の色は抜けていないが、ヴィーレに対して感謝はしてくれているらしい。オドオドしながらベコペコしている。


 そんな娘の態度を受けて、ヴィーレは困ったように口角を下げた。


(彼女をこのままここに置いて立ち去るわけにもいかないよな……。イズ達には悪いが、少しだけサボるとするか)


 勇者は自問自答をそこそこに済ませ、勝手に自己完結してしまう。答えは初めから出ていたようだ。


 元より、幼なじみとこの少女に会うためだけに訪ねたような村である。ヴィーレにとって決断を迷う理由は一つも無かった。


 彼はしかめ面を笑顔に変えられないまま、背の低い少女に目を落とす。


「俺の名はヴィーレ。衛兵ではないが、人並みに常識的な良心は持ち合わせているつもりだ。またいじめられたらたまらないだろう。家まで送るぞ」


 そう言って、まだ座りこんでいる少女にもう一度手を差し伸べてやる。


 すると彼女は、数回の逡巡しゅんじゅんを経た後、今度こそはしっかりと手を握り返してきた。


 小さな手のひらを包むように掴んで、ヴィーレは少女を立たせてあげる。


 不思議で変わった出会いを果たした二人。


 彼らはどちらからともなく隣に並び、暗澹とした路地裏を振り返らぬまま、抜け出していった。







 路地裏を出てからというものの、二人の間には会話が無かった。


 ヴィーレにとってそれが気になって仕方ないのは、野良犬の姿すら見かけない、閑散とした細道を歩いているからだろうか。


 あるいは、互いに厚く信頼しあっていた『かつての仲間』の一人と親しく話せない現状を嘆いているからだろうか。


 まあ、何にせよ、勇者の憂鬱はすぐに吹き飛ばされることになるだろう。


 遠慮がちに渡された、小鳥のような声音によって。


「わたしはネメスって名前です……。あの、その、十三歳……です……」


 ヴィーレが色々な事情を考えて、人通りの少ない道を選んで歩いていたおかげで、控えめなその声はハッキリと彼の耳に届いた。


 明るい場所に出てから初めて分かったけれど、ネメスは農民だったヴィーレよりも小汚ない格好をしている。


 ボロボロの服、ボサボサな髪、妙に酸っぱい臭い。長らく風呂に入っていないような様相だ。


(これもさっきの五人がやった嫌がらせによるものなんだろうか。それとも……)


 余計な詮索が口から漏れ出る前に、ヴィーレは好意的なレスポンスを選択して、ネメスへと返した。


「そうか。いい名前だな」


「はい、ありがとうございます……」


「ネメスの家はここから遠いのか?」


「そうですね……」


「えぇ~……、顔を上げろよ。ほら、最高の好天だ。地面を睨んでいたって、小銭くらいしか見つからないだろう」


「はぁ……」


「……何だよ、憂鬱そうじゃないか。溜め息を吐いていたら幸せが逃げちまうぞ」


「幸せが逃げたから、溜め息を吐いているんです……」


「…………」


 沈黙が再び二人の間に舞い降りる。


 勇者の奮闘は虚しく突っぱねられるだけだ。ネメスはかなりの強者らしい。


 気まずさを引きずって入った並木道は驚くほど静かだった。その静寂が、さらにヴィーレを焦らせる。


(ダメだ。やっぱりネガティブなネメスとは、会話が全然続かない。なんか最近、話題に困る相手と話すことが多いな。イズとか、イズとか、あとイズとか……)


 賢者の顔を思い浮かべて、しれっと失礼なことを考える勇者。


 ネメスと揃って溜め息をもう一つ吐き、次に何を話すのかという議題へ頭のリソースを割き始める。


 すると突然、何の脈絡もなく、小さい雷のような音が周囲に鳴り響いた。控えめな牛のいななきにも聞こえた気がする。


 音源は探すまでもないだろう。


 何故なら、それはヴィーレのすぐ隣にあるのだから。


 回りくどくないように答えを述べると、ネメスのお腹の虫が盛大に鳴いてしまったのだ。


 ネメス自身にとっても予想外のハプニングみたいで、二人は呆気に取られたまま同時に足を止めてしまう。


(す、凄い音がしたぞ……。静かな道を通っていると一層響くな)


 小さいとはいえ、レディの犯した失態だ。ヴィーレは紳士的に振る舞おうと思った。


 すなわち『聞かなかったふり』である。


 しかし運が悪いことに、様子見のつもりでチラッと視線を寄越した瞬間、ネメスの瞳とバッチリ目が合ってしまう。


 そこで初めてお腹の悲鳴が聞こえていたことに考えが至ったのか、ネメスは面白いくらい急速に顔を赤く染めていった。


「うぅ……ごめんなさい……」


 小さく呻きを漏らして顔を手で覆い隠す少女。


 そのままダッシュで逃げ出してしまいそうなくらい猛烈な恥ずかしがりようだ。


 ヴィーレは苦笑しながら彼女の様を見守っていたが、「都合の良い口実ができた」と内心では安堵していた。


 ネメスの隣に屈んでみせて、慰めるように彼女の肩をポンと叩く。


「せっかくだ。飯でも奢ってやるよ」


 そして、またもや勇者は見栄を張ってしまうのだった。


 彼の懐がすっからかんになる日もきっと遠くはないだろう。朝に内省したばかりなのに、全く懲りていない男である。


 ヴィーレは己の行き当たりばったりな行動に頭を悩ませながらも、うずくまってしまったネメスの肩を優しく掴んで、彼女を立ち上がらせるのだった。

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