22話「今日の別腹は明日の脇腹」
それから、ヴィーレはネメスと公園で雑談して時間を潰した。
二人は時間も忘れて会話を続ける。
雨にさらされて劣化したベンチの上で。取るに足らない、どうでもいい話ばかりをひたすら。
「やっぱり俺は、あのガキ共がムカついてしょうがない。ネメス、今度奴らにからかわれたら、お構いなしにぶん殴って前歯でも折ってやれよ」
「ヴィーレさん、暴力に暴力で返しちゃいけませんよ……。戦争って、始めるのは簡単だけど、終わらせるのは大変なんですから」
「どうせ乳歯だぞ」
「いや、それで『じゃあ大丈夫ですね』とはならないかと……」
ネメスは苦笑いでそう言った後、晴れ晴れとした表情で空を見上げる。
「もしかしたら、あの人達は今ごろ自分の家で、反省してくれているかもしれません。次にわたしと会うとき、頭を下げて謝ってくれるかも」
「
「それでも。いつか、どこかで、誰かが許さないといけなくなる世の中ですから」
「……どうにかならんもんかね。被害者が加害者を許さないと、途端に翻ってこちらが悪者扱いされる風潮」
「仕方ないですよ。ゴミ拾いと同じ感覚で悪感情を飲み込める人がいなくなったら、みんなが暗い心の病気に感染しちゃいます」
「寛容で慈愛に満ちているのは心底尊敬するが、甘やかすのと優しくするのを混同すると、また痛い目に遭うぞ」
諦めたようにそう告げて、ヴィーレはベンチにもたれかかる。
瞼を下ろした彼にはネメスの見据えている光景を共有してあげることはできなかった。
「明るい話をしましょう。わたし、ヴィーレさんの事、もっともっとよく知りたいです!」
隣からネメスの明るい声が飛ばされる。
空元気かもしれないけれど、いじめっ子達が悪く言われるのを彼女が望んでいないことは確からしかった。
「浅い人間を掘ったところで、何の面白みもないだろう。俺はネメスの話が聞きたいね」
ヴィーレはそう返して聞き手に回ることに専念した。
どうやら彼にはエンターテイメント的な意味でのトークスキルが欠如しているようだ。
「趣味とかあるのか?」
「うーん……。公園によく来る猫ちゃんと遊ぶこと、でしょうか。喉をゴロゴロ鳴らして甘えてくるんです。機嫌が良いときはお昼寝に付き合ってくれたりもしますよ!」
「好かれているな。羨ましい。旅から帰ってきたら、俺も一緒に遊ばせてくれよ。ユーダンクにいる野良猫は、なかなか懐いてくれないんだ」
「いいですよ~。あの子ならきっと喜びます! ヴィーレさんも猫ちゃん、好きなんですね」
「うん。俺の育てた野菜を盗んでいかない限り、大抵の動物は可愛く思えるよ」
「ガーデニングが趣味なんですか?」
「趣味というか仕事のカテゴリーに入るんだが……。まあ、そうだな。楽しいから続いてるってのはある」
「憧れます。野菜に囲まれて生活できるなんて、夢みたいな生活ですよ」
「ネメスは食べることが趣味だもんな」
「えへへ……」
少女は照れた様子で頬を掻いている。
ヴィーレの皮肉にも聞こえるイジリ言葉を額面通りに受け取ったらしい。素直なのか天然ボケなのか、どちらにせよ間の抜けた性格だ。
けれど、ネメスはその後、何かを思い出したかのように青色の吐息をふっと漏らした。
「だけど、好きな物を食べたり動物を愛でたりなんて、誰でもやってるし誰にでもできます。それにヴィーレさんの趣味と違って、わたしのは大した利益を生みだしません」
「道楽に有用性を求めだしたら、それはもう趣味じゃないさ」
「そうですけど、恥ずかしいじゃないですか。いつまで経っても遊ぶことが趣味だなんて」
「恥ずかしいもんかよ。元より趣味というのは『遊び』の延長線上にある概念なんだ。大人の世界が『遊ぶ』という言葉を嫌うから、『趣味』と言い換えているに過ぎないんだよ」
「お、大人には大人なりの
感嘆するネメス。
世界からほぼ隔絶され、理想と空想ばかりを見つめていた彼女にとって、社会と現実を知ることは驚きの連続だ。
それから、ネメスはしばらく黙りこんでしまった。
地面についていない両足をぷらぷら揺らして、何事かを真剣そうに考え込んでいる。
すると、ヴィーレがちょうど話しかけようとしたところで、彼女は思い立ったようにバッと跳びあがった。
「決めました! わたし、いじめられないくらいに強くなれたら、猫ちゃんと一緒にのんびり生活します!」
「いいじゃないか」
「公園じゃなくて、ちゃんとした家に住みます! 知らない事を沢山学ぶために勉強もやります!」
「応援するよ」
「毎日お腹一杯になるまでケーキを食べます! 頑張った自分へのご褒美として!」
「おう! ……ん? 『毎日お腹一杯に』?」
「はいっ!」
「いや……あの、ネメス……。健康のためにもケーキの食べすぎはよしておいた方が……」
「大丈夫ですよ! デザートは別腹ですから!」
「『今日の別腹は明日の脇腹』という言葉が世の中にはあってだな?」
保護者モードになったヴィーレが諭すように語りだす。
彼の中に眠っていた擬似的な親心が目覚め、発作的な庇護欲が発揮されたみたいだ。
暴走する子を見かけると、手綱を握っていてあげなければならない気分になるのは勇者とて変わらないらしい。
二人はそのまま、日が暮れるのにさえ気付かず、舌が乾くまで話し続けたのであった。
ふとした瞬間に、ヴィーレは自身の懐中時計を胸ポケットから取り出して確認する。
いかんせん楽しかったものだから、彼はあまり時間が経っていないだろうと高を括っていたのだけど、時刻はもうすぐ午後の六時を過ぎようとしていた。
周りを見渡してみると、いつの間にか夕日が差している。
思いの外、深く会話に没入してしまったらしい。何度も繰り返している割によく飽きないものだ。
(マズイ。たしか日が沈むまでに部屋へ集合だったよな。遅刻したらどんな目に遭うか分からないし、そろそろ宿に戻ろう。……ネメスとはもう十分話したはずだしな)
遠くの山の奥へ沈む紅色を眩しそうに眺めていたヴィーレは、ベンチからスッと立ち上がる。
すると、当然彼の行動を疑問に思う者が現れた。
「どうしたんですか?」
隣に座っていたネメスだ。
彼女は上目遣いになりながら、不思議そうに声をかけてくる。
「時間切れみたいだ。俺はもう帰るよ。仲間を待たせているかもしれないから」
「……っ。……そうですか。魔王を倒しに、危険な旅へ出かけるんですよね……?」
「ああ。この任務が済めば、みんなが幸せになるはずだ。そして、それが巡り巡って、きっとネメスを救うことにもなると信じている」
「…………」
ヴィーレの台詞を聞いてから、ネメスは
話し相手がいなくなって寂しいのだろうか。
遡行の旅をしている勇者にも、彼女の抱いている感情は未だに理解できていない。
細くか弱い姿を見せられると、本来の目的を忘れて何とかしてあげたい気持ちに駆られるが、ここから先はネメスの意志次第だと思いとどまる。
「……行ってくるよ」
ヴィーレは一瞬だけ躊躇ったものの、少女に短く別れを告げた。
「じゃあな。元気で」
踵を返し、ゆっくりと歩みを進める。
一歩、一歩、そしてまた一歩……。
後ろの少女へはもう目を向けない。しかし、それは未練を断ち切ったからではなかった。
亀のように鈍重な動きは、ヴィーレの中にある期待と願望を表している。本当に遅く足を進めるものだから、客観的な視点に立つと、少々滑稽な光景だ。
「あの……っ!」
すると、数歩進んだところで、不意にヴィーレは腕を掴まれた。数時間前と違って、握られた手のひらに弱々しさは伝わってこない。
予定通りだ。どうやらヴィーレの祈りは神に届いたらしい。
無論、彼を咄嗟に引き止められたのは、背後にいた一人の野良少女である。
「わ、わたしも……!」
振り返ってみると、ネメスがこちらの右腕を逃すまいとしがみついていた。
腰が引けていて、懇願するような姿勢だ。
「わたしを連れていってください!」
しかも同時に突拍子のない頼みを飛ばしてきた。
ヴィーレは緩みそうになる気持ちをグッと抑えつつ、厳つい表情を変えないまま、あらかじめ決めておいた台詞を読み上げる。
「……おいおい、本気か」
「はい。わたし、強くなりたいです。そしてあの子達を、みんなを見返して、仲直りしたい!」
夕日に照らされた瞳の端には、溜められた涙が光っている。
(悔しいのだろうか。だとすれば良好な感情だ。悔しいということは、諦めていない証拠なのだから)
ヴィーレはネメスの想いを推察しながらも、なお食い下がる。彼女の意志を試すように。
「わざわざ進んで危険な道を行くことはないだろう」
「整備された道を歩いていても、転べば怪我をするものです!」
「無理に急がなくていい。明日から始めるでも、明後日から始めるでも、遅すぎることにはならないんだぞ」
「勿論分かっています! ただ、今やれることを今やらなかったら、一生やれないままな気がして……」
ネメスの顔は不安で歪んでいるが、それでも
すがろうとしている様子ではない。むしろ、食らいつこうとしていた。ただただ必死に自分の気持ちを言葉に変えようとしている。
「迷惑は……ちょっぴりかけちゃうかもしれませんけど、絶対にお仕事の邪魔はしないので! どうかお願いします!」
掴まれた手に力が込められる。引き結ばれた小ぶりな唇は微かに震えていた。
恐らく、少女の言葉に嘘は一つも無いのだろう。
困難に立ち向かおうという意志、運命に抗う決意を持っている。
それは『勇気』だ。
きっとネメスはヴィーレに劣らぬほどに勇者らしい。
「……分かった。お前を旅のパーティーに迎えよう」
だからヴィーレは、それ以上深くは踏み入らずに彼女の志願を受け入れた。
「ただし、俺の仲間達が認めてくれたら、だけどな」
そう一言付け加えて。
ネメスは勇者の承諾を聞くや、パァッと眩しいくらいの笑顔を咲かした。それから、地面に頭が付きそうになるほど深く頭を下げてくる。
「あ、ありがとうございますっ!」
「そんなに気張らなくてもいい。乗りかかった船だ。俺もできるだけサポートするよ」
ネメスの顔を上げさせて、励ますように軽く背中を叩いてやるヴィーレ。
(何より、元から連れていくつもりだったし)
彼は安心して泣き出しそうになっているネメスの背中を
ヴィーレが漏らしたとおり、魔王を倒しに行く任務において、ネメスは決まって仲間にしている人物だったのだ。
初回は偶然ネメスと出会ったヴィーレだったが、それからは毎度のように彼女を救い続けていた。
仲間想いというか、お節介焼きな勇者にとって、庇護欲を掻き立ててくるネメスは、特に見捨てられない存在だったのである。
「一人だけ頑固者がいるけど、悪い奴じゃないし、断られる心配は無いだろうよ」
新たな仲間を増やすにあたって、強いて不安要素を出すとすれば、唯一それだけだった。
(悪い人物じゃないからこそ、反対してきそうではあるが。
ヴィーレには経験からくる確信があった。
イレギュラーであるカズヤだって、彼が本当に異世界転移者であるのなら断りは入れないはずだ。
逆に、そこでカズヤがおかしな言動をすれば、ヴィーレの疑心に拍車がかかるだろう。
「本当に、本当にありがとうございます!」
存外乗り気な勇者に、ネメスは救世主を崇めるような視線を向けている。
「ヴィーレさん、最初は怖い人だと思ってたけど、本当はすごく優しいんですね!」
喜ばしいことに、どうもこちらの株は、出会ったあの時からネメスの中で急上昇していっているらしい。午後を丸々潰して彼女に好かれるよう努力した甲斐があったようだ。
(でも、え、なに。出会った当初は俺ってネメスに怖い人だと思われてたの? 初めて聞いたし、地味にショックだ……)
ヴィーレは何十周目かになる時間軸で新たな事実に直面し、癒されていた精神に想定外の傷を負ったのだった。
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