17話「最も中身の無かった日」

 その日。夜になって、ヴィーレはようやく宿に戻った。


 黙って置いていかれたことに対して、イズがぶちギレているのではないか。半ば押しつけるようにして託した重大な任務をカズヤ少年は果たして遂行できたのか。


 そうやって色々考えていると、なかなか帰る決心がつかなかったのだ。


 しかし、「結局それは問題を先送りにしているだけだ」という結論に至り、死刑台を上るような気分で、潔く戻ってきたわけである。


「ふぅ~……はぁ~……」


 自分の部屋前にて大きく深呼吸をするヴィーレ。


 炎の海に呑まれるよりも、氷の鉄槌を下ろされるよりも、イズから派手に雷を落とされる方が、彼にとってはよっぽど恐ろしかった。


(最善に期待するだけじゃあ駄目だ。最悪に備えていくぞ……!)


 ヴィーレは扉のノブに手をかけた。


 その際、串刺しにされた魔物の姿と未来の自分を極力重ねないよう注意する。


「悪い。遅くなった」


 初手から謝罪をかまして部屋の中へ入るヴィーレ。


 だが、そこにカズヤの姿は見当たらない。


 代わりにこちらの帰りを待ち受けていたのは大賢者イズ、その人だった。彼女は険しい顔をして俯きがちにベッドへ腰かけている。


 ヴィーレは瞬間的に無垢なる少年の死を直感するだろう。


(もしかして……カズヤ、失敗したのか? 彼女に消された?)


 ヴィーレは恐る恐る自分のベッドに足を組んで陣取るイズを確認する。


 彼女は読書で時間を潰していたらしい。


 空色の瞳は凄まじい速度で連なった文字を追っていく。ページを捲る手も休む暇が無さそうだ。


(ほとんど瞬きもせず読み進めている……。知力が上がる分、視力が下がりそうなやり方だ)


 ヴィーレは息を潜めてイズの行動を観察している。


 猫背になりかけている彼女から目を離さずに扉を閉めると、その音に反応して、イズは片の眉を上げた。


 膝の上に置いた分厚い書物からこちらへと視線が移される。


「随分と遅かったわね?」


「情報を集めるのに存外時間がかかってな。……ところで、カズヤはどうした。やはり殉職したのか?」


「殉職……? 何の事だかさっぱりだけど、無礼な思考をしているんなら、ぶっ飛ばすわよ」


 相手の目が疑いの色を孕んだ途端に、ヴィーレは半開きだった口を引き結んだ。


「とりあえず、そこに座りなさい。あんたに話しておきたいことがあるわ」


 従順なこちらの反応へ満足そうな笑みを見せた後、すぐさま凛とした顔付きへ戻るイズ。


 一連の反応を観察した限りだと、彼女の機嫌は悪くないようだった。至って普通の脅迫的なイズ・ローウェルである。


(あのイズが約束を破られて怒っていないどころか、それについて全く言及しないだと……? カズヤ、一体どんな呪文を使ったんだ……)


 ヴィーレはイズの対面にあった椅子へ無表情で腰かけつつも、変なところで動揺している。


 感動の域に近い動揺だ。


 しかし、次の瞬間イズから決定事項を連絡するかのように寄越された言葉によって、それはさらに加速した。


「カズヤを一緒に連れていくわ」


 瞬間、ヴィーレの頭の上に、想定していたのと別の意味合いで雷が落ちた。


(しかも説得に成功してやがるじゃねえか! 有能かよ、アイツ)


 まさに青天の霹靂へきれき。驚天動地であった。


 イズの理不尽な怒りに慣れているヴィーレは、なまじボコボコにされる覚悟をしていただけに、応える声も無意識に弾んでしまう。


「驚いた。お前のことだから、てっきり断るかと」


「そりゃあね、最初は断ろうかと思ったわよ。ただ彼、戦闘に役立つ呪文を使えるみたいだったわ。しかも二つも、ね。軽く使い方を教えただけで、ある程度は満足に扱えていたし、伸びしろはあるはずよ」


「二つか……。それだけで軍やギルドに引っ張りだこだろうな。確かに貴重な人材だ」


 ヴィーレが感心したのは、何も歓喜による大袈裟おおげさな反応ではなかった。


 そもそも、普通の人は呪文なんて使えない。


 十人に一人くらいの割合で一つ唱えられるくらいだ。二つ扱える者はかなり珍しく、三つ以上になるとほとんどいない。


 扱える呪文の数や種類は生まれた時から既に決まっていて、戦闘に強い呪文もあれば、日常生活において汎用性の高いものもあり、全く役に立たない呪文まである。


 つまりは完全に『才能』なのだ。


 戦闘に関して優れている呪文を持つ者は、軍に徴兵されるのが主であるが、そういった人材は前線ではとても重宝される。


 そして、どこの現場でも慢性的に不足気味だ。


「そういう事なら俺も勿論賛成だ。元々戦力には不安があったから、仲間が増えるのならとても助かる」


 だから、ヴィーレは今さらイズの提案に対して反対などしなかった。


「ただ、手続きなんかは必要ないのか? ああいった不安定な身分の者は放っておけないだろう。法律的に危うい立場だ」


「心配御無用。法律ってのは、小さな虫だけが引っかかる蜘蛛の巣に過ぎないのよ」


「返答がクールすぎる……。権力と財力をフル活用していやがる」


「力は振るうものだもの」


「ストレスとは無縁の生活を送っていそうだな、お前。『好きなことで生きていく』を地で行っているイメージだ」


「買いかぶりすぎよ。『人生は後悔の航海』と言うように、私の人生も失敗の連続だったわ。例えば、男性関係」


「男性関係?」


「ええ」


「意外だな。何かあったのか?」


「何も無かったのよ」


「な、なるほど……」


 興味本位で尋ねてみたら、脱線した上に地雷を踏んでしまったようだ。イズの顔に自嘲気味の微笑が浮かぶ。


 これは早く話題を元のレールに戻さなければと、ヴィーレはわざとらしく咳き込んで、会話の流れをぶった切った。


「ともかく、俺は許可するぞ。カズヤを魔王討伐班の仲間に加えよう」


「いや、あんたの意見は結果に反映されないんだけど?」


「何それ酷い」


 パーティーの中でカースト最下位になっている勇者。


 一瞬で調子を取り戻したイズにより、鉛筆のように尖った彼のメンタルは、またも折られそうになっていた。


 ともあれ、やはり仲間が増えるのは良い傾向だろう。


 潜入するとは言っても、道中で魔物を見つけたら、基本的には戦うことになる。戦闘を完全に避けての任務達成はかえって困難だ。


 そのため本来は、勇者の仲間だって、もっと多くても構わないのだ。むしろ全然足りないくらいなのである。


(あまり強力な人材をこっちに回しすぎると、国を防衛することができないために、俺達は必要最低限の人数で魔王へ挑まなければならなかったわけだしな)


 そう。だからヴィーレは『カズヤが仲間になること』については賛成だった。異論はない。


 だが、疑念はある。


 昨日の戦いが終わった後、この部屋でカズヤがまだ眠っていた時、ヴィーレは彼のことを密かに分析チェックしておいた。


 結果は【レベル38・イレギュラーだ】とのこと。


 レベルとは、『魔力レベル』を表す数値だ。


 ありとあらゆる生き物はその体内に魔力を宿しており、他の命を奪うことによって、魔力量は増加する。


 そして、それは生命力の上昇をはじめとした様々な恩恵を宿主に与えるのだ。


 さて。だとすると、である。


(もしカズヤの語った経緯が本当なら、彼は魔力なんて無い平和な国の学生だったはずだ)


 そして、ある日眠りについて、起きたらこの部屋にいた、と。


 だったら、彼の魔力レベルは『1』のままであるはずだろう。アルストフィア周辺の魔物を一匹や二匹葬った程度じゃあ、魔力レベルは二桁も変動しない。


(アイツはどこであんなにレベルを上げたんだ?)


 ヴィーレの中には、不安にも似た暗雲が立ちこめ始めていた。







 それからしばらくすると、トイレへ席を外していたカズヤが部屋に帰ってきた。


 そこで改めて彼の加入について了承したヴィーレ達。


 各々が任意の場所へ腰を落ち着けると、未だ行方不明のパーティーメンバー、『エル』について今後どうするのかを話し合うことにした。


「で、今日という貴重な一日を無駄に潰した結果、彼がどこに消えたのかは分かったわけ?」


 ティーカップに注がれた紅茶を優雅に味わいながら、イズがヴィーレに尋ねてきた。カズヤと一緒に茶を楽しんでいるようだ。


 見ると、テーブルの上には最高級の茶葉やポットが置いてある。


(命懸けの旅に何持ってきてんだ、コイツ)


 ヴィーレは「紅茶が苦手だから」と断って、何もせずに冷めた視線を向けていた。


 ちなみにヴィーレが留守の間、カズヤはイズを説得して諸々の事情説明を終え、イズはこの世界や呪文、そして自分達の現状などを教えていたらしい。


 手間が省けて助かる。


「いいや。かなりの村人や兵士に話を聞いたはずだが、誰一人としてマトモな情報を持っていなかった。もちろん奴の家も訪ねてみたけれど、案の定留守だったよ」


 イズの問いに答え、首を横に振るヴィーレ。


 分かったのは聞き込みをする上で必要な情報だったエルの人相くらいのものだった。


 あくまで、だが。


「もしかして、怪我を負って治療を受けているんじゃ……」


 砂糖のたっぷり入った紅茶に息を吹きかけていたカズヤが、恐々といった様子で一つの可能性を示す。


 しかし、それはベッドから投げられたヴィーレの言葉によって、すぐに否定された。


「既に調べた。避難所や診療所にも『エル・パトラー』という男はいなかったし、死亡者リストにも名前は無かったよ」


「跡形もなくなるほど凄惨な死に方をしていないのなら、彼は生きているってわけね。それなら、誰も姿を見ていないというのは、一体どういう事なのかしら」


「普通はあり得ないよね……。明日は僕達も協力して、三人でもっと多くの人に情報を当たってみようよ!」


「ええ。ただ、もしそれでも何も分からなかったら、ソイツは戦いが始まる前から逃走した抜け腰抜けの間抜け野郎ってことよ。その場合は、しょうがないわ。三人で魔王討伐を行いましょう」


「そうだな。あんまり無為に長居をしてはいられない」


「無事に見つかるといいね……」


「発見できたら、余計な手間をかけさせてくれたお礼に私から一発、素敵な呪文をお見舞いしてあげましょう」


 イズが嫌らしい笑みの横に火の玉を浮かべて、冗談なのか本気なのか判別しづらい発言をする。


 彼女の対面に座るカズヤは苦笑いで対応していた。


 新しい仲間にも早速『危険人物』と認定され始めているみたいだ。


 当初出発するはずだった日からもう二日目の終わりを迎えようとしているというのに、依然として彼らの本来の仕事が進む目処は立っていなかった。



 ――――勇者ヴィーレが前回死んだ日まで、あと七日。

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